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2008年4月10日 (木)

49日法要

04_10241年毎に咲くや吉野の山桜 樹を割りて見よ花のありかを 一休

神応寺住職講話より(抜粋)                       インドでは人のみならずあらゆる命は生まれ変わり死に変わりするものである。すなわち輪廻転生(りんねてんしょう)すると考えられていますから、今生の生き方が来世での生まれ変わりを決めることになる。したがって日々善行を心がけ悪行をしないという倫理意識が自然と生き方の基本になっていく。
日本では人は死ぬと黄泉路を経て冥土に至り、肉体は滅しても魂は生き続け、ご先祖様になって子孫を加護すると信じられてきました。それで子孫に尊敬され、崇
(あが)められる先祖霊となるために、今生では善行に励み、悪行を慎むという倫理意識が尊ばれてきました。

葬儀の後、49日の中陰の間も、地縁血縁のものが追善供養
(ついぜんくよう)をつとめるという慣わしがあります。

追善とは亡き人の代わりに善根功徳(ぜんこんくどく)を積むことです。善行を修すれば因果の道理によりて善き報いがある。けれども自分が受ける善報を自分が受けないで亡き人に手向(たむ)けるのです。

追善供養とは冥界に至った亡き人の精霊に、物や心の施しをすることで、冥界で仏さまと同じ境界へ、すなわち亡き人を成仏させたいというのが本来の意味です。
それは、今生に生きるものに対しても、よりよき人生を生きるために、善行に励むべきことを教えたものでもあります。

黄泉路 =(よみじ)黄泉(よみ)の国へ行く道。冥土(めいど)への道。

中陰の間=私たちは、一つの生を終え、また次の生を受けるまで冥土を旅します。
この四十九日旅の間が現世(現有)と来世(来有)のはざまであることから、中陰(中有)と呼ばれているのです。

善根=実り豊かな収穫を得るには、それにふさわしい努力が必要である。何もせず、棚からぼた餅式ではどうしようもない。

田の苗も草を除き肥料を施し愛育の手をさしのべてこそたわわに実る。人も同様である。善き心根があってこそ、人生の花開き大果を得る。

よい果報を生むための善い原因・善い行為が善根。その善根功徳の積み重ねあって、豊かに栄え、命を美しく輝かせる。光輝にみちた人生は、善根の有無による。善い果報を生ずる本が善根で、それが根本である。そのことなくては「必ずさかう」に結実しない。
灯火に油・草に雨が必要条件であるように、大果報の前提は善根である。
4/19(土)義母の49日法事である。また、町会の総会である。(忙しい一日になりそうだ)

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