朝顔・昼顔・夕顔
今日の名言 ただ過(す)ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よはひ)。春、夏、秋、冬。 |
清少納言『枕草子』 |
朝顔やすこしの間にて美しき 椎本才麿
朝顔は秋の季語ですが、気分的には夏に咲く花という感じがします。思えばこの花はいつも、生活にごく近いところで咲いていました。子供の頃は、ほとんどの家がそうであったように、我が家もとても質素な生活をしていました。それでも小さな家と、小さな庭を持ち、庭には毎年夏になると、朝顔の蔓(つる)が背を伸ばしていたのでした。
子供の目にも、朝に咲いている花は、その日一日の始まりのしるしのような気がしたものです。考えてみれば、「朝」という、できたての時の一部を名前にあてがわれているなんて、なんと贅沢なことかと思います。
この句では、「朝」と、「すこしの間(ま)」が、時の流れの中できれいにつながっています。「朝顔の花一時(ひととき)」と、物事の衰えやすいことのたとえにも使われているように、句の発想自体はめずらしいものではありません。
それでもこの句がすぐれていると感じるのは、「すこしの間」というものの言い方の素直さのためです。たしかに、少しの間だから儚(はかな)いのだし、儚さにはたいてい美しさが、伴うのです。『俳句の世界』(1995・講談社) 所載。(松下育男)
すまないと 夕顔咲いて 朝に散る
夕がほや 男結の 垣にさく 一茶
昼顔や 上手に咲いて 棘の上
朝に咲く朝顔・昼に咲く昼顔・夕方に咲く夕顔と朝・昼・夕の時間に咲くが三種類がある。花の形は似ているが、夕顔だけが、大きい実になる。ウリ科の蔓性一年草。ヒョウタンはこの変種だそうだ。夜咲いて朝に散るとい言うところから名前が付けられたという。
昼顔は何処の道端にも、見かける。よく朝顔の花に似ている。フェンスなどに絡みつき咲いているのをよく見かける。あんまり、人には喜ばれないで、雑草として処分されてしまう。
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