2018年2月20日 (火)

人が安心して暮せるには・・・

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人類が長い時間をかけて社会を形成し、文化や学問が発展した現代では、なかなか意識に上らりませんが、本来自然というのは自然法則に従うものです。

そんな本来は無秩序な世界に、人間たちの行動の中からルールや道徳が生まれて、少しずつその網目が紡がれていって形成されたのが現代社会だと言えます。

そして、ルールや道徳がある程度世界に秩序を与えてくれることで、私たちは相手の行動が予測できるし、ある程度安心して人々と交流し生きていけるのです。

しかし、「人を殺すことは、絶対いけない・・・」と言いながら、現在の地球上では、戦争はどこかで起きています。戦争は人の殺し合いです。

また、最近子どもたちの道徳観が乱れて、世の中が悪くなっていると感じている人もいるでしょう。それらは、「道徳観の欠如…人を思いやる心が欠けている」からです。

紛争が起こる、それを防ぐ・・・「法律を作り、警察が取り締まり、司法が裁く」これが現代社会の国であり、人が安心・安全に暮していけるのです。そして時代と共に、法律の見直しが、必要です。

また基本となる法律しっかり、わきまえて、子供のしつけ道徳教育も大事なことは言うまでもありません。

子は親の鏡

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「子供の躾と道徳…教育」

子供の日頃の行動から、『親の「道徳教育」…』の必要性を感じることがあります。

親の道徳観や判断力の乱れが感じられ、それが各地で子どもをとりまく、さまざまな問題を引き起こす最大の原因になっているからです。

「子どもは親の後ろ姿を見て育つ」・「子は親の鏡」・「親が親なら子も子」…とにかく子どもと親のつながりをいう言葉はたくさんあります。しかし、最近の親には「親が親なら子も子」といったようなことばが一番ピッタリなような気がします。

確かに「子どもは親の後ろ姿を見て育つ」のですが、最近の親は必ずしも子どもにいい後ろ姿を見せていない場合が多くありませんか?

学校は、学業を教えるところであって、躾をする場所ではありません。最近「子どもは地域で育つ」・「教育・躾は学校でやってもらうもの」そう決め込んでいる親もいる?

私は、基本的には「教育の根本は家庭にあり」という一番重要なことだと思います。小・中学校の子育ての段階で、学校任せになってしまっているという考えがありますが、これは間違いであると思います。

基本的生活習慣や躾の根本まで学校任せということもあります。そうでありながら、学校に対してさまざまなクレームをつけてくることが多いのです。

ですから学校も反対に、子どもをしっかりと養育しない親に対して、子どものためにもクレームをつけてもいいのではないかと思うほどです。

それに、「地域で育つ」では、親として自分自身が地域の一員という意識が薄い親が多いのです。中には「地域」といえばなにかわが家庭ではなく、自分たちが含まれない何か別の場所とでも思っている節さえ感じさせる人もおられます。

2018年2月19日 (月)

健康とは・・・

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「健康は人間が自分に贈ることの出来る最高のプレゼントです」

・・・元NHKのアナウサー鈴木健二

健康とは・・・

世界保健機関(WHO)・・・「健康とはただ疾病や傷害がないだけでなく、肉体的、精神的ならびに社会的に完全に快適な状態であること」と定義されています。

身体的、精神的、社会的に全てが完全に良好な状態であり、単に病気がないとか衰弱していないということではない。

例えば・・・以下のことはどうでしょう?

○ 体に痛いところはない。

○ 毎日、一日三食、おいしく御飯を食べている。

○ 毎日、快便である。

○ 夜はぐっすり寝ていて、朝の目覚めも良い。

○ 悩み事はない。

○ 人間関係で良好で、一切のストレスを感じていない。

○ 経済的にも十分に恵まれている。

○ 自分の社会的地位に満足している。

現代社会では、全部クリヤーしている人はいないでしょう。誰しも健康でありたいと思いますが、身体的にウイークポイントがあるのが人と思います。何処が悪いのか承知をしながら、生きていると思います。

私は、10何年か前に同級生の女の人が、同窓会の幹事で、一緒になり、「私今、ガンなので・・・ありがたいワ」と言って、病気になってむしろ喜んでいる?ようでした。

どうして?と聞いたら「だって今交通事故で、多くの人が死んでいるじゃないですか・それに比べれば、治療すれば治る可能性があるじゃないですか…」と言って、平静な精神を装っていました。

身体的に精神的に経済的に悩んで生きるのが、人間であり、まぁまぁで感謝することが出来れば、「健康」であると思えるのです。

2018年2月18日 (日)

年寄りの不安・・・

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病気(腰椎椎間板ヘルニア)をしてつくづく感じられた「不安」になったのです。手術して、退院したその夜、蛍光灯の紐が切れて・・・

“灯かりが点かない”

さぁーどうしよう、病気する前には、自分で直せたが、誰かに頼まなければ・・・

子どもは、離れて暮していて呼ぶこともできない。近所の方にお願いする?ちょうど器具を交換時期だったので、近くの電気屋さんに、お願いしたのですが…

今まで、出来ていたものが、病気や怪我で、出来なくなったら、“どうしよう”という不安になったのです。

「遠い親戚より近くの他人」

と言われますが・・・蛍光灯の球切れ交換から、超高齢化社会の悲哀をしみじみ考えさせられました。

健康寿命…2013年時点のものが公表されており、男性が71.19年、女性が74.21年です。(平均寿命が男性80.98年、女性87.14年)

向こう三軒両隣りの精神

日本には昔、「向う三軒両隣」といって、最低近所付き合いは当然としてお互いが何かと助け合ってきた良き習慣があったのです。そこには、信頼と安心によって結ばれたコミュニティーが存在していました。

みそが無くなったといっては隣に駆け込み分けてもらい、子供をちょっとあずかってくれと頼まれれば快く自分の子供同様にかわいがるといった風情があったのです。

ですから、お年寄りのご家庭の蛍光灯の球切れ交換など…気楽に頼めたのです。

2018年2月17日 (土)

春はそこまで。。。

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春まだ浅いこのごろですが・・・

寒さの中にも春の兆しが、少しづつ感じられ~

日足も延びてきて・・・

そこはかとなく春の気配が感じられるようになりました。

私の住むまち八王子市片倉町・・・

片倉城址公園の木の芽・草の葉、湯殿川の鯉の泳ぎから~~

「春はそこまで」。。。

病気をしてしばらく、外気の空気に当たらなかったので・・・

外の空気が新鮮に感じられます。

「自然は正直」・・・実感しています。

2018年2月16日 (金)

腰椎堆間板ヘルニアの見舞われる

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春の訪れを「満作の花」が咲きました。

長らく休んでいた、ブログを書いていきたいです。

昨年12月6日・・・突然、右脚に激痛が走り立つことも出来なく・・・当然歩けなくなってしまい、脊椎管狭窄症?

整形外科医に診てもらい、ブロック注射・痛み止めの処方されて、様子を見たのですが、痛みは一向に取れませんでした。

1月24日入院

レントゲン・エコー・MRI・ミエログラフィーの検査から、「腰椎椎間板ヘルニア」と診断され、手術しました。21日間の入院し、2月13日に退院しました。

手術後は、リハビリを行っていたのですが、約70日の歩けない日となり、今はリハビリに頑張っているのですが・・・完全復活はまだまだ、先のようです。

しかし、なにもしなければ、退化するばかりです。病院で、理学療法士の指導でリハビリを頑張ることにします。

2018年1月24日 (水)

春の訪れを待つ

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今日は、何十年ぶりかの、厳しい寒波が襲ってきたということです。

「厳しきも 春のちかづく 喜びが」

 一年を省みたときに、嘆き悲しむ日もあるけれども、厳しい冬から春に近づくかのような喜びもあります。

 一年(ひととせ)は、人の生涯と言い換えてみると・・・

一年のなかにもさまざまな出来事が起こりますように、人の生涯においても、嬉しいことも楽しいこともあれば、辛く苦しいことも起こってくる・・・ということです。

また、嬉しい・楽しい時は一時(ひととき)のやすらぎのように感じますが、辛く苦しい時はやけに長く感じたりするものです。

 時には、もう笑える日なんか来ないんじゃないだろうか・・・とさえ思う時もあります。

けれども季節と一緒で、寒さの厳しい冬が終われば必ず花咲き乱れる春が訪れてくるように、辛く苦しい日の後には笑って暮らせる日が来るものです。

2018年1月23日 (火)

雪の思いで

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「南岸低気圧」で昨日は東京で雪となりました。

…日本列島南岸を発達しながら東に進んでいく低 気圧のことで、東京地方に春先に多いと印象があります。

子供のころ、2月ごろから3月始めごろかけて、雪は降った印象があります。竹馬で、庭を歩き回った記憶があります。また、ザルで仕掛けを作り、雀を捕ったり・・・

「雪やこんこん、あられやこんこん」の歌を歌ったのでした。

1 雪やこんこ あられやこんこ

  降つては降つては ずんずんつもる

  山も野原も わたぼうしかぶり

  枯木残らず 花が咲く

2 雪やこんこ あられや こんこ

  降つても降つても まだ降りやまぬ

  犬は喜び 庭かけまはり

  猫はこたつで丸くなる

昨日、雪になって、交通機関が大変でしたが、昔と現代の生活(暮らし)が大きく変わりましたが、ゆったりした暮らしも味わいがあって、いいものだったと懐かしく思い出しました。

2018年1月22日 (月)

運を天にまかせる

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いま、私は「脊柱菅狭窄症」の病気で苦しんでいる?

?(ハテナ)をつけたのは怪我と思っているからで・・・病気ではない・・・と思っている。(発症したのは、重たい物を持った次の日だからだ…)また高齢(80歳)だから・・・

どっちでもいいか・・・でも腰の痛みは右足まで痛く、歩くどころか、立ってまともに歩けない状況となり整形外科に診てもらっている。

レントゲン・CTの検査を行い、飲み薬を処方され、飲んでいるが、一向に痛みは取れないでいる。そして、明日1月23日一泊入院し、造影剤を注入するミエログラフィー検査をする。

明日はあいにく、大雪予報で車で行けない?心配だ。

「運を天に任せる」

これも、何かのめぐり合わせだ。誰のせいでもない、自分に課せられた運命だと思って・・・焦らず、落ち着いて最善を尽くそう。

2018年1月21日 (日)

季節の移ろいを楽しむ

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アッというまの時は過ぎてしまいます。

今年も、1月21日となり・・・「早いなぁー今年もう21日過ぎた」「早いなぁー」と、ため息をつくばかり・・・年をとってつくづく早く感じます。こうも慌ただしい日々が続くとついつい口から出てしまうから困ったものです。

それは同時に季節を感じる余裕すら無くしてしまっているのではないかとすら感じてしまう。つまりそれは春に桜、夏にはバラ、そして秋にはコスモスなどの季節を感じる草花を愛でたりする余裕すらなくなってしまっていると言うことです。

その瞬間を大切にする」と言う感覚

「その瞬間を大切にする」・・・と言う感覚の欠如が意味するものは感覚から感性へ、そして感情へと失うモノがやがて大きくなるのではないでしょうか・・・。

季節の移り変わりというのは単なる暦上のものではありません。桜が咲く頃に新しい事を始めたくなったり、朝夕にじんわりと広がる肌寒さに秋の訪れを憶えるといった具合に・・・

私達は視覚や肌感覚、味覚といった五感を総動員して感じています。そしてもう一つ、季節の移ろいを感じられるものがあります。それは「果物」です。旬の時期に収穫された果物は季節の変化を手に取って触れる形にしたものです。

「梨のおいしい季節になりましたので贈ります」と手紙を添えた果物を受け取ることで「ああ、今年も夏が終わって梨のおいしい秋が来たんだな…」と高い秋空をまっすぐに見上げ、爽やかな錦秋に心踊らせます。

旬のおいしい果物が新しい季節がやってきたことを教えてくれるわけです。

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