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2008年4月12日 (土)

野茂英雄選手という人

 

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野茂1000日ぶりメジャーマウンドに

4月11日18時15分デイリースポーツ


「ロイヤルズ1-6ヤンキース」(10日、カンザスシティー)
米大リーグ、ロイヤルズの野茂英雄投手(39)が10日(日本時間11日)、カンザスシティーでのヤンキース戦に七回から救援、デビルレイズ(当時、現レイズ)に所属していた2005年7月15日以来、3年、ちょうど1000日ぶりに大リーグ登板を果たした。七回の満塁のピンチは松井秀喜外野手を左飛に退け切り抜けたが、九回に3、4番に連続本塁打され、3回を2失点だった。
ブルペンからグラウンドへ通じるフェンスが開いた。大きく息を吐いた背番号91が、マウンドへ向かって走り始める。最後の登板からちょうど1000日。中継ぎでの登板ながら野茂がメジャーに帰ってきた。
「普通というか、いつも通りマウンドに上がれました」。3点を追う七回から登板。二死満塁のピンチで松井秀を左飛に打ち取ると、九回二死まで無失点に抑えた。そこでロドリゲスとポサダに連続本塁打を浴び、3回4安打2失点。「ゼロに抑えて最終回を迎えたかった」と振り返ったが、復活の感慨にふける時間はない。
最後の投球となった65球目。松井秀をフォークで空振り三振に仕留めた。唯一の奪三振。「その前に打たれてるんで、何ともいえないです」。そういいながらも、口元が一瞬緩んだ。野茂が野茂のまま復活した。
野茂英雄は、1990年、ドラフトで8球団1位指名の競合の末、近鉄に入団。いきなり18勝8敗の成績を残し、最多勝と最優秀防御率(2.91)、奪三振王(287個)、最高勝率(.692)など、ほとんどのタイトルを獲得して新人王。以後、1993年まで17勝、18勝、17勝と続け、4年連続最多勝・奪三振王を獲得。
1995年、紆余曲折を経て、大リーグのドジャースに入団。マイナー契約から大リーグにはい上がり、13勝6敗で新人王と奪三振王。オールスターでも先発し、ドジャースのプレーオフ出場にも貢献。
その後、メッツ、ブリューワーズをタイガースを経て、レッドソックスへ移籍。
2001年にはレッドソックスの先発として開幕初登板でノーヒットノーランという偉業を成し遂げ、両リーグでノーヒットノーランを成し遂げたのはライアン以来史上4人目となった。さらにこの年はシーズン220奪三振で奪三振王のタイトルも獲得した。
2002年にはドジャースに復帰して16勝6敗という好成績を残している。 
2005年6月にはこの年から在籍するデビルレイズで日米通算200勝を達成した。
 日本人選手として、大リーグ移籍の先駆者となった功績は、野球史だけでなく日米の歴史の上でも重大である。
大リーグで13年自分との挑戦で、もう駄目かと思いきや、不死鳥の如く生き返る。すざましい闘志は日本人である私も勇気が沸いてくるようで、多くの日本人の心の支えとなったことだろう。
また、イチロウ・松井秀樹を始め、多くの日本人の選手が大リーグで活躍している。これも、野茂英雄の先駆者的は、活躍あって一気に日本プロ野球界を揺さぶった経緯がある。この事は、プロ野球を目指している少年などの大きな希望と夢を作ってくれた。

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