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2006年9月13日 (水)

塙保己一(はなわほきいち)

[塙保己一]

生年延享3年(1746年)  埼玉県児玉郡児玉町   

没年文政4年(1821年)

7歳の時から、病のため失明、12歳の時母親えを亡くし、宝暦10年(1760)15歳で江戸に出て、雨富検校の元で、音曲やあんまの修行に入る。その後、保己一の学問に対する情熱と才能を見抜いた雨富検校保己一を学問の道に進ませ国学・和歌を萩原宗固に儒学・漢学を川島俊明に学ばせた。保己一の学問は、人に読んでもらうのを聞いて覚えるというもので、優れた記憶力の持ち主してであった。保己一は一度聞くと直ぐに覚えてしまうと言われている。保己一は学者としての名声もあり天明3年(1783)38歳で検校(旗本と同格)に進み寛政5年(1793)48歳の時に、国学研究の場として和学講談所を創設を幕府に願い出て許可され、ここで多くの門弟育て、また水戸藩から「大日本史」の校正依頼をはじめ数々の資料編集事業を行った。文政2年(1819)には着手以来41年かけた「群書類従」正編670巻を、刊行を完了し同4年(1821)2月総研校となる。「群書類従」の刊行は、その生涯をかけて取り組んだ一大事業で、保己一は貴重な記録文学作品等の古典籍が広く活用される事なく、各所に放置され散逸していく実態を歎き、数多くの文献を集めて分類。整理し670冊の版木本として、41年間にわたり刊行を続けた。   「群書類従」をはじめ、保己一が残した数千冊にのぼる書物は、日本文学や日本史等を研究する上で、今尚欠かす事の出来ない、貴重な資料となっている。(この事がNHKの朝のニュースで話題となっていた為記す)

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