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2008年5月 2日 (金)

記憶を逆る

今日の名言

どんな奇矯(ききょう)で無茶苦茶な説でも、それを真理だと主張した哲学者が何人かはかつていたはずだ。

スウィフト『ガリヴァー旅行記』

06oga_toga11桃つぼむ幼稚園まで附きそひし 室生犀星

つぼむには窄む(すぼむ)という意味と、まったく逆の蕾をつけるという意味の二つがあるが、この句の場合は後者だろう。

人はどこまで記憶を遡ることができるか。僕は四歳のときに幼稚園で石段から転げ落ちて頭に怪我をしたのがもっとも遠い記憶。両親は共稼ぎだったため、朝家から三百メートルほどのところにある幼稚園に一人で通わされた。

協調性がなかった僕は幼稚園がいやでいやでたまらず母に抱きついては通園をしぶった。家を出たところで僕にしがみつかれた母は、しかたなく、通りすがりの女子高生に同行を頼んだ。

僕はほとんど毎日見もしらぬ女子高生に手をひかれて幼稚園に到着した。犀星が付き添ったのは子どもか孫か。泣いてしがみつかれたためか、何かの用向きがあったか。あの犀星の異相とも言える風貌を思い浮かべると幼稚園までの風景が微笑ましい。折りしも春たけなわ。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(今井 聖)

私の記憶を遡ると3歳ぐらいであったか、母親の乳房をまさぐっていたことが微かに残っている。勿論6人目の子供で、物のない時代である。子供をなだめるのは一番安易な方法であったのかもしれない。

それと、2・3歳の頃か2男にねんねこ半纏でおぶされて、暖かかった。そして歌っていた歌を覚えてしまったことだった。「愛国行進曲」だった。

作詞 森川幸雄   作曲 瀬戸口藤吉  昭和13年

見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ

自分でも不思議で、その場所までも記憶にある。かなり回数が多かったのだろう。

しかし子供のころの記憶といえば、自分の孫が4歳で、九九を覚えていたのはびっくり!。姉の声を出して覚えているのを、聞いて覚えたという。だから、全く意味は分からない。子供の記憶は、何か恐ろしさえ感じるのだが・・・。

記憶力は、70歳と7歳と同じレベルという。人間は年を重ねるごと記憶力はおとるのかなあ・・・。脳科学者の茂木健一郎さんが言っていたが、年をとっても、記憶の仕方で大丈夫という。何かホッとしたような気分になった。でもね・・・。

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