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2006年12月31日 (日)

籠の中の鳥

♯かごめかごめ、籠の中の鳥はいついつ出てでやる♪。と昔から童謡で知られているが、今朝はいつも思っていたことを記してみたい。作詞者は不詳である。

    かごめかごめ籠の中の鳥は

    いついつでやる

    夜明けの晩に鶴と亀が滑った

    後ろの正面誰 

 解釈は、ある人は女性がお産をする事とか、またある人は悲しい奉公に出された幼子とか、徳川家康が眠る日光東照宮の造営に深く係わったと言われる「南光坊天海」の歌だと言う噂もあるようだ。また徳川埋蔵金の秘密が隠されている歌と夫々あると思うが、自分はこの歌に違った思いがある。

いつだたか、我が家のセキセイインコが長く籠で飼っていたがある日扉を閉めるのを忘れてしまって逃げてしい、屋根の上を飛び越えて隣の藪のかに入ってしまい行くえ不明となってしまったことがある。「ああこれで餌も無く、また、猫に食われて、死んでしまう」所詮、人間もこの童謡と同じ籠の鳥で無ければ生きられない悲しい運命なのである。その籠に保護されているからこそ、安心して生活できるのである。

だから、人間も住む家、家族、地域社会、国家等により、また人間社会に守られて生きられるのだと、認識している。

そこで、人間社会を生きて行く為には、たった一人では生きられないし、社会ルールが必要でその法律が出来るのは必然である。安心、安全で生活出来るのは、これも「籠の鳥」で保護されなければ生活出来ないし、生きられない。

規制があって、ある面窮屈で、我慢する事もしなければならないし、耐えることも必要である。

要は、現社会は、籠のなかで生活が出来ないで、はみ出し者が多くなって来ている。このように「籠の中の鳥」の童謡に原点に戻り、もう一度考え直す事が大事ではないだろうか。

2006年12月31日朝3時半に起きて記す。気温は5.5度でこれはこの冬最低である。

         朝刊の    バイクの音も   大晦日 

         残月や    晦日の朝は    静まれり

         潔し      冬空如し     我がこころ

         河川敷  枯れ野にそれて   犬となり

今年最後のゴミ拾いをして、散歩(大橋往復)を井上さんとする。帰り会館に行き、チェツク空き瓶を旭屋に持って行く。帰宅して、庭掃除をして午前中終る。 昌子から、届け物来る。(おせちの詰め合わせ1万2.3千円位かなあ?)

プログを記して12月31日で276通となる。しかしパソコンの「キー」打つ事に時間がかかる。毎日4.5時間はパソコンを弄っているのだがなあ・・・H7年もこれでおしまい。

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