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2007年10月 3日 (水)

指示待ち症候群

今日の名言

人間というものは、ふだんから目の前にあるものよりも、過ぎ去ったもの、なくなったものに、あやしいまでの愛着を持つものである。

『朝鮮短篇小説選』(下)

L1

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる古今集』(藤原敏行)

 雨の日や  パソコン三昧の    四畳半

 どんぐりや  路面に濡れて    雨の朝 

 草のびて インターロックに     秋の雨

ハッキリしない空模様が続いている。インターロッキングの隙間にどんぐりの実が落ちていたり、雑草が伸びている。やはり、秋の長雨で伸びて来たのだろう。

指示待ち症候群なんて勝手につけたが。常識の判断が出来ない人間が子を持つ親になってしまう人間が多くなっているようだ。

 高校教諭が新聞紙上にこんな内容のコラムを載せてあった。「していいことと」「してはいけないこと」の区別がつけられない子供が多い。判断の基準は「善悪」ではなく、「自分の周りにいるみんながしているかどうかだ」と、それは日本の子供が、家でも学校でも「ああしなさい」「こうしなさい」と言われるままに「受け身」で、自分できちんと考えるゆとりを与えられずに育ってきたためだという、遊びも受け身で、創造性も自分で考えることも必要としないからだ。

 このようにして育った子供たちも、自分の考えで行動しなければならない時が来る。そのとき周りを見渡して「善悪」を問うことなく、周りの仲間と同じことをします。「みんながやってるから」と言う理由だけで、悪の道にはいってしまう子供も多い。犯罪を犯して摘発されても、みんながやっているのに、自分だけが運が悪いと主張する子供、我が子の悪行を更生させる能力をもちあわせていない親も多い、このような内容のコラム。

 子育てにおいて、個性や独創、進取の気風といったことを排除する親や、子離れをしない親に育てられた子供は、自分で善悪の判断ができないから、周りの人々がするのと同じことをします。社会的生活をする上で「善悪」をわきまえる判断能力は不可欠であり、子供の成長過程で躾として親が養うべきものだ。人は生きていくあらゆる局面において、この「善悪」をわきまえる判断能力が常に試される。いじめは、この判断能力が養われず、十分に具わっていない土壌に生じる。

 21世紀は民族や宗教、さまざまな価値観を異にする人々と共に、地球規模で生きていかなければならない、「善悪」の判断については、人類共通の普遍的なことから、価値基準がちがうために、見解の相違が生じるものまであり、多様な「善悪」についての判断能力を身につけておくべきだろう。
                                                                                     

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