手放してこそ大切なものが手に入る
(神応寺和尚の講話参考)
自然界の命のいとなみとは、ただひたすらに子孫を産み育て、それぞれの遺伝子を残すことです。風が吹けば風に吹かれ、雨が降れば雨に降られて、ただひたすらに、それぞれの種の命を残すことが、すなわち生きること。自然界ではあらゆる生きものの命が直接に、また間接的に関係し合って、すべての生きものがその種を残せるようになっていて、大自然の法則である。
人間も生きものの一つの種であるのですが、知能が発達してきたから、他の生きものとちがって欲というものがあるので、欲のために自然界の絶妙な命のバランスを壊してしまい、多くの種が地球上から消してしまた。そして地球温暖化と人口増加がさらなる拍車をかけいる。
また欲のために人間は他の生きものとちがった生き方をするようになって、ただひたすらに子孫を産み育て、遺伝子を残すことだけを生き方の基本としなくなってしまった。
長寿社会では子を産み育て終わっても、なお長く生きることになり、それで人々は老化に伴う苦しみと、さまざまな悩みを抱えることが多くなた。現代人は子を産み育てることのみに生きる意義を見出さなくなって、少子化現象をきたし、また子育ての様子も変わってきてしまった。
そして経済のグローバル化は、新たな格差社会の歪を作ってしまった。高齢化に伴う悩み苦しみ、ストレス社会を生きることによる心身の悩み苦しみ、また格差社会の広がりに順応できない人の悩み苦しみ等々が増大してしまった。
あれも欲しい、これも欲しいと思えば思うほどに手に入れることができない。ああもしたいこうもしたいと思えば思うほどになにもできない。どのように自分は生きていくべきかと思えば思うほどにわからなくなり、欲しいものを手に入れようとすれば、もっと大切なものを失ってしまうことになる。
欲のこだわりからしばし離れてみると、とてもつまらないことにこだわっていたのかと気づく。そして、大切なものがなんだったのかが、自ずとはっきりする。
人には貧瞋癡(とんじんち)(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の心がある。
(仏教=三つの根本的な煩悩(ぼんのう)。すなわち、対象を求める貪欲、怒りである瞋恚(しんい)、真理を見失う愚痴のこと。)
この三毒の心がはたらき悪しき行いをしてしい、人はこの三毒の心のはたらきを抑えて、大地自然の道理に則して生きる理想的人間像である仏に近づこうとするのですが、どうしても三毒の心を消滅できない。この三毒の心のおもむくままに勝手気ままな自分本位の生き方をしてしまう、これが普通の人すなわち凡夫である。
凡夫の生きざまを業という、悪しき行いは凡夫の悪業。天の声やご先祖の視線が倫理となり、三毒の心のはたらきが抑えられるのだが、現代人には自己の権利意識のほうが強くなりすぎたようだ。
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