自分自身を輝かせる
自分自身を輝かせる
この世の中は、光に満ちあふれて輝いている。私達はこのことに気づかないでいる。輝きを美しいと受け取れない、何かが心の奥ににあるからだ。
自分の気持ちに差し障りがあるから、素直に受けとれない。このぼやっとした差し障りのことを煩悩というのだ。その煩悩を捨て去り、ぬぐい去れば、ほんの一時でも、美しいものを美しいと思え、美しいと見ることができる。
でもまたすぐにその煩悩の差し障りが、目の前をふさいでしまう。それで常に自らの心を磨く努力をしなければいけないのである。これを精進というのだろう、日々そういう生き方を心掛け実践することを修行ということが出来る。
少しでも精進し、修行していれば、美しいと思う心を、美しいと見る目を、美しいと聞く耳を持つことが出来てくるのである。
煩悩を滅除して、無我になれた時、自他の区別はなくなり、一切が空であることをお釈迦様は覚られたそうだ。悩み苦しみの原因を他に求めようとするのが現代の風潮です、親、友達がこうだからとか、世の中みなそうだ、社会が悪い、などと、悩み苦しみから逃れるすべを他に求めてしまいがちである。
自分自身の見方、聴き方、思う心を変えて見ることだと思う、輝けるこの世界に生きる自分自身を輝かせること、そうすれば日々が輝きの喜びの世界に変わって来るの筈である。
修行とは、世の中のできごとを悪いこと良いこと全てを、快く受け入れることのできる心だと思う。そして「人生死ぬまで修行である」
(大辞泉では、 悟りをめざして心身浄化を習い修めること。)
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