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2007年12月22日 (土)

富士山に思う

今日の名言

戦争はお愛想じゃなくて、人生における最大な醜悪事だ。われわれはこの点をよく理解して、戦争をもてあそばないようにしなきゃならん。

トルストイ『戦争と平和』(三)

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冬よく晴れた朝は真白な雪化粧が朝日に輝いている。こんな富士山を見ていると元気がわいてくる。

何時までもこの姿を変えないで欲しいと思うが・・・

一方、富士山が世界遺産に登録を進めているが、どうも難しい問題があるようだ。5合目までは、アスファルトの道路が出来て、誰でも簡単に登れる。

旧道の登山路に残っている、朽ちているお土産小屋や、小さな神社など、昔はこの道を通って山頂に登ったが、今は殆どいない。従って経営がなされていで、朽ち果てるのを待っているだけである。撤去に莫大な費用がかかりできないと言う。地元の観光協会も、世界遺産に登録して大勢のお客さんを呼びたい所だが、頭のいたいと言う。

何とか、予算が付き旧道が整備され世界遺産に登録されることを期待したい。

東京新聞にこんな記事が載っていたので興味があり記して見た。

11月11月18日の筆洗いより

伊奈神社-静岡県小山町須走にこぢんまりとした神社がある。まつられているのは江戸時代中期の関東郡代、伊奈半左衛門忠順(ただのり)である。

 伊奈を主人公にした新田次郎の小説「怒る富士」(文春文庫)の新装版が出たのを機会に読み返し、当時これほど住民のために働いた代官がいたのかと感じ入り、実家へ帰るついでに参拝した。

 ちょうど三百年前のいまごろ(十一月二十三日)、富士山の中腹が大爆発を起こし、十六日もの間、小岩や焼け砂を降らせ続けた。いまの小山町と御殿場市にわたる五十九カ村が甚大な被害を受け三メートルの砂で埋まった村もあった。宝永の大噴火である。この地を支配する小田原藩は復旧は無理と「亡所」にしたのも農民の悲惨に拍車をかけた。

 このとき幕府が救済に当たらせたのが伊奈だった。現地に赴き悲惨さを目の当たりにして、復興と食糧確保に奔走した。ところが幕府の要職はこの災害までも材料にして権力争いにうつつを抜かし、農民の困窮は募るばかり。富士山だけでなく農民も怒った。伊奈は駿府にあった幕府貯蔵米五千俵をかなり強引に放出させ飢饉(ききん)を救った。

 伊奈の行動は越権と断定されて郡代職を解任され、小説によると切腹した。住民はこの地が復興した後になって、伊奈の遺徳に感謝して、江戸末期に小さな祠(ほこら)を、明治末には伊奈神社を建立して、春秋の例大祭を行ってきた。地元の高根中学校では二年前から「怒る富士」を劇にして秋の文化祭に上演している。

 いま、政治・行政に携わる選良の劣化が目立つ。三百年とはいわないが、せめて十年後の評価に堪えられる仕事をしてほしい。 (小林一博)

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