漱石の「草枕」を思い出した
山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば、窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところに引っ越したくなる。どこえ越しても、住みにくいと悟った時、詩が生まれ、画できる。
人の世を作ったには、神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人のよりも、なお住みにくかろう。
越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろぎ)て、束の間の命束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊にするが故に尊い。(夏目漱石=草枕)
今日は、4月上旬の陽気で気温は17度ぐらいで、これは27年ぶりの気温とか。午前中鉢物に水遣り、掃除機をかけ、車拭きをして11時となる。
午後より、アゼリアへ行く、途中あきる野市の市場に寄り買い物をする。2時40分となり、お茶の時間となって食堂で話をする。お婆さんは、顔色もよく元気そうだった。
年寄りばかりの施設は、ああ・・・ここで生き甲斐を見つけ生きて行かなければとか、死を待つだけの人生だけとか、またどう毎日を過ごせばいいのかとか、自分も通る道だ。考えさせられた。
冬日射し 息を潜める 姥の宿
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