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2007年1月

2007年1月31日 (水)

漱石の「草枕」を思い出した

山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば、窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安いところに引っ越したくなる。どこえ越しても、住みにくいと悟った時、詩が生まれ、画できる。

人の世を作ったには、神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人のよりも、なお住みにくかろう。

越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろぎ)て、束の間の命束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊にするが故に尊い。(夏目漱石=草枕)

今日は、4月上旬の陽気で気温は17度ぐらいで、これは27年ぶりの気温とか。午前中鉢物に水遣り、掃除機をかけ、車拭きをして11時となる。

午後より、アゼリアへ行く、途中あきる野市の市場に寄り買い物をする。2時40分となり、お茶の時間となって食堂で話をする。お婆さんは、顔色もよく元気そうだった。

年寄りばかりの施設は、ああ・・・ここで生き甲斐を見つけ生きて行かなければとか、死を待つだけの人生だけとか、またどう毎日を過ごせばいいのかとか、自分も通る道だ。考えさせられた。

         冬日射し   息を潜める    姥の宿 

2007年1月30日 (火)

国会の代表質問が始まった

昨日より国会の代表質問が始まり、民主党の小沢代表が、質問に立った。今朝の各新聞の社説では、朝日、読売、産経、毎日、日経とも、その事が書かれていた。その中で日経の社説を記してみた。

通常国会で代表質問が始まり、与野党の論戦が本格化した。与野党ともこの国会の戦い方が、7月の参院選に直結すると見ており激しい攻防が予想される。有権者の関心の高い課題について政策論争を深める争点を解かりやすく提示する事が大事である。これ以上政治不信を拡大させないために、与野党とも政治資金の問題だは、明確な説明責任を、果す事を求められている。

小沢一郎民主党代表は、格差是正を重視し、同党の掲げる『生活維新』の具体策を示し、安倍心晋三内閣との政策との違いを浮き彫りにしようとした。雇用問題では、非正規社員の待遇改善、年金問題では、全額税方式の基礎年金制度、地方活性化・農業問題では、農家に対する1兆円の戸別所得保障制度などの実現を強調した。

また少子化対策では、6兆円の子供手当ての創設を訴えた。こうした国民生活重視の具体的主張は、一定の迫力があった。その財源論については説得力が弱かった。消費税引き上げ封じ込め、補助金、交付税の一括交付金化で6兆円、国家公務員の人件費削減で1兆円、独立行政法人、特別会計の廃止による4兆円の財源を確保するとしているが、具体的な方策は不明確だ。

安倍首相の答弁で民主党の主張は財源があいまいであると強く反論した。その安倍首相は内政問題では「経済成長の政策は国民が実感してもらえるようにしたい」という程度にとどまり具体論に乏しかった。安倍首相の答弁は、外交や、憲法改正、教育改革では、歯切れがよく解かり易いが、内政問題では、アピールが力不足しているように感じられた。

教育改革と経済成長を重視する安倍自民党と格差是正を最優先する小沢民主党の論戦は、もっと掘り下げる必要がある。予算委員会や党首討論で、さらに具体論を競い合い7月の参院選に向けて明確な、争点を提示するよう努力すべきである。

小沢代表は、政治資金、特に事務所費問題について「与野党の責任ある立場の政治家は、すべて事務所費の詳細を公表したらどうか。私は、いつでも詳細を公表する用意がある」と提示した。

小沢氏自信、4億円余の事務所費計上が問題視されていることを意識し、自ずからの火の粉を振り払い、閣僚の事務所費問題に切り込む意欲をうかがわせた。

政治不信を招く事のないよう政治家が説明責任を果す事は当然だある。求められているのは説明責任であって、この問題で、与野党が泥仕合を演じて、政策論争がおろそかになるのはよくない。(1月30日日経朝刊社説より)

       冬の蜂    フロントより   こぼれ落ち

       飛び去るも  陽だまり戻る  冬の蜂

       異風景    世を嘆くなり   寒すずめ

今夜は、防犯パトロールに参加する。参加者は、大庭さん(男)、滝嶋さん(男)、西山さん、小川さん、進藤さん、矢崎さん(男)、荷見さん、佐藤さん、自分の9人だった。今夜は最高に大勢だった。湯殿川の堤防のフェンスの中のコンクリートに若い男が二人で座って話をしていた。この寒中に、驚いた。   

2007年1月29日 (月)

確定申告書を作成

毎年のことだが、税金の確定申告書を朝から一日かけて行い、一部解からない所を聞いたり[市役所ー介護費、税務署ー妻の収入(年金)]して、朝9時より4時までかかった。殆ど外に出ず、かかり切りで行った。(もっと早くできるかと思ったが、印鑑を探したり、領収書を確認したりした)ためであった。結論的には、2,161円の還付金が貰える予定となった。

定率減税が廃止になり、収入が減り、税制改正で我々年金生活者は、益々生活が大変になる。確定申告書を作成してつくづく感じさせられた。

天気は、朝のうちは曇っていたが段々良くなって来て、午後から晴れてきた。しかし、風が冷たかった。

         木枯らしや  地蔵の顔が     横に向く

    古の      石の地蔵や     冬の顔

    水桶の    位置をずらすや   木枯らしに

    冬ざれや   楠落ち葉       降り積もる      

2007年1月28日 (日)

《南極掘削》岩盤に未到達3,035.22Mで終了

南極大陸にある日本ドームふじ基地(標高3、810㍍)で、世界初の岩盤採取を、目指して氷床を掘削していた第48次極地域観測隊は26日深さ3,035.22㍍で、掘削終了さた。岩盤には到達できなかったが、国立極地研究所などによると観測隊は岩盤の一部と見られる数ミリの砂粒や岩盤の熱で溶けた水を採取した。

バクテリアなどの生物がいる可能性もある貴重な資料を日本に持ち帰って分析する。

氷床採掘は03年から始まり、昨年1月3,028.52㍍までの氷を採取、最深部の年代72万年前だった。今回は昨年12月から、岩盤まで残り最大20㍍を堀り進めていたが、予定の期間が終了し時間切れとなった。(毎日新聞26日)

朝鳥小屋掃除をし、塵拾いを済ませ、パソコン弄りをして午前中終る。午後12時20分、八王子学園都市に市主催の、防災講演会に出席する。東京直下地震の被害想定に見る八王子市の被害想定講師は中林一樹首都大学東京都市科学研究科教授だった。13時~15時まで。往復歩き参加者は、大庭さん、中川さん、河合さんの4人だった。

帰って来て、かねまんに買い物に行き、牛乳、ジュース、レタス、豆腐を買う。

   枯れ枝に   カワセミ止まり    目を見張る

2007年1月27日 (土)

風景歳時記

毎日歩いていると、時節の変化に気がつかないものだ。心のゆとり、身体の調子や人との係わりで不調等、人の感情はいつも同じではない。しかし、下手な句でも考えて、少しでも時節を書き留めたいと思う。

  この風景   やま川ありの    冬の色

  西日から   光滲みこむ     冬木立

今日の朝刊各紙で、民主党の角田参議院副議長の2,500万円の政治資金収支報告書に記載しなかった問題で、自ら職を辞した。当初は、いつも、政治家や企業家の不正の指摘を受けて弁明する言葉は、決まっている。「私は指摘のような事は、事実無根であり、神に誓って、そのような事はありません。」と云っていて、時間が経ち最後は、記者の前で「申し訳ありません」と頭を下げる光景をテレビで見る事になるのである。

国会も昨日から始まり、安倍首相の施政演説が行われたが、民主党の松岡農林大臣、伊吹文科省大臣の事務費不透明記載を追及すべく、てぐすね引いていたが、その出鼻をくじく問題が発生してしまった。そんな疑惑だけに汲々として本題の山積する問題も身が入らないとは、嘆かわしい。 今朝のニュースで自民党の小坂国会対策副委員長は、「向うがやれば、こちらも応戦する、かなり弾は乱れ飛ぶ。」というけったいな発言があった。

こんな事では、国民の政治離れは止まらない。従って、宮崎県の知事選では、無党派層の奮起があって、ダントツの得票で当選した。自民党の片山幹事長などは、「選挙戦の考えを組みなおさないといけない」と必死になってきた。民主党しかりである。

午前中はパソコン弄りで、午後は八王子のクリエイトホール5階でげんきフォーラム「魅力あるまちをめざして」に出席する230名の立ち見が出来るくらいの盛況だった。大庭さんと一緒で、往復歩きにした。コーデネーターは林泰義氏千葉大学客員教授パネリストは関谷一級建築士、荒井みなみ野自然熟運営委員長、小学校教諭と黒須市長、和田さん(多摩美の大学院生)荒井さんには、興味があった。感想は、良かったと思うが、もっと身近に話し合える仲間や、場所を知りたいと思った。そして、我々の住んでいる年寄りばかりの場合の不安を解消できる相談相手が欲しい思った。そして片倉城址公園地域の保全と湯殿川の浄化(カワセミの生息が確認され毎日バードウオチャーが来て写真を撮っている、その環境を維持して生きくには、多くの近隣の方の協力が必要である。こんな事をまちづくりのテーマにして、まちづくりとしていければと考えた)。

片倉町一丁目町会理事会に出席する。大きな議題は無く議事は早めに終った。三役会議を行い、大庭会長の辞任問題を話し合ったが、最終的には、もう一期(2年)をお願いする方向で、2/9(金)19時より、に常任委員会を開き、常任委員全員の了解を得ることにする。後、おばこにて、飲む(大庭、高橋、向井、河合、川幡)帰宅10時半となる。

 

2007年1月26日 (金)

学校給食費未払いの事

文科省で調査したところ、学校給食費の未払いが22億円にも上ると言う事だ。その中には事情により、生活保護者となり仕方なく払えない人もいるが、払えるのに払わない人がいると言う事だ。今朝の新聞の産経、読売、毎日が、社説でその不当さを批判する内容の記事を書き綴っていた。

各字自体では、未納者の督促に市の職員、先生、また、定年退職者にお願いして集金をして貰うといったことで、市や教育委員会は、頭を痛めている。

払わない理由として、義務教育だから当然税金から賄うのは当たり前だ。と言う勝手な解釈をしている人が多いとか、戦後生まれの、自分だけよければとの考えでまかり通すことをしてしまう、我がまま大人がいる。

給食費は何処の地自体でも、ある程度の人件費や設備費など補助で運営されている。その事も解かっていない。

今日あるラジオ番組で、コメンテーターが、学校給食を止めて、「弁当」持参の昔のようにしたら、親の責任と子供の教育の原点に戻り、人間教育が自然と構築されてとてもいいのではとの意見だった人もいた。確かにそういう意見もあるが、時代が夫婦共稼ぎしなければ生活できない人もいて、朝の忙しい時間に、弁当作りには時間が足りない、仕方なし前の日残り物を入れたりしてしまい、食中毒というまた、違った問題も起こる。

兎に角こういった問題は、戦後の教育(ゆとり教育等)に問題があって、その付けが回ってきたものと思う。学校給食費の問題だけの事ではない。一般に世の中を見ても、政府の閣僚の農林省、文科省等の大臣等の事務処理費の問題、地方議員の政務費請求の問題、市の合併特例債の解釈の誤認とか、全く今の小学生、中学生に説明が付かない、情けない実態がある。

全く国民総懺悔しなければならない状態だ。これだから学校給食費の未納なんて、当然と云わんばかりでいる人も、その子供には罪はないが、何れは分かる事、また、先生が自分のポケットマネーで払って仕舞うとかしているとか、世の中本当に乱れた事だ。

朝、資源ごみ(ペットボトル)を出し塵拾いを済ませ、会館に行く、灯油が二缶とも半分だった(何故、一缶から使ってくれないのか全く補充する人の事を考えてくれない)仕方なし、一缶に一杯にして一缶を購入する。ビール瓶等の空き瓶がお勝手にあり、片付ける旭やに運んだ。(福寿会が新年会で使用)

相模原の「さがみ野」で食事(妻の気分転換)に行く。帰りフラワーランドで買い物をする。途中ゴルフ場から歩き、三ツ星にて買い物をして帰る。(1時間ぐらい掛かるのだが下り坂なので、とても早く歩けたように感じた。)

予報どおり暖かく、歩くのに上着を着ないでちょうど良かった。3月の陽気とか・・・でも流石に夜になって北風が冷たかった。

     暖冬で    笑い泣く人     何時の世も

     まっ黄に   柚子熟るなり    冬日向

          冬水車    冷たき水を     撒き散らし

    カワセミや   冬の川面で    小躍り 

9時20分千鶴子さんより、裕美が6/2(土)横浜の元町にて、結婚式を挙げる事になった。本日彼の両親が福岡より上京し、打ち合わせを行った。と電話連絡があった。        

2007年1月25日 (木)

清少納言の「枕草子」の事

徒然草・・・吉田兼好。 方丈記・・・鴨長明(かものながあき)と並んで、3大随筆の一つと言われて枕草子・・・清少納言がある。

春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。(やうやう・・・だんだんと。山ぎは・・・山と空が接する部分空を主として言う。)    

夏の夜は。月のころはさらなり闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。またただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。(をかし・・・趣がある。)

秋の夕暮れ。夕日さして、山のはいと近うなりたるに、からすのねどこへ行くとて、三つ四つ二つ三つなど、飛びいそぐさえあわれなり。まいて雁(かり)などのつらねたるが、いとちひさく見ゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音、むしのねなど はたいうべきにあらず。(山のは・・・山と空の接する部分 山を主として言う。 いと・・・とても。あわれ・・・しみじみとした情緒がある。)

冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにあらず、霜のいと白きも、炭持(も)てわたるもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひおけ)の火も白き灰がちになりてわろし。(つきづき・・・ふさわしい。)

『方丈記』・・・鴨長明(かものながあき)

「行く河の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは,かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる、人と住みかと、またかくのごとし。」

(絶えることなく、流れは続ける川は、常に同じ姿を保ち、しかも流れは決してもとの水ではありえない、淀みに浮かぶ泡粒は、そこではじけて消えたかと思えば、また新たに現われ、はかなく生滅を繰り返す、この世に生きる人も、またこれとおなじである。)

≪なんか、自分の今のライフワークにぴったりとした感じである。≫

雑紙(資源ごみ)を出し、塵拾いを済ませ、本家のアパート、本家のチェックに行く、アパートの周辺に空き缶(6個)を拾い本家の駐車場の草取り、枯れは掃除しレジ袋一杯にし塵として出す。帰って来て11時となる。晴れて、比較的に10度ぐらいで暖かいが風は冷たい。

午後は、パソコン弄りをする。

      今日もまた   カワセミの肌  防寒色

   枯れ枝も    取る物もなし   空の色

2007年1月24日 (水)

徒然草の教訓(大事を急ぐべき)

「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、心の移りゆくよしなにし事、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」

約すと・・・気が滅入るほど退屈でたまらなく硯(すずり)に向かって、そんな私を発散させるかのように、流れ込む感情をひたすら書き続けて行くと言う怪奇見たいに下らん気分になってくる。

『大事を、急ぐべき』。有名な吉田兼好の「徒然草」に目的を失った哀れなある男が、親から「仏教の勉強をして、立派な僧侶になりなさい」と教えられた。

そこでかれは、まず馬の乗り方を習った。法事の際に施主が馬で迎えに来たとき落馬にあったら辛いだろうと思ったからである。次に法事の後の酒席で何の芸が出来なかったら施主が興ざめに思うだろうと、歌を習った。

乗馬と歌謡の力がある程度付いた後も、もっと上達したいと打ち込んで入る内に仏教を勉強をする時間がないまま、年をとってしまった。

この僧侶だけが、愚かななのではない、世間の人々にも同じような事があるものだ。一生をのんびりと構え、つい怠けて目の前の事ばかりに心を奪われ、月日を送っている。肉体は、走って坂を下る輪のようにどんどん衰えていくのだ。だから一生のうちで、どれが一番大事なことか、よく考えなければならない、その他は断念して一番大事なことに励むべきである。

また、ノーベル物理学賞受賞者の利根川進教授は、どうでもいい事を追いかけ一生を終る人が多い。目的の大切さを訴える。

「サンエンスと言うのはカバーしている領域が広くて深いから、細かい事をほじくり出したら研究対象なんて幾らでもある。だけどその大半は、そう云ったら言い過ぎかも知れないけれど、どうでもいい事なんです。だけど、大半の学者は何か本質的に重要で、何が重要でないかの見分けが付かないから、どうでもいい事を追いかけ一生を終っている訳だ。

一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。そして、研究テーマなんて、ごまんとある。ちょっと面白いなと言う程度でテーマを選んでいたら、本当に大切な事をやる暇がないうちに一生が終ってしまう。だから、自分はこれが本当に重要な事だと思う、これなら一生続けても悔いはないと思う事が見付かるまで、研究を始めるなと云っている。科学者にとって一番大切なのは何をやるかだ。」

朝、資源ごみ(ダンボール)を出し、ゴミ拾いを済ませ、切干大根を煮付けをした。妻を八王子駅まで迎えに行き(先に電車で行きそごうで買い物をした)狭間のイトウヨーカドウに行き(妻が買い物する)歩いて帰宅12時を5分を過ぎてしまった。

       今朝の空    雨また雪か    雲重し

       切干の     大根煮付け    初地蔵

       霜解けの    泥んこ道に    大根葉

       

       

       

        

        

   

2007年1月23日 (火)

逢うは、別れの始めとは

昨日は、ココログが旨く作動しなく、予定の日記が記されず、一寸残念だが今朝早く(5時)記した。さてと・・・

人生は、所詮一人で生きていく事だが,やはり出会いがあって別れがある。それはどんなに逢いたくなくても、逢わなければならい事もあり、またどうしても分かれたくない人がいても親や、子供達と別れていかなければならない事もある。「一緒に生まれて一緒に死ぬことは出来ない。」だから、人間いきている(一生は)、多くの人に支えられて生きられて一生を終えることが出来るのだから、自分の意見を云ったり、人の意見をよく聞くことが大事だと思う。コミニケーシヨンをとる事だな・・・

人生、70歳と、年を重ねると、気も練れて丸みを持つと言われているが、その自分がその該当者となった今。果たしてどうだろう。(なかなか、自分では、解からない、いや解かっていない)と今朝は、そんなことを考えて目が覚めた。

朝5時に起きて、ココログを開いたがまだメンテナンス中で動かず、インターネットでニュースをみて5時15分ココログが使えるようになって、6時まで弄ったため朝の朝食が遅れた。

ゴミ拾いをして、八王子の八万町よろずや(八百屋)に銀杏(一袋1、480円)を買い物に行く、往復約2時間(9時45分~11じ30分)だった。暖かく汗びっしょりとなった。

     たおやかに  波紋拡げる    冬の鳥

     寒冷の     緩みしところ   梅一輪

     小春日や    散歩の汗の   気持ち良さ   

     小さき手    差し出す孫に   お年玉

     昔なら      何処でも見れた 焚き火かな

     何時のまに   孫ひざに入る  夕炬燵

     思い出す    冬に雪降る    寒さかな  

今夜は防犯パトロールだ。参加者は、矢崎さん、山口さん、進藤さん、佐藤さん、の5人だった。   

         

2007年1月22日 (月)

宮崎県知事選挙に思う

宮崎県の知事選では、そのまんま東氏・266、807票川村氏195,124票自民党・公明党が押す持永氏120,825票だった。従って、タレントのそのまんま氏が圧勝した結果となった。

自分も、塚本秀雄八王子市議の後援会役員となって昨夜も会合に出席したが、色々考えさせれる。今回の統一地方選挙でも、初めての応援であるが感じるには、浮動票による票の読み込みで、大きく変わってしまう恐ろしさが問題となってくるのだろう思う。

具体的に思うことは、現在各地を引き回しを実施しているが、戸建だけを狙っているが、もっとマンション、アパートを、どう取り付き攻め込んでいくかがキーポイントと思えた。

何と言っても、身近な問題を、解決いてくれ、相談に乗ってくれ、そして実行し、信頼感がある事が、最も有権者が求めるものだ。これが基本だ。

宮崎県の知事選では、無党派層の支持を集めた、そのまんま東氏が当選、自民党は大きな衝撃を受けている。民主党も、3知事選に独自候補擁立できず、地方組織の脆弱性を露呈した。

4月の地方選、夏の参院選へ向け「東ショック」の波紋は、大きくなりそうだ。

知事選に徒手空拳(資金や、地位等の頼るものが無く自分の身一つであること)臨み当初は泡沫候補扱いされた元タレントが勝利したのは何故か、官製談合事件で、安藤前知事が逮捕された直後から、保守が2派に分裂したことから、などと一応の理はつけられる。

自民党の中川幹事長も21日夜「敗因は、保守分裂にある保守が大同団結出来ない時に何が起こるか教訓として心に刻みたい」との談話を発表した。

だが、「保守分裂」だけでは、かっての師匠のビートたけし氏とも、写真週刊誌の編集部に殴り込んで警察の厄介になり、女性問題でも世間を騒がせた元タレントの方が、霞ヶ関のエリート役人よりも知事にふさわしいと、県民は判断した理由は説明できない。

高い投票率と投票行動がから、読み取れるのは「政治や行政のおプロ」は信用できず「政官業癒着の既得権益まみれの古い政治をぶ壊してくれ」という「破戒願望」の強さだ。そうした県民の怒りを既成政党は受け止められなかった。

特に衆参両院で5議席のうち、自民党が4議席を占める宮崎県で、与党の推薦候補があっけなく敗れた意味は小さくない。

一昨年秋「郵政解散」でピークを迎えた「小泉人気」は、過去のものとなり、旧来の建設業界を始とする支持団体を基礎とした、利益誘導型の選挙が通用しなくなった。安倍晋三首相が胸を張るように「自民党は変わった」と有権者は実感していない。(以上産経新聞よりの記事)

朝、ゴミ拾いを済ませてどうも落ち着かない。車の疵で、人生が変わってしまうほどの思いで落ち込みそうになって、いても立ってもどうしょうも無く、とうとう修理を、東和整備(株)に見積もり以来をして貰った。結果バンバーを取り替えて38,000円と予想していた額より高く、妻は、止めてと強く引きとめた。そこで、議論となって、自分が引き下がった。そして疵をタッチペイントでの補修を考えて、山田のオートファクスに行き、探したが無く、多摩境の「オート上イブ」(大きな店)に行き来きタッチペイントを買い、家で補修ペイントをする。あまり満足できないが、しぶしぶ妥協する事した。本当に気をつけないといけないと思った。大いに反省させられた

2007年1月21日 (日)

統一地方選挙のこと

今年は、統一地方選挙ある年、4月21日投票日で、八王子市議会議員選挙があり、地元議員で、塚本 秀雄市議が6期目を目指して立候補する。

片倉町一丁目町会会館で、役委員会が行われた(初めて出席)2月17日に「総決起大会」がエルシー八王子で行われる。会費は5,000円である。

今日は、天気が変わりが激しく、朝は晴れていたが夜10時ごろは雨になった。(予報では雪になる)一日中、テレビを見て過ごす。午前は、10チャンネルのサンプロ、午後は都道府県別男子駅伝大会(広島)を見て過ごし、6時30分選挙役員会に行き、帰りは8時30分だった。

どうも、車の疵の事が気になり、(自分は直したいが妻は、直さなくてもいいという)落ち着かない気持ちで一杯だ。

2007年1月20日 (土)

今日の出来事

午前中、町会の防災講習会があって、9時半に一丁目会館に行く、ビデオと矢崎さんの研修会の報告、小林さんの地域の変遷と、町内の地図による消火器の設置場所マップの説明があった。また非常食のアルファー米の炊き出しと乾パンの小松さんを始め5人の方が、早朝6時ごろから準備を婦人会の方にして貰い、パック詰めとおにぎりを作ってもらって、参加者約56名に渡した。終了は11時45分だった。

昼食は、非常食を食べて過ごした。城址2の参加者は、大和地さん、奈良さん(2)、矢崎さん、妻、智子姉さん、伊藤さん(高橋さんアパート)、加藤さんの10人だった。

会館の石油を補充する。帰って来て車庫に入れるとき車の後ろの左バンバーを当てて疵を付けた。修理をしなければ気持ちが悪い。(近い内に修理をしたい)・・・2月は保険もあるし、とんだ事になったもんだ。・・・・・そういっても仕方ないか・・・・

矢崎さんと、一杯やるかとことで、話がまとまったが、近所で5・5人とも考えたが、結局二人でする事にした。

今日の反省、良く承知をしていて、何度も同じ失敗を繰り返しているが車に疵を付けた。目立たないところだが、とても残念だ。何時もの悪い癖であわてたことによるミスだ。「もう運転する資格がない」。今日は、大寒らしい寒さであった(妻はパーマに行く)

夜、矢崎さんとJR片倉駅前の養老の滝で、飲む3,210円/1人であった。これからの、生き方(年々としを取りこのままの生活では暮らしていけない,近所の方は、どんなことを考えてているのだろうか?)なかなか有意義だったと思った。

共同生活?。今朝の朝日新聞に、そういう施設が小田原にあって、紹介されていて、妻もその記事を見て、ちょっと話し合ったので、二人で盛り上がった。

2007年1月19日 (金)

一休さんの言葉

一休さんの遺した言葉について調べた。

一休=(1394~1481)幼名は菊丸、後は宗純

『有ろじろ 無ろじろへ帰る 一休 雨ふらば降れ 風ふかば吹け』から一休と呼ばれた。(華叟宗雲という人の弟子になり、呼ばれた)

「有ろじ(有漏そう路)」とは、迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは、悟り()の世界を指す。

一休宗純が遺した言葉

○門松は、冥土の旅の一里塚、目出度くもあり、目出度くもなし。

○釈迦という、いたずら者が世に出でて、多くの人を、迷わすかな。

○仏法は、鍋のさかやき、石の髭絵に書く、竹の共ずれの声。

○問えば言う、問わねば言わぬ、達磨どの、心の内に何かあるべき。

○持戒は、驢(ろ=ろば)となり、破戒は人となる。

○秋風一夜百千年(秋風の中に貴方と共にいる。それは百年にも、年月に値するものだ。)

○花は桜木、人は武士、柱は絵、魚は鯛、小袖はもみじ、花はみよし野。

○何れの時が夢のうちにあらざる、何れの人か骸骨にあらざるべし。

○死にて後、如何なるものと成りならん、めし酒、団子茶とぞなりぬる。

○女をば、法の御蔵と云うぞ、実に釈迦も達磨も、ひよいひょい生む。

室町時代の高僧、一休宗純和尚は、元旦生まれとされている。既成権力を決定的に忍避して仏教の権威や形骸化などに対する批判し自由人として、奔放な生き様が、世間の圧倒的な支持を得た。一禅問答に熟達した彼には、簡単な事だった。

しかし、天皇のご落胤であった足利軍家体制維持よりも、弱体化した朝廷擁護という点では、生涯変わることは無かった様です。(落胤=高い身分の人が、正妻以外の女に子供を生ませる)

塵拾いをしてから、歩いて狭間の、イトウヨーカドーに行き、妻と待ち合わせて、津久井の城山湖に行って昼食を取る。帰りは、千木良より20号に出て、大垂水峠を越えて、またイトウヨーカドーにより、買い足りなかった買い物をして、帰宅2時50分だった。良く晴れたが、寒中らしい寒さと、風の冷たさがあった。

   キラキラと   冬日を浴びて    鳥遊ぶ

   山頂に     寒風晒す      電波塔

   冬枯れや   湖面に写し     水静か

   貯水湖の   青き水面に     鴨が浮く 

   城山湖     何事も無く     冬景色    

2007年1月18日 (木)

VREの事

今朝のNHK5時のニュースで「VRE]に関する事でアメリカで、大きな問題となっていて、日本にも係わってくるようだ。で、ちょっと調べてみた。

Vanconycin Resistant Enterococci=VRE(バイコマイシン耐性腸球菌)

①VREとは、[バイコマイシン(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSN)の治療に用いられる抗生物質]に対して耐性を獲得した腸球菌である。

②腸球菌は、ヒトや動物の腸や外生殖器(会陰部や膣)に常在する菌で、すべての人が多かれ少なかれ持っているが、すべての腸球菌がバイコマイシンに耐性と言う訳ではない。

③普通の健康な人の腸内などにVREがいても病原性が非常に弱いので病気感染症を起こす事は無い。そのため、たとえVREが、検出されても、健康な人の場合は通常の日常生活において特別の注意を払う必要はない。

④ただ、問題となるVREによる「感染症」が、入院患者の中でも特に、癌、胸腹部の外科手術後の患者や、白血病,火傷、移植、栄養失調などの重症な基礎疾患を有する患者に起こった場合でこのような患者では、しばしば、敗血症や腹膜炎などの重篤の感染症お越し死亡することがある。

⑤VREは、1986年にヨーロッパ最初に分離されて以来欧米では、病院の集中治療室などで拡がり重要な「院内感染」の一つになった。

⑥バイコマイシンは、MRSAに対する特効薬だが、VREにたいしては、バイコマイシンのみならず、現在臨床で細菌感染症の治療に用いられているほぼ全ての種類の抗菌薬が無効の場合が多くの治療に重大な支障が欧米で起こっている。

⑦VREが欧米で拡がった原因では、バイコマイシンの使用の歴史が長く、またMRSE以外に肺炎球菌などの感染症にも広く用いられてきた事が指摘されている。一方だは、欧州ではバイコマイシンに科学構造が類似した、アボバルシンという薬を鶏やブタなどの肥育促進のため肥料に添加したことにより、鶏などの家畜の腸管で、VREが選択的に増加し、それが人に広がってきたとも考えられる。

⑧我国に於いて、これまで輸入鶏肉から、VREが検出が報告され、一般の方々の関心も高まってきているが、VanAまたは、VanB型のVREが検出された。入院患者等の報告数は、1999年3月末現在14例(実人数)となっている。しかし、将来的には、VREが院内感染などを引き起こす危険性は高く、VREの早期検出と拡散防止対策などに一層注意を払う事が求められている。

と言う事だ。

今日は暖かく、3月中旬の陽気で13度位だったか、風も無く動くと汗を掻くほどだった。午前中そんなことで、久しぶり鉢物を出し水をやり、掃除機をかける。ちょうど終ったら、大庭さんが来て、市役所に、町会の防災講習会の非常食(乾パン100人分、アルファー米128人分)を貰いに行く。帰りに四国でうどんをご馳走になる。午後は車の掃除と鉢物の取り込みし、散歩(三ツ星往復)をする。

妻は、午後1時にカラオケBOXに行き、夜には(午後7時)尾川さん家にカラオケに出かける。

      小春日や  施設の中に   鼾あり

      小春びや  新聞の字が   疎くなり

      冬日あり  鯉の姿勢も    一直線

      暖冬に   三つ葉つつじの 芽もはらむ

      寒中を   忘れてしまう   日和なり

              

2007年1月17日 (水)

虚無とは

「虚無」とは自惚れと自責のなかにある。

辞書では、

1、何物もなく、むなしいこと。空虚

2、この世に存在するすべてのものに、価値や意味を認めないこと。「虚無感」

3、虚心であること、「虚無自在の心」

4、無限の宇宙、大空、虚空

5、古代中国の老子の哲学、「万物の根源・本体は、はかりがたく無である。」

という事だが、虚無を語るには、修行しているとき、修行で体感・実感出来るものだと思う。

時々、人間の生き方を考えると、どうしても「虚無」なるには、修行をしている時だけは実体験出来るのではないかと想像していたが、今朝がたの深夜便で、「虚無からの脱出」島根大学名誉教授の松塚豊茂氏が、「自惚れと自責のなかにある」という。だから人間の心理は、普段の生活の中においては、体感できないし、また出来たとしても、虚無という言葉では言い表せない根っこないもので欺瞞である。

心の平静さと、穏やかな生活の営みを続ける事は、人間の究極の願望であろう。宗教や信仰と言った手段では、解決できない大きな壁があり殆どの人間が谷底から脱出できないでいる。はっきり言って良く分らない難しい問題で、もやもやしているのである。

     暖冬の    渇きを癒す    通り雨

     掌をかざす  燃えるストーブ  夜警あと

     東方へ    啼いて烏や    寒の朝

     青草を    麦に似て踏む   懐かしく

今朝は、塵拾いをして、実家の点検とアパートのチェックと掃除をする。途中雨が降ってきて、少し濡れた。大庭町会長と会ったが、どうも体調が悪いらしい。消化器系かな?

  

2007年1月16日 (火)

今日の朝日の天声人語から

今朝、目が覚めてこんな事を考えた。団塊世代の輩が定年退職する。ある人は天下り、ある人は転職、ある人はサンデー毎日と色々だ。しかし、若くはないので、体力、持久力などは衰えている。中には、殆ど働く意欲が失せてしまっている人もいる。そして、10年、15年でボロボロになり、後は死ぬのを待つばかりの状態になるのである。生きているのに何の目標も無く、漠然と生活を送るだけの人になってしまう。恐ろしい事に?

そいうことの無いように趣味を持ち、ボランテアでもいい、生き甲斐を持つようにしてもらいたいと思う。自分も努力しなければいけない。

気にいったから書き留めてみた。

古今和歌集の仮名序に、印象深い一説がある。「やまと歌は、人の心を種として、万(まん)の言(こと)の葉(は)とぞ成れりける」。和歌は、人間の本性がことばという形にあらわれるものだという。(『新日本古典文学大系』岩波書店)

それから約1,100年の時が流れたが、人の本性の発露の器として、和歌は魅力を保ち続けている。東洋大が募った「現代学生百人一首」に、6万首以上の応募があったという。その入選作からは、時代と共に変わり、また変わらない人の本性と営みが、垣間見える。

〈好きだったその気持ちだけで十分と我に思わず六月の青空〉高2・佐々木愛

〈降り立ちて遠くを見れば夕焼けに消えていくバスの孤独な陽炎〉高2・荒井恵

人生の切なさは、いつの世にも変わらぬことはないようだ。身の回りの物や、仕組みは変わってゆく。

〈パソコンで電子の海に組み込んだホームページは僕だけの船〉高3・山崎桂士

〈「このままじゃあんたニートなしかない」母の辞書に「冗談」は無い。〉高1・大日向駿介

祖父母に向ける視線には、やわらかさがある。

〈ばあちゃんが着ているパジャマ手にとって毛玉の数ほど思いであった〉高3・安部さくら

〈笑み浮かべ稲刈り眺む介護5の祖父暖かき陽の中におり〉高2・穂苅裕毅

みずみずしい感性がひかる。

〈人間って皆個性を主張してなんだか似てる色えんぴつ〉中3・村尾雪歩

〈羽化といふその瞬間の危うさに力漲る蝶の前足〉大3・花俣明子

羽化を待つような不安と期待とが、若い心には、宿り続けてほしいものだ。

また、昨日は歌会始の儀があった。

都都逸に、〈映るものなら、映してみたや、月の鏡に主の影。〉がある。

そして、元住宅金融公庫総裁の大津留温(おおつるおん)さんの作

〈天の原 かがやき渡る この月を 異境に ひとり君みつらむか〉    以上。

午前中、野猿峠脳神経外科病院に行き帰りは歩いて、北野京王ストアーで買い物して帰る。午後はパソコン弄り。(12月の採血の結果全く問題なし、血糖値も105でクリアーしていた。)とはいうものの、まだ心配の種は尽きない。

防犯パトロールに出働、参加者は,自分と矢崎さん、佐藤さんの3人だった。

         ほっとする  薮入り日に   医師の談

         風収む    満天の星    寒夜かな      

2007年1月15日 (月)

今日のひとこと

昨夜の深夜ビンで、ことわざ研究家の時田昌瑞氏の言っていた言葉にこういうのがあった。「自分が写せる鏡を作りなさい」という諺?だ。人間節目節目時がある。その時反省したり、過去を振りか返って見ることの大事だ。また人って、自分の事が一番解からないことって多い。すなわち、自分を写せる鏡を作れと言う事は大事なことである。

だから、身体を写す鏡で、顔だけで無く、心を写せる鏡を作って、悪いところがあれば、直すというのだ、また、自分では正しいと思っていたことが、他人はどう見ているのか素直に受け止める事だ。

あながち、人は、順調に物事が進んでいるときは、気がつかないもので、そういう時ほど鏡を見て反省する心を養いたいものだ。謙虚さを何時も持つ心にゆとりを持ち続けたいものだ。本当にいい事だと思った。

今日の1/15の日経新聞のコラム「春秋」に、今問題になっている、宮崎県の鳥インフルエンザに、渡り鳥の事が書かれていたので、記して見た。

日本は、いろいろな渡り鳥の通路になっているのでこの国の季節的景観の多種性に寄与するところが多い。寺田寅彦が、随想「日本の自然観」のなかに、こう書いている。

雁(ガン)や燕(ツバメ)の去来は、古来、春秋の訪れを知らせる暦でもあるという。絶滅の危機にある鳥類は、日中227、日ロは287種に及ぶ。南極と北極の間で、3万キロ㍍の長旅をする鳥がいる。星座を読み、地磁気を感じ、飛行路を決めるという説もある渡り鳥の生態には、謎が多く、人の夢をかきたてる。

人知をも飛び越える、この不思議で美しい鳥達が「悪者」扱いされるとすれば悲しい。宮崎県で、鶏が大量死した、鳥インフルエンザは、シベリア、モンゴルから訪れた渡り鳥がウイルスを運んだ疑いがあるという。鳥には人間が築いた国境など見えない。太古から大移動を繰り返して来た鳥には罪が無い。

いつ人から人に感染するか分らない、国連の報告が地球上の全生命を告げる悲痛な叫びに聞こえる。危機を防ぐ責任は鳥類にはなく、人類にある。

隠蔽や、報告の遅れは致命的だ。断り無く、ふと旅たち、一直線に飛び去る燕のように、人間も素早い動きが出来るか。

午前中、生活費を引き落とし、リカーキングに買い物に行き、帰りは歩いて帰る。午後よりパソコン弄りをする。(孝貴が、先月3万円入金している事を確認し、あり難かった。)妻は、妹を誘ってカラオケに出かける。夜は、バトミントンの仲間で新年会に出かける。

昨日のニュースでチラッとラジオで報道していていた「不都合な真実」という映画が日本で1月20より上映するに当たってアメリカの元副大統領のゴアさんが東京で、講演を行った。今深刻な地球温暖化の問題である。大変気になる環境問題をとりあげて、世界中を後援しているとの事だ。(アメリカは、京都議定書に反対したが多くの人が賛成の方向に向きつつあるとの事だ)

今朝は、室温3.5度とこの冬一番の寒さとなった。天気予報では、八王子はマイナス3.5度という。しかし、玄関先の水道の蛇口を開いたら、水が出た。凍っていなかった。

    「空気」で思うこと  

空気、空気がなくては生物は生きられない、空気中には、窒素(N2)78%酸素(O2)21%アルゴン(AR)0.1%2酸化炭素(CO2)その他微量に水素などがある。昔から空気中の構成は大きく変わっていない。だが、人間の勝手の仕業でバランスを崩そうとしている。もういいじゃないか、人間だけいい気になって好き勝手にするのはいい加減にしたら、もう他の生き物を絶滅させたり、生態系を変える事なんて、許されていないのだから、この付けは大きいと思うよ。だが、まだ全く解からない人がいる、悲しい。

                 

2007年1月14日 (日)

歩きながら考えた

昨日、歩きながら考えた「今あることをこうやって、歩ける事の幸を感じながら、今歩いている事は生きているからだ。」と。

この所正直言って辛く感じる時もある。体調も不安がある(目が焦点が合わない、左の耳が殆ど聞こえないし、耳鳴りがこの所ひどくなってきた。)だからである。

しかし、誰のせいでもない。自分の不摂生から起きる事なのかも知れないし、加齢による自然現象かもしれない。ただ確かなことは、世の中は、時間があり、動いていてひと時たりとも止まる事はない川の水の流れのようなもの、言い換えれば、宇宙にあって、地球の星も止まる事がないし、動いているから、今があるのだから。時間を止める事は、神様、仏様でも止められない。又タイムスリップする事が出来ない。

又、こうも考えた世の中、文化文明が進んで生活環境は変わって来たがこのままの発展の仕方でいいのだろうか?半世紀の地球状態で生物や物質の生態系が、人間の無謀さと、神にまで冒涜した、我がままな生き方の歴史を作ろうとしている。大変な間違いをしている事に気がつかない人たちが多すぎる。

此の儘の進む社会構造であるならば、結果的には自殺行為となってしまう。

中東での戦争は、同じ民族同士の殺し合いや、北朝鮮の国を呈していない国?に国連で制裁を決めたが、中国では相変わらず援助している問題。アフガンの問題もまだ火種は残っているし、ロシアのベラルーシへの制裁処置や、エネルギーで絡む諸問題は、いつ果てるめどもない。

一方、国内でも、景気はいざなぎ景気を超えたと政府は言っているが、我々庶民には全く感じられない。生活格差の増大である。まして今年から、定率減税の廃止でサラリーマン家庭が悲鳴をあげるし、年金生活者の生活は苦しくなる。そして、法人税の減税という格差を増長させるという理解できない事が。

そして、国会議員の事務所の経理の問題(領収書が要らない帳簿の付け方なんて小学生にどう説明すればいいのか)地方議員の政務費の使用不明朗な税金の使い方)など、教育改革と叫んでいる諸先生の顔が見たい。

世間では、異状殺人が今年になって3件も発生、世間の噂も75日で済んでしまい、これが当たり前の事になってしまう、末恐ろしい世の中となってしまうのかと思うと、寝ても寝られない。

そこで、やれ防犯、防災、教育、地域のコミニケーションだのまくし立てたところで何の効き目があるのだろうか、そう言ったことには全然耳を貸さないし、信用もしていない人々は確実に多くなってきている(地方選挙の投票率が50%を切る事でも分る)

だから、渋谷のバラバラ殺人事件でも、隣のマンションの方も分らないコミニケーションのない人間社会構造や、また事件後、容疑者との電話のやり取りを、録音してテレビで公開するなんて推理小説でも考え付かない事を普通にしてしまう世の中に何の反応もしない。多くの民衆となってしまった。自分に関係がないと思って全く危機感がない。

昨日カムチャッカ沖で地震が発生、マグ二チュード8.3だった。北海道網走市では、午後1時55分4,145世帯の約9,000人を対象に津波の避難勧告を出したが、避難所に駆け込んだ人は1割以下の900人だった。これも、先に言う危機意識の低下なのだと思う。

これが当たり前だとの意識が本当に恐ろしく、これを純粋に素直に聞き入れて貰える「指導者」が早く現われる事を切望する」。

「法律」人間の生きる権利と保障するものだと認識している。「ものさし」でもある。その「ものさし」も作る人、使う人、使われる人が解釈が違っていて常識や価値観の違いがあってもものさしで計る事もままならない。極端な例だが、「白」から「赤」と変えてしまうという心なさや、薄情さが多くなってしまた。

           独り行く   冬山奥は   寒かりき

           冬ざれて  天地分かつ  薄明かり(冬ざれ=草木が枯れて寂しい冬の風物の様子) 

           硬き葉に  柔らか花の  寒椿

           冬ざれて  小鳥のあさる 荒れ田んぼ

2007年1月13日 (土)

客観的「眼光」をいかせ

日中の明日「客観的眼光を生かせ」(1月12日朝日新聞社説から)最近特に関心が高まり、記してみた。

150年前に島国日本は西洋植民者の脅迫のもと、国家存亡の危機を迎えた。日本はこれを、古きを捨てて脱皮する歴史的チャンスにして、アジアで始の現代的国家を実現した。

中国の代表的テレビ局の中央電視台が昨秋放送した「百年の維新」の冒頭の説明だ。ドキメンタリー「大国の崛起(台頭)」の第7回の日本編だ。

このシリーズは近現代の大国の興亡を追ったものだ。かっての歴史物と比べて「客観的光(まなざし)」による描写が、中国の話題になった。

日本編では、2年近く米欧を視察した、岩倉使節団など明治の国づくりに強い関心を示す。さらに、富国強兵やアジア侵略を迫ったうえで戦後を伝える日本は、主権在民戦争放棄を定めた平和憲法に守られ明治以来基礎的実力を発揮して再び大東したと、紹介された。

日本をもっとありのままに見よう、との姿勢が芽生えてきたのかも知れない。反日デモが荒れた頃はには考えられない事だ。その背景には、靖国神社参拝にこだわった小泉首相から、安倍首相に代わり、その訪中を機に中国政府が日本と関係改善に踏み出した事もあるだろう。

一般の中国人の変化もある。たとえば、昨年12月に日本語能力試験が行われたが中国での受験者が大幅に増え、世界各国・地域の中で最高の20万人以上が申し込んだ。日本企業の各社が集まる上海は、3万5千人に達した。

日本と接触が広がれば、日本像がさまざまになる。一つの見方で日本を語ることが難しくなるのだ。これらを加速させる動きがある。

大みそかの北京で新しいラジオ番組が生まれた。日本の流行曲や、話題を紹介する「東京音楽広場」だ。

日本と中国を行き来する人で、フィクション作家の青樹明子さんが、趙海東さんと一緒に司会する、二人はかって他の番組で日本のポップスの熱心なフアンを育てた。その夢をもう一度ということで、日本政府が働きかけ、中国側が応じた。

青樹さんは、「番組を通じてごく普通の日本、日本人を紹介したい、こんな簡単な事が、なかなか伝わってこなかったです。」と話す。

一方、日本の大学は、テレビ回線を使う講座などで、生の中国に接する機会を広げている。たとえば、早大、慶大は、共同でこの数年、中国の北京大、清華大や、台湾、韓国の大学の学生とのテレビ対話授業として行っている。学生は日本語と中国語で身の回りの話題を話し合う。

講座を始めた早大の砂岡和子早大教授は、「学生同士で話してみて、あまり違いはないじゃないか、と共感する事が多いようです。」と語る。

政治体制の違いが、戦争の歴史などで、日本人と中国人が理解しあうのは、簡単ではないが、それでも、相手をありのままに見て理解の糸口を探る努力が芽吹いている。その芽を大切に育てたい。

     行く人も    我も老いたり   土手枯るる

     寒中に    カワセミ見たさ  川岸へ

     万の手で   雲を放さぬ    冬けや木

     そこばかり  光あふれて    野水仙

           一尾根は   しぐるる雲か   富士の山(芭蕉)

午後2時より散歩時田橋~住吉西(大原)第2小前~車し~片倉台(道了堂下)~北野台~打越弁天~打越5差路~本家~自宅ちょうど2時間。途中異状に汗をかき疲れを感じたが暫くしてよくなり、汗も落ち着いた。風が冷たく感じた。(それにしても何だか、異状に汗をかき、疲れを感じたのは年を取った事だけでないような気がしてならななかった)

1時36分カムチャッカ沖でマグ二チード8.3の地震が発生、日本列島太平洋岸が津波警報が出た。北海道根室、網走等が2mで青森、岩手、宮城、茨城、千葉、伊豆等は0.5mとの事だ。被害がなければいいが。

子供から電話で、DG(ゲーム機)がイトーヨウカドウで見付かった。妻にどうかと、言う事だった。返事は、買って置いてとの事で話をする。(17,000円位)

2007年1月12日 (金)

少年時代の(トロッコ)の思い出

今、なんのためらいもなく、暮らしのなか浸っている生活環境は、そこに住んでいる人々が、便利にしたいとの思いで、山を削り、川に橋をかけ、トンネルを掘り、道路を作って来た。そして生活向上に努力してきた、歴史があり、思いある。

そんな道路を作る時期のことの思い出を記してみたいと思う。

国道が(16号)南北に伸びて八王子方面から横浜に続くつ、通称横浜街道(その昔はシルクロード)と言われていた。その国道を十字に東から西に横断して作られた都道(川崎街道または、北野街道とも言われている)の作られた時のことを、芥川龍之介のトロッコを読んで思い出した。

確か昭和20年後半だと思うがそこは、関東大震災があって雑木林の山があって崩れたままで少し土を取り除き畑や、田んぼを作っていたが全部取り除いたわけでもないまだ大きな土の塊や赤土の中に石が出ていたようなところを平らにし道路を造ろうと言うわけである。

今のような、トラクターやブルトウザーの建設機械がなくもっぱら人力しか便りにならないモッコや、ヨイトマケなどの時代のこと、道路作りの人策は、北国の出稼ぎ労働者の落ちこぼれ?(1年中いたから)工事現場に飯場があり、そこには飯炊き女がいて、そこに働く人夫の世話をやいたりしていた。

そこの工事現場の唯一の大型起動力というか、道具というかそれは「トロッコ」だった。レールを轢き少しずつ伸ばしていき土や、石をを埋めて平らにして固めるという作業だ。だから、芥川龍之介の小説「トロッコ」と同じなんだと思う。(小説の方は小田原から熱海)

工事は、半年近く掛かったと記憶しているが、工事は朝から夕方まで行って「トロッコ」の枠板に土砂を載せ4.5人で後を押したり、走らせて低いところに、「おんまける」作業である。仕事が早めに終ると、近所の我鬼どものもってこいの遊びばとなった。皆で高いところまで押して上がり、乗って走るのである。赤土のついた台車は重い、またみず気があり「べとべと」であるが、遊びが面白くズボンやシャツが泥だらけになってもお構いなしだ。とても楽しかった記憶がある。

今だったら、危ない、服が汚れる、そこまでの知恵はないので遊べない。しかし、その「トロッコ」遊びは4・5人いないと出来ない遊びである、まして、レールから車輪が外れた時には復旧するのには、全員でしないとレールに乗せられないし乗せるのが、大変だった。

遠い昔の思い出と、芥川龍之介の「トロッコ」を深夜便の番組で孫の芥川麻美子さんの思い出に話が出てきた。

今朝は、3時に起きて記してみた。

突然だが、生あるものいつか死ぬ、形あるものいつか壊れるとお釈迦様が言った。という事だが、10年一昔で我が家の色々な設備、家の傷みが来て悩みの種が出てきた。

先ずは、●トイレ(水が漏れてきてマットが濡れてしまう。

     ●お勝手の床がたわみがでてきて、不安。

     ●テレビがどうも操作が旨くいかない。

     ●お勝手の証明のコードを取り替えないといけない。

     ●車庫の物入れ戸棚の腐食して、交換しないと。

ざっとこんなところだが、悩んだってしょうがない。行動に移さないとね。

今朝は時雨れそうで寒い。

     短日や    冬日残して   月登る

     賀状のみ   交わし再び   逢い得ざる

     枯れ葉積み 尾ひれを見せて 水静か

     名も知らぬ  鳥の声降る   枯れ野かな

     霜の橋    佇む人や    着信音

     春知るや   花一輪の     軒の下

     小春日や   あくびと涙に   皺の顔

     冬畑に    鳥に残せし    青菜かな

     思い出の   けもの道なる  枯れ葉踏む

午前中会館チェックし、午後から散歩打越~北野~淺川~大和田橋~淺川大橋~JR八王子駅~百合子宅~自宅ちょうど2時間かける。途中都饅頭を買い百合子の所にあげる。

  

        

2007年1月11日 (木)

ゲーム漬で大脳が低下するという

ゲーム漬で大脳が低下するという「脳内汚染」インターネットに過激な主張を書き込む「ネット右翼」現実に背を向けたがる若者たちを、負のイメージで、捉えた言葉があふれている。そんなに目くじらを立てても、し方がなかろう。親たちの世代だって、テレビや、漫画にドップリとひたって育った。

社会に出る時期には、「今の若い連中は、つかみどころがない」慨嘆(がいたん=うれいなげく)されたではないか。大量退職者を迎えて「蓄積した、知恵と技術を伝承しなければ」などと、持ち上げられると、なんだか面はゆい。

終身雇用者の3人に1人がアルバイトや派遣社員などの非正規社員で占められ、所得格差が広がっている。若い労働力を安価に消費する社会から逃避したい気持ちは、誰にもせめられない。新年早々、あまり暗い話題はふさわしくないが、若者だけではなく、すべての世代が厳しい実態を直視して欲しい。

夢を持てとか、やる気をだせとか、掛け声だけで済む問題ではないのだ。国はようやく労働者間の格差解消の調査では、採用時にフリーター経験をキャリアとして認めないだけではなく、マイナス評価する企業が約3割に達する。こんな細かいところでもハードルを少し下げてやる工夫は出来ないか。

「若者よ、人生こんなに楽しいぞ」(青空太子)。毎日新聞の万能川柳で見かけた一句に、思わずひざをたたく。いま若者たちが、老境を迎えたとき、来し方を満足して振り返ることが出来るよう、社会の仕組みを整えねばと、説に思う。(毎日新聞1/8余禄より)

今日は、今年になって初めてのドライブとしゃれ込んだ。(大したことではないが)八王子の放射線通りにある通称みやこ饅頭を買い、伊勢原の鍛代さん家に行く(年初めだしと思い八王子の土産としてあげる。)野菜を買い、例のお店照国で寿司ランチを(1,050円)を食べて、帰りにフラワーランドにより食料品を買って帰宅途中御殿峠より歩いて帰宅する。何だか今日は国道を行ったせいかとても遠く感じた。夕飯は軽くご飯は全く食べないで過ごした。(お腹がすかなかった)

妻は、峠の尾川さん家に、カラオケに出かける。

8里先   時雨もようが   こちら晴れ [(今日雲の動きが激しい)8里先は、伊勢原市]                                                                         

2007年1月10日 (水)

今日の詩

 五つ六つ   孫達座る    炬燵かな

 電線に    烏とまりたる   冬の暮

 冬枯れの   白壁の家    西日あり   

 孫と入る   風呂の湯を増す 年初め  (今朝は、こんな詩を思い浮かべて起きた。)

1月9日「産経杪」にこんな事が書かれていたので記して見た。

平成8年の「文芸春秋」新年号に人気漫画家たちが、「人間の品性」をテーマに座談会を行っている。

山藤章二さんが、その席で提唱したのが「シルバー・ハンマー」なるもの、テレビのお笑い番組で使われている。叩くと「パコン」と音がするおもちゃのハンマーのことだ。

65歳になると国からライセンスをもらい、電車のなかで人目はばからずいちゃついているカップルや、大股を開いて座席を占拠する若者に鉄槌を下すと言うものだ。「いいアイデア」と出席者で大いに盛り上がった。残念ながら、今もって実現していない。

「パコン」一発くわせたい手合いは増えるばかりというのに、先ずは高級外車に乗るような生活をしていながら、給食費を払おうとしない一部の親たち、滞納額が全国で20億円だとも。

国民の選良なはずだった国会議員たちは、本会議中にも携帯電話の操作に忙しいらしい。

粗大塵の放置、図書館の本の破損、日本人が品を取り戻すには何より、教育の再生が急がれる。

子供たちが、出来るだけ美しい文章、絵画、音楽、に触れて欲しい。同じミットモナイ大人たちの姿を反面教師にして、こういって聞かせるのも大事でなはないのか。

「美しく見えることが正しいことなのである。みっともない事は悪である。」作家の山口瞳さんがマナーについて語っておられるのだが、人の生き方も当てはまる。

午後から歩いた。みなみ野から元御殿峠までの山道を工科大西門前に出て御殿クリニック前を通りバイパス料金所に出る片倉台に出て打越土入れ造成地を見て横浜線の階段をくぐり本家前に出て、家に着約2時間歩いた。暖かく気持ちがよかった。

2007年1月 9日 (火)

それでも歩き続ける

    風が吹こうが、雨が降ろうが、

    また真夏の太陽照りつけようが、

    冬の北風と雪に向かって命の限り歩き続ける。

    目が見えなくなっても、片足でも

    命の限り人間は歩かなければならない

    ときには涙をながし、あるときには汗をかきながら歩くのだ

    人生は、こんなことなんだ

今朝こんな事をを考えながら目が覚めた。(3時半)また次のような、人生訓を拾い出した。

徳川家康・・・・我が人生は重き荷を背負うて遠き路を行くが如し、急ぐべからず。

山本周五郎・・・・一足跳びで山の山頂に上がるのも、一歩一歩としっかり登るのも結局は同じ、むしろ一歩ずつ登るほうが途中の草木や風物を見ることが出来るし一歩一歩確かめたという自信をつかむことができる。

山鹿素行・・・・大丈夫は、今日一日の用をもって極みとす。

アルベルト・アインシュタイン・・・・人生は、ふたつの生き方しかない。一つは、奇跡などは何ひとつとないとして生きる生き方と。もう一つは、すべてが、奇跡であるとして生きる生き方。私は後者を信じる・・・・・

そして、自分は宮沢賢治の詩が好きだ。

雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず、丈夫な身体を持ち、欲はなく、決して怒らず、何時も静かに笑っている。一日玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、あらゆることを自分を勘定にいれずに、よく見聞きわかりそして忘れず、野原の松の林の影の小さな萱葺きの小屋にいて、東に病気の子供がいれば行って看病してやり、西に疲れた母があれば行って稲の束を負い、南に死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い、北に喧嘩や、訴訟あればつまらないから止めろと言い、日照りの時は涙を流し、見んなデクノボーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい。

また、野村芳兵衛の・・・・本当によく遊ぶ子供はよく学ぶ。今学ばなくてもやがてきっと学ぶ。

昨日の思想によて子供を縛るのは、教育ではなく訓練である。

明日の思想によって子供を縛るのもまた教育ではなく、訓練である。

教育は、訓練ではない、創造である。

今朝は、よく晴れていたため、放射冷熱で気温は下がった(5.5度)。車の掃除をし、資源ごみ出し(ビン・缶)ながら塵広いをする。午後はパソコン弄りをして3時20分三ツ星往復歩く。夜は、今年初めての防犯パトロールに出働する。参加者は、山口さん、矢崎さん、佐藤さん、進藤さん、荷見さん、6人だった。

妻は、歯医者に行く、夜は、ダンス(体力づくり)新年会ということで出掛ける。

冬の太陽は、南に偏り山が邪魔してまたマンションが出来てしまい日が”かぎる”のが早く(1時半)直ぐ日差しがなくなる。マンションが出来るまでは想像していなかった。

       山陰に    冬日隠れて    風寒し

       堰堤に    冬の日低く    影のびる      

       寒雀     鳴く声耳に     喧しく

               行けば止み    離れるるは鳴く    寒雀

2007年1月 8日 (月)

今日の一言

永六輔がこんな事を言っていた事に、目がふれた。著書「大往生」に続き「二度目の大往生」の中で書かれている。

宗教の『宗』の字は、「ウかむりに」と「示」で出来ている。この『ウかんむり』は、屋根を表し、要するに『家』なんです。文字の通りだと『家の中で教えること』と理解していいと思う。

例えば、朝起きてお婆ちゃんのお仏壇に手を合わせるとか、ご飯食べるとき皆で『いただきます』と言うこととか、『家』の中で示す教えなのです。

「躾」「しつけ」と言う字は、「身に美しい」と書くが、そんな美しい身のつけかたが、現代人には、なくなりつつあります。

勉強しろ、いい学校へ行っていい会社に入れ、躾ぬきのこんな教育をするから、いい会社に入ったはずが、オウム真理教に入ったりする。オウム真理教が悪いというより今次の大人が、あんな若者を育てた。

ああなるほなあ・・・何もかも理屈や理論で世の中納めていくと言う考えをする教育、だから、高校の地理や歴史の授業単位が少なく、入試専攻の教育が問題になった事で分る。いったい、先生もそれを助長させる先棒を担いている、また監督の文科省も見てみぬ振りをするなって、日本の将来を、誤って方向に行かせている。大変重大な問題だと思う。

今朝は妻が眠れなく早く起きてきてしまった。洗濯をする。午後八王子そごうに行き買い物に出かけ、夜はスワン友の会に行く。

午前中、何時もの塵拾いをし、会館のお飾りを外して(チェックをして)本家に行く、掃除をしてアパートにいき掃除をする。本家に戻り塵を一つの袋にして出しておく。本当に何のお構いなしで放っておくのは問題があると思が・・・。いつかホローしないとといけない、と思った。

孝貴と会いパソコンのメールで、niftyからmsnに通信できないことのoutlook. Expessの事を相談して見たが今のところ、支障が無いので特に要請はしなかった。午後3時20分大橋を往復歩く。

     蝋梅の    花咲く家は     主なく

     冬の月    無人の家は     寂しけり

     無人家の   南天の実は    いじらしく 

     冬あらし   枯れ葉を庭に   撒き散らし

     冬日差し   奥の襖に     影落とす

2007年1月 7日 (日)

七草に思う

60年位前になるかと思うが、生家では、しじろ(いどり)があって自在鈎に大きななべに、ご飯ほうれん草等の野菜をいれお粥を作りその中に鉄器で焼いた餅を入れて皆で朝食として七草としていた。(春の7草なんて種類はなかった。)お袋が作ってくれた。

〈一とせに一度摘(つ)まるる薺(なずな)かな〉松尾芭蕉は、普段見向きもされない雑草が松の内だけ、大切にされる様を優しく詠んだ。春の七草の一つである。「なずな」はぺんぺん草のこと。1月7日食す七草粥(かゆ)で邪気を払う万病を除くとされる。

正月の重いごちそうに疲れた胃腸を休めるにも、さっぱりした粥は、うってつけだ。何より手早く作れるのがよい。手間をかけた料理が喜びや感動を生むとすれば、簡素な食が人に与えるものは「心の軽さ」かも知れない。野草の淡い苦味が、正月気分を追いやり人々は清々しい気分で新しい日常に立ち向かっていく。

世界の即席ラーメンを作った安藤百福(ももふく)さんが96歳で亡くなった。半世紀前に世に送り出した「チキンラーメン」も高度成長で忙しい日本人の心を軽くした。残業で小腹が減ったとき。母親が忙しいとき。お湯をかけて3分というその僅かな時を待つ間に人は肩をほぐし、ホット息をついたに違いない。

正月も休まぬコンビ二店に今は何十種類ものカップ麺が居並ぶ、濃厚さを追い、本物志向を競う商品の中でチキンラーメンは、したたかに生き残っている。カップ麺は常用食ではない。時おり食するさわやかな「ペンペンン草」であって欲しい。(日経新聞1/7コラムから)

昨夜までの、大雨は、すっかり止んで今日は晴れた朝となった。しかし、予想通り風が強く落ち葉が舞い散っていて水溜りに枯れ葉を浮かべている光景があった。

                 よく見れば   なずな花咲く   垣根かな (芭蕉)

                  寒風に     川の流れも    逆立てり

        爆弾の     低気圧かな    冬あらし

勉たちも12時15分に来て昼食はにぎやかな食事ができた。6時半まで夕食を済ませ勉たちは帰る。昌子達も7時に帰途に着く。まあ・・・大変だったけれど(気を使い、金を使い)無事に新年の顔合わせが出来てよかった。(昌子たちは、8時一寸過ぎに家に着いた)

 

        

2007年1月 6日 (土)

教育基本法についての雑感

『心』と『態度』昨年教育基本法が改正された。広辞苑によよれば、「心」「態度」について「心」とは、人間の精神作用のもとになるもの、またその作用」「知識、感情意思の総体」。「態度」とは,「身振り、ようす、なりふり等に応ずるからだの備え、からだかまえ構え、身構え」ある事物に対する、感情的傾向」とある。

産経新聞1/1号に出てくる「心」という言葉は教育における「心」の問題はいかに大切か良くわかる。経済新聞の「主張」では、かっての日本は、「子供の楽園」と表現されていた。最初にそう表現したのは、江戸末期に来日した英国の外交官オル・コックだった。訪日欧米人たちはこの表現を愛用してきた「逝きし世の面影」(渡辺京二氏著)が紹介している。その中で・・・・しかし、この子たちが心から可愛がりこの子達をこのように育てた親たちは何処に消えたのか」・・・・と。この国の家庭も話が何処に消えたか問うている。

152年前の安政2年(1855年)元旦吉田松陰が2歳下の妹千代に当てた賀状に、次のように書かれている。「・・・・この陽気というものは物を育てる気のことで、人の仁愛や慈悲の心と同じ天地のとっても人間にとっても好ましい気なのじゃ・・・・投げやりの気持ちも汚れた心もみな洗い流され、本来持っている仁愛や、慈悲が生まれて来る。・・・・」

教育基本法で、国を愛する「心」が「態度」になってしまった、公明党と妥協した。

○○道(茶道、華道、剣道、柔道)は、「形から入っていくことが多いが、結局は「心」を涵養することを目的としている。祖国を愛する心、郷土を愛する心、家族を愛する心、他人を思いやる心、博愛心、公共心、安心がこの「心」を「態度」に変えてみるとどうなるのか。態度とは、「身振り、ようす、なりふり」だから外見だけを気にしている事だ。犯罪者が判決を受けても改心の態度すなわち「ようす」をすれば刑が軽くなる。

心からの改心はなくても刑は軽くなる。教育基本法は「よい心」を育てることである。(以上放言より)

昌子たちが、雨の中2時にやって来た。そして亜美、真宏とカルタをやって遊ぶ風呂には真宏と入って何時もの正月を楽しんだ。

人生訓話あれこれ

恨みは恨みによってやまず、恨みは恨みなきによってやむ。法句経

健康は最上の利益、満足は最上の財産、信頼は最上の縁者、心の安らぎこそ最上の幸なり。法句経

境遇を、改めようとするより自分の心を改めよ、人の心は、こだわりを持つと氷のようになり、無心となると水のように流れ出す。

花を見る人は、花から見られている、仏を拝む人は仏から拝まれている。

赤子が知恵をつき人となる。人が智慧つき仏となる。

人生は出会い、人間ふれあい、世界は助け合い、御仏にはめぐりあい、これすべて愛である。

他人の悪口は嘘でも面白い、自分の悪口は本当に腹が立つ、褒めあう心を忘れるな。

美しいものを、美しいとと思える、あなたの心が美しい。

よい子、悪い子と見る心が悪い子を作る。

我が心、鬼と仏が共存、鬼が負け仏が勝ったら今日も無事。

死ぬとは、その時まで精一杯生きてから言うこと。

地獄は地底になく、極楽は西方になし、苦楽は共に自分の足元にある。

「日々是好日」飾らず、気張らず、私心なき日々で在りたい。

一本の野の花も、命いのちと一杯生きている、今日一日が自分の命なら、今日一日をどう生きる。

よく深き人の心と、降る雪は、積もるにつけて道を忘るる。

今生きてている。これほど確かで有りがたい。

子供は、「親の言うとおりはしない、親のするようにする」。

拘らず、人の話を聞く、自分を知るは,真の進歩。

人間欲ぼけの勝手ぼし、自惚れあって自信なし。

「価値ある人生」昨日や明日を考えず今日しかない思いでーこの一日を大切に。

葦(あし)と書いてよしと読む、勝手に決めるな人の善し悪しを。

世話を焼くより、じっと見守ること、これが親の役目、親と言う字を分解するとこの上に立って見ると書く。

自分を生かし、他人を生かす、この実践が人間的な生き方。

(以上誓願寺HPから、今朝雨となった3時半から推敲して記した。)

    小寒に   大雨降らす   暖冬化

今日は、消防の出初式があり、孫達が来る予定だ。空は爆弾低気圧(気圧が25へストパスカル下がることをいう)となって大荒れとなる予想で、3連休は最悪だ。

2007年1月 5日 (金)

江戸川柳から

1/5読売新聞編集手帳から、江戸川柳に「よい女ふだんぶっ散らかしている」という句がある。いま新聞を手に、したたまへやのなかを見回している。「よい女」がどこかに、おられるのかも知れない。

よい男といえば、「よい男貧乏神の氏子なり」で、こちらは金に縁が無い。整頓下手や、素寒貧は容姿に係わり無いはずだが、人もうらやむ美男美女にも、弱点があると思えば、慰めになる。趣の異なる句では、例えば「来し方を思うなみだは耳へ入り(いり)」。過去のあれこれが胸に浮かんでは消え、眠れぬまま枕をぬらすのだろう。笑われ、ときにはほろりとさせられ、江戸庶民にとっては、川柳は精神安定剤だあったに違いない。出題された前句(七・七)に付句(つけく)(五・七・五)を付け八右衛門が1575年(宝暦7年)といわれる。今年250年になる。

昨年両国の江戸東京博物館では、いま特別展江戸城」が開かれている。え江戸の人気のなかで古川柳にも様々な光が当てられるだろう。人がみな着飾って華やぐ、新春らしい句が一つ「女房も、ちょっと見直す、松の内」うなづきつつ惚(みと)れるのもよし、心ひそかに歳月の無情を恨む。   2007年1月5日記す

          古池に    落ち葉を押して  風通る

    枯葉敷き   水底深く      静まれり

    木の葉敷き  魚影かすかに  息をする

    冬田にも   青く塗りたき    野草かな

    冬草の    青さ目立つ     畑の隅

午前中は、本家に行き(駐車場を明日と明後日借りる事を康成、と孝貴似電話で確認を取る)歩いてみなみ野のホーマックに行き買い物をしてくる。(歩き)

午後から、北へ、南に買い物に行く。ビックヨウサン、富士やに行く(途中八王子駅南口の八百茂に寄る。  天気は今日だけで、明日は荒れた天気の予想だ。

2007年1月 4日 (木)

世間では仕事初め

      冬空を    雲引き分ける   一番機

      川蝉や    枯れ枝で鳴き   藍が飛ぶ 

我が家でも、正月気分は今日から吹っ切り、朝食も何時ものに切り替える。従って自分が支度をする事にした。勤め人は今日から出勤の人が多いだろう。午前中は何時もの塵拾いをしながら、多摩信に行き、町会の会館会計の通帳記入してきて 帳簿付けをおこなう。午後からは、三ツ星まで歩き買い物をして帰る。

前の湯殿川になん人もカメラを(6人が望遠レンズのカメラで)川岸に向けていたので、気になり向こう側に行き聞いて見たら「カワセミ」がいるので(巣があるらしい)撮影をしているが、シャッターチャンスが難しい、3時間もチャンスを待っているらしい。でも定年後の趣味と言うからいいと思うよ。

暖冬といってもさすがに北東の風は、冷たく歩いて、耳が痛くなる程だった。

    

箱根駅伝に感じた事

ごぼう抜きの快走が、一転してスローダウン。今年の箱根駅伝の往路では、スタートから小気味よく飛ばして有力選手が、後半で苦しむケースが目に付いた。これは、新亥年(いどし)の象徴的光景かもしれない。改革も、後半に取り組む、安倍政権の「足踏み状態」と重なる。

日本発の駅伝は、欧州では、持続性を競うレースと評価されている。どれだけ有利な条件で、次の走者にたすきを繋ぐか、風、気温、相手の実力、自分の体調など、リスクを勘案して、走り方を決める。あえてリスクをとって序盤から飛ばすのも有力な選択肢だ。失敗すれば無謀、成功すれば英断と呼ばれる。

改革の持続性は、放っておけば既得権益によって断ち切られる。持続させるには、時には大胆の踏み込みも必要に違いが無い。政治資金がらみの不祥事で辞任した佐田前行革担当相に代わって就任した渡辺新行革相に対し、安倍首相は「突破力」に期待すると語った。公務員の改革が当面の課題だという。

長い間、日本社会に染み付いた「意識」「仕組み」の改革という意味では公務員制度の改革こそ改革の本丸といえる。中央のも地方にも蔓延する官製談合による税金の無駄遣い、改革の名で逆の権益を拡大しかねない官僚組織に抗して、本当の天下りと、口利きの悪循環をたてるだろうか?。(以上日経新聞1/3の春秋より)

箱根駅伝を見て思った事は長い人生に置き換えてみて、スピードを気を付けないといけない。無理して身体を酷使したり、精神的にダメージを長く受け時のリカバリーをどう取るかとか、最初から飛ばしたところで息切れしたらとか、これからの人生を送る心構えを考えた。

それは、常日頃感じていたが、若いときに身体を使う仕事についていた人は、長生きできない,例えば、汗を一年中かくような鍛造工、鋳物工、板金工などの長く職業とした人は、長生きできない」と元職場だった先輩に言われた。またスポーツ選手でも、相撲、ラクビー、レスリング、柔道、陸上水泳など本格的に一流でオリンピック出上するような時期は短い。こう言った事から見ても、人生は長いこれを上手に長く持たせるにはと、考えて見るとゆっくり,大らかに生きるう事だと思った。

去年、有馬記念のデープインパクトのようなスーパーヒーロー的な競走馬は、後の事を考えたら早めの引きが懸命なのだ。(でもレースは感動的だったなあ・・・)

                  駅伝を   テレビ観戦   コタツ酒

        箱根路を  学生競う    初走り

        冬山を   丸い夕日に   鴨が飛ぶ

        

        

2007年1月 3日 (水)

「日本の選択」「危機を脱する戦略を描け」

最近、とっても気になっている社会情勢で、仕事をしていない(年金暮らし)が、何かおかしい、と思っていた事が書かれてあったから、記してみた。

不安定化する世界 台頭する「大国」の責任 米国は、「台頭する大国」と位置づける、国、ロシア、インドが国際社会の諸課題にどう対応していくかが「今世紀の国際安全保障か環境を決断する主要な要素となろう」として注視している。

中、露、両国の台頭ぶりはエネルギーの面で著しい。中国は日本を抜き米国に次ぐ世界第2位の石油消費国となった。中国の消費急増で、世界各地でエネルギーの争奪戦が激化している。

世界第1位の天然ガスの輸出国第2位の原油輸出国であるロシアは国際価格の急騰で活況を取り戻した。もはや破産状態の危機に陥った1998年当時の弱々しいロシアではない。注視すべきは、ロシアその背景に国際社会での政治的影響力を拡大している動きである。

ロシアに天然ガスを依存する欧州諸国はウクライナへの供給量を削減に続く、べラルーシュへの圧力行使に不信感、警戒感を募らせている。日本も『サハリン2』の経営権を奪われる憂き目にあっている。

エネルギー産業の国家管理を強化し、強引に値上げを図る手法は、資源を武器に国際関係を緊張させる不安定要因となている。ロシアは、国連安全保障理事会での対イラン経済制裁決議でも原子力関連の自国権益が制裁を受けないよう一歩も譲らない姿勢を見せた。

経済利益を拡散阻止を重視するかのような態度は、世界を混乱させるだけだ。国際情勢の危機を深める動きが顕在化する中で日本としては、安定化に向け最大限の役割を果せるよう危機克服への戦略を練り直す必要がある。(以上読売新聞1/3朝刊社説より)

他にも、暮らしに、直接係わる、税金で、増税!生活が苦しくなる。もう悲鳴が上がってしまう。

                桜草      蕾ちらほら   日伸びけり

       雪でなく    雨降る里の   暖かさ

       水仙や    日溜まり坂で  咲き初め

今日も、箱根駅伝を見て過ごし外には出ず家にいた。午前中日もさした時もあったが、午後は厚い雲に覆われて今にも雨が(暖かく雪ではない)降りそうであった。

昨日の駅伝は、箱根の山登りは順天堂の今井正人選手には(山の神様)超人的な走りには感動したが、今日も引き継いて2位を6分以上も引き離し完全優勝したのには”あっぱれ”だった。何か見ている人に勇気と希望を与えてくれたヒーローだ、素晴らしい。

2007年1月 2日 (火)

感動する事って新鮮だ

「感動」する事は、生きていくために、とても大切なことで個人の心の受け止め方にかかっていることだが。また普段の生活を「ハリ」があって新鮮で、前向きの暮らしをエンジョイする事に繋がる。特に年を取って来ると、固まってきて、考えに柔軟性がなくなり、人から「いっこく」「分らん人」といわれ、何かと敬遠されてしまう事になる。

その手段は、色々あるが、人に進められてもいいが最終的には、自分の心の支えとなることが大事だ。趣味で音楽、旅行、読書、映画鑑賞、園芸等何でも人から見て「何だこんな事」と言われても構わないから、屈託のなく心に溶け込んでいるならば、結構だ。

それと、硬直して何も受け入れない心をほぐし、柔軟性を持った何事も受け入れられる素直さが醸成されて来る。言い換えれば、美しい畑では無く、土に栄養分たっぷりの肥沃の土壌を何時も維持できるから、どんな作物でも、大きく育ち、立派な実が出来て収穫が楽しくなるという事だ。

それには、生活に追われていても価値観のも影響してくることになり、家族の絆の中からも無意識に培われて行くものだ。子供の教育のなかでも道徳、躾、特に我慢し耐える心と広い心とおおらかさを、植え込むことである。

そして、「感動」することを素晴らしく高く評価し尊重することだ。何だか旨く表現出来ないが、日常生活において、感性を高め感動する事は明日を明るく生きられると信じたい。

前にも言ったことだが、大きな心と柔軟性を保つ事を日頃、心がける事にあると思う。

          穏やかに   夫婦で過ごす   さんが日

          寒雀      千両の実を    食べ尽し

大学箱根駅伝を朝8時から午後2時までテレビ観戦して一歩も外に出ず一日を過ごす正月2日だった。   

時間について想い

望ましい未来に繋がる今を生きる。さりげなく、真剣に、そのままに、ありのままに。

過去を思うとき、過去を思う自分がいるだけで、過去そのものは存在しない。過去も未来も考えを働かせているときだけ登場し、それ以外は形のないエネルギーとして今の中に溶けている。しかし、その今も直ぐに過去となって去って行くことを考えると、今を正確に認識する事は不可能である。未来を思うときも、思っても次の今(未来)が近づき次々と未来がいまになる。今を捉える事は出来ない。

このように考えると、過去も未来も今の中に在るけど、その今もほんとうは無いという分る。今を見ようとしても、見ようと思う瞬間に過去になり、どの今もほんの少しまえ(今の)未来でその瞬間瞬間の変化の変化あるだけである。

私たちが、生命が、人間をやる上で大切な「今を生きる」と言うのは常に永遠に今にいることで変化に乗ることを意味する。変化に乗ればそのまま過去を癒し最高の未来を引き寄せ変化する永遠の生命を生きる事になる。100年前の過去も100年後の未来も、この今、この永遠の瞬間瞬間の中にあり、ひとりひとりの想いの中に溶け一緒に変化に乗っているのである。(PHPより抜粋)何だか難しいなあ・・・

自分の考えは、『時間』という目に見えない空間を、どう捉え考えていけばいいのか、という最近何か、問題意識を持った。

瞬間瞬間を大事にしていかなければいけないし、勿体無い時間をなくして、有意義な時間を創って行かなければならない。だから、未来に向かって生きていくためには、過去の経験を基礎を大事にし、今の瞬間瞬間を生きる。「望ましい、未来に繋がる現在をしっかり、さりげなく、真剣に、ありのまま、そのまんま」に生きようと思うよ。(H19/1/2AM4時30分)

2007年1月 1日 (月)

戦後日本を悔いるな、憲法60年の年明け

キリマンジャロのような高い山が、次第に雪が消えつつある。氷河はあちこちで「元氷河」になり、北極や南極の崩れている。このまま進むと世界の陸地がどんどん海になり、陸上の水は減って行く。

ニューオリンズで襲った恐怖なハリケーンなど最近の異状気象も、海水の温度上昇と無縁でない。大気中に増える二酸化炭素(CO2)を何とか抑え無ければ地球の温暖化はやまず、やがて取り返しのつかないことになる。

米国の元副大統領のアル・ゴア氏が伝道師のように世界を歩き地球の危機に警鐘を鳴らしている。1月に日本で公開される記録映画「不都合な真実」はそれを伝え衝撃的だ。

人間暮らしを豊にする技術の進歩が地球を壊していく皮肉だ。だが、深刻なのはそれだけでない、人が人を憎み、殺し合い、社会を壊す。進歩のない人間の浅ましさが今世界を脅かす。

今年の正月はイスラム教の「犠牲祭」に重なった。神に感謝して、ヒツジを犠牲にし、みんなで食べる大祭だが、イラクの人々はお祭り気分にほど遠くないか、戦争開始から、4年近くがたったのに自由と民主的な国の訪れは遠く、まるで自爆テロの国となってしまった。

市民の死者はすでに、5万人数千人。停電や断水は絶えず、石油は高騰、避難民は50万人に達し、崩壊国家に近づいている。米・英兵の死者も3千人を超えたが、兵を引けないジレンマが続く、ブッシュ政権は、中東の混乱に拍車をか世界を不安定にさせてしまった。

ゴアとブッシュ氏ーーー6年前に大統領選の行方を決めたフロリダ州の開票は世界の行方も左右した。

CO2削減を決められた京都議定書にブッシュ政権は背を向けた。米国は圧倒的なCO2排出国なのに何と鈍感なことか。一方で国際世論の反対を押し切ってイラク攻撃へと突き進んだ、軍事の過信である。

この5月日本国憲法は、施行60周年を迎える、人間ならば今年還暦・朝日新聞は、其れを機にシリーズ「新戦略を求めて」を締めくくり、日本のとるべき針路を提言する。ゴア氏が訴える危機とブッシュ氏が招いた危機そこに大きなヒントがある。

悲願だった教育基本法の改定は終え次か憲法だ。そう意気込む自民党の改憲案で最も目立つのは9条を変えて「自衛軍」を持つことだ。安倍首相h任期中に実現を目指すといい、米国の集団的自衛権を認めようと意欲を見せる。

自衛隊のイラク撤退にあたり、当時小泉首相は「一発の弾を撃たず一人の死傷者も出ささなかった」と胸を張った。幸運もあたにせよ交戦状態に陥る事をただすら避け、人道支援に、徹したからだった。それは、憲法9条があったからにほかならない。

もし、名実とも軍隊をもちその役割を拡大させていたなら、イラクでも英国のように初めから戦争参加を追われていただろう。そうなれば、一発の弾を撃たないでは済まない。間違った戦争とならば、なお悔いを残したに違いない。

勿論、国際社会が一致して当たる場合は、知らん顔は出来ない。テロ組織の基地を標準としたアフガニスタン攻撃はその例だった。

自衛隊は何処まで協力し、何処で踏みとどまるか「憲法の制約」と言うより「日本の哲学」として道を描きたい。

昨年初め嬉しいニュースがあった。英国のBBCなどによる世界33カ国調査で日本が「世界によい影響を与えている国・地域で2位になったのだ。1位は欧州だあが、国家としてはフランス、英国を抑えて堂々のトップ。小泉首相は「日本の戦後60年の歩みを国際社会が正しく評価している」と喜んだ。その通りである。

「GNP(国民総生産)」ならぬ「GNC」とは、米国ジャーナリストのダグラス・マッグレイ氏が作った言葉だ。Cはクールで「カッコイイ」の意味だからGNCは「国民総かっこよさ」か。日本は世界で群を抜くという。

アニメ・漫画・ゲーム・ポップス・ファション・食文化・・・・。どの分野でも日本が世界やアジアをリードしていると言うのだ。そういえば、最近パズルの「独数」が世界のsudokuだ。そうした事がBBCの結果に繋がったのだろう。

映画「不都合な真実」では、排ガスのCO2削減が企業の評価を高めている。例として、トヨタ、ホンダを挙げている。米国車とは対照的だ省エネや環境対策といった日本の得意技は、これからも最も役立てる分野である。

軍事に極めて抑制的でない事を「普通ではない」と嘆いたり恥ずかしいと思ったりする必要はない。安倍首相は「戦後レジュームからの脱却」を掲げるが、それは一周遅れの発想ではないか。むしろ戦後日本の得意技を生かして「地球貢献国家」とでも宣言したらどうか。

エネルギーや食料・資源の効率化にもっと知恵や努力を傾ける途上国の援助は増す国際機関に日本人をどんどん送り込み海外で活動するNGOも応援する。そうしたことは日本人が元気を取り戻す事にも通じよう。

「軍事より経済」で成功した戦後日本である。今「やっぱり日本も軍事だ」となれば世界にその風潮を助長してしまうだけだ。北朝鮮のような国に対して「日本を見ろ」と言えることこそ、いま一番大事なことである。

以上2007年1月1日朝日新聞朝刊社説より。

節が無ければ耐えられない

”明けましておめでとうございます”2007年元旦(平成十九年)

竹に節がなければ、ズンベラボーで取りとめがつかなく、風説に耐えるあの強さも生まれてこないだろう。人間にも言えることで、はやはり「節」は必要で流れる歳月にも「節」がある。ともすれば、取りとめも無く過ぎて行きがちな日々である。せめて年一回は「節」を作って、身辺の見直し、整理して長い人生に耐える力を養いたいものである。

そういう意味でも正月元旦は意義深く、今まで生き方を振り返り、反省し未来に向かって軌道修正しなければならない。そして、常日頃から考えなければならない事も考えたい。そして、新たな勇気と希望を生み出したい。(朝4時に起きて記す。気温5.5度)

ちょうど6時に塚本議員広報を配達する。

        年迎え    あり日思う   母遠く

        初空に    飛び立つ鳥の 羽音して

        夢つなぐ   新春のあさ  幕上がる

        穏やかな  年願いつつ  初日の出

        元朝や   飛沫は高く   茜富士

        初富士や  空晴れ渡り   静心 

午後から、4時までパソコン弄りで過ごす。今日は陽が薄く寒い一日だった。

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