一期一会
今日の名言 ふつうの人が懐疑家だとか無信仰者だとか自称する時は、たいていの場合何事でも最後まで考え抜く気持ちのないことを、おおい隠すただのポーズである。 |
T・S・エリオット『文芸批評論 |
(冷泉家時雨亭叢書 拾遺愚草)
押なべて 変わる色おば 置きながら 秋を知らする 荻の花かぜ
女郎花 露ぞ毀れる 起伏しに ちぎり染めてし 風や色なる
露深き は木のしたばに 月冴えて をじかなくなり 秋の山ざと
月影を むぐらの門に 差し添えて 秋こそ来たれ 問う人はなし
いと早も 鳴きぬる雁か 白露の 彩る木々も 紅葉あへなくに (勅撰和歌集)
神応寺の和尚の講話
一期一会
一期一会とは、一生に一度の出会いということです |
出会い という言葉であなたは何を連想されますか、親友との出会い、恩 師との出会い、夫婦の出会い、等々、若い人達は、友達や出会い系サイトを連想するかもしれません。出会いという言葉からの連想は人によって、さまざまちがいがあるでしょう。 四月は出会いの月かもしれません、人生の新しい1ページの始まりだいう人が多いからです。 学校での新しい友達との出会い、職場の人との出会い、ご近所や地域の人々との出会い、さまざまな人との出会い。出会いこそ人生の始まり、生きていく上での新しい展開のきっかけとなることから、人生の悲喜こもごもは、出会いからだと、人は言う。 |
人にとっての最大の出会いの始まりは、自分との出会い、すなはち、我が命の誕生です。この世に三千万種もの生き物が生息している中で、ヒトに生まれるということは、まさに受け難し人身を得たということです、そして、自分の誕生には、父母の出会いがあったからです。 命は尊くて重いものであります、 自分のいのちが尊き重きものなれば、他の命も同じであります、 自分が大切であるからこそ、他の命も大切であります。 自分が大切であるから、他人はどうでもいいのだという理屈は成り立ちません。 自分の存在は他が支えている、人は互いを大切に思い、必要とするからこそ、出会いがあるのです。 |
茶人は客との間柄を大切にします、主人はお客さまを迎えるにあたって、たとえ何度もお会いしているお方であっても、 無常の世です、いつお別れとなるかもしれません、 誠心誠意お客さまにつくしてゆくことが、茶人のたしなみです。 そのために、お客さまが、路地に入るより 出ずるまで 心をくばる、その心遣いが 無言のうちにも通じていきます。 今日 今席しかないという気持ちで相手に接していく 生き方であります。 すばらしい心くばりです、自分に対する心くばりも、かくあらねばなりません。 毎日が新しい日、はじめての日、毎日が新しい私、はじめての私です。一期といえば 、人生の一生涯、一会といえば その時、その場、はじめての日のはじめての人との、一度きりの出会いですから、一期一会とは、一生に 一度の出会いということです。 一期一会は、自分自身への 最高の心くばりでもあります。 |
我が命との出会い、自分の誕生を、自ら喜びとして受けとめようとしないで、自分の生まれに不満を抱く人もある、けれども、勝手に生まれてきたのではない、どんな人でもみな、この世に必要だからこそ、望まれて生まれてきたのです。二度とない人生を喜びとしないで、他にどのような喜びがあるというのでしょうか。 4月8日はお釈迦様のお誕生日です、天上天下唯我独尊、受け難し人身を受けることができた、 人みなに、今、たった一つの、一度きりの尊き命ありと教えられました。 さまざまな出会いのもとに 人は生まれてきました、そして、人にはさまざまな出会いがあります、 どんな出会いでもありがたきことと喜びたいものです。 |
ありがたし ありがたしとて 世に住めば 皆ありがたき ことばかりなり |
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