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2007年1月13日 (土)

客観的「眼光」をいかせ

日中の明日「客観的眼光を生かせ」(1月12日朝日新聞社説から)最近特に関心が高まり、記してみた。

150年前に島国日本は西洋植民者の脅迫のもと、国家存亡の危機を迎えた。日本はこれを、古きを捨てて脱皮する歴史的チャンスにして、アジアで始の現代的国家を実現した。

中国の代表的テレビ局の中央電視台が昨秋放送した「百年の維新」の冒頭の説明だ。ドキメンタリー「大国の崛起(台頭)」の第7回の日本編だ。

このシリーズは近現代の大国の興亡を追ったものだ。かっての歴史物と比べて「客観的光(まなざし)」による描写が、中国の話題になった。

日本編では、2年近く米欧を視察した、岩倉使節団など明治の国づくりに強い関心を示す。さらに、富国強兵やアジア侵略を迫ったうえで戦後を伝える日本は、主権在民戦争放棄を定めた平和憲法に守られ明治以来基礎的実力を発揮して再び大東したと、紹介された。

日本をもっとありのままに見よう、との姿勢が芽生えてきたのかも知れない。反日デモが荒れた頃はには考えられない事だ。その背景には、靖国神社参拝にこだわった小泉首相から、安倍首相に代わり、その訪中を機に中国政府が日本と関係改善に踏み出した事もあるだろう。

一般の中国人の変化もある。たとえば、昨年12月に日本語能力試験が行われたが中国での受験者が大幅に増え、世界各国・地域の中で最高の20万人以上が申し込んだ。日本企業の各社が集まる上海は、3万5千人に達した。

日本と接触が広がれば、日本像がさまざまになる。一つの見方で日本を語ることが難しくなるのだ。これらを加速させる動きがある。

大みそかの北京で新しいラジオ番組が生まれた。日本の流行曲や、話題を紹介する「東京音楽広場」だ。

日本と中国を行き来する人で、フィクション作家の青樹明子さんが、趙海東さんと一緒に司会する、二人はかって他の番組で日本のポップスの熱心なフアンを育てた。その夢をもう一度ということで、日本政府が働きかけ、中国側が応じた。

青樹さんは、「番組を通じてごく普通の日本、日本人を紹介したい、こんな簡単な事が、なかなか伝わってこなかったです。」と話す。

一方、日本の大学は、テレビ回線を使う講座などで、生の中国に接する機会を広げている。たとえば、早大、慶大は、共同でこの数年、中国の北京大、清華大や、台湾、韓国の大学の学生とのテレビ対話授業として行っている。学生は日本語と中国語で身の回りの話題を話し合う。

講座を始めた早大の砂岡和子早大教授は、「学生同士で話してみて、あまり違いはないじゃないか、と共感する事が多いようです。」と語る。

政治体制の違いが、戦争の歴史などで、日本人と中国人が理解しあうのは、簡単ではないが、それでも、相手をありのままに見て理解の糸口を探る努力が芽吹いている。その芽を大切に育てたい。

     行く人も    我も老いたり   土手枯るる

     寒中に    カワセミ見たさ  川岸へ

     万の手で   雲を放さぬ    冬けや木

     そこばかり  光あふれて    野水仙

           一尾根は   しぐるる雲か   富士の山(芭蕉)

午後2時より散歩時田橋~住吉西(大原)第2小前~車し~片倉台(道了堂下)~北野台~打越弁天~打越5差路~本家~自宅ちょうど2時間。途中異状に汗をかき疲れを感じたが暫くしてよくなり、汗も落ち着いた。風が冷たく感じた。(それにしても何だか、異状に汗をかき、疲れを感じたのは年を取った事だけでないような気がしてならななかった)

1時36分カムチャッカ沖でマグ二チード8.3の地震が発生、日本列島太平洋岸が津波警報が出た。北海道根室、網走等が2mで青森、岩手、宮城、茨城、千葉、伊豆等は0.5mとの事だ。被害がなければいいが。

子供から電話で、DG(ゲーム機)がイトーヨウカドウで見付かった。妻にどうかと、言う事だった。返事は、買って置いてとの事で話をする。(17,000円位)

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