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2006年12月30日 (土)

心配しても心痛はするな

「心配する事は、構わないけれど、心に傷を付けるのはやめろ。」と言う事は、どうにもならぬ事は心配したり、考えたり心に傷を付けてまではしない方が良い。言い換えれば、諦めも仕方が無いし、心配してもどうにもならない事はきっぱり忘れる事だ。これからの人生未知の領域が続く、一つ事に、拘っていられない、時を止める事は出来ないし、前に進ま無ければならないのだからだ。そんな事を考えさせられた事があった。

江戸城の無血開城を実現した幕末の偉人「山岡鉄舟」「命もいらず、名もいらず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものなり、この始末に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業はなし得られない」

これは、西郷隆盛が鉄舟と会ったとき、こういう人間がいたのか!と驚いて書いた言葉だ。

時代の変革とは、偉大の人物の登場によってなされ、それらの人物に共通しているのは時流を捉え、つかみ、編集、行動できる力量を備えている事ではないかと思う。

徳川幕府時代から明治への大変換時、その起点となった江戸無血開城、そこへ関わって成功させた人物は、西郷隆盛であり、勝海舟であり、山岡鉄舟であったが、この三人に共通していた事は時流に適合した改革者として要件を保持していた事であった。つまり、その時代の中で抜きんでいた力量を備えていたのである。   別の資料より

幕末から、明治中期まで活躍した山岡鉄舟(天保7年~明治21年=1836年~1888年)剣、禅、書、達人である。その人格の骨(コツ)と言うべき核心はは何と言っても「無我・至誠」である。この鉄舟の中に我々は「あるべき日本人姿」をまた人間としての真の生き方」を考えたい。

勝海舟や西郷南州らは人格、識見ともに第一流の人物とみなされであろうか、彼等は、何れも鉄舟と無二のの道友であり、その比類なき交わりを通して、鉄舟の人物を評価していた。

明治元年(1868年)に海舟の元へ初めて尋ねて来て幕臣の鉄舟は、当時江戸上野寛永寺大慈院で謹慎中の十五代将軍慶喜の恭順の意を、駿府官軍総督府の西郷南州へ伝える使者のの役を担って、その行動の了解を得ようと幕府の要職にあった海舟に面会を求めてきた。

後で鉄舟自身が、回顧しているところによれば、そのとき彼は、「国家百万の生霊(江戸市中の住民)に代わりて生を捨てるのは、もとより予が欲するところなり」「心情天白日の如く一点の曇りなき赤心」もって海舟に面会したと、述べている。

海舟は鉄舟に探りを入れた「貴殿はどういう手立てをもって官軍の陣営中に行くのか」と。鉄舟は、「官軍の陣営に到れば斬るか縛るか外はない筈でだある。その両方の刀を渡して、縛るのであれば縛られ、斬ろうとするならば自分の思いを一言大総督宮(有栖川宮)へ言上するつもりである。もし私の言う事が悪ければ直に斬ればよい。もし言う事が良ければ、この処置を自分に任せて頂きたいと言う事だけである。是非と問わずにただ空しく人を殺すという理はない。

「何の難しい事がありましょうか」と言い切った。わが身を擲(なげう)って微動だにしない鉄舟の高邁な決意を見て、海舟は俄然同意して鉄舟に、一任したのである。

鉄舟は、海舟が何かの役に立つと思い同行させた薩摩藩の益満林之助と共に薩長からなる官軍の総督府に赴いた。鉄舟の豪胆にも官軍の只中を「朝敵徳川慶喜家、来山岡鉄太郎大総督へ通る」と大声で叫びながら通り抜けて駿府へ到着し、参謀の西郷吉之助(南州)と面会する事が出来た。この面談で鉄舟は、真情を吐露して、主君慶喜の恭順の意を伝えたのであるが、さすがの南州も主君のため国家万民のために身命を顧みずに乗り込んできた鉄舟の赤誠には、敵味方の別を超えて心から感動し、慶喜恭順の意を了解するに到るのである。

昨夜の深夜便を聴いて、(山岡鉄舟と清水の次郎長の係わり合いについて)高田浜松医大学名誉教授(次郎長の血筋があるとされている)次郎長には子供はいなかったが養子(女)を次郎長の姉さんの子をとり育てて、高田家に嫁がせる。

鉄舟と次郎長の出会いは、咸臨丸が清水港に停泊している時に官軍が船に乗り込み皆殺した海に死骸が類々としていた。次郎長は部下と共に片付けた。その時鉄舟が来て作業を見ていた。そして、次郎長が鉄舟に言った言葉が「死人に敵も味方ない」と。侠客で名を知ら示させた街道一の親分の言葉に酷く感銘したと言う事からだと言う。

今日は、昨日晴れていたが、と同じで風が冷たく寒かった。今年最後となるゴミ拾いを済ませ、塚本事務所に行き、リーフレット(2枚)を届けた。後援会の役員の件は気にしないようにしたい。ふれあい新聞を引き取って来て元旦に配る事にする。

午後は、上記の事を記した。そして、イラクのフセイン元大統領が処刑されたニュースが流れた。

        楽しみの   荷物が届く   大晦日 

        寒すずめ  枯葉と共に   何処えやら

        福寿草    家族のように  固まれり

        稲荷橋    冬田の奥に   富士の峰   

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