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2007年1月24日 (水)

徒然草の教訓(大事を急ぐべき)

「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、心の移りゆくよしなにし事、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」

約すと・・・気が滅入るほど退屈でたまらなく硯(すずり)に向かって、そんな私を発散させるかのように、流れ込む感情をひたすら書き続けて行くと言う怪奇見たいに下らん気分になってくる。

『大事を、急ぐべき』。有名な吉田兼好の「徒然草」に目的を失った哀れなある男が、親から「仏教の勉強をして、立派な僧侶になりなさい」と教えられた。

そこでかれは、まず馬の乗り方を習った。法事の際に施主が馬で迎えに来たとき落馬にあったら辛いだろうと思ったからである。次に法事の後の酒席で何の芸が出来なかったら施主が興ざめに思うだろうと、歌を習った。

乗馬と歌謡の力がある程度付いた後も、もっと上達したいと打ち込んで入る内に仏教を勉強をする時間がないまま、年をとってしまった。

この僧侶だけが、愚かななのではない、世間の人々にも同じような事があるものだ。一生をのんびりと構え、つい怠けて目の前の事ばかりに心を奪われ、月日を送っている。肉体は、走って坂を下る輪のようにどんどん衰えていくのだ。だから一生のうちで、どれが一番大事なことか、よく考えなければならない、その他は断念して一番大事なことに励むべきである。

また、ノーベル物理学賞受賞者の利根川進教授は、どうでもいい事を追いかけ一生を終る人が多い。目的の大切さを訴える。

「サンエンスと言うのはカバーしている領域が広くて深いから、細かい事をほじくり出したら研究対象なんて幾らでもある。だけどその大半は、そう云ったら言い過ぎかも知れないけれど、どうでもいい事なんです。だけど、大半の学者は何か本質的に重要で、何が重要でないかの見分けが付かないから、どうでもいい事を追いかけ一生を終っている訳だ。

一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。そして、研究テーマなんて、ごまんとある。ちょっと面白いなと言う程度でテーマを選んでいたら、本当に大切な事をやる暇がないうちに一生が終ってしまう。だから、自分はこれが本当に重要な事だと思う、これなら一生続けても悔いはないと思う事が見付かるまで、研究を始めるなと云っている。科学者にとって一番大切なのは何をやるかだ。」

朝、資源ごみ(ダンボール)を出し、ゴミ拾いを済ませ、切干大根を煮付けをした。妻を八王子駅まで迎えに行き(先に電車で行きそごうで買い物をした)狭間のイトウヨーカドウに行き(妻が買い物する)歩いて帰宅12時を5分を過ぎてしまった。

       今朝の空    雨また雪か    雲重し

       切干の     大根煮付け    初地蔵

       霜解けの    泥んこ道に    大根葉

       

       

       

        

        

   

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