2020年1月16日 (木)

安心して暮らせる“まち”を考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

湯殿川と君橋付近

住み慣れた地域で暮らし続けたい」誰もが感じている共通の想いでしょう。

今、私たちが暮らしている八王子市は、地域の特性や特色がどんどん薄らぎ、地域も高齢者が、安心して暮らすことができる“まち”が不安に感じないようにしなければと思います。

ある年齢までは、個人主義で隣近所との関わりもなく暮らすことは可能です。それは、会社や学校、子ども等を通じて、どこかで誰かとつながっていて、かつ、自分自身の都合に合わせて必要な人間関係を選び構築しているからです。

マンションはオートロックでカメラ付きインターフォンが当たり前。個人のプライバシーを尊重し、煩わしい付き合いをしなくても、快適に過ごすことができます。

しかし、これから高齢者となる世代、中でも男性は、仕事中心の生活で地域との関係づくりに不慣れです。その人たちがいざ退職し、子どもたちも独立していく・・・。年を重ねるにつれ、身体的に衰え思うように動けなくなり、近くに友人もおらず外に出る機会がどんどん減っていく・・・。今まで仕事での役割を生き甲斐にしてきた人が、人との関わりがなくなるという疎外感は、孤立していく要素として十分です。

高齢化が進み、高齢者のひとり暮らし、夫婦のみ世帯が増加する中、「暮らしやすさとは何か」を考えることが重要です。人間は一人では生きていけません。孤立していくことほど辛いことはありません。

自分に役割がある、必要としてくれる人がいる、気にかけてくれる人がそばにいる。それは家族とは限らない。友人であり、隣人であり、専門職であり、この地域にいる人、そばにいる人でいいのです。暮らしやすさとは、住んでよかったと思える地域とは、自分を知っている人たち、気にかけてくれる人たちがいる場なのです。

2020年1月15日 (水)

奉仕活動と健康

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

14-28-20090228-08[1]

頭でいくら解っていても、自分の身体を使わない限り、奉仕の心は、芽生えて来ません。

それこそ、肉体は健全でなければならないのです。

高齢期を楽しく、生きがいをもって、安心して暮らしていくためには、健康で自立し、身近な仲間と支え合いながら、住みよい地域づくりを進めていくことが必要です。 

健康こそ、唯一のボランティア活動が出来るということをしっかり理解の上、自分が奉仕活動をすることです・・・自分が、豊かな心を養うことが出来ると・・・理解しなければいけないと思います。ありがたいことなのです。

そのためにこそ、肉体はいとも大切であり、貴重であり、この人生は、この肉体を使って、社会奉仕をすることが、「生きがい」であると思うことです。

そして、奉仕活動は、他人に見せ付けるものではありません。いつも平常心で行うことです。

2020年1月14日 (火)

自然から学ぶ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

64645211[1]

急速に変化する時代です。そんな慌ただしく、また「もの」があふれている時代です。「今」だからこそ、自然に学び、生きることが大事です。

地球上の生物は互いに共存して生きています。私たち人間もまた同じです。私たちはこの地球で生きていく上で、「環境を守ることや自然を大切にする心」を持たなければなりません。子供たちに思いやる心、命、もの、そして自然を大切にする心を育むこと、そしてそのための体験の場を作る事が必要です。

野生の生き物に出会える自然の草地や池、それらが自然に生存する環境がビオトープ(生物の生息場所)です。子供たちにそれらを、観察できる環境が限られた面積であっても、自然に触れられる環境を大切にしていきたいものです。

食べ物を大切にする心を育むと同時に、このことが虫や鳥などの野生の生き物が自然と寄りつき、暮らしやすくなる環境であることも学べる体験です。

また、ものを大切にする心も身につけたいことです。ものはこわれたらすぐに新しいものを買うのではなく直して使う、必要のないものは買わないなど、ものを大事に長く使う態度は、子供たちに物を大切に使う心を育みます。

ものを大切にする心は生き物を大切にする心、人を大切にする心に繋がります。
ものを大切にすることは、資源の無駄遣いとごみの発生を減らし、自然の生態系への負担を減らすことができる身近な工夫の一つです。電気やガス、水などのエネルギーを無駄遣いの無い様に使うことも、子供たちに伝えたい大切なことと思います。

2020年1月13日 (月)

百の言葉より一つの行動

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

DSC071201[1]

いろいろと言葉巧みに良い事をいっていたとしても、それをちゃんと実践していないと、人は信頼しません。

政治家、企業の社長、教育者、指導者・・・などもそうなのですが、特に人に何か助言や指導する立場の人たちの言葉を信用していいかどうかは、その人の言葉と行動が常に一致しているか・・・です。

誰よりも人を罵り、言っていることとやっていることが違う。
それはなぜかと言うと、その言葉を言っている本人が、自分の本当の気持ちや方針から出た言葉や行動ではなく、人からの受け売りだったり、本から掠め取った知識、人からの義務や強要などによって出た言葉と行動だからです。

信念と誠実さ
そもそも言っている事を実際に行動に移し、わざわざ人に言ったり、言われなくてもあたりまえのように実践しています。(無言実行)そして、それが信念になっている人は人から批判されようが馬鹿にされようが、何があってもそれをやり続けています。さらに、どんな結果になったとしてもすべて自己責任で行ってきた事ととらえるため、人に責任転嫁しません。(自分の行動に責任を持ちます。)そして誠実さが示されます。

人から言われたり義務として行うものではなく、自分の心から本気でそうだ、そうすべきだと感じたものが信念になります。自分の信念に従って生きている人は、いつも誰に対しても同じ態度を取ります。相手によってころころ意見を変えたり、態度を変えたりしません。常に言葉と行動が一環しています。

2020年1月12日 (日)

人生には波がある

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

06oga_toga1[1]

最近、特に感じることで「人生には波がある」ということです。私は、「人生の波」とは、試練だと認識しています。

人生は試練の連続です。
良い時もあれば悪い時もありそして全然うまくいかない時だってたくさんあります。生きていれば上手くいかないときや、思い通りにいかない時期はあります。失敗のない人はいないし、完璧な人間なんていない訳ですから、頑張っていても、全てが上手くいくということはなかなかないでしょう。

うまくいかない時が必ず来ると言うことは、苦しみのない人生は必ず辛い時があるということです。そんな苦しい時期や、苦しいことが起きたとしても、それを乗り越えていくことで、人は大きく成長するのです。試練が来るからこそ人は大きく成長出来るのです。

試練が来るということは、それだけ自分が何かしらの変化をしなければいけない、時期がやってきたということです。もし自分が今試練の時だと思ったら、自分を変える努力をすることが大切です。そして、早く試練を乗り越えたいと思うのなら、出来るだけ自分の心に素直になることです。自分で作り出してしまった試練なのです。

それなら自分自身の心を変えることが出来れば、その試練を乗り越えることが出来るのです。答えは必ず自分の中にあり、そして当たり前のように存在しています。それの心に気付き、その気持ちを変えることで、試練を乗り越えていけるということです。

2020年1月11日 (土)

飾らない人間

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

0000-0081[1]

世の中大概の人は、他人と接する時に何らかのカッコをつけるところがあります。
見栄・・・
自分を良く見せたいと意識的に思っているのは、まだ救いがあるのですが、無意識の部分でも何らかの形で自分を良く見せたいという欲求が人間にはあります。

人はみな、それが世間では当たり前だと思っている、本当の自分、自分の心を素直に出した自分と、自分が作り上げている自分とが違う・・・どっちが本当の自分だ?という事になるのです。

世間での自分のイメージを崩さない為には、作り上げたイメージの自分を演じ続けなければなりません。そのうちそれが本当の自分だという風に、思い込んでしまうのです。

これはやはりしんどいことです。相手にも本当の自分が伝わらないです。もっとも本当の自分を出すと、色々支障が出ると思い込んでいるので、自分を作り続けているのです。

でも、こういうことは見る人が見ればすぐに分かるし、そうでなくてもいつかバレるのです。

いざと言う時に
大体人間いざと言う時にその人の本性が出るのです。日頃カッコ良い事を言っていても、いざとなると、周りの人を裏切ってまで、自分を守ろうとする人間は世の中に多くいます。作り上げられた自分は、いざとなるとあっさり捨てられて、他人はともかく、自分を守ろうという醜い本性が丸出しになるのです。

 

2020年1月10日 (金)

思いやりの心を育てる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

08tubaki_takegaki1[1]

相手の立場に立って考えることが良い人間関係を作る」

なぜ自分のことしか考えない人間が多いのか・・・
現在の人間社会に生きる人は、自分のことで精一杯なので他人のことを考える余裕はなく、他人のことにかまっている暇はないと考えて生きています。「人の幸せを願う心」、「自己中心、自己絶対視を改める心」、「正しい判断力」、「良き社会人として通用する自立心」の教育が未熟?なのです。

いま、テレビや新聞のニュースでは、偽装事件や詐欺事件、薬物中毒や殺人事件などが日常茶飯事に起きています。これらの原因は、すべて人間の自己中心的な思いから引き起こされたものであることは、容易に判断することができます。

現在の社会問題を解決するためには、今の教育のやり方を、根本から変えなければならない時期に来ていると思うのです。

相手の立場に立って物事を考えることが大事
私たちは子供の頃から、競争に勝った者が優秀であると教えられ、競争に勝つことで人からほめられてきました。

しかし、冷静になって考えてみればわかりますが、競争に勝つということは、他人を倒して自分が優位に立つということであり、極端に言えば「自分さえ良ければいい」という考え方なのです。

そのことが自分勝手な人間を育て、自分が勝てれば他人はどうなっても良いという、自己中心的な人間を育てる結果になるのです。

人の痛みがわかる「優しい心の育成」
挨拶の励行と、「感謝の心」「慈愛の心」「敬いの心」「許しの心」「詫びの心」の五つの心を育てる・・・ことが大事なことと思います。

 

2020年1月 9日 (木)

日常が修行

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

0401[1]

我執(がしゅう)とは・・・自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないことです。人は我執の凝り固まりですから、苦行により我執から逃れようとしても、我執からはなれられない。

なぜならば、苦行に執着すればするほど、限りなく欲望は消えることがないからです。金銭欲や名誉欲から離れられたとしても、食欲や、睡眠欲は人間の生理的欲求ですから逃れられません。

悩み苦しみなく生きられれば、それはとても楽で快適です。ところが人間とは弱いものです、我執という甘い欲望についつい心動かされてしまい、煩悩の迷路にはまり込み、苦しみや悩みの泥沼に落ち込んでしまうのです。

我執から少しでも離れたい

生きている限り、尽きない欲望の我執を離れることができません。自らを大きくしないようにと心がける・・・今、を如何に生きるべきかを考えて生きなければと思います。それが、日常生活がそのままで修行です。

食べること、寝ること、庭掃除、町や公園などのゴミ拾いも修行です。この日常生活すべてがの時間が、かけがえのない時間であり、その時間を使って生きているこことは、一瞬一瞬がたいせつなのです。

雑用と思って、いい加減に行えば、本当に雑用になってしまいます。何時もかけがいのない時間だと思って真剣に、真面目に行えば、自分を磨き上げる大切な修行になるのです。

日常生活の平凡な行いを雑用と捉えず、自分磨きの大切な修行と捉えたいものです。

2020年1月 8日 (水)

歩きタバコはやめて!

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

環境は大きな問題です。私は街の美化活動を行なっていますが、一向に減りません。(このブログは2016・10・29書いたものです。)

タバコの吸い殻どうしてポイ捨てするの?

街を歩いていて気が付くのですが、立派なサラリーマン風の人間が平気で、タバコの吸い殻を捨てて行くのを見かけます。

八王子市は「市内全域路上での「歩きたばこ禁止です」・・・が、注意ポスターある前に捨てていきます。

私は、子供の頃の躾が十分されいなかったからだと思います。勉強は親が口うるさく言っていたが…教育者の森 信三先生「挨拶・ハイという返事・後片付け」を確り身につけさせないで大人になってしまったのでしょう。

ですから公園などで遊んでいる子に、「ゴミは持ち帰りですよ」と注意するのですが、翌日には家から持ってきた缶ジュース・ペットボトル・お菓子の空き袋が散乱しているのです。子供に注意するより、親に注意しなければと思うほどです。

知識は身に付き、立派な大人になりサラリーマンになったが、社会で生きていく基本のモラルやマナーが欠如している?人が多いのではないでしょうか…環境問題など全く考えていない、無責任さには呆れ果てしまいす。

子どもは、こういう大人の行動を見ています。絶対に止めて欲しいです。そして、ボランティアでゴミ拾いをしている人もいるのです。これは、「自己中」、「モラルの欠如」、「マナーを知らない」、「躾をされてい」という評価をせざるを得ないことです。

競争社会に勝ち上がった勝者気分で、思いやり・優しさに欠ける人が多くなってきている自己中心主義の人が多くなったと感じられます。

最近特に思うのは、前述の、子どもの頃の親の躾が不十分だったと思うことです。市や町での清掃活動に参加して分って欲しいもだと思います。

2020年1月 7日 (火)

受けた恩を忘れずに

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

10kanmonkyo1[1]

人は自分が他人にしてあげたことは良く覚えているものす。

人は何かしらの恩を受けて生きています。生きていけば必ず何かの恩恵を受けて生きています。誰にも助けてもらったことがないことなど、この世には存在しません。つまり生きていくというのは誰かから、また何かしらの恩を受けて生きているということです。

「受けた恩は石に刻(きざ)め、かけた恩は水に流せ」という言葉あります。

かって返せないほどの偉大な恩を受けた人に、恩を返せない場合は、自分と同じような人を見つけてはその恩を返すという具合に恩は送られ続けていくものです。もしも、与えた恩を自分に見返り求めて返してほしい、などと思うのなら、恩を仇で返されたなどと感じるのが人間です。

「あんなにしてあげたのに・・・」「してあげたのにお礼も言わないで・・・」とか腹を立てたりします。ところが、他人からしてもらったことはすぐに忘れてしまうものです。今までにいろいろな人に助けてもらったのに、自分の力で何でもできたような気になっている。。。

でもよく考えると、あの人にも助けてもらった・・・あの人の一言で頑張れた・・・などあると思います。 やはり、感謝の気持ちはいつまでも持ち続けたいものです。

人間関係は対等であることや平等であること公平であることなど常に自分が意識して帳尻を合わせたがるものです。恩送りのままにいられるように徳を積み、徳を磨いて精進していきたいと思います。

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー