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2007年10月 7日 (日)

金木犀の咲く頃

今日の名言

恋は、人間を何ほどか自己以上のものにし、同時に、何ほどか自己以下のものにする。

モーム『月と六ペンス』

Kinmokusei51_2

心が正常でないと肉体も正常でない。記憶は何時か忘れてしまう。時間は感情まで消してしまう。

ツルゲーネフこんな悩みを記している。

情熱の冷えが日ごと深く私の心にはいりこみ、ますます強く心をつつみます……この世で起こっている一切が、私には何とうとましく、虚しく、ものうく、無目的なものに見えることでしょう」

ロシアの生んだ世界的作家ツルゲーネフが、55歳の時、友人に書いた手紙の一節。

しかし、この時彼は、富と名声につつまれ、多くの友人と交際し、愛人までもっていたといいます。それなのに、この虚しさはどうしたことでしょう。

また散文詩には・・・

「暮れ行く一日一日の何と空しく味気なく、甲斐ないものに見えることぞ。でもなお、人は生きたいと望む。生を重んじ、希望を生に、己れは未来に繋ぐ。ああ人は、どんな幸を未来にまつのであるか。
『明日は、明日こそは』と、人はそれを慰める。この『明日』が、彼を墓場に送り込むその日まで」

最近、今の生活の流れで、いいのか、このままでいれれないし、数年先には断崖があるかもしれない備えを確りしておかないと、いけないのではないか。と不安に思うことがある。

まさにツルゲーネフの散文詩の心境である。   

       木犀や二夜泊りに雨一夜   水原秋櫻子
  
今年も一斉にキンモクセイの香りが我が街角を包みだした。あの木この木ではなく、どの木も突然芳香を発するのだから不思議だ。
昨日、孫の運動会を観に行って来た。匂いの先を突き止めると校庭(小学校の校庭を借りた)の片隅にある5メートルぐらいの大きな木であった。そばに行って見ると金色の小さな花から香りであった。
秋の長雨も終わって、青空が高く感じられだしたころいつも咲き出す。小さな金の十字花が固まり咲き、しばらくすると木の下は金粉を撒いたかのように散り落ちた花々で染まる。季節を強烈に自己主張する花とも言えようか。
しかし、その香りは仕事疲れの身にはひとときの清涼剤でもある。我が家のも一本の金木犀があるがこの春の剪定で大分枝を切り落としてしまったので学校の木ほど匂いは無いが
近くにある庭園灯に灯をつける頃には心が癒やされていることに気づくのである。
そして年々歳々花が時期を間違えず咲きだすと、我感ずる花の思いは少しずつ変わっているのに気づかされる。

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