突然の雷雨
今日の名言 女の子は、結婚がなによりもお好きだが、たまにちょっと失恋するのも、わるくないと見えるね。 |
オースティン『高慢と偏見』(上) |
季語は虹。どの季節にも見られる現象ですが、光、太陽、雨上がり、噴水などが似合う季節は、やはり夏なのでしょう。この句に惹かれたのは「虹のうすれ際」という、静かであざやかな描写よりもむしろ、「並木座」の一語のためでした。
あくまでも個人的な読み方になってしまいますが、銀座にあったこの名画座に、わたしは若い頃、足しげく通ったものでした。特に大学生の頃には、キャンパスは時折バリケード封鎖され、授業の休校も多く、ありあまる時間に少ないお金で過ごせる場所といったら、図書館と名画座しかありませんでした。
一日中映画館の古い椅子に沈みこむように座って、どこか投げやりな気分に酔いながら、当時の映画をうっとりと見ていたものでした。「八月の濡れた砂」も「初恋地獄篇」も「旅の重さ」も、この映画館で見たのだと思います。最前列の席からは、足を伸ばせば舞台に届いてしまうような、小さな映画館でした。
ある日には、映画の帰りに、階段を上がったところの事務室の中に、毛皮のコートを着た秋吉久美子の姿を見て、胸が震えたこともありました。わたしはたいてい夜まで映画を繰り返し見ていましたが、この句の人は、まだ陽のあるうちに並木座を出てきたようです。暗いところに慣らされた目がまぶしく見た銀座の空に、虹がかかっていたのです。
虚構の世界が現実にさらされて少しずつ日常に戻って行く。その変化を虹のうすれ際に照らして読むことには、無理があるでしょうか。『角川 俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)
まさか、この時期に雷雨とは?、昨日太陽の陽が強くこれでは、外にいるのはよくないなあ・・と思って河川敷もコスモスの間引きながら除草していて思った。1時間ぐらいで終わりにしたが、何時に間にか、黒くもが空を被い風が吹き出しきた。やがて、大粒の雨が落ちてきた。
夏特有の雷雨であった。路面は見る間に水路と化した、運動靴はたちまち、びしょ濡れとなった。何度か、雷鳴が響きわたったが、アッという間に止んだ。暫くすると元の青空が見えてきた。夜に近所の方と、会館で、親睦会をするために、会館の鍵を借りにいた帰りのこと、奥さんに傘を借りて帰ってきた。午後2時ごろだった。
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