五月蝿と書いて“うるさい”
彼は、決して、あまり面白く遊んでいるような風(ふう)は見せない。玩具を取り返されるのが怖(こわ)いからだ。 ルナアル『にんじん』 |
蠅といえば、むしむしし始めた台所にどこからともなく現れて、そこにたかるんじゃない、というところにちゃっかり止まるので、子供の頃は、できた料理にたかりそうになる蠅を追い払うのもお手伝いのひとつだった。
強い西日をうけてさらにぎとぎと光る蠅取り紙も、蚊取り線香の匂いや、色よく漬かった茄子のおしんこのつまみ食いなどとともに、夏の夕暮れ時の台所の思い出である。そんな蠅だが、最近はめっきり見かけなくなった。
先日玄関先で久しぶりに遭遇、あらお久しぶりという気分だったが、昔は、とにかくバイ菌のかたまりだ、とばかり思いきり叩いた。同じように叩いてしまってから、ふとその前世を思っている作者である、真宗大谷派の僧であったと知ればうなずけるのだけれど。
蠅の前世、という表現は少し滑稽味を帯びながら、作者の愛情深い視線と、飄々とした人柄を感じさせる。句集の虚子の前書きの中には「総てを抛(な)げ出してしまつて阿彌陀さまと二人でゐる此のお坊さんが好きであります。」という一文があり、その人となりを思う。『涅槃』(1951)所収。(今井肖子)
うるさいと 書いて五月蝿い 蝿のやつ
飛び交うや 蝿つまみ取る 武蔵なり
最近こそ蝿は滅多に家の中に現れないが、昔は、やたらにいた。蝿取り紙を天井からぶら下げておいたり、蝿たたきを腰元に置いたりした。天井にとまっている蝿を長いガラス管(フラスコ状なもの)で取った経験がある。
それだけ衛生状態が悪かったのだろうが、あんまり気にし無かった。よくテレビでアフリカや東南アジアの現地の家族など食事風景などを放映されることがあるが、蝿が顔や、食べ物にとまっていることがある。その場面を見ると終戦直後などの貧しい頃を思い出すのである。その頃は疫痢や赤痢で子供が死んだ。平均寿命も50なん歳だったという。
今では、ゾットすることだが、よく足の脛などに“デキモノ”ができた。その化膿したウミを目がけて蝿がたかるのである。それを追い払うのが大変だった。今から60年以上前のことだ。
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