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2021年8月 6日 (金)

万物流転と諸行無常

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岩山を眺めて思う。
岩は固くてちょっとやそっとでは壊れないものですが、年月とともに削れていきやがては土になります。では、土はそのままの姿でいるかと言うと、土を栄養として植物が茂っていくでしょう。そしてその植物はやがては枯れて土になったり、動物に食べられて吸収されてしまいます。

このように考えると「かたちあるものすべて壊れる」で、物質というのは岩→土→植物→というように無限に変化を繰り返し、一つの状態で永遠にとどまるということはないのです。ギリシアの自然哲学者ヘラクレイトスは、物質が繰り返す無限の変化を「万物は流転する」と表現したのです。

これは現代社会に生きる私たちから見ても非常に納得がいく考えです。ヘラクレイトスが偉大だったのは「すべての物質に当てはまる普遍的な法則」を見つけたことだったのです。

仏教の諸行無常とは何が違う?
それは「万物は流転する」という言葉は仏教の「諸行無常」とはどう違うのかということです。「諸行無常」もすべてのものは続かないという意味で、「万物流転」という言葉と全く同じ意味に思えますが、それは、「私たちの心に目が向いているかどうか」ということです。

「万物は流転する」という言葉は、どちらかというと自然界の物質や存在に目が向いていて、私たち人間の肉体もそこには含まれますが、「私たちの心」についてはそれほど注目されていません。

仏教の「諸行無常」とはもちろん物質が続かないという意味もあるのですが、私たちの心が、続かないという意味も含んでいるのです。

私たちはいつも自分の心をコントロールしていると思っていますが、実は心はコロコロ変わり通しです。人を好きになってもその気持ちが長続きしないこともあります。

嫌いだと思って腹を立ててみても、少し経てばケロッとしています。やはり私たちの心も無常なのです。このように仏教の無常観は私たちの心に対しても深い洞察を向けているものなのです。

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