岩に咲く百合の花
今日の名言 淳朴(じゆんぼく)と、善良と、正義のないところに、偉大はない。 |
トルストイ『戦争と平和』(四) |
百合の花は好ましいが、ただ花粉の量が多くて厄介だ。部屋に飾っておくと、いつの間にやら花粉が飛散して、そこらじゅうを汚してしまう。服やテーブル・クロスなどに付着すると、なかなか取れなくて往生する。だから花屋によっては、最初からオシベを取ってしまって売っていたりする。
句は、ノースリーブの作者が街中で百合の束を持った人とすれ違った直後の情景だろう。二の腕が花に触れたか触れないかくらいのことだったろうが、気になってぱっと見てみたら、やはり汚れていた。とっさに花粉を払いのけながら、しかし作者は汚れを不快に思っているわけではない。
むしろ、思いがけずも自然と腕とがジカに触れ合ったことを、微笑しつつ受け入れている。男の私から言えば、瑞々しく健康的なエロティシズムすら感じられる情景だ。
余談になるが、マリアの受胎告知の絵に添えられる百合には、オシベが描かれていないのだそうである。むろん花粉を心配して描かなかったのではなく、マリアの処女性に配慮してのことだろう。「俳句界」(2008年5月号)所載。(清水哲男)
急峻な 岩肌に咲く 百合一輪
松に百合 岩まで届く 水しぶき
雑木みち 百合は静かに 咲き誇る
私は野山に咲く百合の花が好きだ。何時だったか、昇仙峡に行ったとき高い岸壁の割れ目に咲く百合の花を見つけた。人を寄せ付けない荒らしい岩肌に咲いていた。何とも誇らしく咲いているので感動してしまった。
また、城ヶ島に行ったとき、潮風が吹き付ける岩山で、松に守れれるよう咲いている百合の花を見つけた「あっ!あんな処に百合の花が!!」自然の生命力に驚かされた。
我が家の庭にもあるが、毎年咲いているが、朝、雨戸を開けると匂いで開花したことに気づく、百合の花の匂いは庭じゅうに流れる。
秋ぐちに、前の雑木林にいき、百合の根を取って食べた思い出がある。焼いて食べたのだが美味しかった。
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