心の豊かさ
今日の名言 内に人なく、共に住む同胞のなくして、城の櫓(やぐら)も軍船(いくさぶね)も、いったい何になりましょうぞ。 |
ソポクレス『ソポクレス オイディプス王』 |
『掃けば散る 掃かねば積もる 落ち葉かな 庭の紅葉も 心の塵も』
物質的に豊かになったが、人の心が備わっていない 現代である。心静かに人の世を考えて「心の豊かさ」とは何かを考えることが大切である。
神応寺和尚の講話より(抜粋)
50回目となる平成19年版「国民生活白書」が出されました。白書によると、近年は心の豊かさが重視されるようになってきたけれど、人と人とのつながりが弱くなってきたので、精神的なやすらぎや充実感が得られなくなってきたと述べています。したがって、つながりを持てる社会を構築しないと心の豊かさが得られないばかりか、つながりが生み出す価値をも得られなくなると、白書は説いています。
それで「家族・地域・職場のつながり」をテーマとして取り上げ、最近の変化を分析して、つながりの意味を問いかけています。経済・社会環境や人々の意識の変化により、家族・地域・職場のつながりの姿が変化してきました。人々がつながりを持つことを望んでいても、実際には難しくなってきています。白書によると、家族ではそれぞれの行動が個別化しており、地域においては近所付き合いが疎遠になり、職場内における付き合いも減り、企業への帰属意識さえもが薄くなってきたと記しています。
「国民一人一人が魅力的なつながりを持てる社会では、人々はつながりから安心のできる快適な生活を送ることが可能となる。家族とのふれあいにより、人々は心のやすらぎを得ることができるし、地域でも人々との付き合いや活動により住民のニーズに細やかに対応したサービスが提供され、人々は安全・安心を享受できよう。また望む付き合いやコミュニケーションが職場で実現すれば、人々はより活力を持ちつつ働くことができるだろう。」と国民生活白書は結んでいます。
つながりが弱くなると、かつてつながりから得ていたものがなくなっていくから、つながりを持てる社会を構築しないかぎり、心の豊かさを得ることがないと白書は述べています。けれども、心の豊かさとはそもそもなんであるかということがはっきりしていないと、いくら心の豊かさを探し求めてもそれを実感することがないのではないでしょうか。
最近の親子のつながりは険悪なものです、何かにつけて親に余裕というものがありません。幼児の子育てにおいても親は子に、「しっかり・がんばれ・きっちり・さっさと・早く」と、急き立てる、親のこの言葉から子はいつも逃れたいと感じています。自分の部屋に閉じこもり、ゲームに夢中になるのも、いい子ぶっているふりをしているのもそのためでしょう。
塾や習い事に時間を費やし、青空の下で土を踏んで、友と戯れることもなく、少子化で友達の数も少なくなり、大きい子が小さい子を遊んでやったり、遊び事を教えたりすることもなくなったようです。子供同士でのつながりも弱くなり、どうしても孤立孤独化していくのです。
親も忙しいからと子供と対話することも少なくなり、父親の単身赴任や深夜に及ぶ仕事に追われ、父親が子供と対話することも遊ぶこともなくなり、母親も子の教育費のためにと、そして自分の楽しみに、家計の足しにと仕事に出れば、どうしても子供と接する時間もなくなる。食事さえも母親の手作りのものが少なくなり、親の身勝手で夫婦別れして、子供は寂しい状況におかれることも最近は多いようです。
どんな生き物にも共通することですが、親は子育てに没頭する、親は危険をもかえりみることなく子育てにのみ力を尽くします。親は子を育てることに心血を注ぐことは当然のことなのに、昨今の親たちは、やるべきことが多分にぶれてしまっているようです。かつて家庭には祖父母がいたので親の代わりをしてくれました、またご近所が地域で子供の成長を見守り支えるという地域力もあったので、その補完ができていました。
最近の家庭においては、それぞれの行動が個別化しており、家族としてのふれあいがなくなってきています。子は成長するや、親は子を離し、子は親から離れていくものですが、この頃は子が成長するまでもなく、親の心は子から離れ、子の心は親から離れてしまっています。
親子、家族、近所、お互いが思いやることによって、心の豊かさが手の届くところに満ちあふれているのに、それに気づかずに暮らしていることがけっこう多いのではないでしょうか。
心の豊かさとはなんであるかということを明らかにして、自分自身が心の豊かさを求め続けているかぎり、その人は心豊かに生きることができるでしょう。
平成19年版「国民生活白書」では、現状の生活に満足している人はおよそ4割と過去最低に落ち込 み、「不満」は30年近く増加の一途だと指摘しています。有り余るほどに物の豊かな時代に生きている現代人が、なにゆえに現状の生活に満足していないのでしょうか。また近年「物の豊かさ」よ り「心の豊かさ」を求める傾向が顕著になっている。 「国民生活に関する世論調査」では平成18年、心の豊かさを求める人の割合が62・9%と調査開始以来最高となったそうです。 なぜ物の豊かさより心の豊かさを求めるようになったのでしょうか。
「金じゃないんだよ。世の中にはもっと大事なものがあるんだ」今、昭和30年代初期の東京の下町を舞台とする「三丁目の夕日」という物語が人々に語られるようになった。物が豊富でなく貧しかった時代を懐古して、人情味豊かな時代に郷愁を抱くというところもあるようです。
家族のみんながお互いを思いやり、夫婦むつまじく、親子の情も細やかで、居心地のいい、あたたかい雰囲気の家庭がありました。隣近所の人々がお互いを大切にしあって、住みよい地域づくりがなされ、そして仕事にも生きがいを感じ、社会に貢献していると感じていました。喜怒哀楽を分かち合う人間関係は懐かしさではなく、あこがれでもあるのです。
絆(きずな)という意味に、断つにしのびない結びつきとか恩愛、離れがたい情実というのがあります。恩愛とは親子・夫婦の愛情、情実とはまごころのことでしょう。精神的な人と人との絆が強ければ、物がなくても心は豊かになるでしょうか。
心の豊かさといってもそれがなんであるかという定義はなく、人によって認識はそれぞれ異なるでしょう。物の豊かさより心の豊かさをというけれど、そのいずれをも望む人もいます。物の豊かさが満たされれば自ずと心も豊かになるという人もいれば、心が豊かであれば物がなくても生きていけるという人もいるでしょう。多くは求めないが生きていくに足りる物があり、健康で長寿であれば自ずと心が豊かになるという人もいます。
人は心豊かに生きられる世にすんでいるのに、欲張り心のおもむくままに生きているから、心の豊かさを感じないのでしょう。ことさらに求めなくてもいい、この世に生まれてきたことを喜び、生きとし生けるものすべてが共に生き、生かしあっていることを喜ぶ、このことだけでいいのでしょう。この喜びこそが心の豊かさのすべてであるはずです。そして、情緒あふれ、感性豊かな心の受け皿を持つことで、心の豊かさを感じることができるでしょう。
「掃けば散る 掃かねば積もる 落ち葉かな 庭の紅葉も 心の塵も 」 落ち葉を掃く、掃けども掃けども散る落ち葉、これが秋の風情というものでしょう。払っても、すぐに積もるのが心の塵です、生きているから積もるのです、積もればまた払えばいいのでしょう。
心の豊かさとはなんであるかを明らかにして、心の豊かさを求め続けているかぎり、その人は心豊かに生きることができるでしょう。
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