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2021年6月

2021年6月30日 (水)

使命感を持つこと

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「使命感」に似た言葉に「責任感」があります。
どちらもなにかをやり遂げようとする気持ちをさしますが、「使命感」がポジティブな感情として使われるのがほとんどなのに対し、「責任感」はネガティブな事象や感情に対しても使われる言葉です。

使命感の強い人は、物事に対していつも全力で取り組みます。
自分のやりたいことに全力で取り組む人は多いと思いますが、やらなければならないことには、なかなか全力で取り組めないものです。どんな物事に対しても投げ出そうとせず、最後まで全力を出せる人には使命感を強く感じるでしょう。

常に前向きな姿勢で、ポジティブ思考な人も使命感が強い人には多いです。熱い気持ちを持って行動しているので、もし失敗したとしても「この次はきっとうまくいく」と何度もトライして失敗さえも成功に変えてしまいます。たとえ周りが諦めても可能性を信じて諦めず、最後まで前向きに取り組むでしょう。

「使命感」を感じ取っている人は、強く生きられる。自分で考え納得できる目標を立てることで、「絶対に達成する」という強い決意が生まれ、それが使命感に繋がっていくのです。

「全ての物事に対してポジティブに取り組む」
たとえやりたくないことや、人が面倒に思うことだとしても、全ての物事に対してポジティブに取り組むことです。継続的に続けられたら、何事にもやる気を持って取り組める使命感が強い人になれるでしょう。

2021年6月29日 (火)

地域のコミニティを考える

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今は、誰も他人のことを思いやらなくなった。そして、思いやるゆとりさえなくしてしまったのです。そして、他人と関わり合うのさえ”いや”になってしまったのです。

親は子の世話をしなくなり、子は親の面倒を見なくなった。足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになった。会社は、会社の都合だけで社員を雇い。社員にとって会社は、生活費を稼ぐだけの場でしか過ぎなくなったのです。

国へ国民は、要求だけをして国に尽くす事を忘れてしまった。
誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら社会など不必要です。

人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされるのです。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものになってしまいます。
 
何が、自分たちに必要なのか?何を、依って立つべきなのか・・・。昔の人たちは、もっと単純明快に理解していました。助け合って生きてきたのです。重要なのは、単純明快さです。今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分たちが依って立つ基盤をも見失いつつあります。

中央集権化されすぎたために、自分たちにとって大切な意思決定が自分たちからかけ離れたところで行われるようになってしまったのです。政治や経済とは、本来、自分たちの身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。

子供達の教育も生活に必要な事も、根本は、自分たちの郷土をどの様な社会にするのかという構想です。だからこそ、環境も大切にすることができるのです。

大切なのは郷土愛
その上にたって、その土地に生きていく人たち、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。それがなければいかに土地が荒廃しても開発を優先するでしょう。経済は栄えても、土地は荒廃していくということになるのです。

2021年6月28日 (月)

信頼を得るには・・・

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信頼は一貫性のある行動によって作られるものです。
自分の気持ちに、素直に生きれば信頼につながります。信頼を築くには自分に正直になるのことが一番です。自分に正直に素直になれない人は人に正直になれません。

自分の気持ちに素直になり、嘘偽りなく行動していくことで自然と信頼というのは集まってくるでしょう。人はずっと嘘や偽って生きることは出来ないでしょう。それなら初めから自分に素直になっていればボロは出ませんし信頼は集まるでしょう。

そして、信頼を得るためにやるべき7つのことがあります。
1 一貫性のある行動
2 嘘をつかないこと
3 相手に心を開く
4 積極的にコミュニケーションをとる
5 相手の心を操ろうとしない
6 やましいと思う行動をしない
7 陰口を言わない

信頼を得るには、大変な努力が必要です。

人生は決断の連続

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決断力とは、「
何らかの問題や課題に対して、複数ある対応策のうち、意志を持って1つを選ぶ力」のことです。

「決断する」ということは、見方を変えれば、選択したもの以外は「切り捨てる」という意味になります。「選ぶ・選ばない」双方に何らかのリスクがあるため、伴うリスクが大きいほど、決断には大きな覚悟と責任が必要となります。

「選ぶ」だけでなく常にそこには「実行」「行動」が付随してきます。これは簡単なことではありません。なぜなら、決断を下すことにおける重要な要素の一つに「不確実性」があるからです。

人生は決断の連続
「この先何が起こるのか見通すことができない」「自分の行動、言葉によって何が起こるのか?」「この道を進んだらどこへ行き着くのか? もし別の道を進んだらどうなるのか?」──。

不確実性は、私たちを不安にします。
そして不安は焦燥感をもたらしたり、決断を下すことを妨げる障壁になったりします。また逆に、深く考えずに行動してしまうような心理的状態を引き起こすこともあります。

2021年6月27日 (日)

ボランティアは特別なことではない

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ボランティアは特別な行為と考えている人が多いかもしれません。確かに、何の見返りもなく他人に奉仕するわけですから、特別のことと考えるのは無理もありません。
 
ボランティア活動とは、誰もが人間らしく豊かに暮らしていける社会を目指し、それぞれ自分の身近なところで、日々の生活の中でできることを考え、自発的に行動することです。
 
日常生活の中で自然に取り組む活動
特別に「ボランティア活動」というものがあるのではなく、生活(学校、職場、家庭、地域)などの中で自然に取り組む活動です。
 
人間としてあたりまえの行為で、みずから進んで取り組む
ボランティア活動をすることは、特別なことではなく、本来人間として当然のことを自分の意志で取り組むことです。
 
結果的に自分を豊かにする
利益を期待して行うものではなく、結果として自分自身の人生を豊かにし、プラスになるものです。誰もが人間らしく豊かに生きるためにお互いを助け合うものです。誰もが困った人を助け、また、自分が困ったときには助けてもらう。誰れもがその一人なのです。

2021年6月26日 (土)

地域のコミニティへの高まりに期待

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地域コミュニティへの高まりに期待
二つの例を挙げると、一つは、高齢社会を地域コミュニティの力で支えていくことへの期待です。

高齢化がさらに進展し、介護が必要な高齢者の受け皿を「施設型」から「地域型」、「在宅型」へ移行させる動きのように、高齢者が地域で暮らし続ける仕組みづくりが今まで以上に重視されるようになり、高齢者も含め、地域住民が「地域」という環境の中で、支え合いを提供し合うことが求められているのです。

もう一つは、災害対策における期待
東日本大震災(2011 年)によって、人々の防災意識が高まったことに加え、原発事故により住民がふるさとを離れ長期の避難生活を余儀なくされた状況を目の当たりにして、家族や地域とのつながり意識が広がりました。

今後 30 年以内の巨大地震発生の確率が首都直下型で 70%、東海地震で 87%などと予想されており、さらに近年地震に限らず大規模な自然災害が続発している中で、地域コミュニティの災害対応力の強化は喫緊の課題と言えると思います。

2021年6月25日 (金)

地域のコミニティの再生について


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「地域コミュニティは決して古くさい前時代の遺物」ではありません。地域コミュニティの再生は重要な課題です。

「そんなものは自分とは無縁」
と思っている人も、自然災害・自然環境の保全など、よく考えてみれば、地域コミュニティは自分や自分の家族が安心して暮らすうえで「役に立つ・必要な」ものなのです。

多少の煩わしさはあるとしても、地域のなかで人とつながりながら、暮らすほうが得なのですから(もちろん、「目先の損得」ではなく、大きな意味での「得」です。

ただそのためには、地域コミュニティの核となる地域組織の役割、働きかけが重要です。これまで地域コミュニティと疎遠だった人も巻き込んで、「うちの地域はコミュニティがしっかりしていてよかった」と地域のみんなが思えるような活動が求められています。

そのためには、昔ながらのやり方・昔ながらの関係を踏襲するだけでは不十分です。たとえば、地域や周りの人たちのことを思いやり、自己実現を目指して、高齢者・子育て支援や、地域文化の継承、環境保全など、様々なボランティア活動の理解と参加して頂くことで、想いが達成されるものです。

「安心で安全なまちで暮らしたい・・・」市民は多いはずです、そのような想いをもつ人たちを巻き込むことの肝心を持つ組織作りが、大切と思います。

2021年6月24日 (木)

小さな親切・大きな喜び

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「小さな親切で大きな喜びを 得よう。」

昭和38年(1963年)、当時東大総長だった茅誠司が、卒業式の中で卒業生に贈った言葉がきっかけとなって、「小さな親切運動」がスタートしました。小さな親切運動は、小さな親切8か条より成ります。

今から58年前のことですが、思いだしてみて、これからも続けたいものです。
1.朝夕のあいさつを必ずしましょう。
2.はっきりした声で返事をしましょう。
3.他人からの親切を心からうけ入れ「ありがとう」と言いましょう。
4.人から「ありがとう」と言われたら「どういたしまして」と言いましょう。
5.紙くずをやたらに捨てないようにしましょう。
6.電車やバスの中でお年寄りや、赤ちゃんを抱いているおかあさんには席を譲りましょう。
7.人が困っているのを見たら、手伝ってあげましょう。
8.他人に迷惑になることは止めましょう。
 
この8か条は当たり前のことばかりで、日常生活の基本の行動を掲げています。これは子供に対してというよりも、大人に対してです。具体的ですぐに行動に移せることばかりです。誰にもできることで、お金がいることではありません。日常の何気ない親切が、身に染みてうれしいと思うときがあります。

美しい花をみて思う「世の無常」

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はかなくて過ぎにしかたを数ふれば
           花にもの思ふ春ぞ経にける」・・・式子内親王

花を見て物思いにふけって、とりとめもなく、過ごしてきたものだ。「衰え老けゆく」「亡くなる」「はかなし」「常なし」です。はかなく過ぎ去ってしまった年月を数えると、花を思う春ばかりが思いに残っています。

最近、自分自身に、体力・気力が衰えを感じ、いつの間にか私の周りに、住む先輩たちが少なくなり、私たちの年代の人が長老?となってしまったのです。世の無常と、儚さを知って、人は自然を愛おしみ、故郷の風景に心をよせる様になってきました。
 
時は流れ、あらゆるものは変化します。
この人生に永久不変のものは何一つありません。だから、今日の幸せが明日の幸せとはかぎらないし、今日ここにあるものが明日ここにあるとはかぎりません。
 
自然についても、それは同じです。一見、自然は悠久不変のように思えますが、私たち自身との関係から眺めれば、自然の事物は一つとして同じままであることはできません。
 
人は同じ川を二度渡ることはないのです。たとえ今日渡った川が昨日と同じ場所にあったとしても、流れる水は昨日と同じではないし、渡ったわれわれ自身も、厳密にいえば昨日のわれわれ自身ではないのです。
 
もっと大きな時の流れの中で変わるものに、風俗習慣がありますが、人はそれに合わせて生きるしかないのです。しかし、変化の中にも変わらないものがあります。
 
個人にとっての変化も、個人を越えて大きな見地で、眺めれば同じことの繰り返しにすぎません。循環する四季のごとく、繰り返すのが世の中の常であり、人間の歴史です。

2021年6月23日 (水)

今を精一杯生きる

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自分の人生は一度きりです。
誰かが考えて決めた道の上を歩くのは楽かもしれません。しかし、それは自分の人生なのでしょうか。自分の「今」の人生を精一杯生きることです。

周りの目を気にして、自分のやりたいことや自分が本来行うべきことを見過ごしていないか?他人が、どう思っているのかを気にすることは悪い訳ではありません。しかし、他人の考えに振り回されたり、周囲の目を気にし過ぎたり……それでは自分の「今」この瞬間を生きることは難しいです。

「今」この瞬間を精一杯生きるためには、時には常識を疑うことも大事。一般的に当たり前だと思われていることや、自分自身も常識だと思っていることが本当に当たり前のことなのか、自分の頭で考えることも必要な時があります。

「今」を生きており、充実した人生を送っている人たちが行なっていること、それは目の前のことに集中するということ。過去は今の自分で積み重ねで、未来は今の自分の連続・・・。

できることは今すぐに・・・「先延ばし」をやめて後悔のない、気持ち良い毎日を過ごすことです。仕事や家事において、いつかはやらなくてはならないと分かっていることを「先延ばし」にしてしないことです。

安心・安全の町づくりは私たちで・・・

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近年、侵入盗、ひったくり・詐欺・痴漢等の生活に身近な犯罪(生活犯罪)の急増・・・また、ゴミのポイ捨て、といった迷惑行為等の増加により「まちの安全と住民の安心」が大きく脅かされ、より不安を感じることが多くなっています。
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犯や交通安全等の日常の安全・安心についても、子供の犯罪被害への不安を軽減するための、防犯に配慮やバリアフリー化による、高齢者や障害者等の移動の円滑化などの、安全・ 安心な生活環境の確保が課題となっています。
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「地域は私たち地域の住人で守る」
何から始めればいい?「地域安全活動に参加したい」「地域の力になりたい」と思ったとき・・・そのポイントは、「無理せず、できることから」です。
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例えば、町内でのあいさつ、声かけ運動、通学路の立番活動など、地域の中でのちょっとした、コミュニケーションや活動によっても、地域を見守る機会が増えることになり、不審者を寄せ付けにくくするといった効果があります。
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また、ウォーキング、ジョギング、買い物、犬の散歩などの、日常生活や事業活動の機会に、防犯の視点を持って見守りを行う「ながら見守り」という取組もあります。
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私は、ウォーキングしながら、町の美化活動(ゴミ拾い)をしています。そして担当エリア内での、懸案事項はについては、担当事業所・警察・国土交通省・市の福祉課などに、相談しています。
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多くの人が関心をよせ、問題提起をし、市・都・国の関係先にすることも、大事ですが、私たちで出来る、町づくりもあるのです。「地域のコミュニケーション」「一声運動」「地域住民の防犯パトロール」に参加することです。

2021年6月22日 (火)

コロナ禍で人の絆の薄れが不安

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新型コロナ感染拡大防止のため、行動が制限されている今だからこそ、人と人とのつながりが大切です。

町会は、ご近所のつながりで結成される「地縁」に基づく任意の団体で、防災・防犯活動や地域の催し等の親睦活動、交通安全運動など、より良い地域社会の実現に向けて活発に活動することが目的です。

コロナ禍で、例年の町会のイベントも無くなり、近所どうしのお付き合いを減ってしまい、極端な情報不足になっています。

家族葬で執り行う
地域での出来ごとの情報が、その都度耳に出来たのですが、コロナ禍で、情報が極端になくり親交のあった人でさえ亡くなったことの情報がなく、数日後、他人からの情報で知らされる?・・・と言ったことが不安・心配までになってきています。

お隣り、向こう三軒両隣りの精神
人間は一人では生きていけません。何らかの形で、他人に依存しています。ある時は助け、またある時は助けられる・・・この助け合い人の社会の基盤ともなっています。

”遠くの親戚より近くの他人”を忘れないこと
というように、万一の災害時や犯罪、病気、ケガなどの緊急時には、ご近所さんの力が大きな助けになります。特に小さいお子さんやお年寄り、体の不自由な人がいる家庭では、個人や家族だけでできることに限界があります。隣近所で助け合える体制を整えておくとが大切です。

2021年6月21日 (月)

年寄の体調は変わりやすい

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「年寄の体調の急変する」・・・私も実感・・・
昨日は、元気でウオーキングしていたかと思えば、今日はどうも、胸が変で?・・・また転んで足を痛めたり、腰を痛めらり・・・気をつけていても起こり得ることです。
 
お便りの冒頭に・・「体調はいかがですか。」・「お元気でいらっしゃいますか。」・ 「お変わりございませんか。」などの気遣いが大事です。
 
何かを頼むときの礼儀
「親しき仲にも礼儀あり」とは、どんなに親しい間柄であっても、礼儀を忘れてはならないとする戒めの言葉です。気を許した相手にはついつい甘えてしまい、この位は許してくれるだろうと、心無い言葉をぶつけてしまうことが往々にしてあるものです。
 
そのような気のゆるみから、大切な人間関係にひびが入ってしまうリスクを回避するためにも、相手に対して「礼儀」を守るという基本を忘れないようにしたいものです。
 
「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」とは、「優れた人物は人と親しくしてもむやみに同調することがない。器の小さい人間は自主性を欠いてすぐに人に同調しする」という意味です。
 
他人と真に親しくつきあうには、一線を引いて独立した精神を持つことが必要だと述べており、「親しき仲にも礼儀あり」と通ずる精神であるといえます。

2021年6月20日 (日)

山に登ることを人生に例えたら

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「山に登ることを人生に例えたら・・・」
たった一回しかない人生、いい加減でも楽しく生きたいと思うなら、ハイキング気分で行ってもいいだろう。しかし、富士山に登りたいと思うなら、それなりの準備がいるし、体力もいる・・・。

ましてや、冬のヒマラヤに登ろうと思えば、それに勝る完璧な装備が必要になります。
どの山に登りたいのか、つまり、どういう人生を送りたいのか、それに応じた考え方、が必要なのです。

哲学は、なるべく次元の高いものであるべきだとは思いますが、それは立派な人生を送りたいと、思うからこそ必要なのであって、もっといいかげんな人生で終わってもいいと思うなら、あまり次元が高くなくてもいいのです。

他者のために尽くす
自分が過ごそうと思う人生に、応じた考え方を持つことが大切なのです。生きるための手段が、自己実現の手段足りえるのならば、同様に他人のために尽くすことも、自己実現の手段と考えられると思います。

つまり他者のために尽くすことが、自分の生きる意味だと思う場合は、大前提として「自分が幸せになることを第一に考える」ことが重要になるのです。

2021年6月19日 (土)

高齢期の輝き

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高齢期は心身の衰えを伴うが、一方で豊かな経験と知識を身につけています。それらを生かして高齢期は人生における最も輝く時期であっていいハズです。
 
老いて初めてわかること
「高齢期の輝き」は青年や壮年のように輝くことなど、あり得ません。歳を重ね、体力、気力の衰えを受け入れ、その上で自分の高齢期の生き方を、求め続ける姿こそが「高齢期の輝き」です。
 
老いて何が見えるか
人には、年をとつて初めてわかる驚きがあり、年をとって初めてわかち合える喜びあります。老年こそが自己発見と相互再生の黄金期で、老いてはじめて物事が見えてくるのです。

老いの輝きとは知恵の輝き
知恵とは違う、道理を知る判断力で、知恵は豊かな経験と、知識を基に身につくものだからです。身につくには長い歳月とを必要とし、知恵こそが高齢者が有する最高の特質だと言えます。 

経験には失敗もあれば挫折もあり、悲哀もあれば屈辱もあります。辛い思いをしながらそれらに学び、それらをすべ乗り越え、感謝の気持ちや思いやりの大切さも、分かるようになるのが知恵です。

知恵とは「世渡り上手」のことではありません。頭の回転が速いとか、やり手だとか、如才がないとかとも違います。人が生きる上でもっとも大切なものをわきまえる「術」のようなものです。

やさしさ、人の気持ちを思いやる心、ものごとに感謝する心のようなものです。人と争うことのむなしさ、殺し合うことのむなしさ、命の大切さ、自然の大切さ、自然との共生、人との共生の大切さ、こうしたことに気づけば高齢期は自然に輝くことでしょう。

気づかなければ輝くことなく終わるでしょう。だから人は老いても、豊かな生活を求めて努力しなければならないと思うのです。そして、高齢期の輝きの色調も一人ひとり異なります。それぞれ自分の色わいと強さで輝くことです。

2021年6月18日 (金)

当たり前に感謝

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「当たり前」・・・すごく無難な言葉ですが、これほど有難いと感じた言葉はないと思います。日が昇ると目が覚め、当たり前の日常だけどこれも奇跡・・・お腹すいたら当たり前のように ご飯を食べられる日常生活・・・。

どれもこれも日々の中では当たり前の日常・・・。でも、もしこの当た り前が少しでも崩れたら・・・。健康が害されたとき、いつもできていたことが出来なくなっ たとき、生活にすごく支障が出てそれだけで不安な時間を過ごす・・・。

まさに、このコロナのウイルスが変異株となり、不安な毎日とどこか重なるような気がします。出歩くにしてもマスクに 消毒薬、気が付けばすでに当たり前に用意されています。

よくよく振り返れば、どれもこれも、自分一人で出来る事ではな いことに気づかされます。それがいかに「感謝」しなければいけない事だと今更ながら気づか されます。

最近忘れがちな「当たり前」「感謝」は切っても切れない言葉だと思われる今だからこそ、 言葉に出して「ありがとう」と言いたいものです。

そして、心の中で感謝できるとまた一つ心が成長で きるような気もします。「当たり前がいかにありがたいか、感謝すべきか」を考えてみる のも、心の栄養になるかと思います。

気になるタバコのポイ捨て


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私は、健康のため毎日散歩をしています。
私たちの町は、川あり、丘あり、自然環境に恵まれています。清々しい気持ちの良い、朝のひと時を楽しんでいます。
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「気になるタバコの吸殻のポイ捨て!」
そんな清々しい朝・・・「タバコの吸い殻」が落ちていることが、気になります。それは必ず、落ちているタバコの吸殻や、ポイ捨てのゴミです。

ポケットからぽとりと、自然と落ちるものではありません。多分捨てようとして、「ポイ…」と捨てられなければ、ここには落ちてないはずのタバコの吸い殻です。降って湧いてくるみたい・・・

ゴミやタバコのポイ捨てって、なぜなくならないのか?
なぜ人間はポイ捨てするのかは明らかで、不要となったものはさっさと手放したい、身近に置いたままにしたくないということに尽きます。ポイ捨て族は本能のままに行動しているだけですから、こんな些細なことについて深く、考えるなどあり得ないからです。

ただ、間違いなく言えるのは、ポイ捨て族と言えども、町中がゴミで溢れた状態は不愉快であろうし、自分の居住空間をゴミ屋敷とすることが、絶対にあり得ないと思われます。

多分、潔癖なポイ捨て族は、運転席から吸い殻一つでも外に投げ捨てるほどでしょう。ポイ捨て族は本当はきれい好きで、ゴミ一つない清潔な環境が大好きであるに違いないと思います。

ポイ捨て族はゴミを捨てれば必ずそのゴミを拾う者が、存在することを十分見透かして、安心して気楽にゴミをポイ捨てしている?第一に「心に余裕のない人間」が浮かんできます。

「ポイ捨て」とは、社会に生きる人間全員が使用する公共の場所、あるいは自分が所有権を持たない場所に、不適切な形で吸殻を投棄する行為を指すため、ポイ捨てをする時点で「他者への配慮」が欠けていることは明確です。

 〇自分とは関係ない場所だから別に良い 〇誰かが掃除してくれるし別に良い
彼らが考えていることは大体こんな感じですが、まあふざけたご都合主義です。心に余裕がなく自分以外のことを考えられないからこそ、ポイ捨てという行為を平気で行えるのでしょう。

2021年6月17日 (木)

幸せに歳を重ねること

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「幸せに歳を重ねる」とは、
「よい人生を送り天寿を全うすること」と思います。
長寿・高い生活の質・社会貢献となりますが、一方で幸福な老いのイメージは、他者の世話を受けることを前提とした「成熟した依存」関係の中で再評価していくことでもあります。

私は、単に病気がないというだけでなく、たとえ認知症や寝たきりの状況にあっても、その人が今持っている力を発揮し、今を輝かせながら健やかに生き、自分らしい最期を迎えることが、サクセスフル・エイジングに繋がるのではないかと考えます。

サクセスフル・エイジングを「健康や身体的機能の状況にかかわらず、ひとり一人が望む幸せな老後を過ごし、自分らしい最期を迎えること」と思います。

サクセスフル・エイジングとは、アメリカで生まれた言葉であり、「日本語で正確に言い表す和訳はない」とされています。サクセスフル・エイジングの持つ意味とは「良い人生を送り、天寿を全うすること」とされており、日本に元々ある言葉では「生きがい」や「幸福な老い」がその意味に最も近いものではないかと考えられています。

私は、サクセスフル・エイジングを「健康や身体的機能の状況にかかわらず、ひとり一人が望む幸せな老後を過ごし、自分らしい最期を迎えること」と思います。

出合の喜び

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自分の慣れ親しんだ人間関係の中で生きていると、人はそれなりに安心もするし、心地よいかもしれません。でも、その枠をいったん出て、自分の知らなかった、社会に触れたり異なる文化をもった人に、出会ったりすることによって、新鮮な刺激や感動を受け、自分のことがよく見えてくることがあります。

人が成長していくためには、さまざまな人とよい出会いをすることが大切です。これまで日本の社会は、同一性を重んじる傾向が強かったため、異質なものに対して身構えたり、排除したりして自分たちを守ろうとするところがあり、これらが差別や偏見を生み出す、要因の一つになっていると言われます。

差別や偏見は、相手に深い傷を負わせるだけでなく、豊かな出会いの機会を閉ざしてしまうことにもなるのです。自分自身の世界をひろげるためにも、多様な出会いをすることは、意義深いものです。

2021年6月16日 (水)

修証一如のこと

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修証一如とは、「修行」は悟りのための手段ではなく、「修行と悟りは不可分で一体のもの」だということ。
道元はこの考え方を「修証一等」と呼んでいます。

私たちは、仏教の修行者は悟りを求めて修行すると思っています。若き日の道元もそう考え、私たちに仏性があるのに、なぜ悟りを求めてわざわざ修行しないといけないのか?

道元が抱いた疑問に対する解答も、道元が達した結諭からいえば、それは逆で・・・『「悟り」は求めて得られるものではなく「悟り」を求めている自己を消滅させる』・・・のです。そして、悟りの世界に溶け込む……。それがほかならぬ「悟り」です。

悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのです。「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できる…。それが道元の結論です。

私たちはついつい、これはいけないことだと知っていながら、でも……これぐらいのことはしてもいいだろう……と思ってしまいます。それは自分を甘やかしているのです。


 

2021年6月15日 (火)

本当の幸せとはなんだろう

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夢や望みがかなった時が幸せ」
食欲、睡眠欲、名誉欲、欲といわれるものすべてを手に入れたときに感じるのがこの達成感という幸福感になります。

達成感は、また新たな欲、煩悩を生む
達成感を得ても新たな欲が生まれてくると言うことです。人は欲によって生き、また向上心も生まれそれらをすべて否定するものではありませんが、食欲や、睡眠欲などは誰でも手に入れることができますが、すべての人が夢や望みが叶うわけではありません。欲に囚われて、人を殺したり、泥棒をしたり、人をだましたり罪を犯すこともあるのも事実です。

もう一つの存在感からくる幸福感があります。
己が今そこに居ることを他が認めること、知ってもらえた時に、得る幸福感と言うことです。何か偉大なことを成し遂げて有名になり自分の存在を知らしめると言うことも有りますが、もっと誰でも出来ることがあります。

たとえば挨拶もその一つです。朝、おはようと声をかけ、おはようと返ってくることもその一つです。何か他人に親切にしたり、他のために何かをしたりして、ありがとうと言われたり、感謝されたりした時に感じる幸福感が存在感という事です。

この存在感からくる幸福感は、達成感からこる幸福感より、とても小さいですが、誰でも簡単に得ることが出来る幸福感です。他のために、人のために何かすると言うことが、幸せになる、幸福感を得ることが出来ると言うことなのです。

格言で「情けは他人の為ならず」と言う言葉があります。他のためにすることはいずれ自分に返ってくると言う意味ですが、他の為にする行為すべてが、存在感を得ることであり、しあわせになる事そのものなのです。

達成感からくる幸せよりはとても小さいですが、誰でも得ることの出来る幸せがこの存在感と、言うことになります。欲や煩悩に囚われることなく存在感による幸せこそが本当の幸せと言うことになると思います。

他人(ひと)のために何かしてあげること、実践こそ人が幸せになるための方法であり、誰でも得られる存在感からくる、本当の幸せを得ることが出来るのではないでしょうか。

2021年6月14日 (月)

タバコのポイ捨てはなぜ無くらないのか?

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タバコのポイ捨てをする人間を頭に浮かべてみると、第一に「心に余裕のない人間」が浮かんできます。「ポイ捨て」は、社会に生きるすべての人が、使用できる公共の場所で、起きているのです。

不適切な形で吸殻を投棄する行為・・・ポイ捨てをする時点で「他者への配慮」が欠けていることは明確です。捨てる行為は・・・①自分とは関係ない場所だから~ ②誰かが掃除してくれるから~ ③車からのポイ捨ては他人に気付からないから~と思います。

また、これらは、当たり前の所作と思って、”たかがタバコの吸いがら一本”ぐらいで・・・と常習者・路上喫煙者は、ほぼポイ捨てを罪意識なく、長年の習慣でやっておられるようです。

小さなタバコの吸殻一本が、ペットボトル・空き缶・空き瓶・弁当の包装紙も、捨てられてしまっているのです。タバコの吸殻を捨てるのは、立派な大人の行為です。

中には路上喫煙禁止区域とわざわざ立て看板を設置してある路上や公園、あるいは喫煙を禁止しているところですら、ポイ捨てまでする輩までいます。市内の道路にタバコの吸い殻が日常的に捨てられている始末です。

私は、毎日ゴミ拾いをしていますが、まさにイタチごっこで、個人の取り組みには限度があります。ゴミのない、誰もが気持ち良く、きれいで住みやすい、私たちの町の環境の美化を心から願っています。

2021年6月13日 (日)

高齢者が生きがいを持つこと

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「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。


人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。

私は最近、体力・気力の衰えを感じることが多くなってきていますが、「生きがいを持つ」「そして続けある」ことが、長生きの秘訣?と思っています。

〇 軽度な運動
毎朝、散歩などを習慣にしています。人に会ったら、「おはようございます」・「おはよう」・「行ってらしゃい」と、誰にでも挨拶をすることです。小学生から、お年寄りまで行うことです。

散歩で、運動は汗をかき自律神経を整えます。日光に当たることで生活リズムは整いやすく、幸せを感じやすくなる「セロトニン」が分泌されます。そして、私は散歩を兼ねて、ボランティアで、町の美化活動をしています。

〇 日記を書く
日記は意外と頭を使います。朝から晩まで何をしたかを覚えていないといけないですし、毎日の生活の中で「日記に書く…出来事」散歩していて、人に会ってを意識して探さないといけません。


2021年6月12日 (土)

自負心とプライドについて


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「自負心」は自分の才能や仕事に自信と誇りを持つ心という意味の言葉です。それが過ぎると「思い上がり」や「うぬぼれ」になってしまいます。

「自負心」の意味は「自分の能力・業績・仕事に、自信や誇りがある気持ち」です。物事や自分の実力などに対して、自信や誇りを持っている気持ちを表します。

「この分野においては誰にも負けない」「ある物事において自信がある」といった気持ちを指します。自分のことに対しても、周りのことに対しても全て自分に責任があるということです。

「プライド」とは、自慢、得意、満足、自尊心、誇り、自負心、うぬぼれ、思い上がり、等が主な意味として出てきます。良い意味としても、悪い意味としても使われる数少ない言葉の一つが「プライド」です。

プライドはあっていいものの、無駄に意地を張ったり、恥を恐れて挑戦できなかったりと、高すぎると社会でうまく活躍できなくなってしまいます。

人間の生きていく理想は「自負心」・「プライド」を持つことが大切です。そのことを理解したうえで「能ある鷹は爪を隠す」をサラリとやってのける姿勢が大事です。

私は、謙虚さ・素直さ・誰にでも同じ態度で接すること・品格、強さをうちに秘め、それを表には出さないことにあると思います。

人間の最終目標は・・・

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イギリスの歴史家・評論家
トーマス・カーライルの名言に「その思想が、たとえ高潔なものであっても、人間の最終目標は、行動である」・・・があります。

王陽明の『知行合一』を考えても・・・知っているだけで行動に移さないのであれば、知らないのと同じ・・・そう考えると、トーマス・カーライルの言う言葉の意味にグッと近づくことに・・・。

「人生は学びと行動の連続」
生きていると実感できるのは、何かに心動かされたり、自ら動いて事をなしたりするときです。食事をしたり、服を着替えたり、トイレに行くという、当たり前のことが自分で出来ることほど、幸せなことはありません。

病気になって動けなくなったとき、普段できている筈の事ができなくなって、ようやくそのことに気づく・・・。大病を患った人が口を揃えて言うのも、大抵の当たり前のありがたさではないでしょうか・・・

だとしたら、生きるとは、自ら動くことであり、動いた結果から学びとることではないかと思います。たとえそれが失敗の連続であろうと、次につながるヒントは潜んでいます。そして、善い人生の満足感は、行動と学びの連続の中にあると思います。

2021年6月11日 (金)

心が穏やかになる「小さな幸せ」

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「小さな幸せ」実感できれば、
心が穏やかになり、ポジティブになり、感謝の気持ちが生まれ、新しい自分を発見できます。しかし、小さな幸せとは、気づきにくいものです。なぜならそれらは日常生活や習慣に溶け込んでいるからです。

①日常にあるもの・・・
日常生活の中で、自然と笑顔が出ていたり、頬がゆるんでいたりする事はありませんか?もし思い当たる事があるとすれば、それがあなたの小さな幸せです。

涙を流して感動したり、心を大きく揺さぶられたりする必要はないんです。小さな幸せとは、歓喜の大声をあげるものでもありません。あなたの顔から緊張を解き笑顔にさせたもの、それが小さな幸せです。

②失って気づくもの・・・
なくした時に初めて、それが自分の小さな幸せだったと気づくことも…これまでの人生をちょっと振り返ってみて、過去の思い出の中に「あれが小さな幸せだったな」と感じられるものが1つや2つあると思います。

当たり前すぎて気づかなかったけど、失った時に気づける事って世の中にたくさんあります。自分の思い出を探ってみると、今の小さな幸せを見つけるためのヒントがあるかもしれません。

③角度を変えると見えるもの・・・
毎日同じ事の繰り返しでイヤになっている時も、違った角度から見れば小さな幸せとなります。「隣の芝生は青い」と言いますが、小さな幸せとはまさにその考え方です。


家事や子育ての毎日にうんざりする人もいれば、そんな生活に憧れる人もいます。仕事ばかりの忙しい日々に嫌気がさしている人もいれば、それをうらやましく思う人も…いつもと違った角度から自分を客観的に見る事で、小さな幸せが見えてきます。

高齢者が輝いて生きるには

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老いて初めて分かることがあります。
「高齢期の輝き」は青年や壮年のように輝くことはあり得ないですが、歳を重ね、体力、気力の衰えを受け入れ、その上で自分の高齢期の生き方を、求め続ける姿こそが「高齢期の輝き」です。

自分の高齢期を大切にしたい
肉体的衰えは気力を萎えさせるし、「高齢期の輝き」は、そうした生物としての必然をありのままに受け入れ、その上で自分の置かれた境遇の中で、自分としての高齢期の生き方を、求め続ける姿なのだというのがわかってきます。

老いの輝きとは知恵の輝き
知恵とは分別です。ことの道理を知る判断力です。知恵は豊かな経験と知識を基に身につくものだからです。身につくには長い歳月とを必要とします。知恵こそが高齢者が有する最高の特質だと言えます。経験には失敗もあれば挫折もあります。悲哀もあれば屈辱も・・・。

つらい思いをしながらそれらに学び、それらをすべ乗り越え、感謝の気持ちや思いやりの大切さもわかるようになるのが知恵です。
知恵とは「世渡り上手」のことではありません。頭の回転が速いとか、やり手だとか、如才がないとかとも違います。人が生きる上でもっとも大切なものをわきまえる「術」のようなものです。

やさしさ、人の気持ちを思いやる心、ものごとに感謝する心のようなもの・・・人と争うことのむなしさ、殺し合うことのむなしさ、命の大切さ、自然の大切さ、自然との共生、人との共生の大切さ・・・こうしたことに気づけば高齢期は自然に輝くことでしょう。

気づかなければ輝くことなく終わるでしょう。
だから人は老いても豊かな生活を求めて、努力しなければならないと思います。そして、人生が一様でないように高齢期の姿もさまざであるので、高齢期の輝きの色調も一人ひとり異なります。

色調だけでなく光の強さも違います。それぞれ自分の色調と強さで輝けばいいのです。それが個性となり、輝きが多様だからこそ、高齢期も人生も豊かなのだと思うのです。

2021年6月10日 (木)

生きる目標を持つこと

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私は高齢となり「生きる目標を持つこと」が大事と、思うようなりました。

目標には「小目標・中目標・大目標」
目標のうち、大目標や中目標は毎日更新しないければならものではありません…、予定がない日、などを使ってじっくりと考えるのがいいでしょう。しかし、小目標は毎日つくるものですので、なるべく効率化したいものです。
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小目標:日々のタスク(すぐに実行する作業や課題)に目標意識をし関連づける・・・。このタスクのリストアップや優先順位をつける際に、それを行うことがどんな目標の達成につながるのかを、関連づけるようにして、時間の短縮をはかることです。
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「捨てる意識」が大切
特に年次の若いうちは、与えられたタスクをすべて行うことに意識が向いてしまいがちです。しかしこれは、思考停止につながる危険をはらんでいます。
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そのタスクはどんな目標につながるのかを考え、目標から遠いもの、重要性の低いものは捨てる意識を持つことだと思います。重要なのは「やらない理由を述べられるようにしておく」ことです。
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スーパーマンは別として、働いていると、どこかでキャパシティオーバーによる失敗の経験をすることになるでしょう。「捨てる」意識は、その失敗を戦略的に行うことを可能にします。

2021年6月 9日 (水)

世の中何が正しくて、何が間違っているか?

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何が正しい何が間違ってる? そんな結論は出ません。人によって、国家によって、思想によって、宗教によって、年代によって、企業によって、立場によって、男女によって、正しいの基準は違います。

何を正しいと思えばいいのかって?・・・別に正しさなんてそんなに重要じゃないのです。では、正義をかかげれば人は戦争もしますし、テロ行為も、虐殺も、差別もします。

中にはいじめだって犯罪だって「俺は間違ってない、俺が正しいんだ。」ってする人間もいます。だから人は正しさって言葉に、不信感さえ覚えます。
 
人は本能的には正しさを、そんなに追い求めないのです、そして。社会的に正しくない人や、ものが好きだったりするのです。つまり、何が好きか、何がしたいかで動くのです。
 
私はそれでいいと思います。それは人間の本能からくるものであり、本質的な倫理観だから・・・人が殺されてるのを見て嫌だなあと思う、いじめられてるのを見て嫌だなと思う。

そんなことに対して逃げる自分を嫌だなと思う。明るい人を見ていいなと思う。温かみのある人を見ていいなと思う。自分もこうあるべきだなと思う。そういった感受性は人それぞれですが、人間の行動原理なんて、そんなものでいいと思います。
 
正しいとか正しくないに沿うと虚無感にとらわれます。何かに与えられた倫理観だからです。
好き嫌いは選べます、それは与えられるというより、選ぶものだし、見つけるものだし、こうありたいというのは、いくらでも自分自身の力で変えられます。私は自分で自分を嫌いになるのが嫌だし、情けない事だと思うので、少しでも好きになれるように、好きなことをしたいと思います。

2021年6月 8日 (火)

6月の詩

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湯殿川 我が心にも 水澄みて 変わらぬ流れに 昔を偲ばん

水無月の 雨かと思えば ホトトギス 暁の空 いずれに行かん

静けさや 新緑の葉に 玉しずく

ツバメきて 田人の中を かいくぐる

水ひかり 草木が萌える 夏の朝

善い(良い)人間とは

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「善い人間」とは…善い行いをする人のことです。「善い行い」とは具体的にどのようなことなのでしょうか?

何が善くて、何が悪いのかの「判断基準」があります。なぜなら「善と悪」は相反するものであり、「善悪どちらでもない」ということになれば混乱してしまうからです。善悪の判断ができないと何もできなくなってしまいます。
この「善と悪の判断基準」は本来であれば、親や学校が子供に教えなければならないものです。

では、何を基準にして「善と悪」を判断すればいいのか、正しい「善悪の判断基準」とはどういうことなのか?

①善の判断基準とは、自分にして欲しいことを人にしてあげること。(利他的、自己犠牲的な動機)

②悪の判断基準とは、自分がされたら嫌なことを人にすること。(利己的、自己中心的な動機)

どうしたら善い(良い)人間になれるのか・・・「善いこと」「悪いこと」を行うと必ず因果律(原因と結果の法則)により相応の結果が返ってきますので、実際に体験することで納得することができます。

何度もくりかえし体験することで、しだいに確信を持てるようになってきます。そうなれば習慣となって価値観もだんだん変わってくるでしょう。そして悪い行いをせず善い行いだけするようになれば、原因と結果の法則によって苦しみや悲しみから開放される時が来るでしょう。

2021年6月 7日 (月)

人生を後悔しない生き方

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多くの人が「もっと幸せになりたい!」と、考えながら必死に生きています。いったい、『幸せ』はどこにあるのでしょうか?

『幸せの道は前ではなくて、後ろにできるの。「幸せだ、幸せだ」って歩いてきた道が幸せの道になるの。』・・・斉藤一人

大切なことは、失ってから気づくものです。
私たちに、明日は保証されていません。今朝、何気に別れた家族と、もう会えない可能性だってあります。

 生活の忙しさに振り回されていると、なかなか言えないかもしれませんが・・・悔いを残さないためにも、普段から家族に、愛や感謝を伝えておきたいものです。

 当たり前のこと
一番大切なことは・・・一番大切なことを 一番大切にすることです。その「一番大切なこと」に、できるだけ早く気づき、それを大切にすることです。それが、人生を後悔しないための秘訣かもしれません。

2021年6月 6日 (日)

高齢者の生きがい

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生きがいとは、自分が「楽しい」「幸せだ」と思えるものが、生きがいです。
それは趣味や、家族や地域の役に立つことでもいいのです。また、人の役には立たなくても、毎日読書をする・音楽を聴く・詩や俳句など作ることでも、心から楽しめれば、それが自分だけの生きがいです。
 
高齢者の「生きがい」と目標
人生の目標をいくつになっても持ち続けることにあるといえるでしょう。
○適度な運動を続ける。 
○はっきりした目的意識を持つ。 
○人生をスローダウンさせる。 
○人と繋がり持つ。 
○地域社会に少しでも、感謝されることをする。
など、私は考えています。
 
人生を前向きに捉えて、自分らしく生きることです。
死生観を持つことは、残りの人生を前向きに生きるための一歩です。悔いのない人生を送りたいものです。

2021年6月 5日 (土)

純粋な心を取り戻す


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稲盛和夫氏の言葉に
「純粋な心を身につけることによって、私たちは間違いのない人生を歩んでいくことができます。純粋で私心のない心、すなわち人間として高い見識や見解を判断基準として物ごとを決め、人生を歩めば、その人の人生に大きな潤いとすばらしい結果をもたらすのです。」があります。

それには、これをすれば、「人に喜んでいただけるし、自分も幸せ感が味わえる」私たちはみんな、子供のころ純粋で、本音で話し、素直に人の言うことを聞き、嬉しいことがあれば、人目を気にせず、大喜び、偏見や固定観念を持たず、そのまま吸収していました。

間違ったことをしてしまったら、素直に謝り、人のアドバイスには、純粋に従っていました。打算や損得勘定を考えることもなかったはずです。私たちは本来、純粋な心あったのです。

純粋な心とは、生まれつきの性格ではありません。もちろん才能でもありません。そして、純粋な心は、遺伝も関係ありません。純粋な心は、本人の意識と努力によって取り戻せます。

純粋な心とは、心持ちであり、行動習慣です。純粋になるのではありません。純粋な心を取り戻すことです。たとえば、本音で話す習慣です。本音で話す習慣は、性格に関係なく、本人の心がけで実現できます。

相手を傷つけそうな言葉なら、言葉を選んだ上で本音を話すようにすればいいでしょう。本音を話す習慣があれば、自然と純粋な雰囲気が出てきます。人目が気になっても「人は人、自分は自分」という哲学を思い出すことで、自分に集中することができます。

2021年6月 4日 (金)

「幸せ」は自分の心できめるもの

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「幸せ感の心づくり」
「安らぐ」ことが出来れば・・・心に「余裕」が生まれ・・・気持ちが、前向きに変わり・・・幸せ感の心・・・が生じます。
 
「しあわせは いつも自分のこころがきめる 」(相田みつを)
人によって、また、おかれた環境によっても異なるでしょうが、幸せを感じる時間が多ければ多いほど、楽しい毎日を過ごせそうです。
 
このことばには、2つの意味があると思います。
1つ目は、普段、自分の周りに当たり前にある幸せに気づいているか、ということ。
2つ目は、幸せ、不幸せという価値観は自分の思い込みで、生まれるということ。
 
幸せとは、例えばお金に不自由しないことだ、容姿に恵まれていることだ、などという定義は、自らが作りあげた価値観です。
 
その価値観に振り回され、今が幸せだと感じられないこともあるかもしれません。しかし、本当は、自分に都合のいい出来事も、悪い出来事も、すべての出来事が自分を、本当の幸せと感じる価値観を持つように、心の修行が大切と思います。

2021年6月 3日 (木)

高齢者の幸せ感

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人間社会は「共存共栄」何かしようとも、個人としては弱く、自分の考えている、事が出来ないことが多いものです。
 
関係の深い人との暖かな関わり
家族や親しい友人など、今までの人生で深めてきた人間関係は、高齢者にとって大切な宝物です。そんな人たちの笑顔を見れば何よりうれしく、幸せを感じられるものです。自分の人生は良いものだったと、かみしめることができる瞬間です。
 
「ありがとう」と言われること
「自分の得意なことを他人に教える」・・・高齢者は幸福度が高くなると思います。また他人のためになるような行いして、「すごいですね」「ありがとう、助かりました」などと周囲から認められ、喜んでもらったり、感謝されます。
 
前向き努力すること
ウォーキングなどの体力づくりや、筋トレ、認知症予防の脳トレなど、何かしらの介護予防につながる活動は、高齢者にとっては明るい未来につながるものです。トレーニングをがんばって効果を実感できたら、その喜びでもっとがんばろうという気持ちも湧いてきます。
 
自分のがんばりが介護予防になり、その先に自立した生活があるという前向きな考えは、高齢者の幸福度をアップしてくれると思います。

2021年6月 2日 (水)

SDGs(エズディー・ジーズ)について

八王子16号バイパス2
最近、テレビなどで、エスデー・ジーズ(SDGs)の言葉が使われてきています。Sustainable Development Goalsの略称です。日本語「持続可能な開発目標」です。

2015年9月の国連サミットで採択されたもので、国連加盟193か国が2016年から2030年の15年間で達成するために掲げた目標です。ゴールを2030年に設定しています。

「Sustainable・サスティナブル」とは、温暖化や大雨による災害など、地球が抱える環境問題を解決するために生まれた言葉です。17の目標があり、169のターゲットのさらに詳細である232の指標があります。要は、持続可能な「経済」「環境」「社会」のバランスを取ることが重要になるということです。
 
私は、環境保護やエコのために、以前から、何らかのアクションを起こしていますが、でも、それをずっと続けるとなると・・・”きつい”です。
 
今思うに、一人でも二人でも地域の自然環境の保護・地域の環境の美化の必要性を理解し、「私たちの地域は私たちで守る」を多くの人にアクションを起こして欲しいものです。
 
アクションを続ける秘訣の一つは、私はコミュニティづくりだと思っています。「自分と似たような考え方で、日々実行している人がこんなにいる」「自分よりもっとすごい人がいる」といった情報が入ってくれば、続けるモチベーションになると思います。そして、危機意識をもつことです。

2021年6月 1日 (火)

ゴミのポイ捨ては人間性の問題


昔のハイキングコース3
「ゴミのポイ捨て」は、人間性が問われる問題
人間性が高い人間は自分の行動に責任を持ったり、他人への最低限の思いやりやマナーを持つことが出来る人です。「人間性」とは、その人の人間的な性質、つまり思いやりの心・気遣いの心、愛情など人間の内面のことを指します。

人の性格・パーソナリティは、過去の体験やト ラウマ、生活環境等に大きく影響をうけてます。 中でも幼い時から 1 番近くで関わってきた両親と の関係は、人の性格形成に最も大きく影響してい るのではないかと思います。

注意看板を取り付けても減らない街中のゴミ
市の条例によってポイ捨てを禁止し、違反者には「ポイ捨てした人にゴミ拾い」の罰則として、ゴミ拾いを して貰ったらどうでしょうか。人間性を高めることになると思います。

地球環境問題は深刻です。
たかがタバコの吸殻一本ぐらいで・・・と言われる人もいるかも知れませんが、その考えが、怖いほどの問題であると思うのです。・・・他人のこと・・・未来のこと・・・考えて行動してほしいと思います。

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