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2008年4月11日 (金)

成田山新勝寺参り

今日の名言

人生の時間は、自分の召命を「確実にする」ためには、限りなく短くかつ貴重だ。

ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

Kamakurakaidou061海棠の花くぐりゆく小径あり長谷川櫂

現代でも俳句が描く情趣の大方は芭蕉が開発した「わび、さび」の思想を負っている。そこには死生観、無常観が根底にある。そこに自らの俳句観を置く俳人は現世の諸々の様相を俳句で描くべき要件とは考えない。

現実の空間や時間を「超えた」ところにひたすら眼を遣ることを自己のテーマたらむとするのである。その考え方の表れとして例えば「神社仏閣」や「花鳥諷詠」が出てくる。

どう「超える」かの問題や、現実に関わらない「超え方」があるのかどうかは別にして、そういうふうに願って作られる作品があり、そういう作品に惹かれる読者が多いこともまた事実である。いわゆる文人俳句といわれるものや詩人がみずから作る俳句の多くもまたこの類である。

自己表現における「私」と言葉とのぎりぎりの格闘に緊張を強いられてきた人は、俳句に「私」を離れた「諷詠」を求めたいのかもしれない。作者は生粋の「俳人」。世を捨てる「俳」の在り方に「普遍」を重ねてみている。句意は明瞭。『季別季語辞典』(2002)所載。(今井 聖)

今の時期、鎌倉お寺めぐりをして見たい。桜は、終わり今どんな花が咲いているのだろう。海棠の花は今の時期だが、八重の桜もいまごろか、桃はどうだろう。

鎌倉のお寺めぐりの印象は、特に建長寺のいらかの波と青い空・白い雲が目に浮かぶ、そうそう、もうそろそろ、こいのぼりが、屋根の上に見える季節となった。

昨日は、一日雨が降り続いた。そして、2月頃の寒さになった。

そして、今日はどうだろう。成田山バスで参りである。毎年、4/11が八王子の講で「大本山成田山新勝寺登山参拝ということで、今年は144回という長い歴史がある。(この記事は4時45分記す。)

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