2021年6月19日 (土)

高齢期の輝き

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高齢期は心身の衰えを伴うが、一方で豊かな経験と知識を身につけています。それらを生かして高齢期は人生における最も輝く時期であっていいハズです。
 
老いて初めてわかること
「高齢期の輝き」は青年や壮年のように輝くことなど、あり得ません。歳を重ね、体力、気力の衰えを受け入れ、その上で自分の高齢期の生き方を、求め続ける姿こそが「高齢期の輝き」です。
 
老いて何が見えるか
人には、年をとつて初めてわかる驚きがあり、年をとって初めてわかち合える喜びあります。老年こそが自己発見と相互再生の黄金期で、老いてはじめて物事が見えてくるのです。

老いの輝きとは知恵の輝き
知恵とは違う、道理を知る判断力で、知恵は豊かな経験と、知識を基に身につくものだからです。身につくには長い歳月とを必要とし、知恵こそが高齢者が有する最高の特質だと言えます。 

経験には失敗もあれば挫折もあり、悲哀もあれば屈辱もあります。辛い思いをしながらそれらに学び、それらをすべ乗り越え、感謝の気持ちや思いやりの大切さも、分かるようになるのが知恵です。

知恵とは「世渡り上手」のことではありません。頭の回転が速いとか、やり手だとか、如才がないとかとも違います。人が生きる上でもっとも大切なものをわきまえる「術」のようなものです。

やさしさ、人の気持ちを思いやる心、ものごとに感謝する心のようなものです。人と争うことのむなしさ、殺し合うことのむなしさ、命の大切さ、自然の大切さ、自然との共生、人との共生の大切さ、こうしたことに気づけば高齢期は自然に輝くことでしょう。

気づかなければ輝くことなく終わるでしょう。だから人は老いても、豊かな生活を求めて努力しなければならないと思うのです。そして、高齢期の輝きの色調も一人ひとり異なります。それぞれ自分の色わいと強さで輝くことです。

2021年6月18日 (金)

当たり前に感謝

道了堂参道
「当たり前」・・・すごく無難な言葉ですが、これほど有難いと感じた言葉はないと思います。日が昇ると目が覚め、当たり前の日常だけどこれも奇跡・・・お腹すいたら当たり前のように ご飯を食べられる日常生活・・・。

どれもこれも日々の中では当たり前の日常・・・。でも、もしこの当た り前が少しでも崩れたら・・・。健康が害されたとき、いつもできていたことが出来なくなっ たとき、生活にすごく支障が出てそれだけで不安な時間を過ごす・・・。

まさに、このコロナのウイルスが変異株となり、不安な毎日とどこか重なるような気がします。出歩くにしてもマスクに 消毒薬、気が付けばすでに当たり前に用意されています。

よくよく振り返れば、どれもこれも、自分一人で出来る事ではな いことに気づかされます。それがいかに「感謝」しなければいけない事だと今更ながら気づか されます。

最近忘れがちな「当たり前」「感謝」は切っても切れない言葉だと思われる今だからこそ、 言葉に出して「ありがとう」と言いたいものです。

そして、心の中で感謝できるとまた一つ心が成長で きるような気もします。「当たり前がいかにありがたいか、感謝すべきか」を考えてみる のも、心の栄養になるかと思います。

気になるタバコのポイ捨て


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私は、健康のため毎日散歩をしています。
私たちの町は、川あり、丘あり、自然環境に恵まれています。清々しい気持ちの良い、朝のひと時を楽しんでいます。
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「気になるタバコの吸殻のポイ捨て!」
そんな清々しい朝・・・「タバコの吸い殻」が落ちていることが、気になります。それは必ず、落ちているタバコの吸殻や、ポイ捨てのゴミです。

ポケットからぽとりと、自然と落ちるものではありません。多分捨てようとして、「ポイ…」と捨てられなければ、ここには落ちてないはずのタバコの吸い殻です。降って湧いてくるみたい・・・

ゴミやタバコのポイ捨てって、なぜなくならないのか?
なぜ人間はポイ捨てするのかは明らかで、不要となったものはさっさと手放したい、身近に置いたままにしたくないということに尽きます。ポイ捨て族は本能のままに行動しているだけですから、こんな些細なことについて深く、考えるなどあり得ないからです。

ただ、間違いなく言えるのは、ポイ捨て族と言えども、町中がゴミで溢れた状態は不愉快であろうし、自分の居住空間をゴミ屋敷とすることが、絶対にあり得ないと思われます。

多分、潔癖なポイ捨て族は、運転席から吸い殻一つでも外に投げ捨てるほどでしょう。ポイ捨て族は本当はきれい好きで、ゴミ一つない清潔な環境が大好きであるに違いないと思います。

ポイ捨て族はゴミを捨てれば必ずそのゴミを拾う者が、存在することを十分見透かして、安心して気楽にゴミをポイ捨てしている?第一に「心に余裕のない人間」が浮かんできます。

「ポイ捨て」とは、社会に生きる人間全員が使用する公共の場所、あるいは自分が所有権を持たない場所に、不適切な形で吸殻を投棄する行為を指すため、ポイ捨てをする時点で「他者への配慮」が欠けていることは明確です。

 〇自分とは関係ない場所だから別に良い 〇誰かが掃除してくれるし別に良い
彼らが考えていることは大体こんな感じですが、まあふざけたご都合主義です。心に余裕がなく自分以外のことを考えられないからこそ、ポイ捨てという行為を平気で行えるのでしょう。

2021年6月17日 (木)

幸せに歳を重ねること

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「幸せに歳を重ねる」とは、
「よい人生を送り天寿を全うすること」と思います。
長寿・高い生活の質・社会貢献となりますが、一方で幸福な老いのイメージは、他者の世話を受けることを前提とした「成熟した依存」関係の中で再評価していくことでもあります。

私は、単に病気がないというだけでなく、たとえ認知症や寝たきりの状況にあっても、その人が今持っている力を発揮し、今を輝かせながら健やかに生き、自分らしい最期を迎えることが、サクセスフル・エイジングに繋がるのではないかと考えます。

サクセスフル・エイジングを「健康や身体的機能の状況にかかわらず、ひとり一人が望む幸せな老後を過ごし、自分らしい最期を迎えること」と思います。

サクセスフル・エイジングとは、アメリカで生まれた言葉であり、「日本語で正確に言い表す和訳はない」とされています。サクセスフル・エイジングの持つ意味とは「良い人生を送り、天寿を全うすること」とされており、日本に元々ある言葉では「生きがい」や「幸福な老い」がその意味に最も近いものではないかと考えられています。

私は、サクセスフル・エイジングを「健康や身体的機能の状況にかかわらず、ひとり一人が望む幸せな老後を過ごし、自分らしい最期を迎えること」と思います。

出合の喜び

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自分の慣れ親しんだ人間関係の中で生きていると、人はそれなりに安心もするし、心地よいかもしれません。でも、その枠をいったん出て、自分の知らなかった、社会に触れたり異なる文化をもった人に、出会ったりすることによって、新鮮な刺激や感動を受け、自分のことがよく見えてくることがあります。

人が成長していくためには、さまざまな人とよい出会いをすることが大切です。これまで日本の社会は、同一性を重んじる傾向が強かったため、異質なものに対して身構えたり、排除したりして自分たちを守ろうとするところがあり、これらが差別や偏見を生み出す、要因の一つになっていると言われます。

差別や偏見は、相手に深い傷を負わせるだけでなく、豊かな出会いの機会を閉ざしてしまうことにもなるのです。自分自身の世界をひろげるためにも、多様な出会いをすることは、意義深いものです。

2021年6月16日 (水)

修証一如のこと

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修証一如とは、「修行」は悟りのための手段ではなく、「修行と悟りは不可分で一体のもの」だということ。
道元はこの考え方を「修証一等」と呼んでいます。

私たちは、仏教の修行者は悟りを求めて修行すると思っています。若き日の道元もそう考え、私たちに仏性があるのに、なぜ悟りを求めてわざわざ修行しないといけないのか?

道元が抱いた疑問に対する解答も、道元が達した結諭からいえば、それは逆で・・・『「悟り」は求めて得られるものではなく「悟り」を求めている自己を消滅させる』・・・のです。そして、悟りの世界に溶け込む……。それがほかならぬ「悟り」です。

悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのです。「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できる…。それが道元の結論です。

私たちはついつい、これはいけないことだと知っていながら、でも……これぐらいのことはしてもいいだろう……と思ってしまいます。それは自分を甘やかしているのです。


 

2021年6月15日 (火)

本当の幸せとはなんだろう

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夢や望みがかなった時が幸せ」
食欲、睡眠欲、名誉欲、欲といわれるものすべてを手に入れたときに感じるのがこの達成感という幸福感になります。

達成感は、また新たな欲、煩悩を生む
達成感を得ても新たな欲が生まれてくると言うことです。人は欲によって生き、また向上心も生まれそれらをすべて否定するものではありませんが、食欲や、睡眠欲などは誰でも手に入れることができますが、すべての人が夢や望みが叶うわけではありません。欲に囚われて、人を殺したり、泥棒をしたり、人をだましたり罪を犯すこともあるのも事実です。

もう一つの存在感からくる幸福感があります。
己が今そこに居ることを他が認めること、知ってもらえた時に、得る幸福感と言うことです。何か偉大なことを成し遂げて有名になり自分の存在を知らしめると言うことも有りますが、もっと誰でも出来ることがあります。

たとえば挨拶もその一つです。朝、おはようと声をかけ、おはようと返ってくることもその一つです。何か他人に親切にしたり、他のために何かをしたりして、ありがとうと言われたり、感謝されたりした時に感じる幸福感が存在感という事です。

この存在感からくる幸福感は、達成感からこる幸福感より、とても小さいですが、誰でも簡単に得ることが出来る幸福感です。他のために、人のために何かすると言うことが、幸せになる、幸福感を得ることが出来ると言うことなのです。

格言で「情けは他人の為ならず」と言う言葉があります。他のためにすることはいずれ自分に返ってくると言う意味ですが、他の為にする行為すべてが、存在感を得ることであり、しあわせになる事そのものなのです。

達成感からくる幸せよりはとても小さいですが、誰でも得ることの出来る幸せがこの存在感と、言うことになります。欲や煩悩に囚われることなく存在感による幸せこそが本当の幸せと言うことになると思います。

他人(ひと)のために何かしてあげること、実践こそ人が幸せになるための方法であり、誰でも得られる存在感からくる、本当の幸せを得ることが出来るのではないでしょうか。

2021年6月14日 (月)

タバコのポイ捨てはなぜ無くらないのか?

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タバコのポイ捨てをする人間を頭に浮かべてみると、第一に「心に余裕のない人間」が浮かんできます。「ポイ捨て」は、社会に生きるすべての人が、使用できる公共の場所で、起きているのです。

不適切な形で吸殻を投棄する行為・・・ポイ捨てをする時点で「他者への配慮」が欠けていることは明確です。捨てる行為は・・・①自分とは関係ない場所だから~ ②誰かが掃除してくれるから~ ③車からのポイ捨ては他人に気付からないから~と思います。

また、これらは、当たり前の所作と思って、”たかがタバコの吸いがら一本”ぐらいで・・・と常習者・路上喫煙者は、ほぼポイ捨てを罪意識なく、長年の習慣でやっておられるようです。

小さなタバコの吸殻一本が、ペットボトル・空き缶・空き瓶・弁当の包装紙も、捨てられてしまっているのです。タバコの吸殻を捨てるのは、立派な大人の行為です。

中には路上喫煙禁止区域とわざわざ立て看板を設置してある路上や公園、あるいは喫煙を禁止しているところですら、ポイ捨てまでする輩までいます。市内の道路にタバコの吸い殻が日常的に捨てられている始末です。

私は、毎日ゴミ拾いをしていますが、まさにイタチごっこで、個人の取り組みには限度があります。ゴミのない、誰もが気持ち良く、きれいで住みやすい、私たちの町の環境の美化を心から願っています。

2021年6月13日 (日)

高齢者が生きがいを持つこと

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「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。


人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。

私は最近、体力・気力の衰えを感じることが多くなってきていますが、「生きがいを持つ」「そして続けある」ことが、長生きの秘訣?と思っています。

〇 軽度な運動
毎朝、散歩などを習慣にしています。人に会ったら、「おはようございます」・「おはよう」・「行ってらしゃい」と、誰にでも挨拶をすることです。小学生から、お年寄りまで行うことです。

散歩で、運動は汗をかき自律神経を整えます。日光に当たることで生活リズムは整いやすく、幸せを感じやすくなる「セロトニン」が分泌されます。そして、私は散歩を兼ねて、ボランティアで、町の美化活動をしています。

〇 日記を書く
日記は意外と頭を使います。朝から晩まで何をしたかを覚えていないといけないですし、毎日の生活の中で「日記に書く…出来事」散歩していて、人に会ってを意識して探さないといけません。


2021年6月12日 (土)

自負心とプライドについて


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「自負心」は自分の才能や仕事に自信と誇りを持つ心という意味の言葉です。それが過ぎると「思い上がり」や「うぬぼれ」になってしまいます。

「自負心」の意味は「自分の能力・業績・仕事に、自信や誇りがある気持ち」です。物事や自分の実力などに対して、自信や誇りを持っている気持ちを表します。

「この分野においては誰にも負けない」「ある物事において自信がある」といった気持ちを指します。自分のことに対しても、周りのことに対しても全て自分に責任があるということです。

「プライド」とは、自慢、得意、満足、自尊心、誇り、自負心、うぬぼれ、思い上がり、等が主な意味として出てきます。良い意味としても、悪い意味としても使われる数少ない言葉の一つが「プライド」です。

プライドはあっていいものの、無駄に意地を張ったり、恥を恐れて挑戦できなかったりと、高すぎると社会でうまく活躍できなくなってしまいます。

人間の生きていく理想は「自負心」・「プライド」を持つことが大切です。そのことを理解したうえで「能ある鷹は爪を隠す」をサラリとやってのける姿勢が大事です。

私は、謙虚さ・素直さ・誰にでも同じ態度で接すること・品格、強さをうちに秘め、それを表には出さないことにあると思います。

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