母の日
今日の名言 世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は、思ふをも、思はぬをも、けぢめ見せぬ心なむありける。 |
『伊勢物語』 |
柴田宵曲は『古句を観る』の中で、この句について次のように解説しています。
「牡丹に「ひかり」という強い形容詞を用いたのは、この時代の句として注目に値するけれども、薄紙を隔てて「ひかりをもらす」などは頗る弱い言葉で、華麗なる牡丹の姿に適せぬ憾(うらみ)がないでもない。」
なるほど、これだけ自信たっぷりに解説されると、そのようなものかといったんは納得させられます。ただ、軟弱な感性を持ったわたしなどには、むしろ「ひかりをもらす」と、わざわざひらがなで書かれたこのやわらかな動きに、ぐっときてしまうのです。薄紙を通した光を描くとは、江戸期の叙情もすでに、微細な感性に充分触れていたようです。
華麗さで「花の王」とまで言われている牡丹であるからこそ、その隣に「薄さ」「弱さ」を置けば、いっそうその気品が際立つというものです。いえ、内に弱さを秘めていない華麗さなど、ありえないのではないかとも思えるのです。句中の「ひかり」が、句を読むものの顔を、うすく照らすようです。『古句を観る』(1984・岩波書店)所載。(松下育男)
クレマチス 思い出散らす 五月雨
母の日や 地面を染めて 牡丹散る
牡丹花 雨に流れて 道のすみ
五月雨に 牡丹の花や 静まれリ
きょうは、母の日である。日本では、昭和時に皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)に行われていたが、1949年ごろからアメリカの例に倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。と言われている。
私は、母を1949年(昭和24年)に亡くしているので「母の日」に関する思いではない。その当時は、カーネーションと言えば、ナデシコと思っていた。畑の土手に紫色のナデシコを採ってきて仏様に上げた記憶がある。
しかし、デパート・スーパーでは、商戦逞しく宣伝に懸命である。我が家に孫たちがやって来て、賑やかになるかなあ・・・。
昨日からの雨が車庫の屋根に今朝も雨音を響かせていた。異常に寒い。気温は7度ぐらいか?ストーブを使い、暖房をする。そして、台風2号がやって来るという。
今朝の日本列島に起きた地震は北海道国後沖と、宮崎県沖・沖縄地方で今日の未明に起きた。震度4という幸い津波の心配はないという。
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