2017年6月28日 (水)

むかしよりマナー悪いが7割

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昨年の@niftyニュース編集部の調査によりますと・・・

「昔よりマナーが悪い人が増えたと感じている人」は7割超えているという。

1、「やや感じる」で38%

2、「とても感じる」「どやや感じる」をあわせた【感じる派】は72%

3、「あまり感じない」「まったく感じない」をあわせた【感じない派】は5%

上の世代ほどマナーが悪くなったと感じている人が多い。年代別でみると、上の世代のほうが【感じる派】が多く、若い世代ほど【感じない派】もしくは「どちらともいえない」と回答している人が多い、という傾向。

怖いです・・・

最近、街なかで歩きながら、スマホを使い、時には自転車に乗りながら、スマホを使ってる若い人見かけます。危険です。

歩きながらスマホ・歩きながら食べ・飲み・歩きたばこが多くなって、環境美化、人の迷惑など考えない人がいます。そして、犬のフンの放置には、ほどほど手を焼いています。

公園や駅前に通路に、「ゴミ捨て禁止」、注意看板も小さいものから、目立つように大きい看板にしたりしてもまだ、心ない人が、多いように思えるのです。もちろん八王子市では、「路上喫煙の防止に関する条例」があり、ポスターにも表示しています。

子どもの「躾けと教育」が大事なことは言うまでもありませんが、親の規範意識が、薄れてしまっているのか?日常生活が、あまりにも忙しいからなのでしょうか・・・?社会の秩序を危惧します。

いま、【明るいまちづくり】が提唱されています。

私は、地域の一人ひとりが、マナー・ルールを守ってこそ地域のみんなが、笑顔になれるものと確信しています。人に優しく、環境に思いやりを持ってこそ「明るいまち」になるのです。

忙しい時代でも、心にゆとりを持って欲しいものです。マナー・ルールを守ることにより、社会は秩序を守られるのだと思います。

 

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自分軸を持つ

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物事を判断する「自分の軸」

自分がたくさんの判断を求められたり、誘惑を受けたりする中で、常に自分を貫く「確固たる価値観」によって行動をする。自分らしく生きることができるはずです。

しかし、その自分軸が、自分中心に出来ているとうまくいかない。まず、利他を先としなければならない。利他に徹する自分軸であれば、結果、自分に戻ってくる・・・

自分軸を持つ・・・

自分軸を持つということは、行動規準、つまり「ポリシーを持つ」ということです。ポリシーとは、いうなれば、「こだわり」です。

自分の物差しをきちんと持っているということで、「自分がしたいからする」「自分が、行きたいから行く」という生き方が、自分軸を持っているという生き方です。

自分軸を持つということは、理想とする自分を生きるための指標であり、自分に課すルールを持つということでもあります。自分との約束を決めるということです。

自分軸に従う、つまり、自分に従う生き方で行動する。毎日、ひたすら行動ずることです。

最近思うには、信念を持ち、一つの行いを続けていれば、必ず自分に戻ってくるのだ・・・修行?と思うようになったのです。

「行持」(仏道の修行を常に怠らずに続けること)というのは、このことを言うのではないか?そして、行持というのは、一日だけのことではない。しつづけることだと思う。
 

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2017年6月27日 (火)

心の老化

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「長生きは目出度い」しかし、どうもそうともえない。

少子高齢化の時代、若者達にとって、年寄りに何時までも“ぐずぐず”長生きされるのは、迷惑なことと思う人もいるのではないでしょうか?

老化は、生きていれば、誰でも避けることは出来きません。自分の老いを認識せず、何時までも若いつもりで無理をし、結果失敗をしたりします。

大事なのは、自分の老化の程度を予め知っておくことです。身体的な老化は比較的分かりやすく、立ち上がる時に思わず、「どっこいしょ!」と言い始めたら老人の仲間入り?間違いなしです。

「心の老化」

それに比べて心の老化の方はちょっと解りにくいものです。八十、九十になっても前向きに溌刺として居られる老人を見ると、こういう人には精神の老化はないのではないかとさえ思われます。

しかし、毎日していることが、結果が見えてこない?・・・いくら努力しても結局は意味がなく、もうやるのもだるいと思ったときが、心の老化の第一歩です。見た目だけでなく、心の中から諦めが漂い始めるのです。

また、「最近の若者は‥‥」と、非難を口にしたくなる、ということがあります。若者にもいろいろあります。それを一括して、こういう言い方をするのは、老と若とを対立的に考え、自分の身を「老」の方に置いていることを意味します。

これは立派な老化現象です。二十代、三十代の相当若いうちから、「最近の若者は」などという者もいます。こういう人達は相当早くから精神的老化現象が始まっているので、「自覚」は必要であると思います。

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自分は自分である

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「他人の勝ちは、自分の負けではない」

人は誰しもが、幸せな人生を送りたいと願っています。ところが、その幸せを、他人と比べることによって感じようとしていないでしょうか・・・

「あの家に比べたら、我が家は幸せだ」と思ったり、逆に「あの家は幸せだなぁー羨ましいなぁー」と比べていないでしょうか・・・

古い諺に、「隣で倉が建てば、此方で腹が立つ」というのがありますが、隣の家が羽振りの良い暮らしを始めると、途端に我が家は不幸に陥るというのです。私たちは、こうして知らず知らずのうちに、他人と比べて幸、不幸を感じているのです。

「自分が自分に満足出来たら、それで幸せ」

他人と比べようとすれば、当然そこに競争が生まれます。しかも厄介なことに、私たちの欲望には際限がありません。これで満足ということがないのです。

私たちはどこまでいっても、不平、不満、不足を抱えた日暮らしを送ることになるのです。他人と比べようとすれば、当然そこに競争が生まれます。しかも厄介なことに、私たちの欲望には際限がありません。

これで満足ということがないのです。そのため、この競争は果てしなく続いていきます。その結果、私たちはどこまでいっても、不平、不満、不足を抱えた日暮らしを送ることになるのです。

自分は自分である・・・

他の何物ともくらべようもない状態・存在である人生・・・「自分は、自分である」という考え方えす。他人の生活を羨ましがったり、妬んだり、或いは自惚れたり、優越感を持ったり、といったことがなくなります。

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2017年6月26日 (月)

幸福な道

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「道の道とすべきは、常の道にあらず」

道には「天の道」「人の道」があります。「天の道」とは、老子の言葉で、小賢しい、人知の及ばない無為自然の道・・・「人の道」とは、儒教などが説く、いわゆる「べからず集的」な道です。

「幸福な道」・・・幸福とは、人との繫がりの中でこそ生きる喜び、幸福を感じられるものだと、私は思っています。もちろん、お金や財産、名誉などではありません。

人としていい生き方、理想的な生き方(道)ができることを一般的に、みんな望んでように思えますが、本当にそうなんでしょうか?

いい学校に行き、いい会社に就職し、そして地位や名誉を得て、出世することが果たして人の道なんでしょうか?競争や争い、勝った!負けた!の生き方が「人として生きる道」なのでしょうか?私は、そうは思いません。

いくら地位や名誉があったところでも、家族や友人がいないと虚しいもんです。また、お金がいくらあったとしても、その使い道が「活き銭」じゃなければ、価値は低いものとなってしまいます。

結局なにが人の道なのかというと、「人間としての心の豊かさ」「人と共に活きる人生の時間とエネルギー」なのではないでしょうか・・・

奪い合いの人間関係、自分のためだけの生き方をして、人の道を生きたといえるのでしょうか?

老子はおそらく、もっともっと人間らしく生々しく生きることを大切にし、自然とともに地球上の一存在として、道を歩くことを伝えたかったのではないかと私は思います。

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2017年6月25日 (日)

スローライフだよ

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「自分の生き方はこれでいい」と信念をもって生きる・・・幸せだろうと思う。大切なのは、自分の心(気もち・望み・考え)を大切にすることではないだろうか?

私は・・・「今の自分は、もっと、もっとゆっくり歩くべきだ」…人生、そんなに急いでどこへ行く(?)だ。そんな声が聞こえてきそうな毎日送って、結果がでないからって焦っているようだ。

“スローライフ”・・・だよ!…どこかから聞こえそうだ。。。

「よく考えてみるとなぜか、慌てているような気がするなぁー、心にゆとりを持つべきだ。」

「人生にゴール」などあって、ないようなものないじゃないか?人生にはゴールあるとすれば、永遠の探求だろう。

確かに、人間は寿命というものがある。いくら寿命あるからと言って別に関係ない。いまの時点で、ハードルが要求されているだけで、越えれば超えたで成長し続けていく・・・それが人間というものだろう。

一つ言えるのは、人は時として苛烈な時代が待ち受けているということだ。なかなか越えられない壁――、絶対にある。だけど、それを乗り切ってしまえば、また一つ成長する。人間に与えられた使命は、目の前の壁を超えることだ。これは決して逃げられない。誰しもがだ。

今現在、悩んでいるのは、今まで何度かクリヤーしてきた、「壁」なのかも知れない。それが、「スローライフ」と言うことであれば、それでいいじゃないか・・・

私は、何かに忙しい?忙しくしている?。。。生活を愉しめないことは、心が急ぎすぎているのかもしれない。愉しむ心の余裕がないのだろう。

“スローライフ”は、「もっとゆっくりと、いろいろ愉しみながら、生きようよ」ということか。。。

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グリーンな香り

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六月や 溢れんばかりの 蒼の色

日の光を浴びてすくすく育った森のグリーンの香り・・・

オゾンの香り?

滝のまわりに発生している

マイナスイオンを思いっきり吸い込んで…

ちょと長生きするような気分になる・・・6月

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即今・当処・自己

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「即今(そっこん)、当処(とうしょ)、自己」

これは、「今、ここ、自分」の大切さを示す禅語です。 

「いつやる? どこでやる? 誰がやる?」

その答えが「いま(即今)、ここで(当処)、自分が(自己)」ということです。

禅の教えでは、時間について次のように教えています。

即今(今やらずに、いつやりますか・・・) 

当処(ここでやらずに、どこでやりますか・・・) 

自己(あなたがやらずに、だれがやりますか・・・)

日頃から、時間は大切であると思っているつもりですが・・・まだまだ時間を浪費している?自分なりに、タイムマネジメントの仕組みをしっかりと作り、日々生活していかなければならない・・・(反省)

まさに、「時は金なり」です。

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2017年6月24日 (土)

人には秘密がある

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人間 誰しも人には言えない秘密があります。

親子・夫婦・兄弟であってもあります。「聖人君子」なんて人は、一人もいないと思います。仏様や神様のような人はいません。全てに完璧なんて人は、一人もいないのです。

よく 、犯罪を起こした人の周りの評価が「礼儀正しく、明るくて、そんなことするような人とは・・・」って言うのがありますが、それは当たり前のことだと思います。

普段、外では理性的でも どこかに、闇の部分を持ってるのが人間だと思います。最近、自民党の女性議員の暴言は酷すぎますが・・・

いま、問題になっている、森友学園・加計学園問題でも、ハッキリ国民に納得のいく、説明できていないことは、言いたくない秘密?があり、真実が分からないのです。

模範となるべき 「学校の先生」とかも・・・

もちろん学校では模範となる人間でいてもらわないと困りますが、プライベートでは 一人の人間なわけで、人間は心に闇や影の部分を持ってます。それは誰でも同じだと思います。

善な自分と悪の自分が心の中でいつも戦っている訳です。ここで「善」が勝つように、子供の頃から 躾けや道徳心が育つよう教育しなくてはいけない訳です。

人間も動物です。オス・メスの性格を潜在的な本能を秘めています。理性で抑制していますが、いつか・・・その“はけぐち”が、でる可能性があるのです。

「陽と陰」、「静と動」のような二面性は誰の中にもあります。どちらかに振れてると バランスをとるために、反動がきます。理性を保ち続けることが大事なことで、人間社会は、安定し安心できるのです。

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価値観の多様化について

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今の世の中で、自分は、物事の見方を「正しい」と思い込んで暮らし・・・「正しい」もの同士が衝突して・・・自他共に傷つき、悩みを深めているのではないでしょうか?

とりわけ「最後は結局自分がかわいい」という物事の見方は、自分の力では気付くことも、なくすこともできない根深いものです。

相手があって初めて成立するコミュニケーションは、『価値観の違い』を認識しなければ成立しません。

『価値観』という言葉を使いましたが、価値観とは何のことでしょう?

価値観とは、辞書によれば価値観とは、”いかなる物事に価値を認めるかという個々人の判断基準”とあります。つまり、その本人にとって何が大事かということです。

価値観は人によって違うものだということを理解した上でコミュニケーションを図らなければ、相手の反応を引き出すことは出来ません。自分の価値観と相手の価値観、どちらが上ということはありません。

グローバル化する現代社会

価値観の多様化がしばしば非常に深刻な対立や緊張関係を生み出しています。価値観の違いによる対立や争いは、避けられないのでしょうか。普遍的価値規範を共有し、共生社会を構築することは不可能なのでしょうか。

一般的に、価値とは、良いこと・悪いこと、好ましいこと・好ましくないことなどの程度を表し、私たちの、ものの見方の根底にあります。

規範とは、何をなすべきかという行為や判断の基準に関わることです。個々人の価値と規範は、地域や文化固有の信仰や慣習、政治体制などによって醸成されます。

次世代の社会づくり

若者がこれからの社会を創り、未来を担う存在です。

若者がいかなる生を求めているかを知り、これからどのような「生」を求めるべきかという価値規範について議論することは、将来を構想する上で有意義なことです。

しかしながら、その過程を誰もが通ってきたにもかかわらず、若者は、私たち「大人」から見ると、いつの時代もその行動や価値観は謎だらけです。

そして、若者の意識・行動・価値についての理解は、メディアによる若者論のような類いはあるものの、学術的理解は意外なことに大変不足していると思うのです。

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