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2008年5月 3日 (土)

くらやみ祭

Photo 5/3産経抄より

この連休中、東京の多摩地方は「くらやみ祭」でにぎわうらしい。府中市にある大国魂神社の例大祭で、新緑のケヤキ並木の下を神輿(みこし)や山車が練り歩く。「関東の三大奇祭」のひとつに数えられ、期間中40万人の人出が予想されるという。

かつてはクライマックスの神輿の渡御が、町中の灯(あか)りをすべて消した中で行われていた。そのため「くらやみ祭」と呼ばれ、「奇祭」となった。にぎわいのほどは江戸時代から変わらないらしく、司馬遼太郎氏の『燃えよ剣』は、土方歳三がこの奇祭に出かけるところから始まる。

小説には辺りの灯が消えると「男も女も古代人にかえって…」とある。つまり、暗闇の中で「自由恋愛」が繰り広げられていたという。といっても、農作業が本格化する前につかの間だけでもハメをはずしてみよう、という程度のものだったのだろう。

むろん今はそんな風習はなく、祭りの大部分は明るいうちに行われる。それでも人々が「暗闇」の中に、神聖さとか楽しみとかを見いだしてきた名残をとどめているようだ。そんな暗闇なら結構なのだが、気になるのはネット社会が生み出してきたような現代の「闇」の方である。

今、問題となっている硫化水素による自殺の増加もインターネットがきっかけだった。ガスの発生方法を細かく説明した書き込みから広まったのだという。「有害情報」に指定されたものの、誰が書き込んだかわからない。心が凍りつくかのような暗闇の世界だ。

学校裏サイトなどネットを使い、匿名で他人を中傷する。「闇討ち」以外の何物でもない。これだけのネット社会になれば決定的な防ぎようはないらしい。せめて明るい「くらやみ祭」がそんな陰湿さを吹き飛ばしてくれるといい。

府中の大国魂神社は、京王線府中駅から歩いて3分のところにある。大きな欅並木が神社まで続いている。時々、植木市があり、賑わっている。

40年勤めた会社が府中だったので、会社の安全祈願や交通安全祈願などで、私のとっては、普段から親しみのある神社である。

大国魂神社は武蔵の国の総社として江戸時代以前は六所宮の名で伝わり、その歴史は古く、「総社」としているところは、武蔵の国内にある有力な神社を一度に詣でるもので、律令時代から国司が国内社の奉幣巡拝(ほうへいじゅんぱい)、又は神事執行等の便により国内の諸神を配祀した。これが即ち武蔵総社の起源である。

したがって一ノ宮、小野神社、二ノ宮、秋留小河神社、三ノ宮、大宮氷川神社(氷川神社は武蔵一ノ宮で)、四ノ宮、秩父神社、五ノ宮、金鑽(かなさや)神社、六ノ宮、杉山神社等の、武州を代表するそれぞれの祭神を一箇所に祀って六所宮としている。 祭神は大国魂の大神を武蔵の国の護り神として祀り、この大神は素盞鳴尊(すさのう)の御子神で、昔この国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭(いやくきんよう)等の方法をも教えられこの国土を経営されたが、天孫降臨(てんそんこうりん)に際してその国土を、天孫瓊々杵尊(てんそんににぎ‐の‐みこと)たてまつり、出雲の杵築の大社に鎮座された神であると、伝えられいる。
神社は府中の武蔵国分寺の2キロ南で、古くは鎌倉街道、東山道武蔵道もここを通り、その他幾つかの道が交わる交通の要所として栄え、武蔵国の国衙の斎場として置かれたとされている。

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