« 〝まさか〟 | トップページ | ベネズエラという国 »

2007年10月26日 (金)

慣れの恐ろしさ

今日の名言

愛を優しい力と見くびった所から生活の誤謬は始る。

有島武郎『惜みなく愛は奪う』

05detohama11

「環境破壊・温暖化」は、最近は、マスコミは勿論小学生でも言葉が口にする。この地球に住む人間だったら、きれいな空気・きれいな環境で住みたいと思うのは当然である。

ある公園に行ったら、小学生が遠足に来ていた。見晴しの良い山で、ベンチに腰を掛けて遠くを眺めようと、座るところを探していた。傍に、ゴミがあふれたゴミ籠があった、空き缶・飲みかけのペットボトル・レジ袋・紙くずなどが散乱していた。

さすがに、「きたないね違うところに行こう」と行ってしまった。ああ・・・誰でも汚い所より、きれいな所が良いに決まっている。最近近くの公園でも、ゴミ籠にゴミが溢れていたり、町中の自販機の脇に設置されている回収ボックスはいつも一杯なのを目にする。

こんな風景なんて、「嫌だな」と思う人は多いと思う。

なぜか、この実情に慣れてしまう「神経が麻痺」してしまっているのだろうか?従って、歩きながらのタバコの吸殻、食べ歩きながらの包装紙などを捨てて、道路公園は、ゴミの捨て場所?、コンビニ・高速道路のサービスエリアに家庭ごみ、危険物などを捨てていくという。モラルなどと言っていられない。

毎日ゴミを拾っていて、思うのだが、自分の家の周りだけでなく、それを少しでも範囲を広げて各自が掃除をしてもらうと、町はきれいになると思うのだが、是非そういう意識をもってもらいたいと感じている。「きれいにしようよ見んなの住む町だから」

『不都合な真実』の映画、アメリカのゴア前副大統領の講演で地球の危機を訴えて、世界各国を訪問している。「地球を・子供達を愛している」そして「環境破壊は人間」だ。今年ノーベル賞が決定された。

人間の真理といものか、最初はタバコの吸殻なら良いだろうが、缶・ペットボトル・タバコの箱などが交差点の信号待ちに捨ててしまう。そして公園・電車のホーム・町中に・・・・・・・・

自分ひとりは良いだろう、小さなゴミだから良いだろうは、そして無意識は、取り返しのつかない恐ろしい結果になることだ。

今朝はこんなことを考えてみた。そして『汚くても平気でいて、普通に感じてしまう無意識さと慣れは恐ろしい』と思う。

この記事を見て多くの人に感想などを寄せていただければ、幸甚である

« 〝まさか〟 | トップページ | ベネズエラという国 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 慣れの恐ろしさ:

« 〝まさか〟 | トップページ | ベネズエラという国 »