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2007年10月16日 (火)

時雨に想う

今日の名言

大食(おおぐら)いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、糧(かて)を食べて肥る大きな豚のようである。
『仏弟子の告白』

  時雨るるや  時雨れぬ中の 一心寺  小西来山

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この時期に降る雨は、冷たく感じるのか、夕方に、小ぬか雨のように細く音もなく静かに降ってきた。傘を差さないではいられないほどでもないのかなあ・・・。                        4畳半の窓越しから外を見たら、時雨れの中を、白髪頭のお婆さんが傘も差さずに、歩いていく後姿があった。何だかそんな風景を眺めていたいたら、感傷的になってしまった。

神応寺和尚の講話より

人生時計  

   
 今、貴方は幸せですか、とコチコチと音を立てながら
    人生時計は「今」を刻んでいます
 突然、「忘れ物をしてませんか」と尋ねられたら、あなたは、「なんですか」と問い返されるでしょう。
 誰でもモノを置き忘れたり、持ってくるべきモノを忘れてきたり、人の名前や用件をすっかり忘れてしまうことはよくあることです。 でも今ここでは、自分自身の心と体のことを忘れていませんかと、尋ねているのです。
 日々の忙しさにかこつけて、自分のことを忘れている、忘れるとは心を亡くすと漢字で書きますが、忙しいの字も心を亡くすと書きます。

 
「あなたは自分の心と体のことを忘れていませんか」と,あらためて尋ねられると、「大きなお世話だ、自分のことは自分で考える」、「おおきなお節介だ、自分の人生を他人にとやかく言われる筋合いなどない」とおしゃるでしょう。けれどもつまずいたり、体調を悪くした時、それは自然に自分自身を振り返るものです。
 そして取り返しのつかないところにまで来てしまった時、人はしみじみと思うものです、自分では分かっていながら、心と体のことを普段すっかり忘れて暮らしていたと。

 
肩ひじを張ってばかりいないで、背筋を伸ばし、ちょっと深呼吸してみましょう。そして、人間関係のとらわれや人間社会ばかりに目をむけていないで、まわりを見渡してみましょう。
 すると、生きとし生けるもののすべてが、天地自然の恵みによって生かされている、そんなありのままの姿が見えてきます。
 昼は太陽の光がいっぱいに、夜には満天の星が輝いてます、「今」「命、生きている」この実感をいつも忘れないことです。
人生時計には過去も未来もありません、ただ「今」と文字盤に刻まれているだけです。そして確実に人生最後の時刻に向かって時を刻んでいます。
 今、貴方は幸せですか、とコチコチと音を立てながら人生時計は「今」を刻んでいます

  朝日待つ 草葉の露の ほどなきに
         急な立ちそ 野辺の秋風  
道元禅師
  
人生は草葉の露の如くはかない、幸せを願い日の出を待ち望んでいるから、どうぞ情け無い秋風よ吹かないで欲しい。

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