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2007年12月29日 (土)

貧瞋癡(とんじんち)

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人には貧瞋癡(とんじんち)(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の心がある。

(仏教=三つの根本的な煩悩(ぼんのう)。すなわち、対象を求める貪欲、怒りである瞋恚(しんい)、真理を見失う愚痴のこと。)

この三毒の心がはたらき悪しき行いをしてしまう。人はこの三毒の心のはたらきを抑えて、大地自然の道理に則して生きる理想的人間像である仏に近づこうとするのですが、どうしても三毒の心を消滅できない。この三毒の心のおもむくままに勝手気ままな自分本位の生き方をしてしまう、これが普通の人すなわち凡夫である。
 凡夫の生きざまを業という、悪しき行いは凡夫の悪業。天の声やご先祖の視線が倫理となり、三毒の心のはたらきが抑えられるのだが、現代人には自己の権利意識のほうが強くなりすぎたようだ。

 大地自然の道理のもと、自然体である自分という生命体は己の意思にかかわらず心臓は鼓動を続けている、さまざまな臓器も己の意思にかかわらずその働きをしてくれている、自己の身体を構成する60兆個の細胞も生きている限り己の意思にかかわらず新陳代謝をしている。ところが三毒の心がはたらくと、悩み苦しむこと、すなわち煩悩が多くなり、それにともないストレスが大きくなるから臓器の働きにも影響が出てくる、すなわち心身が病んでしまう。

 悪しきおこない(悪業)を生きることがどれだけ苦しいことであるか、でも悪事に慣れてしまうと少しぐらいは、これくらいはという思いが、慣れっこになり、さらにどん欲な気持ちが働き、悪事の程度が増していくのだ。しかし、どんな軽い悪事でも、やがて大きな結果をもたらすことになるだろう。
 三毒の心のはたらきを少しでも抑えて、自然体に生きることができれば一番楽な生き方ができるはずだが、人は執着、欲望が尽きぬから、さまざまな悩みを自分自身でつくってしまうのである。悩み苦しみのない生き方のために常に三毒の心のはたらきを抑えて(懺悔して)、日々を楽しく生きたいものだ。

不安な時代、なにごとにおいても落ち着かない現代人にとって、視点を地面の高さにまで下げてものを見ることが、より良き生き方につながる。しっかりと地に足をつけ、いつも生きる姿勢を原点の地面の高さにおいて、身の丈をわきまえて、只今を生きることだ。

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コメント

貧瞋癡の解説有難う御座います。
とても参考になりました^^

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