2020年9月22日 (火)

大人が変われば子供も変わる

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「子どもは、社会を写す鏡」といいますが、大人自身の生き方とその大人が、つくり出した社会のあり方が、子どもの心に歪みを与え、今日の青少年をめぐる深刻な問題が生まれていると考えられます。

必要なことは、親や大人が自分自身を見直し、自らの生きる姿が、子どもたちの目にどのように写り、その心の成長にどのような影響を 与えているかを考え、姿勢を正していくことであるとの認識の下、「大人が変われば、子どもも変わる」・・・大人の認識を高めることだと思います。


大人自身が変わらなければ・・・

地域のこどもは、「地域で守り育てる」は、子どもたちを温かく見守り支える・・・時代に求められるモラル・・・を身を以て示すことです。

地域社会生活の中で「大人のどこを、どのように変えるのか」反省し、その気づきの中から独自の実践することが大切と考えます。

2020年9月21日 (月)

本当の幸せ

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「人間の本当の幸福は、歳をとるにつれて幸福だと感じる人生をもてること」の言葉に出遇いました。
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私たちが“煩悩の命令”だけに従った人生を歩むなら、歳をとるにつれて幸福だと感じる人生をもてるはずがありません。歳をとるということは、老いや死が近づき、境遇がいろいろと淋しくなることが多いもの「歳をとるにつれて淋しくなる」という声をよく聞きます。
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私たちは、日常の生活の中で、私たちは自分が「生きている」という実感を持ちながら生きているでしょうか・・・。また高齢になって、毎日を生き生きと生きていると、自分でそのように実感できるような今日を生きているでしょか・・・。
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私たちが日々生活していく上で、「生きる」と本当に自分で言い切れるような積極性をもち、あるいは充実感をもち得たときに、今日という一日を振り返ったり、あるいはこれからの一年を振り返ったりします。また、ときに、『ああ、本当に生きた』と実感できるようになるのだと思います。
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そしてそこに、自然と手をあわすことから始まる一日が生まれていくのではないでしょうか。

2020年9月20日 (日)

逆わらず老いよう 

御殿峠より市内を望む
私は、高齢者の仲間入りして、最近、老いるということに、肯定的な考え方を、持つようになってきました。老いに、「逆らわらず老いよう・・・」と思うようなりました。
「老いていくこと」をネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかで、生きる楽しさが大きく変わってくると思います。
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小さな貢献でいきいきとする
高齢になっても、自分にできることを進んでやって、地域の中で貢献する・・・。すなわち社会に対して何かを尽くそうと考えているときは知能も働き、体が活性化すると思えるのです。
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認知症予防も良いと思いますが、社会からもらうばかりではなく、小さなことでも何か貢献したいと考えているときは、自然と人はいきいきしているように思えます。
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貢献とは何も大きなことばかりではありません。町内の清掃、朝の挨拶や、ちょっとしたことでも「ありがとう」を伝える、小さな子どもが信号を渡ろうとしている時に、それとなく注意して見守るなど、ささやかですが、目立たなくても大切な貢献はたくさんあると思います。

2020年9月19日 (土)

秋彼岸が近づき思う

道了堂参道
秋分の日・彼岸が近づいてまいりました。恒例の墓参で思う・・・
「今、我身が在る」ということは、我身を生んでくれた父母があり、祖先があるということです。ところが、人間は自分というものを一番大切にし、誰よりも自分を愛するものですが、とかく、この我身が何処から来たかということを忘れがちです。

幸せと感謝の気持ち
先祖.両親が存在しなくて、自分はありえません。こう考える時、その命の流れの根源に対して感謝と尊敬の念を抱くのは当然です。


こうした中にあって、過去、即ち親や先祖に対して心を向けるということは、当たり前のことであり、大事なことです。この心構え自体が、人間としての生き方、姿勢にも大きく関わりあってくるものです。

ところが、現代人は已れ中心主義の考えをもち、他人より自分、親の存在より已れ、と考えがちです。このような風潮にあって、今、先祖供養という我身のルーツに想いを至す時、現代人が失いつつある心の、根源を再発見するように思えてなりません。

そして、祈りの心というものに気づく時、輝くような人間性が現われてくるのではないでしょうか。どのような無信心な、宗教というものを信じない人でも、必ず祈りというものをもっているものです。

この祈りというものは人間特有のもので、動物にはない。祈りというものは、最も人間の純粋な姿といえよう。祈る世界には、悪人も善人もないわけです。

こうした中で自分自身が、まず親によってこの世に生まれ育てられてきたということと、また、その親の親に報思の念をもつということは、当然の祈り行為であり、人間として忘れてならないことです。

人の道

絹の道
人の生きざまや、生涯を「道」であらわすことが多い。歌や詩にもうたわれますが、とりわけ日本人は人の生き方を道であらわすことが好きなようです。
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スポーツ、文化芸能も世の人々に、感動と生きる喜びをあたえますから評価を受けます。一人の力は微力であっても、世の中に必要とされ、役立つことに意味があります。
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柔道、剣道、弓道など武道では心身技ともに習熟し、いっそうの人格の向上をめざすべしとします。相撲も相撲道として心・技・体を整えることをもとめ、茶道・華道・芸能においても同じでしょう。それぞれの道を究めるとは修練することであります。
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また人生を旅にたとえて、自分の生きざまという道を日々歩みます。そして、行く先を思ったり、足元を見定めたり、過ぎ去りし足跡をふりかえったりします。
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自分だからできることを通して、生き甲斐を感じ、感動し、やる気と根気を奮い立たせて、満足と挫折、希望と失望、喜びと悲痛をくり返しながらも工夫と挑戦を重ねていかねばなりません。
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向上心を持って努力すること、そして感性を高めて工夫することは道の基本であり、忍耐と勇気がそれを支えます。

2020年9月18日 (金)

のんびり行こう・ゆったり歩こう

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現代社会は、たしかに便利になりました。でも、簡単に手に入れたものは手放すのもまた簡単・・・いたるところに表面的、即席が溢れています。生き方や幸せまで、同じように考えてしまって、ゆっくり生きることができない人がいるようです。

幸せに見せる努力をやめれば幸せは見えてきます。急がず焦らず、丁寧で穏やかな暮らしでいいのです。小さくても、少しずつでも、ゆっくりでも自分のペースで歩いていくことです。

どこかへ辿り着くことが人生の目的ではありません。人より前に行くことが幸せにつながる道ではありません。歩きながら見える景色を味わいましょう。ときには立ち止まったり、休みながらでいいんです。その道中を楽しむことこそが人生です。

「のんびり行こう・・・ゆったり歩こう」
慌てなくても人生は競争ではありません。幸せは早い者勝ちではないのですから。。。いつもせかせかと余裕のない状態では、すぐそばにある幸せに気がつけません。ゆっくり生きる人生で、心豊かに過ごしたいものです。

2020年9月17日 (木)

シニア世代の生きがい・趣味を持つこと

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人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。辞書よれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

80歳代のシニア世代の生きがい
80歳代のシニア世代にとって生きがいとは、心に潤いを与えてくれるものというだけではなく、長く健康で過ごすためにも非常に大切なものです。

ボケ防止やうつ病予防になる?
何よりも、好きなことに打ち込んだり、さまざまな人と関わっていくことは、人生そのものをポジティブに捉えさせてくれるはずです。高齢者がかかる病気の一つに「老人性うつ」がありますが、大好きな趣味に打ち込むことで、うつ予防も期待できます。

老後に趣味をもつこと
特に仕事が生きがいだった方の場合、仕事を引退してから気分が沈んでしまったというのはよく聞く話ですが、時間を持て余して、ぼんやりと生活を送るなんてもったいないです。

なぜなら、老後にはたくさんの楽しみがあるからです。その一つが趣味でしょう。体力はあっても時間がなかった若い頃に比べて、時間にゆとりを持てる老後ならば、「やりたい」と思っていたことにチャレンジできるはずです。

ほかにも、「新しい友人ができる」「ストレス解消になる」「自分磨きができる」など、老後に趣味を始めるメリットはたくさんあります。

2020年9月16日 (水)

私たちの町を大切にしよう

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私たちの生活の主な舞台は、いま住んでいる町です。郷土です…郷土には、先代から引きついている豊かな自然があります。今は、産業や暮らし…文化…は大きく変わりましたが、私たちは、自然と共存しなければ生きられません。

私たちは、自然を観察し、自然の法則を学び、これを尊重しつつ活用してきました。 そのことで今日の繁栄と豊かな暮らしがもたらされたことを私たちは知っ ています。

しかし同時に、今私たちは繁栄と引き換えに失ったものの、大き さにも気付き始めています。今度はそのサイクルを逆に辿りながら、自然 の再生を図らなくてはなりません。自然に親しみ、自然に学び、未来を創 造するキッカケとして、自然を再認識しなければなりません。

私たちの住む郷土は、先代から郷土の発展やよりよい生活を願って、昔から連綿として受け 継がれてきた人々の営みの所産でもあります。

そうした先人の働きや苦労、努力の上に、現在の私 たちの生活が成り立っていることを考えたとき、私たち自身も郷土を愛し、その発展に寄与し ていくことが求めらているのです。 いま、私たちの町…郷土を、自然を大切に考えない人が残念ながらいます。

私は、教育学者「森信三先生」の躾の三原則を・・・理解すべきです。
ごく当たり前な事柄なので普遍性の高いものです。「1. 朝のあいさつをする・・ 2.「ハイ」とはっきり返事をする・・ 3.席を立ったら必ずイスを入れ、 ハキモノを脱いだら必ずそろえる・・」そして、『人に…自然に…思いやる人間の大切さ』を、分かってほしいと思います。

2020年9月15日 (火)

おかげさまで生きられる

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私たちの今ある 「いのち」は 突然生まれたものではなく はるか昔からの、
連続した 長いいのちの流れのうえに恵まれたものです。どこか途中で一つでも途切れていたら、今の「いのち」は存在しないわけで、今あるのは まさに多くの「いのちのおかげ」と言えるでしょう。

縦の時間的な つながりだけではありません。現在の生活の横のつながりにおいても、衣食住どれをとっても誰かのおかげであり、また、動植物のいのちを いただいているおかげで、私たち人間のいのちを、支えることができているのです。

「おかげさま」という気持ちは、人間の思い上がりを戒める意味でも大事であると思います。ただ、自分の都合のよいときには 「おかげさま」でと素直に言えても、自分の都合の悪いときにも、同じように「おかげさまで」と 言える人は 少ないのではないでしょうか。

大病を患って、つらい思いをした人が、「病気になったおかげで  生きている喜びを 味わえるようになった」「病気のおかげで人生観が変わり、新しい生き方が生まれた」 などとおっしゃったりします。

あえて病気になる必要はありませんが、そういう望ましくない事態に直面しても、自分が支えられ、生かされていることに気づけば、「おかげさま」 という気持ちになれるのではないかと思います。

2020年9月14日 (月)

世の無常を知る

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最近の夏は、地球温暖化の影響なのか毎年暑くなっているようです。どうも今年は例外だったようで、7月が空梅雨で暑い日が何日かありましたが、8月になってまた梅雨が戻って来たような感じで雨模様の日が続き”猛暑”という言葉をあまり使わずに夏が終わってしまいました。

そして、コロナ禍・・・と、本当に大変に辛い夏でしたが、それでも確実に時は過ぎ、彼岸は近づき、世の無常を知る今日このごろです。


道元禅師はつぎの詩に「世中は何にたとへん水鳥のはしふる露にやとる月影(無常)」があります。
「世の中を何にたとえたら良いのか、水鳥がさっと振るくちばしに付いている一粒の露に映り込んでいる月の姿のようなものか」ということです。

世の中がいかに儚いものかを鋭く透明感をもって感じさせてくれます。今日あるように明日があると、なんとなく私たちは思っていますが、それは単なる思い込み…未来は未定です。「諸行無常」全てのものは皆この世界にとどめることなく移りゆく存在です。それは世の常であり、私たちの姿形もまたその通りです。

私は想う「病葉を 池に落として 夏の往く」「コロナ禍で なにか足りぬ 夏終わる」「雨ばかり 日照ばかりの 夏は往く」

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