自分の言葉で書こう
毎日ココログを記してているが、本当に自分の言葉で記していかないといけない。朝日新聞が読売新聞のある記事を盗用したと、今日のniftyのホームページで見た。
やっぱり、仮にそうではなくても疑われては仕方が無い。今情報があふれているので、つい楽をしてしまうのは、人間なら誰でも考える事はあるだろう。ただ、その事がプロであるならば、良く解かっている事だと思うが。今朝は、そんな事にきになった。
昨日は、体調が悪く一寸休んだから早く目が覚めた。ごく最近自分のの存在について、迷いが出ていて、迷いがあり自分の位置が何処に置かれているのか、解からなくなりとても不安定な心境だ。宇宙に漂う風船のような幹事で落ち着かず、何かに留まりたい心境だ。
生活に変化がなく、只、淡々と毎日を過ごしているとこんな事しか考えないのか、しかし生き甲斐は、何時も持って生きてく積もりである。これから先、厭でも変化の波は押し寄せてくる事だと予測されるが、ああ・・・そうそう・・・あと何年かしたら住まいを一つの出入り口で2DKの集合住宅に移転したい、と妻と話し合った事がある。
もうそういう年になってしまった。自分では、若い若いと思っていたがふと周りを見たら、気がついた感じだ。70歳(古希)だぞ、色々考えて見ざるを得ない事なのだ。ある面では、人生の曲がり角に来たのかと実感してのことだと思う。
まあ・・・そうだからと云って,焦るのは禁物、車での事故と同じで、注意深く進まないといけない。心に刻んで置こう。
木で例えるなら、枯れ葉が、あちこちに現われて落ち始め透き間が出てくるのは、ごく自然の事だ。だから、ゆっくりこの先を考える事にしよう。
ゴミ拾いを済ませ、本家のアパートに行き、チェックし枯葉を、レジ袋に一杯に集め、本家の駐車場の草取りをし、何時もの通りに出して置いた。
帰りに忠さんと、話し込んで11時20分に家に着いた。
午後は、リカーキングと、三ツ星に行き買い物をする。帰宅2時となる。堤防を歩いていたが、予報より寒くは無かった。
紅梅や 寒さわすれの 花咲けり
遠山を 眺めるほどに 春近し
梅の花 枝間から見る 富士の山
寒月や 拍子木の音の 冴え渡る
行く雲に 流れる川も 春待ちぬ
NTT東日本に光ファイバーを依頼する。
ネイテブの社長が来て、シロの木を伐るがどうだろうかとの事だが・・・・もう少し暖かくなってからにしたいと云って置いた。(明日にもやるような事だった)
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