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2006年7月 2日 (日)

たまには、裸で付き合うことも必要だ

人間は、生まれた時は裸で生れ、死んで行くときも裸で逝くのだが、生きている間は、身を隠すため衣類等を付ける。また、付けないと生きて行けない。他の動物いや生きもの全てが生れたままで一生終る、この地球上で人間だけが衣類を付けるのである。だから、その人の体系や、傷跡まで隠してしまう、その上心までが隠れて想像だけになってしまう。だから、人の評価は言葉から発する内容からの情報と書き物の内容による所の情報からが多い。何を云いたいかと言えば、その人の衣類をつけていない裸の姿を想像して見ることで、その人の裏表が分かり本音と建前が単純に分かるのではないかと思う。身体に纏うことは、武装することでもある。また心までが武装することになってしまう。人間の心の奥をさらすことも時には必要であり、身に何も纏わないことで、信頼関係が生れてくるのではないかと思う。

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