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2006年9月 3日 (日)

私の町の変遷(郷土のこと)

東京府南多摩郡由井村は、明治二十二年四月一日以前は、神奈川県南多摩郡片倉村、小比企村、宇津貫村、西長沼村、打越村、北野村であった。そして、昭和二十年十月一日に東京都南多摩郡になり、八王子市、日野町、浅川町、町田町、由井村、横山村、元八王子村、恩方村、七生村、川口村、加住村、由木村、多摩村、稲城村、鶴川村、南村、忠生村、堺村で、一市、三町、十四村の構成であった。

八王子に編入したのが、昭和三十年四月一日だ。 そして、由井村役場は片倉町39番地に存在していた。八王子市の人の流れは、平安時代に横山党や、西党などの武士団が存在していて、西党には、川口、由井、由木,平山、等の武士がいた。

戦国時代になり、信濃の国大石郷の木曽義仲の後裔で木曽家教の三男として生まれ大石為重の養子となった大石信重は八王子に高月城、滝山城などを造った。

鎌倉時代に入り和田義盛と小野氏(横山)と連合で北条氏と対立して敗れ、鎌倉の源頼朝大江広元に支配されるようになる。一九五〇年に北条氏が滅び、徳川家康となり、一方甲斐の武田もいなくなり、秀吉の大名となっていた、元武田信玄の末裔の部下が江戸を監視していて、また、武田信玄の家来だった、大久保石見長安(おおくぼいわみのかみながやす)が町づくりをした。

そてと甲斐の勢力に対抗する為八王子千人隊が構成された。豊臣秀吉、徳川家康の一六一五年大阪夏の陣の争いには家康に加勢した。そして、明治に入り、明治四年七月廃藩置県となり、また、士農工商の身分制度の廃止となり、八王子は江川太郎左衛門と言う人が仕切るようになった。そして八王子宿として人を集め、甲州街道の産業養蚕と織物の町を作っていった。

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