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2021年7月

2021年7月31日 (土)

いのちの平等性

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人間は他の動物に比べて大脳が発達していて、他の動物にはない特性を持っています。しかし、その人間的理性ははたして正しく確かなものなのでしょうか。

人間の理性こそが、自分たちの住みやすい世界にするために便利な道具を創り出し、そのためにかえって他の動物に迷惑を掛け、地球環境を破壊する行為を行ってきたとも言えるのではないでしょうか。

もちろん、私もその便利な道具の恩恵を享受しているので、他人事として言うわけではありません。私たち人間も、他の生き物もすべて無量無数の因縁によって、この世界にいのちを与えられたという生命観が含まれています。

いのちの平等性
あらゆるいのちは、つながりの中でしか生存できないような、いのちの仕組みになっているのです。そして、そうした地球規模で相互依存の関係の中に生きていながら、そのことに気づかないかのように、自分と他人を区別し、自分に関係があると思われることだけに囚われて生活しているのが現状です。
 
自己中心の善はかえって大切なものを見失わせる
親子や兄弟、友人同士のケンカ、国家間の争いが、互いに善と確信しながらなぜ衝突するのか?私たち人間は、いつも何が善で…何が悪か…の判断を持ちながら生きています。

そして「善」と思われるものを求め「悪」はなるべく避けようとします。ところが、このような生き方は時に他人との衝突を生んでしまいます。善悪について、あるいはどちらが正しくてどちらが間違っているのかということで、他と争ってしまうことは日常茶飯事です。

自分にとって善であっても、他にとってはそれが悪となることになることがあります。自分の善や正義を主張し続けることは、互いに敬い合いながら生きるという清浄なる道を破壊することにしかなりません。

2021年7月30日 (金)

現代が直面する町会の問題

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「災害も高齢者介護も先のこと」と思いたい地域住民にとって、町会の存在は影が薄く、マイカーとコンビニとSNSがあれば、隣人との付き合いは不要と思われることも多いのが現実です。

その背景には、日々の仕事や生活に追われるなかで、いま地域がどうなっているかの情報もなく、直接関係のあること以外はなるべく関わりたくないし、関わる余裕もない、という住民生活の姿があります。

そしてそのために、こうした住民で組織される町会は、組織への加入率の低下や役員のなり手がないという、組織存続の条件を欠く事態に追い込まれようとしています。
 
人口減少に転じた社会の構造転換は、地域でもそれへの備えをゆるがせにできないものにしてきています。震災を契機に、一時期注目されていたNPOやボランティア団体も、その守備範囲が明らかになってくるなかで、町会などの地縁型組織の意味と役割とが、あらためて問われるようになっています。
 
世帯の縮小と地域課題の変化
情報化を基盤とする日常生活の利便性の向上は、地域生活面での共同の必要性を低下させ、それが生活単位の縮小、すなわち小規模世帯の急増をもたらしています。この過程は少子高齢化の進行と並行関係をもって進んできました。
 
町会は、住居=世帯を単位として組織されています。世帯内の問題は世帯内で処理し、地域組織は、地域環境の整備や交通安全・防犯の活動、そして住民総出の地区行事という、世帯を超えた領域での活動を行えばよい、という役割分担ができていました。

しかし、単位となる世帯の人数が減って家事や育児、介護の負担が重くのしかかるようになり、同時に非正規雇用の拡大と貧困層の膨張、それとあわせて進む公的福祉施策の後退で個人や世帯の負担が増え、地域の活動に参加することがむつかしい世帯が増えてきました。

こうした状況下では、町会が従来通りの組織運営や活動をしているだけでは、組織加入率や行事参加者が減少するのは当然のことでした。
 
世帯(家族)の縮小=個人化が進むなかで、町会には、多様な条件を抱える住民個人を対象とした活動を行うことが求められるようになってきました。

現代の町会が直面する問題は、町会について住民の理解や関心が薄いことだけでなく、世帯の構造変化から生じてくる問題が底流にあることを見落としてはなりません。

長い伝統をもって地域の自治を担ってきた町会は、今後いっそう進む少子高齢化の、多様で深刻な状況や課題に応じた、組織と活動の見直しを迫られてきていると思います。

「生きざま」は人それぞれ

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「生き様」その人が生きていく態度・ありさま。生き方。その人の生きるありさまのことです。

「生きざま」の類義語とは?
「生き方」「あゆみ」「生き姿」「生きる姿勢」とあります。日本は、自己肯定感の低い人が多く、若者の自殺率は世界で有数といわれています。豊かで便利な日本で、死にたいと思う若者が後を絶たないのは悲しい事です。
 
人間としてどう生きるか、それぞれの生きる姿勢というのが、人生を生き抜く上でとても重要な課題といえるのではないでしょうか。

人それぞれ、生きざまは異なります
何を大切にしているか、どういう時に幸せと思えるかどうか、人生のターニングポイントでどう選択するかなど、ただ生きているだけで、人は自分の人生をおのずと形作っています。生きざまとは、自分の生きる姿勢を体現する大きなテーマと言えます。
 
とはいえ、社会的な価値観や周囲の勝ち負けにこだわっていると、自分らしく生きることが難しくなります。自分が持てる最大限の努力をするためには、本来の自分らしさが現れてこそ、発揮されるものではないでしょうか。

作家の芥川龍之介の人生論より、『人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。重大に扱わねば危険である。』とあります。人それぞれの生きざまは、単純明快ではないということでしょう。

2021年7月29日 (木)

心が広い人

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私は心が広い人間に憧れます。
心が広いとは、辞書には物事をおおらかに受け入れ、他人を厳しく咎めたてる事のない様子。寛大・寛容である様子。という記載があります。何でも受け入れて怒らない人。器が大きいなんて言い方もします。

いつでも表情が柔らかい
心が広い人は、表情にもその心の豊さが滲み出てきます。そのためいつでも表情が柔らかいです。眉間にもシワが寄ることは無く、話しかけるなオーラなどは一切ありません。接する人によって表情が変化するようなこともなく、誰に対しても柔らかく包み込んでくれるような顔をしてくれます。

人の話を聞くのが好き
心が広い人は、人の多様性を受け入れる心を持っています。そのため、色々な人の話を聞くのが好きで、積極的に人に話しかけています。そこでもし自分とは考え方が違う、意見の話が出てきたとしても否定などはせず、じっくりと話を聞いています。

そうしていろいろな質問を投げかけた後に、相手が聞きたがってきた場合のみ自分の考え方を話します。自分の考え方を押し付けたり、人の意見を無視したりはしません。相手が正しいと思ったらしっかりと受け入れる事こそ、心が広い人の特徴です。

人生には三つの坂がある

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・・・人生には「三つの坂」ある・・・
昔から、人生には「上り坂」「下り坂」そして「まさか」があると言われますが、今はまさにコロナ禍で、毎日がまさか、まさかの連続です。感染者や重症者、そして死者が増えることによって、その「まさか」が、より鮮明に見えていると思います。

自分が今いる立場や状況に、何かしらの変化が生じたゆえに出る言葉です。疫病が流行ることによって、ある意味、「死を身近に感じる」ようになったのは私だけでしょうか。

私は、太平洋戦争を経験していますが、戦時中・終戦後の、食料難で何も食べるものがなくて、自分を含めて、子どもたちの病死や餓死におびえていたことを思えば、「コロナ」ぐらいで、へこたれてはおれません・と言いたいところですが・・・

「人生、いつどこでどうなるかわからない」ことが、自分にとってはコロナ禍で、以前にも増して、より深く感じられているのかもしれません。
 
解剖学者の養老孟司先生は・・・
「いつ自分がどのように死ぬものかはわからない。そういう意味じゃ、人生は不安だらけです。ただ、人生は、そういうものです。不安はあって当たり前です。

あって当たり前の不安と、どのように付き合っていくかを心得ていくのが、成熟するということです。今の人は不安を消そうとするけど、不安は消えません。人生はそういうものです。あるものはしょうがない、不安と折り合わないといけない。」・・・と、おっしゃっておられます。

2021年7月28日 (水)

タバコの吸殻・たかが一本・されど一本

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町を汚すということは、自分の顔を汚すということと、同義語であると知って欲しいものです。公園・道路に、タバコの吸殻が落ちています。八王子市は全市内歩行禁煙です。

私は散歩しながら思いますが、自然環境を守ることは、地球温暖化・異常気象など、人間が…生物が…生存するための守らなければならない、必須条件となってきました。

歩きタバコは、他人に被害を与えるだけの問題ではありません。タバコを吸う人を毎日見かけますが、ほとんどの人が、携帯灰皿をもっていません。吸殻は、当然の如く「ポイ捨て」です。
 
「既得権益だからよいのでしょうか?」「皆がやっているから良いのでしょうか?」もし自分の子供が「皆がやってるからいいじゃん」って言えば、怒りませんか?自分の家の中でも、こういう状態にしますか? 外だから良いのですか?

自分の住む町を愛せない人は、自分勝手な人です。自分勝手な人は、近所の人を愛せません。自分自身との利害関係でしか、相手を許容できないからです。
 
近所の人を愛せないと、毎日が楽しくありません。私は毎朝ゴミ拾いをしています。でも、それが偉いわけではないはずです。
 
理想は、誰もが捨てない
誰もが自分の暮らす町を愛することではないでしょうか。自分くらいいいや、と思ってる人。「たかが1本。されど1本。」まずは自分の行動からです・・・。

わだかまりのない心

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人は誰でも、毎日を心穏やかに安心して生活することを願っているはずですが、近頃はどうでしょうか。社会を見ても身近なところを見渡しても、あるいはいつの世でもそうかもしれませんが、大小の違いや深い浅いはあっても心配や不安の連続であり、なくなることはないのかもしれません。
 
家族、仕事、老後、病気、環境、お金、死・・・。考えてみると、毎日を心が安らかな状態で生活している人はいるのでしょうか?仮にいたとしても、今がそうであるに過ぎません。まさに諸行無常の世の中です。

現代社会において、人間関係での悩みを持たれている方も多いと思いますが、これも自らの「分別心」という「ものさし」によって人を判断し、優劣をつけてしまっていることが原因です。
 
江戸時代の禅僧である良寛禅師は「いかなるが苦しきものと問うならば、人を隔つる心と答えよ。」という詩を残されています。「どのような事がつらいものであるかと人に聞かれたら、人を分け隔てて遠ざける心であると答えなさい。」という意味です。

やはり、いかなる場面においても人を分け隔てすることなく、心を一つにもって選り好みをしない事が肝要であり、それが良い人間関係をつくっていく上での基本となるのではないでしょうか。
 
そして、日々の中で次々と生まれてくるこの「人を隔つる心」をできる限り取り去り、物事をありのままに受け入れていく事ができれば、人間誰しもが本来持っている清浄で、「わだかまりのない心」を取り戻すことができるのです。

そしてこれによって毎日心穏やかに過ごすことができ、自分自身の人生がより豊かなものになってくるはずです。

2021年7月27日 (火)

しなやかな心を持つこと

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この先、どうなるかわからない世の中・・・今のままでいいとも思えない。
不確実な時代を生きる私たちには、常に不安がつきまといます。しかし、どんな時代であっても、未来は誰にも見えないものです。

頑張っているのに報われない、いろんなストレスで心が折れそう。
まじめで努力家な方ほど、ストレスやプレッシャーを抱え込みがちです。誰にも相談できずにいると、心の疲れが慢性化してしまいます。

たとえそうでなくても、世の中は猛スピードで変化し、それに適応していく力がわたしたちには必要です。逆境や困難、強いストレスにも負けない「レジリエンス*」。そのしなやかな心は、厳しい世界を生き抜く力でもあるのです。

*レジリエンス(resilience)とは、「回復力」「弾性(しなやかさ)」を意味する英単語です。

どうやってレジリエンスを高めるか?
◆自分の経験を見つめる
これまで頑張ってきたことや成し遂げてきたこと、乗り越えてきたことに着目し、「きっと、今回も大丈夫だ」という勇気に変えてみることです。

◆自己肯定感を持つと同時に、相手のことも尊重する
成功体験を大切にし、自分のことを信頼する。それと同時に、周囲の人のことも信頼し、尊重することです。
 
◆柔軟に思考する
広い視野を持ち、ピンチのときには考え方を変えてみる。「これしかない」より「こんなにある」と言うように、ポジティブな捉え方をすることです。いわゆる「認知の歪み」と呼ばれる、良くない思い込みに気づくことです。

2021年7月26日 (月)

心のものさしを進化させる

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「心のものさし」
自分の思い通りにいかないことは、ストレスになり・・・自分の思い通りの人生になれば、自分は幸せになると思ってしまう。
 
自分の思いや、自分の考え、自分の好みという「心のものさし」
自分が作り出した、自分の内側にだけにある・・・”心のものさし”・・・自分の「心のものさし」が正しいと思っている。だから他人の「心のものさし」は間違いだと思ってしまう。
 
人はみんな違う「心のものさし」を持っています。
みんな違う「心のものさし」で、はかるから合うはずがありません・・・心のものさし・・・は、過去からの経験や感情によって作り出したものです。それが固定観念、価値観になって、それを基準に思ったり、考えたり、何かを評価したりしています。
 
心を進化させていくと「心のものさし」が進化していきます。「心のものさし」が広がっていき、自分の思い、自分の考え、自分の好みが進化していきます。
 
今の「自分基準」ではなく、「魂基準」(心の活力・精神・気力)の「心のものさし」になっていきます。そうすると、進化の流れ、魂の流れに乗って行くことができます。
 
過去からの延長線上の未来の流れではなく、無限の力を味方した魂の流れです。新しい出会い、新しい流れ、幸せの流れがどんどん流れ込んでくるのです。そこには多くの神々が集まり、奇跡や思ってもいないようなサプライズもあり、感動させてくれます。

2021年7月25日 (日)

歳を重ねて大切なこと

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高齢となり、大切にしなければいけないことは?
常に感謝の気持ちを持たれている人が、一番素敵に見受けられます。また、常に前向きな考え方、生き方をされている方が、生き生きと輝いて見えます。
 
例えば、「もう…八五歳」「まだ…八五歳」と思うかだけでも違ってきます。
「もう…」と言えば先は短く、人生も終わりと言った感じです。「まだ…」と言えば、人生はまだまだこれから楽しもうと前向きに感じられます。考え方や気の持ち方一つで、人生観は大きく変わってくるのです。
 
何事に対しても常に「もう」ではなく、「まだまだ」という気持ちで前向きに生きたいものです。人間は年を取って体の機能や動きは衰えてきますが、気持ちや心まで落ち込ませていてはいけません。

老いていろいろなことをあきらめるのではなく、いくつになっても、常に前向きにしっかりと生きることを忘れないことです。

「ありがとう」の感謝の気持ちを持って家族や周囲の人に和顔愛語で接し・・・単なる長生きでは意味がありません。周りの人に感謝される「言動」を心がけ・・・年を重ね、心豊かな人生を送りたいものです。

2021年7月24日 (土)

ひたむきさが人生を変える

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ひたむきは、漢字にすると「直向き」
まさに読んで字のごとく、物事に対して直に向く姿勢を表しています。また、一文字で表す場合は「直」という漢字となります。そして「直」には、一途や素直・ただしい・まっすぐといった意味も含まれています。ポジティブな意味をたくさん持つ漢字から始まっている言葉、それが「ひたむき」です。

ひたむきな人は、コツコツと努力を積み重ねることが苦になりません。努力することが当たり前になっている場合もあります。その一面は、勉強・仕事・スポーツなどのさまざまな分野で発揮されます。

また、責任感の強さから物事を途中で投げ出すことはしません。中途半端なところであきらめないからこそ、最後には努力が実を結ぶといえるでしょう。 「ひたむきに頑張る」その姿を見て、頼りにする人やエールを送りたくなる人も多いはずです。

人生には、さまざまな挑戦や選択が存在します。挫折、後悔、失敗、心配ごと…決して良いことばかりではありません。そんなときこそ、ひたむきな人は頑張ります。失敗や後悔をした経験から学び、そして学んだ内容を経験値として積み重ね、次へと活かしていくのです。
 
努力家な一面が、学びを求めるのかもしれません。ポジティブさが、前を向かせてくれるのかもしれません。ひたむきな人は、立ち止まっても決して物事に背を向けず、必ず再び歩き出します。
 
柔軟な素直さを持っている
ひたむきな人には、素直さがあります。それも、とても柔軟な素直さです。知らないことを知らない、わからないことをわからないと素直に言えることは、実はとても大切なことです。

知らないことやわからないことを隠していては、なかなか人から教えてもらえません。特に社会人になってからは、自分から学びに行く姿勢を重視される場面が多くなります。

2021年7月23日 (金)

高齢者の生き方

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84歳になる私はこう考えます。
「ボケたからといって、できることはまだまだある」
速く走れなくなる、瞬発力がなくなる、皺が増える、耳が遠くなるといった現象と同様に、認知症も加齢とともに生じる現象なのだ・・・と割り切ることです。

困った現象
◎自分の人生に自信があり、自説を変えないこと。
◎多様なライフスタイルを認めず、古い価値観を若い人に強いること。
◎時間を持て余しているので、とにかく話がくどいこと。
◎短気でせっかち、怒りっぽいこと。
◎老人であることを利用すること。
老後は「一寸した幸せに喜べると言う体質を身に付ける」生活にしたい。それには「人生の品格」老後生活をどのようにすべきか・・・。

高齢者が抱える問題の解決策は、「本当に大切なこと」「守るべきこと」「伝えるべきこと」「捨ててよいこと」がより明確にすることです。

① 今をていねいに生きる→心を深める生き方
② 人間関係の器量を磨く→後半期からは貯蓄より「貯人」
③ 後半期からの「よい夫婦」を続けるコツ→夫婦のソーシャルディスタンス
④ 子どもを自立させる→後半期の親子のかたち
⑤ 地域と若者とかかわる→後半期の地域デビュー
⑥ やわらかく働く→後半期の仕事との新しいかかわり
⑦ 人生の引き際まで美しく→後半期の錆びない生き方と死に支度

挨拶をしましょう

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あいさつで人生が変わります。
〇…おはようございます。〇…こんにちは。〇…さようなら。〇…ありがとう。〇…ごめんなさい。
 
『あいさつ』で地域社会での生活が激変・・・
犬の散歩途中に出会う近所の人たちに「おはようございます」と笑顔で元気良くあいさつ・・・。こどもから高齢者、犬たちまであいさつの声掛け…。返事が返らなくても気にしない…。無視されても気にしない…。毎日、あいさつを繰り返しているうちに、相手からもあいさつを返してくれるようになります。
 
散歩途中にする立ち話ながら、驚く様な情報を得ることもあるし、元気を貰うこともあります。そんなコミュニケーションはたった一言、「おはようございます」や「こんにちは」で始まっています。

あいさつって・・・
〇 あいさつされて気分を害する人はいません。
〇 人の集団の中で活きて行く以上、あいさつは奥深い意味を持っています。
〇 あいさつ抜きで人間関係が始まることはありえない。
〇 こころとこころの架け橋をつくる入り口があいさつである。
〇 あいさつとは自分の心を開いて相手に近づく第一歩。
〇 人間関係の全てはあいさつから始まる。
〇 あいさつはコミュニケーションの潤滑油のようなものである。
〇 人間関係が上手く行かない人の多くはあいさつが満足に出来ない。
〇 あいさつが出来ない子がイジメにあうことが多い。
〇 地域住民の安全は『あいさつ』の掛け合いが基本。
〇 あいさつには人のこころが反映される。
〇 一言ながら、あいさつに含まれる意味は計り知れない。
「あいさつ」することで心豊かな人間になります。少なくても、地域に住む人には、あいさつしましょう。

2021年7月22日 (木)

美意識を持つこと

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◇ 人として
人として美しいのは、見えないところで、人の為に働くことです。人として汚いのは、見えないところで、人の邪魔をすることです。
 
◇ 一つ変えれば、一つ変わる
一つ汚れを洗い落とすと、心が一つ綺麗になります。一つ美しい言葉を使うと、心が一つ美しくなります。一つ人に優しく接すると、心が一つ優しくなります。一つ変えると、一つ変わるのです。
 
◇ 生き抜くことは美しい
花は美しく咲こうと思い、咲いていません。懸命に生きようと進化して、美しい花を咲かせたのです。懸命に生きようとする姿が、“美”をまとうのです。
 
◇ 美しさを感じよう
美しさを感じる目(感性)があって、世界が美しく映るのです。世界は“美”で溢れています。目を肥やすことで、世界の美しさに気づけるのです。
 
◇ 目に見えないものを見よう
頬に流す涙もあれば、心に流す涙もある。目に見える涙もあれば、目に見えない涙もあります。顔は笑っていても、心で泣いていることもあるのです。
 
◇ 本当の贅沢を知ろう
本当の贅沢な朝は、鳥のさえずりで起きる朝です。本当の贅沢は、高いお金を払って得るものではなく、人間が手放してきた中にあるのです。

2021年7月21日 (水)

信頼と信用

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アルフレッド・アドラーの言葉に
『「信用」するのではなく「信頼」するのだ』・・・『「信頼」とは裏付けも担保もなく相手を信じることである。幸せになりたいなら人を信用するのではなくせよ。〇〇』があります。

「信用〇〇」と聞いて、何を連想するでしょうか?「信用取引」「信用金庫」など、金融上の取引を連想する方が多いのではないでしょうか。

では、「信用」という言葉を「信頼」に置き換えてもそれは成立するでしょうか?「信頼取引」「信頼金庫」など。おそらくはピンと来ないのではないかと思います。

「信用」と「信頼」は明確に違う
「信用取引」とは、その人の預金残高や保有資産、過去の取引実績、担保など、何かしらの「裏付け」があって初めて取引を行うものです。つまり、「信用」とは裏付けや担保と引き替えに相手を信じることなのです。

しかし、「信頼」は違います。「信用」とは逆に、一切の裏付けや担保もなく相手を信じることを「信頼」と呼ぶのです。 裏付けがない、ということは、相手に裏切られるかもしれない、ということです。そうです。それでも信じる。それが信頼です。

アドラーの提唱した共同体感覚は、「信頼」をベースにしています。自己信頼と他者信頼は共に、裏付けなく、裏切られる可能性があっても信じることから始まります。

相手を疑っているうちは、信頼関係は築けません。無条件に信じるのです。そして、信頼関係もまたあなたから始めるのです。それが幸福になる道、共同体感覚を高める方法なのです。

2021年7月20日 (火)

自分に正直に生きる

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他人からどう思われているのかを極端に気にしてしまったり、優柔不断でどちらの道を選べばいいのかずっと悩んでしまう・・・。もっと楽に生きられたら良いのに!と悩んでいる方は多いと思います。

いつでも自分の気持ちに正直に、「シンプル思考」で人生が豊かになる。
あれこれ悩みすぎず、決断力がある。多少の嫌なことはサラリと受け流すことができる。余計な不安やストレスを抱くことなく「シンプル」に生きられたら楽なのに・・・と思っても、実際にはなかなか難しいです。

常に正直でいること
正直でいることで不都合が生じたり自分のイメージが悪くなったりするかもしれませんが、一時的です。それなりの恥や苦痛もあるかもしれませんが、命までは奪われません。
 
自分のイメージが悪くなっても、正直であることだけは評価されます。正直でいると、堂々とした人生を歩めるようになります。「何もやましいことはない」と胸を張れます。
 
正直であることは、相手に対してだけでなく、自分に対しても誠実でいることになります。「何も悪いことはしていない」「人として正しいことをしている」という気持ちでいられるので、自信を持てるようになります。
 
日頃から正直であれば、心が軽くなって明るい気持ちでいられます。正直でいるのは大変なようですが、実は一番楽です。ありのままを話したり振る舞ったりするだけでいいので、余計なことに考えなくて済みます。
 
ひたすら前を向くだけでよくなるので、全力で前に進んでいけます。必要な責任があれば、きちんと取ることです。何らかの事情で責任を取ることになり、恥・損害・損失があっても、必要最小限で抑えられるでしょう。
 
自分に都合の悪いことであっても、正直であれば、それ相応の素晴らしい人生がやってくるようになります。正直な人には正直な人間関係が構築されていき、正直な人生がやってきます。

2021年7月19日 (月)

真理・正義の追究

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哲学には、一つは「真理」の追求、もう一つは「正義」の追求です。
正義とは、誰にも否定できず、変わることのない道理であり、真実とは、うそや偽りのないことです。人は古来から真理に憧れ、真実を求め、そのことに生きることの意味や価値を、見出してきました。

これからの人生で、私たちはいろんな事に直面するでしょう。時には喜び、時には悩み、つまづきするかも知れません。例えどんな境遇であったとしても、真理を尊び、真理を求め続けること・・・そのことが理想を持って、自分の人生を切りひらく原動力になるのではないでしょうか。

正しさを問う必要性
今日の日本社会とその一部指導者層の不甲斐なさを目の前にするとき、そうした割り切り方は、余りにも単純かつ容易といえないでしょうか・・・。

なぜなら、事実関係を秩序づける概念である「真理」という概念とは対照的に、「正義」あるいはより広く正しさという概念は、人間社会において意味をもってくる社会的概念であり、従って、それを追求する姿勢の欠如は結局社会の衰退につながりうるからです。

人間が社会的動物として生きていくには、正義あるいは、最低限守らねばならぬルールがあります。にもかかわらず、最近はそれが皆に徹底せず、その代わり、法律に触れさえしなければいいではないか、という悲しい理屈が社会一般に増えてきているように思えます。

2021年7月18日 (日)

何を信じて生きればいい?

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「良い、悪い、正しい、正しくない」の話ではなく・・・。
人はどの宗教を信じるか、それは自由であり、憲法にも定められている通りです。この限りにおいて、唯一無二・自分が信じた宗教と信仰を持つ人は幸せです。

しかし、現在の日本では、この幸せな人は?
機械文明が進み、変化が激しく、世の中が複雑怪奇になる中で、自分の信じる「基軸」を持たない人が実に多いのではないでしょうか。

精神的な軸が無いのだから、行動も考え方も、意見も、その都度ブレてしまう。つまり、極めて刹那的な生き方になるうえ、迷いと、戸惑いと、鬱積があるのです。人間が集団の中で…社会で…生きて行くためには「自己の確立」が重要です。
   
「人は人、されど仲良き」が大切・・・
しかし、世情を見ると残念ながら、自己の確立(つまり自立)なく、生きている人が実に多い・・・。言うまでも無いことですが「自立」は「自己中心」ではない。

自己中心の勘違い者は、我を通す(我がまま)・横車を押す、だけで「信じた何か」を持っている訳ではありません。ご都合民主主義の中で、勘違いの「平等意識」だけが一人歩きしています。つまり、平等を主張することで自己確立したと勘違いしている人が実に多いのです。このように、自立は大変難しいことです。

「権利」のみを過大に追求し、義務をないがしろにする。
権利を追求するのは一部の人だが、これに巻き込まれないために、社会のあらゆる所で「当り障りのない」対応を取る・・・。この結果、本質的に何事も解決しない「先送り」で「きれい事」が蔓延しているのです。

魂を追い求める

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ソクラテスは「魂の探究なき生活は、人間にとって生きるに値しないものなのである」と述べています。与えられた知識を記憶するだけの知ではなく、自らの心のなかで吟味し続けた、知が「真実の知」であるとし、それを求め続けることこそ、「魂の探求」であり「善く生きる」ことにつながると説いています。

「真実の知」あるいは「魂の探究」などは耳慣れないことばです。こうした考え方は、現代の私たちからは随分、隔たったものと思われるかもしれませんが、はたして本当にそうでしょうか?。

 たとえば、努力は大切と分かっていても、実際には、怠ることなく努力し続けるのは、容易ではないのが人の常であり、また知識をうることは容易でも、得た知識を生かすための知恵を持つというのも、難しいことでしょう。

しかし、努力できる人間になるための心の持ち様や、知恵の備わった人になるためにはどうすれば良いかを、自らの心に問い続けるとすれば、それは真実を求めることであり、「魂の探求」に通じる行為であるとは言えないでしょうか。

自らを高めるために何をすべきか、自分はどうあるべきかを、問い続けることの重要性は、時代を超えて普遍であるからこそ、500 年近く昔に書かれたにも関わらず、「善く生きる」ということばが心に残ったのではないかと思うのです。

ところで、仏教でも、菩薩の修行道である六波羅蜜のなかに智慧があります。智慧とは心の作用の完全な統一であり、最も大切な修行道とされていますが、智慧とは、真実の知に通じるものではないでしょうか。

2021年7月17日 (土)

心の故郷を想う


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私は、心の故郷を想うとき、純粋な心を思い浮かびます。
純粋な心とは、「純粋で私心のない心」子ども心のことです。子ども心は、あるがままの心、つまり心そのもののことです。これが歳を経ていくごとに次第に純粋さが日常の些事によって曇っていきます。曇ってしまえば、自分の純粋性も分からなくなり、魂が何を望んでいたかもわからなくなります。

三つ子の魂百までという諺があります。
魂や心が望んでいることは誰にも変えようがない。つまり普遍的に魂や心はこの世で、何をしたいかを持っているという意味です。天命を与えられて生まれてきた存在は、そのまま死ぬまで天命がなくなることがないということです。

しかし実際は、その天命をやらせてもらえず、教育によってやってはいけないことばかりを、仕付けられてはそのものであることが否定されたりもします。純粋な心はそれによって曇り、自分自身が何をしたかったのかが、観えなくなっていくのです。

その純粋な心、三つ子の魂の本来の心であり、その心のふるさとは魂の父母が住んでいるところ。それを心に持っている人はいつまでも自分の天命に回帰し、自分の使命に生きていく悦びを忘れないで魂と全うしていくことができます。生まれてきた意味を知るということは何物にも代えがたい安心感なのです。

子どもが安心して生きていけるというのはこの心の中に懐かしい故郷、その心の父母の無償の愛を持っているということです。その無償の愛とは、言い換えれば自然慈愛の魂とも言えます。

2021年7月16日 (金)

人と人がつながって生きている

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人間、誰しもがこの世に自分の意志で時代や場所を選択して、生まれてきたわけではありません。「第一の誕生」は受け身であり、与えられたいのちは、親や周囲の援助がなければ、そのまま失ってしまうような危うい存在なのです。

そんな危うい誕生をした私たちが、何十年も生きられるのはなぜでしょう。
それは、あまり意識していないかもしれませんが、自らが持って生まれた「いのちの力」と家族や周囲のさまざまな人々の「お世話(支援)」があったからでは ないでしょうか。「迷惑をかけた」のではなく、「お世話」になってきたのです。
 
こうして「お世話」になりながら育ってくるなかで、私たちの心には、「できることで、誰かを助けたい」「誰かのために役に立ちたい」といった気持ち が、芽生えてくるのではないでしょうか。

「人と人がつながって生きる」という双方向の人間関係の土台には、このようにお世話になったり、お世話をしたりすること を通して育つ人間への基本的信頼感があるのです。

青年期は、受け身で誕生した 命が、人生の主人公として主体的に生きようとするからこそ、「第二の誕生」と呼ばれるのです。

「誰かを助けたい」「誰かのために役に立ち たい」といった気持ちは、具体的には、働くこと(進路選択)、愛すること(性と生)、社会参加(ボランティアなど)を通して実現が図られていくのです。

人生の主人公になるということは、それまでに、親や周囲の大人たちが、よかれと思って敷いてくれたレールを一旦相対化し、自分自身と対話しながら、隣人、社会、世界へと視野を広げていくことでもあるのです。

2021年7月15日 (木)

人生は山登りに似ている

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スイスの心理学者ユングの言葉に「人生は山登りに似ている。山へ登ったかぎりは 降りなければならない。山へ登りっぱなしのことを遭難したというのだ。」があります。

山登り・・・
登頂したあとは、麓(ふもと)をめざして下山します。永遠に続く登山というものはないです。この下山こそが本当は登山のもっとも大事な局面です。

これまで登山行きのオマケのように考えられていた下山のプロセスを、むしろ山に登ることのクライマックスとして見直してみたい。

山頂を征服する
挑戦する行為だとする考え方は、すでに変わりつつあるのではないでしょうか。そして今、下山の方に登山よりもさらに大きな関心が深まる時代に入ったように思われます。安全に、しかも確実に下山するというだけのことではなく、下山の過程に、登山の本質を見いだそうということです。
 
下山の途中で、登山者は登山の努力と労苦を再評価するでしょう。下界を眺める余裕も生まれてくるでしょう。自分の一生の来し方、行く末を思う余裕もでてくると思います。
 
その過程は、人間の一生に似てはいます。
壮年期を過ぎた人生を「林住期(その勤めも果たし、自然に向き直って自分自身の人生を静かに見つめる時期)」とみて、そこから「遊行期(人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない)死に場所を求める放浪と、祈りの余生の時期」にいたるプロセスを人間のもっとも人間的な時代と考えます。

2021年7月14日 (水)

生かされていることに感謝

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人間は誰しもが、自分で生きているのではなく、生かされているのです。
そして、生かされていることに感謝をする時、そこに報恩の気持ちが芽生え、「社会や人に対して、何かしなければ」という気持ちになり、人間は支え合って生きていけるのです。
 
私たちが一番感謝すべきことは“生かされている”ということです。生かされていることに「ありがとう」充実した毎日を過ごしているでしょうか・・・。

今では医学も進歩し、昔より人の寿命が二倍近く長くなっています。しかし、ただ単に長くなった命を喜ぶのではなく、むしろ長くなった命を、いかに充実した日々とするのか、いかに生きるかという事に「こころ」を置くべきです。

言い換えれば、時間の「量」から「質」へ転換することが大切なのです。そして「一瞬一瞬が大切」なのです。とは言うものの時間の質を高めることは、正に「言うは易く行うは難し」です。

ではどのようにして「質」を高めるのでしょうか。例えば、大半の人は一日の生活サイクルが決まっています。その生活サイクルの中で、無意識のうちに過ごしている多くの時間に、いかに意義を与え、見つけてゆくかを考えるのも一つではないでしょうか。

このように時間の「質」を高めることは、案外「何でもない」または「つまらないこと」に意味を与えていくことになりますが、生かされていることに「ありがとう」の感謝の気持ちを持つことです。

感謝の気持ちをこと持つで、はじめて充実した意義のある生き方が見えてくるのではないでしょうか。つまり、ただ単に流れていく時間を「自分らしく」有意義に過ごすことなのです。

2021年7月13日 (火)

後悔しない人生を送るには

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「人生はなるようにしかならないもの?」
今、自分に出来ることは「後悔しない人生を送るよう努める」ことだけ・・・人生というのはなるようになるし、なるようにしかなりません。努力をしても結果が伴うわけでもありませんし、全く結果が伴わないわけでもありません。

仮に結果が伴わずに失敗に終わったとしても、本気で自分に出来ることを精一杯やったのだとしたら後悔はしないで済むでしょう。何もやらずに終わってしまったら後悔しかありません。

自分に出来る精一杯の行動をして、後悔のない人生を送ることは自分の力で出来るのです。努力したからといって良い結果が生まれるわけではありませんが・・・。かと言って「努力をしても無駄だしどうせ上手くいかない」という事でもありません。

今、現在を自分に出来ることを精一杯やって、良かったか、悪かったかは、自分で決められないものです。だから、自分の力でどうにもならないことで悩むのはやめることです。


2021年7月12日 (月)

地域のSDGsを考える


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SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは持続可能な開発目標です。
現在、国各地で水害、土砂災害など多くの災害が発生する中、自然災害から安全・安心な生活を守るため、国民一人ひとりに基づく「自助」、地域の多様な主体による「共助」、国・地方公共団体による「公助」の連携が求められています。

また、こうした災害から安全・安心な暮らしを確保するためには、地域防災力を高め、あらゆる災害に強いまちづくりが必要不可欠です。地球温暖化をはじめとする、持続可能な循環型社会の形成に向けた、総合的な環境施策の展開が極めて重要な課題となっています。

地域の環境保護
私たちの町八王子市片倉町は、湯殿川・兵衛川が西から東へと流れています。川の蛇行から護岸工事で直線になり、川に棲んでいた魚や生き物の種類は、極端に少なくなりました。そして、湯殿川で泳いだり、夏のほたる狩りの経験がある人は、だんだん少なくなってきました。もうこれ以上の開発は不要と思います。

いかに自然が大切か・・・
”たんぼ”は完全になくなりましたが、まだまだ自然豊かな片倉城址の森などは残っています。人間の命は大自然につながっているのです。だから自然を保護することが、人間の命に関係するのです。取り戻すには時間がかかります。緑豊かな大自然は、尊いのです。一人ひとりの環境に対する理解と、優しさを持って欲しいと思います。

持続可能な世界を築くためには、何をしたらいいだろう?」「SDGsの達成のために、自分はどんなことができるだろう?」一人ひとり、みんながそれを考えて、行動することが大切です。

清貧に生きる

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「清貧」とは 貧乏だが、心が清らかで行ないが潔白であること。余分を求めず、貧乏に安んじていることです。

幸福度が高い人ほど温かい人間関係を育んでいます。また、お金持ちになると悪い人も寄ってきがちです。いろんな人が、あの手この手でお金をだまし取ろうとするので、人間不信になりやすいようなのです。

どんなにぜいたくな暮らしをしていても、周りがみんな敵に見えてしまうような人生は、幸せとは思えません。また、幸福度が高い人ほど、社会とのつながりを感じながら温かい人間関係を育んでいることが、研究結果で分かっています。
 
何億円も資産があるのに誰も心許せる人がいない孤独な人生と、年収400万円でも周りの人たちと支え合いながら生きる人生と、あなたならどちらを選ぶでしょうか。
 
何かを分かち合い、共有することは利他的で、他者への感謝の気持ちも生まれます。人は多様な人とつながると、幸せを感じられるのです。
 
貧しくてもみんなで力を合わせて生きていた、江戸時代の長屋のような生活は、人間の生き方の原点のように思えます。「人のお世話にはなりません」という生き方は、幸福学の観点から見ると不幸な生き方なのです。

2021年7月11日 (日)

自分の哲学を持つ

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「哲学」とは、分かりやすく言えば「真理を探究する知的営み」のことです。
世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問です。

今なぜそうした思考が求められるのでしょうか?それには主に4つの理由があると思います。

①グローバル時代です。
哲学が発展してきた欧米では、エリートは皆哲学を学んでいるそうです。そうした人たちと競争していかなければならない日本人も、同じ武器を身に付けておいた方がいいにきまっています。
 
②お手本のない時代です。
日本は21世紀に入って以降、ずっと行き詰まっています。個人も国家もかつての成功モデルが崩れてしまい、いったい何が正解なのか分からなくなっているからです。そこでゼロから考える必要性に迫られています。哲学はまさにゼロから思考する営みなので、ニーズが高まっているのです。
 
③AI時代です。
AIが急速に発展し、かつ社会に実装されてくると、人間はもう創造的思考をしないと生き残れない状況になってきます。哲学は極めて創造的な営みなのです。だから注目を集めているのだと思います。
 
④パンデミック時代です。
新型コロナウイルスによるパンデミック(世界的大流行)によって、ニューノーマル(新しい常識)をはじめ、私たちは常識の再定義を迫られています。哲学は物事を新たな視点でとらえ直す営みですから、当然その部分で役に立つのです。

人間が生きて行くことは・・・

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生きることは苦しい?
子供がいなくて淋しい・・・子供がいれば苦しみが増える・・・いずれにしても、人は苦渋を背負って生きています。第三者が見ているほど、他人は無風地帯に住んでいるのではありません。

「隣の庭は広く見える」ものです。
生きるということは、それぞれの悩みと同居しているようなものです。他人はそれをあらわに見せてくれないだけのことです。
 
宗教(仏教)の立場からいう、「人間は苦界に生きている」ということになるのでしょう。そうであれば、それと付き合って生きる以外にありません。
 
人間が生きるということは・・・
運命が与えてくれる試練との根くらべみたいなものです。そう考えるのも人生ですが、全く逆に人生を明るく楽しくとらえることも、可能であることを認識しておくべきです。
 
人生(運命)は思った通りに展開していくものです。
何か起こった時も、悲観的に捉えるのではなく、いつも肯定的に楽観的に捉えるようにしていると、いつの間にか良い方へ良い方へ必ず移り変わっていきます。

2021年7月10日 (土)

心を磨くこととは・・・

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「心を磨く」
私は、人間の「心」は生まれたときは誰もが、この 水晶玉のように曇りがなく美しいものだと考えています。 人をうらやんだり、ねたんだり、怒ったり、悲しんだり、悪口を言ったり、 思いやりのないことをしたり、さまざまな悪い心を出てくるたびに、くすんだ、汚い色 に変わってしまうのではないか、と思っています。

誰も人の心の中は見えません。心の中で相手のことを悪く思っても、誰も責めたりし ません。自分の心にブレーキをかけられるのは自分しかいないのです。

性格は生まれたときから一生変わらないものではありません。性格は、その人固有の性向、性質。 感じかた、考えかた、行動のしかたなどに現われる、その人特有の性向をいいます。

心の中でどういう思いを抱いているかによって、その人の性格は変わっていくものです。だから、だんだん年を重ねるに従って「あの人はいい人だ。若いころとはだいぶ違って、いいお人柄になったなぁ」と言われとすれば、そのことが実は、少しは美しい魂になっていった証拠なのです。

人柄を見れば、魂が美しいものになったかどうかがわかるのです。私は、高齢となり、やさしい思いやりに満ちた、美しい心を持った魂に・・・磨きたいと思っています。

2021年7月 9日 (金)

川の流れに従って生きること

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川の流れに従って生きるとは・・・
川の流れを、思いだすと、くねくね曲がりくねった、大きな川です。緩やかな斜面では、ゆっくりした流れです。急な斜面では、激しい流れで、右へ左へと曲がりくねった川に沿って、水も右へ左へと流れています。
 
不自然なところは、1つもなく、自然の流れに従っている状態です。この様子は、人生でも同じという考えです。人生の流れに逆らっても、思うようにはいきません。川の流れの中で生きているのですから、川の流れに従って生きることが「もっともらしい生き方」です。

「自分は時代に逆らいたい」「空気なんてどうでもいい」と思うかもしれませんが、やはり流れは大切です。大きな力であるため、個人の力では太刀打ちできません。見えない力を味方につけたいなら、流れに従って生きることです。

自然の成り行きに任せる
計画も大切ですが、自然の成り行きに任せることも大切です。意図しないイベントが発生したら、無理に抵抗せず、その流れに身を委ねます。成り行きに任せて生きるのは「自然に生きる」とも言えます。
 
時代の流れには従う
時代は刻々と変化していますから、その流れに乗ることです。時代にあらがったところで、不毛なことが増えるだけ。時代に沿った考え方で、時代に合った生き方をするほうが、楽に生きられます。
 
自分らしさも尊重すること
人それぞれに、特有の流れが存在しています。個性や性格、好き嫌いや得手不得手があるでしょう。自分の適性を見極め、個性を伸ばし、自分らしい花を咲かせるということです。自分に逆らうのではなく、自分を生かすような生き方をすることです。

2021年7月 8日 (木)

自分さえ良ければの考え

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孔子の言葉に「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」とあります。
ある時、一人の弟子が「人生で最も心がけるべきことはなんでしょうか」と孔子に尋ねたそうです。

孔子は、「自分が嫌だと思うようなことを、人にしてはならない。まず、自分の行動を慎み、全体の決まりに従うことが大切である」と答えました。

現代において、他人の迷惑も顧みず「自分さえよければよい」というような行動を取る人を見かけます。この「自分さえよければいい」という心理には、「自分一人で生きている」という考えがあるように思います。

他人との調和を図るためにも、まず「自分が嫌な事は他人にもしない」「相手の喜ぶことは何かを考える」ことは、社会生活においても、ビジネスにおいても、大いに考えなくてはならないことだと思います。

自分はいいと思っている行為も、多くの人が”良くないこと”…でマナーであり、ルールに犯している…とされていることは、「してはいけない行為」です。

そして、「人が見ていないから、誰かがやっているから」は、理由にならないのです。地域の環境美化からも、やってはいけない、「タバコの吸殻のぽいすて」「ゴミのポイ捨て」は絶対にしないことです。八王子市は、全市内歩行禁煙と条例に定められています。

日々の暮らしを丁寧に

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私は、高齢となり「毎日をもっと丁寧に暮らさねば・・・」と思ています。
そう思う方は多いと思いますが、では丁寧な暮らしとはどのようなものでしょうか?きっと大切なのは、毎日を大切に生きるということと、日々を心地よく過ごすために、自分なりに工夫をするということではないかと思います。

1日の終わりに今日を振り返ったとき、「充実して楽しかった」と思えていますか?過去や未来に思いを馳せることはできても、現実では今を生きている私たちだからこそ、今この瞬間を充実させたいものです。

そして、「今を大事にする」という言葉もよく聞かれます。今はあっという間に過ぎ去ってまたたく間に過去になってしまうものだから、今しか手にできないものをしっかりと掴んで、1日1日を大切に過ごすことです。

今を大事にするとは「今という時間をしっかり意識する」ということです。
私たちは今という時間を積み上げながら未来へと向かっていきます。今をしっかりと意識し、充実した毎日を積み上げることができれば、おのずと未来が変わってくるのではないでしょうか。

そして、天災をはじめとして予測できないことが、いつ自分の身に降りかかってくるか分かりません。今をしっかり見つめ、日々を充実させ、悔いのない毎日を送ることが、今まで以上に求められているのかもしれません。

2021年7月 7日 (水)

心の豊かさとは

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心の豊かさとは何か?モノの豊かさを求める時代は終わったのか?
最近の日本は”モノの豊かさ”を求める時代から、”心の豊かさ”を求める時代へと移り変わっています。

① 目に見えないものの価値を知る
ものを持ってることが豊かさの象徴だった時代は、前世代までかもしれません。今注目されているのは、目には見えないものの価値です。旅の経験や語学力、健康などの目には見えないものを手に入れることこそが、豊かな証拠だという考え方です。
 
ものを持っていることは、目に見えるのですぐに豊かさを感じることができます。ですが、それ以上に目に見えないものに豊かさを見出すことによって、生まれる心の豊かさがあるのです。
 
② 不要な情報に振り回されない自立心を育てる
今の日本では、誰でも大量の情報に簡単にアクセスすることができます。ですが、それらの情報は本当に自分を豊かにしてくれるものでしょうか・・・

これだけ大量の情報があると、ある程度自分の中で厳選し、必要なものだけをピックアップしていかなければ、本当に自分が求めているものは見えてきません。大量の情報に安易に振り回されない自立心を持つことが、自分の心を豊かにしてくれると思います。
 
③ 価値観の多様性を認める
今の時代では、価値観の多様性を認めることが必要です。ある人は、ものが少ないことで豊かさを得たいと思っているかもしれませんが、隣の人は毎日買い物をすることで、豊かさを得たいと思っているかもしれません。

何が正しくて、何が間違っている、と白黒つけなくてもいいのです。心の豊かさを手に入れたいのであれば、まずは価値観は人の数だけあるのだ、ということを知り、様々な価値観を認め合うことです。
 
④ 自分がいいと思ったものを選ぶ
心の豊かさを求めるのであれば、自分が本当にいいと思ったものを選ぶ必要があります。それ以外の不要なものは捨てていくことだって必要です。

自分が本当にいいと思うものに出会うには時間がかかります。ですが、その労力を惜しまず、自分の価値観にぴったりのものと出会ったときには、気持ちよくそれを手に取ることです。
 
自分の価値観で手に入れたものは、人生を輝かせてくれます。心の豊かさを求めるのであれば、自分らしく、自分のものさしで強く生きる術を身につけることが大切です。

2021年7月 6日 (火)

老化のスピードは人それぞれ

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「老化のスピードは人それぞれ」
人が皆同じように老化するかと言えば、そうではありません。歳を重ねる「加齢」は等しく皆に起こります。「老化」は、人の顔や性格がそれぞれ皆異なるように、そのプロセスもスピードも、人それぞれ千差万別です。三浦雄一郎さんのように80歳で、ヒマラヤに登る人もいれば、同じ歳で「老化」のために寝たきりになる人もいます。


その違いはどこから来るのでしょうか?自分が100歳まで長生きして自分の足で歩いて移動ができるように、今からできることはあるのでしょうか?それとも、それは遺伝子に刻まれていて、自分では変えられない運命にあるのでしょうか?

「老化に影響する遺伝的な要因は20%に過ぎず、多くは環境的な要因によるものです。生活習慣を改善し、環境的な要因を変えれば、加齢を抑えられる可能性があります」と、米デューク大学の心理学者テリー・モフィット氏モフィット氏は言っていますが。。。

ゆっくり歳を重ねる
老化とうまく付き合いながら、ゆっくりと歳を重ねるというライフスタイルです。老化の時計の針をゆっくり進める努力をすることで、より充実したライフスタイルを長く続けるという考えです。

老化は避けることはできませんが、老化のスピードを落とすことは可能です。私は「怒ったら負け」「中庸の精神」そして、その老化のスピードをコントロールする鍵は、毎日の生活スタイルの中にあると思います。

2021年7月 5日 (月)

感動させられる言動

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「積極的に行動する」
影響力がある人は行動力の強さも備わっていて、周囲の人はその行動力に感化されて、同じように行動を起こすことがあります。何事も自ら進んで行動すれば、勇気や正義感があるという印象を与えることができ、人から慕われやすくなります。
 
また、先に行動して物事を始めれば常に先輩になれるので、後から来た者を指導する機会が増えリーダー性が生まれ、影響力が強くなっていくのです。
 
「成果を表に出す」
人の心を動かすには、それ相応の実績とそれに伴う説得力がなくてはいけません。「この人がこう言っているんだから、これが正しいんだ」と信じてもらうことが前提です。全く実績が無い人が「こっちのやり方のほうが良いよ」と言うのと、既に体験した人が言うのとでは説得力の強さが違います。
 
影響力が強くなって人の心を動かす事ができれば、自分自身の自信にもつながります。ただ覚えておきたいのが、影響力があるという事は自分の発言に責任を伴うということです。責任があるという自覚を持っていないと他人を傷つけてしまう恐れがあります。

2021年7月 4日 (日)

やってみせ、言って聞かせて・・・

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山本五十六の言葉に「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」があります。この名言を「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」と結んでいます。

「コミュニケーション力なしに人は育たず」
この名言は、さらに「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」と続きます。これは立場や上下関係を越えた、ビジネスの現場で必要とされるコミュニケーション(話し合い・傾聴)の大切さとともに、部下に任せるマネジメント力(承認・委任)がチームメンバーの成長を促すということを教えてくれます。


良いチームをつくるためには「良い人材の育成」は欠かせません。それには、上記で紹介した「コーチング力」「コミュニケーション力」「マネジメント力」は必要不可欠。ひとつひとつをコツコツと「やってみせれば」きっとメンバーの成長だけでなく、業績も向上する「実り」の多いチームができるはずです。

森林を大切にしよう

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「牡蠣の美味しさを決めるのは、意外なことに森なんですょ」長年、牡蠣の養殖している業者の言葉。

沿岸域の生態系には、海中林と呼ばれる海藻の森があり、陸上の森林と同じようにさまざまな生物の生息の場となっています。 陸上の植物と同じ ... な海を育みます。

「フルボ酸鉄」
この一風変わった名前の物質が、森と海をつなぐ重要な関わりをもっているという、近年、北海道西部の日本海沿岸で、海底の岩肌が真っ白に変色する現象が発生しているが、これが俗に言う「磯焼け」です。


この現象が発生すると、食物連鎖の底辺にある海藻や植物プランクトンが減少する。その結果、これを餌とする沿岸の魚が姿を消し、漁業に深刻な影響を及ぼすことになるということです。

その一因に、森の荒廃があるのではないかと考えられますが、その理由を説明するカギがフルボ酸鉄です。海中の藻や植物プランクトンの成長には、窒素が不可欠ですが、この窒素を吸収するためには、触媒の働きをする鉄が必要となります。

フルボ酸鉄とは
森では、地上に落ちた葉や枝が微生物によって分解されるが、このときにフルボ酸ができます。このフルボ酸が腐植土の中の鉄と結合して、フルボ酸鉄となります。
 
鉄は、イオンのままでは、川で運ばれる途中で、酸素に触れて鉄粒子に変わってしまう。しかし、森でフルボ酸と結合した鉄イオンは、フルボ酸鉄として鉄イオンのまま川を下って海へ到達します。

そこで、植物プランクトンや海藻が養分を吸収できるように働くのがフルボ酸鉄です。この説には、科学的な実証等が必要とされていますが、いわば、「フルボ酸鉄は、森から海への贈り物」ということになれば、想像しただけでもロマンチックで感動的な話ではないでしょうか。

海と森は、川によって深く結ばれ、森は海に大きな恩恵を与えていると言われていますが、その森は、人手が入らず活気を失っています。今一度、森に目を向けてみませんか・・・。

人生は真理を求め続ける旅

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「心理」とは、 いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。​真実の道理。=日本大百科全書

「真理は一つであって、第二のものは存在しない。」
真理に目覚めて仏陀になられた釈尊の言葉です。「真理」とは、変わることのない、いつ、どこの、だれのところにも例外なく通ずるという性質を持つものです。

人生は真理を求め続ける旅
人間は、自分たちのところにだけ、何が真理であるかを知ることのできる力があるかのように思い、その力を使って、ひたすら自分たちに都合の善い快適で便利で豊かな生活を実現しようとしてきました。

それは自分たちに都合の悪いものを排除することによって成り立つ生き方でもありました。多くの動物や植物が姿を消していったのは、そのためです。

そして、同時に私たち人間も生存の危機を迎えることになったのです。そういう意味で、現代ほどこのような私たち人間のありようが問われている時代はないと言えるでしょう。

とくに近代以降、私たち人間は、自分たちのところにだけ何が真理であるかを知ることのできる力があるかのように思い、その力を使ってひたすら自分たちに都合の善い快適で便利で豊かな生活を実現しようとしてきました。

だからこそ釈尊は、変わることのない、いつ、どこの、だれのところにも例外なく通ずる真理を見出すことが大事であると教えているのです。私は、「人生は真理を求め続ける旅」と思います。

2021年7月 3日 (土)

高齢者の幸せ感

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幸せのかたちは、年代によって違っていきますが・・・高齢者は・・・
(1)関係の深い人とのあたたかな関わり。
(2)「ありがとう」と言われること。
(3)介護予防に取り組み、前向きに努力すること。
(4)おいしく食べること。

「自分らしく生きることが、幸せにつながる」
やがてくる人生の終わりについて考えるようになります。きっかけは周囲の親しい人が亡くなったり、持病の悪化や病気の後遺症など、体の不調が多くなることもあります。人生を振り返り、締めくくる時期に入りますが、この段階ならではの幸せもあります。

無理のなく出来るボランティア活動
社会貢献をすることも高齢者の幸せに役立ちます。地域のボランティア活動をする。感謝されると、自分自身に価値があると思えるものです。そういったことに積極的に、活動することは、自己肯定感を高めると思います。

2021年7月 2日 (金)

一貫性のある人間になれ

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人間生きていれば腹の立つこともあるし、理不尽なこともあります。

それでも、やっぱり人格者と呼ばれる人は、自分の人格を相手に左右されることはなく、自分の道を切り拓いていき、なおかつ周りにも影響を及ぼせる力を持っています。
 
そうであるからこそ、「一貫性のある人間になれ」
人からも尊敬され、自分の指針がブレることがない・・・些細な、他人の言った言葉で腹を立て、流れのまま感情を爆発させ、自分自身の人格を傷つけてはいけません。

自分の人格は自分自身がコントロールし、他人にゆだねるべきものではないわけです。と言いつつ、私もまだまだ人格が出来上がっていない未熟な人間です。自分の人格を守るために、自分の人格を磨き、確立していきたいものと思ています。

私たちで地域の環境を守る


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環境保全のために普段の暮らしの中でできること」・・・生活者だからできる環境保全活動があります。

私たちの周りには環境保全を行う活動がいくつもあります。また私たち自身も日頃の生活の中で環境保全につながる行動もあります。それらに取り組むためには環境保全活動についての理解を深めることが大切です。

■なぜ不法投棄をするのか
ごみを処分するには国や自治体のルールに沿って、適正に処理しなければなりません。しかし、分別が難しい、分けるのが面倒、処理費用がばからしいといった理由で不法投棄をするケースが挙げられます。

■ごみがごみを呼ぶ
ひとたびごみを捨てれば、そのごみがまた新たなごみを呼び、その場所が不法投棄の名所になってしまいます。一度不法投棄の名所になってしまうと、たとえごみを撤去してもまたすぐに不法投棄され、多大な処理費用だけがかかるようになります。

■不法投棄がもたらす悪影響
不法投棄は、まちの美観を損ねるだけでなく、その廃棄物から出る有害物質が地中に浸透し土壌や地下水等を汚染し、環境破壊を招きます。また、不法投棄の処理にかかる多額の費用は、税金によって賄われます。不法投棄をする者が支払うべき対価を、私たちの税金で賄っていることになるのです

 ■タバコの吸殻はゴミですよ!
八王子市は、全市内が歩行禁煙です。タバコの吸殻一本ぐらい・・・ゴミと思っていない?のでしょうか?・・・道路や公園に投棄されています。吸殻入れなどで処理する人は、殆どいないようです。車からの吸い殻のポイ捨ても多いです。

■ゴミ拾いをしよう
また周辺のごみを”こまめに拾う”ことです。そして、死角をなくして見通しを良くすることで、不法投棄を抑制することができます。

本当の幸せとは・・・

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幸せと感じる瞬間を、思い出すと・・・
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大金や欲しい物が手にしたとき・・・「幸せだ」と考えますが、物質的豊かさによる幸せは、一時的です。
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人とのつながりを通して得られる心です。

幸せは、心で感じるものです。
 
心があってこそ、本当の幸せを感じます。
 
人とのつながりを通して得られる心に触れたとき、人は深い満足感を抱きます。
 
人から慕われたり、愛されたり、尊重されたりするとき「幸せだな」と感動し、深い満足感が得られるのです。

2021年7月 1日 (木)

ゴミ拾いをなぜするの?

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子どもが、「なぜ毎日そうじをするの・・・」
老人の答えは 「そうじをすると得をする の・・・」 「どんな得ですか?」 と聞くと・・・「ごみを拾った人だけがわかること」と言うだけです。

しばらくたって、老人は子どもにこんな話をします。
「ごみをひとつ捨てると 大切な何かをひとつ捨てている」その話を聞いた子どもの人生が少しずつ少しずつ変わっていくという ストーリーです。

「誰も見ていなくても、勇気を持って恥ずかしがらずに自分の意思を貫いて行動に移す・・・。 これが習慣化されると自尊心が芽生え、自分に自信が持ていろいろなことをやってみよ うと、挑戦できるようになります」…とのこと。

 私たち大人も子どもも何かあわただしい中で、つい損か得か…面倒か面倒でないか…効率がよ いか否か…で行動し、 「大切な何かをひとつ捨てながら… 」日々過ごすことがあるように思います。

「大切な何かをひとつ拾う」一日に一度でもやっていけたらな・・・。
大人が子どもたちに「大切な何かをひとつ拾う」背中をみせていけたらなと思います。何ごとも まず自分! 家ではごみを散らかして家内に指導?をうけていますので、せめて私たちの地域では 「ごみ拾い」をがんばろうと思います。

人生は浮沈みがある

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人は誰しも落ち込むことに対して嫌悪感を持つものです。
そう思うことは、言い換えれば「いつもいい気分でいたい」「理想な自分であり続けたい」と思うことでもあるのです。それによって、“落ち込んでしまう自分を許せない”と思う気持ちや、出来ていない“自分への罪悪感”を感じやすくなってしまうのです。
 
人には必ず気分のアップダウンはあり、ずっと気分がいいことはないのです。「自分だけが落ち込みやすい」「なんで思い通りに行動できないのだろう」と自分を否定してしまうと、さらに落ち込みを加速させてしまいます。そう思ってしまう時は、「気分のアップダウンは誰しもあることなんだ…今はそんな時だよね…」と自分で自分を認めてあげるようにすることです。

ストレスは精神的にも多大な影響を及ぼします。プラスな気持ちを湧き起こすためにも、友達と遊んだり、趣味の時間を作るなど、自分の心の状態がプラスになるような、時間を積極的につくることも大切です。
 
また、相手の言動が気になりすぎてしまう場合は、「自分は自分…”自分の人生を生きる”・・・」ということへと気持ちにシフトしていくことが大切です。周りの目を気にして、周囲の評価を軸とした生き方になっている状態は、自分の人生ではなく、他人の人生を生きているようなものです。

そもそも人は価値観が全く同じ人はいませんので、全ての人に良く評価されるというのは不可能に近いことなのです。そのことを常に心にとどめ、自分の人生を軸に考えることです。

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