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2007年12月17日 (月)

新しい道徳教育への提言(1)

今日の名言

真実でさえ、時と方法を選ばずにもちいられてよいということはない。

モンテーニュ『エセー』(六)

15401  いま、道徳教育の必要性が大きく取り上げ、問題視されてきつつある。そこで、下記資料を基に勉強してみたい。(シリーズ)

監修/上寺久雄(元兵庫教育大学学長)

編集/山口彦之(東京大学名誉教授)

発行/世界平和教授アカデミー (2007-1-20刊行)

前文

心の荒廃、教育の荒廃が指摘されて久しい。その原因の一つは、戦後における道徳教育の不在にある。道徳教育の不在は、青少年問題の深刻化だけでなく、社会全体のモラル(倫理・道徳)の退廃をもたらし、今日の政治、経済、社会の混迷の根本的原因ともなっている。戦後の教育を荒廃させ、道徳教育の不在をもたらしたものは、一体何であったのか。

 第一に、戦後教育の基本は、日本国憲法と教育基本法であったが、ともに個人主義の考え方に立ち、宗教的基盤のない、利己的個人主義を広げたことである。さらに、人格を形成し、倫理・道徳の基本を身につける場である家庭、家族関係の視点が欠如していることである。

 戦後、教育勅語の廃止や伝統文化の否定によって価値の基準がなくなる一方、唯物主義、科学万能主義などを背景に「価値相対主義」に基づく形骸化した民主主義が導入された。こうして個人主義は、利己的個人主義と化すとともに、ニヒリズムの蔓延をもたらした。また、戦後の経済最優先の価値観の中で、家族関係は希薄化し、倫理・道徳を学ぶ第一の場としての家庭が、崩壊の道を辿ることとなった。日本人の美徳である「恥を知る心」や「ウチ観念」(同族意識)すらも消失してしまい、利己主義に歯止めがない状態である。

 第二に、戦後、それまでの価値体系が否定されたが、思想の空白に、マルクス主義(共産主義)を中心とする唯物思想が入り込んだこと。そしてマルキストたちの組織的活動によって、伝統的価値観とモラルの崩壊、家族の解体が促進されたことである。特に、教育分野においては、日教組が道徳教育に強力に反対するとともに、責任抜きの人権思想、悪しき平等主義を唱えて、利己主義を助長させた。また、教員の勤務評定問題、集団主義教育などが、学校教育の現場を硬直化させ、いじめなどの深刻な問題を生み出した。

 第三に、文部省や教育委員会などの教育行政が、もの中心の経済成長に比重を置き過ぎ、哲学を失ったまま中央集権的文部行政を行ったことである。「どういう人間になるのが望ましいのか」、「日本人とはどうあるべきか」といった理想的人間像が失われ、戦後教育は専ら、科学教育偏重、受験教育中心のものとなった。また、文部省は、現場の実態や意見を正しく把握しないままに、施策を立案する傾向があり、教育現場と乖離した教育行政が多かった。しかも、文部省と日教組との政治的「二頭立て馬車構造」があったために、戦後半世紀の間、道徳教育の位置付けも曖昧なまま、教育改革は実施できなかった。

 第四に、教育分野をリードすべき教育学者の多くが、左翼思想に基づく対立と闘争の思想を喧伝し、教員養成を始めとして、教育全体に大きな歪みを与えたことである。また戦後は、教育哲学が不毛となり、代わって「心理主義」(心理学や精神分析学など)が隆盛となった。最近の青少年犯罪に対する分析の視点も心理主義一色で、善悪という価値観には触れずにいるのが現状である。

 道徳教育の不在とともに、かつての旧制高校のような、倫理観をしっかりと持った指導者教育の場が失われた結果、高級官僚にまで価値観のない者が増え、国家の指導層の腐敗をもたらした。

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