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2007年10月11日 (木)

平常心

今日の名言

およそ人の頭脳には三通りある。第一は自分で判断をつけるもの、第二は他人の考えが判(わか)るもの、第三は自分でも判らず、他人の考えも解らぬもの。第一はもっとも優れ、第二も善く、第三は無能である。

マキアヴェッリ『君主論』

041

今までの生活が、何のわだかまりもなく結婚生活し、42年過ぎた。人生の堰はいくつもある。これを乗り越えなければならないが、中々平常心では乗り切れない事って数々あった、これからもあるだろう。

そこで、必要以上に心配しても仕方がない。「平常心とは」どういうことか考えてみた。そして以下の道元禅師の心の内を見る。

道元禅師の歌に
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えてすずしかりけり」がありる。
 

春は百花開き、夏にはほととぎすの声が清涼をもたらしてくれる。秋の月はひときわ美しく、冬は雪が白くさわやかですっきりしている。

「すずしかりけり」とは寒さや涼しさを我慢して言っているわけではないのでだ。心にとらわれるものがなくさっぱりした状態で雪を見るときの清らかさ、すずやかさをいうのである。

季節にたとえるならば、春は花ですずしく、ほととぎすはほととぎすですずやかで、月は月ですずやかであるということで。人生でいうなら生老病死、そのすべてを追ったり逃げたりしない、むしろ積極的にたのしみ味わっていくところの佛の面目を示されておられるのである。

 「至道は無難」「平常心是れ道」。理論では日常茶飯が道であるといって、難事ではないように見えますけれどもなかなか容易なことではないのである。「平常心是道」の批評に、「無門曰く、南泉、趙州に発問せられて、直に得たり瓦解氷消、分疎不下なることを。趙州、たとい悟り去るも、更に参ずること30年にして始めて得てん」と、そして頌(うた)を詠んでいる。

春には百花有り、 秋には月有り、 夏に涼風有り 、冬に雪有り 、若(も)し閑事(かんじ)の 心頭(しんとう)に挂(か)くる無(なく)んば、 便(すなわ)ち是人間の 好時節

「平常心」とは、無常を知る慮知心をもって菩提心を起こすことであり、日常の所作を滞りなく執り行うことが仏法ですから「威儀即仏法、作法是宗旨」の世界というように展開し、「愚のごとく魯のごとし、ただよく相続するを主中の主と名く」と帰結していくのである。
 在家的に言えば「威儀は人なり」であり、「芸は人なり」「政策もひとなり」「表現は人なり」である。

          語る人貴し

          語るとも知らで

          からだで語る人

          さらに貴し

          みちびく人貴し

          導くとも知らで

          うしろ姿で導くひと

          さらに貴し

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