新しい道徳教育への提言(4)
今日の名言
愛したい思いを抑えるために自分の心に加える強制は、しばしば、愛するひとのつれなさよりも辛(つら)いものである。 『ラ・ロシュフコー箴言集』
いま、道徳教育の必要性が大きく取り上げ、問題視されてきつつある。そこで、下記資料を基に勉強してみたい。(シリーズ)
監修/上寺久雄(元兵庫教育大学学長)
編集/山口彦之(東京大学名誉教授)
発行/世界平和教授アカデミー (2007-1-20刊行)
5、「道徳」を教科とし、「平成版道徳教科書」「道徳教本」を制定する。
「道徳」は教科ではなく、「領域」というあいまいな位置づけになっており、教科書も存在していない。まず、「道徳」を教科に格上げすべきである。 道徳教育は、人間としてのあり方、生き方を教えること、自然との触れ合いなどの情操教育、社会奉仕の実践などを含む一貫したものでなければならない。それらのコアとなる部分として、教科、教科書が必要となる。例えば、小学校では「道徳科」、中学校では「人間科」、高校では「人生科」とする。人間としてのあり方、生き方の一貫した教育を行わなければ、本当の意味での人間教育はできない。 小学校では担任教師が適切だが、中学・高校では、哲学、倫理学、宗教学などの教養をもち、人生経験豊かな教師が、道徳教育を行うべきである。 余り長すぎず、暗記しやすい「平成版道徳教科書」を作成するとともに、欧米の『品性論』(スマイルズ著)、『徳性の本』(The Book of Virtues, ベネット編)などのような「道徳教本」の作成に着手していく必要がある。親子が同じ教科書で学ぶことができれば、家庭で道徳について話し合える環境、雰囲気が生まれてくる。このことは家庭の再建にもつながると考えられる。
6、高等教育は、大衆教育とともに、世界に通じる英才並びに指導者養成の機能を充実させ、国際化時代に対応したものとする。
高校進学率が90%以上となり、大学進学率も高まった結果、大学が大衆化し、高等教育の意味は大きく変化している。また、戦後教育の誤りの一つに、悪しき平等主義がある。この結果、低い水準での平等が実現し、英才が伸びる教育環境が失われ、国家を指導できるようなリーダーの育成ができなくなってしまった。 高等教育の本質は、人格の形成を伴った本当の意味の「教養」の涵養である。21世紀に向けて、大局が見わたせるとともに、幅広く問題状況が看取でき、しかも謙虚で奉仕の念をもった真の指導者を養成することが求められている。現代社会は、プロフェッショナルとともに、彼らを組織する真の意味のゼネラリストが必要とされている。しかし我が国の教育には、真の意味のゼネラリストを養成するという視点が欠けている。 大学院教育は、高度な専門教育を行うべき教育課程である。大学院教育の中では、特にマスター層を充実させることが、現代社会において重要であることを再認識すべきである。 故に、高等教育は、大衆教育とともに、英才及び指導者養成の機能を、制度的に充実させるべく、教育改革を行うべきである。特に、英才が育つような教育システムが今まで不十分であり、制度的改善が求められる。
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