新派女優水谷八重子という人
水谷八重子さんは、昭和12年生まれで、私は同い年である。方や日本の一流の新派女優である。長い年月を経て今がある、今も現役で活躍されているのは、時代の移り変わりを上手に乗り切って今がある。演技一筋に精進して来た裏には、時代の流れや、お客さんの意向も踏まえて並大抵の努力では今はない。
過ぎてしまえば、何のことはないが、今を現役で、生きることは大変であることは理解できる。そして、自分も今まで生きてきた事はそれなりに価値はあると思う。
人生ゴールが見えないマラソンランナーと思うときがある。来年こそは、と思っていても、苦労ばかりの夢追い人生!で、ゴールがない。
産経新聞【話の肖像画】より、
○時代の風景に同化を○ 必修なのは着物を着られることです。立ち居振る舞いは日舞で覚える。着物がジーパンを履いているのと同じにならないとだめ。ただ、日舞だけを身につけても演技が“踊っちゃって”日常の所作にならないことがある。
ではどうすればといことだが、 お芝居はね結局、板(舞台)の数を踏んでなんぼですよ。教室があるわけでも、こうしたらうまくなるという方法もない。最近は、新派の舞台数が減ったので、今の若い人たちはかわいそうです。
舞台経験だけでなく勉強も必要ではない。まずはお芝居の邪魔をしない、お客さまの気にならないことからです。熱心な子は役の生い立ちや、どういう思いでこの橋を渡るかなどを、一生懸命考えて歩くのですが、そういう演技は逆に目について、「とっとと引っ込め」と言われます。その時代の風景に同化するのが大事です。
ひと昔前でしたら、物売りの声ひとつで、お客さまは季節や時間帯をイメージしてくださった。けれど、今はそれがないでしょう。そこが昔の新派にはなかった難しさです。これからこういうことがもっと増えてくる。
教えてできることではない。それぞれの役の経験がある先輩が教えるのですよ。その役を最近やった方の所へあいさつに行き、「教わって役をもらってくる」というのが習慣です。こうしたことが最近は、なおざりにされつつあるのですが、大事に守っていかなくてはいけない。
自身で演技で気をつけていることは、女形さんがやる新派が終わってしまった今は、リアル、自然な演技でいたいと思っています。「生(なま)の人間」をさらけ出す。その具合が非常に難しいのです。
一方で、新派を見たことがない観客も増えているが、芝居が好きでさえいてくだされば、(新派の芝居でなくても)いいんですよ。反対に、面白そうだと選んでくださったのがたまたま新派で、将来、「120年記念公演を見たんだよ」とお客さまの自慢になっていただければいい。私たちは、それだけでやりがいがあるのです。
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