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2008年5月21日 (水)

さつき風

今日の名言

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。

トルストイ『アンナ・カレーニナ』(上)

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暫くは五月の風に甘えたし 柳家小満ん

草木の緑がすっかり濃くなった。若いときは草木の緑などには、目などくれていなかったように思うけれど、年齢を重ねるとともに緑に目を奪われるようになった。緑をさらさら洗うように吹きわたってくる風の心地よさ。寒くもない、暑くもない。

掲出句の「五月」は「さつき」と読むべきだろう。薫るようなさわやかな風に身も心もあずけて、いつまでもそうしていたい、「甘え」ていたい――「五月の風」はそんな気持ちにさせてくれる。しかし、もうすぐ汗ばむ暑い夏はすぐそこである。

特に近年は、春も初夏もあっという間に過ぎていってしまう。風であれ何であれ、人はふと何かしらに甘えたくなってしまうことがある。それはおそらく束の間のことだろうけれど、許されても良いことではないか。小満ん(こまん)はあの名人桂文楽(八代目)の高座に一目ぼれして、大学を中退して入門した。

文楽の内弟子時代に「お前なんぞ、まだ噺家の卵にもなっていないんですよ」と叱られながら厳しく育てられた。小満んには『わが師、桂文楽』という名著がある。他にも何冊かの著書があり、年に一回刊行している句集も二十七冊をかぞえる。

「文人落語家」と呼ばれる所以である。その高座は落ち着いたいぶし銀の江戸っ子を感じさせる。歯切れのいい本寸法の口調には、しばし酔わされる心地良さがただよう夏帯を一つ叩いて任せあれというイキな句もならぶ。『狐火』(2008)所収。(八木忠栄

 顔撫でる いつの間にかに 五月風

 草萌える 命を見つめる  我一人

近所の有志で、河川管理道路にコスモスを毎年植えている。今年も何度か除草をしたのだが、また延びてきてしまった。2.3日前から除草作業を行っているが、草の伸びる速さを見たとき自分も、生きているんだと、実感した。

今朝は、4時半に起きて、外へ出た。昨日の雨はすっかり上がって気持がいい。そこで雨で出来なかったゴミ拾いを行い大きなレジ袋にいっぱいになるまで拾った駅前から、町内一回りした。そして、健康の幸せを感じることが出来た。

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