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2021年1月

2021年1月31日 (日)

「ゴミのポイ捨てはしない」…意識を持って!

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ポイ捨ては、ゴミの不適切な処理方法の一つで、対象物が小さい場合の俗称です。八王子市は市内全域に、「歩きタバコ禁止条例」が制定されています。

タバコの吸殻をする人は、路上に捨てるのは当たり前と、思っている人もいるようです。吸い殻の散乱を防止し、屋外で喫煙する時は、吸殻を定められた場所に廃棄してください。

「ポイ捨て」されて困っています。
ポイ捨てされるものとしては、チューインガム、煙草、空き缶、ペットボトルやレジ袋などの使い捨て容器類、包装紙や新聞・雑誌・集合住宅の郵便受けにポスティングされるチラシなどの紙類・食べ残した食品などです。 

「ポイ捨て」と軽い言葉で表現される傾向がありますが、火災や漂流・漂着ごみ、野生動物の殺傷など他の社会問題の要因ともなっています。

犬の散歩する人へ
飼い主は、飼い犬を同伴して外出するときは、ふんを処理するための用具を携行し、飼い犬がふんをしたときは適正に処理してください。

自動販売機の所有者へ
自動販売機に隣接する場所に回収容器を設置し、適正に管理をしてください。

私たちの町は私たちできれいにしよう

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日本人の「道徳心」 日本では、小学校教育から毎日授業の時間とは別に掃除の時間が存在します。大学教育を除く小学校から高校までの12年間、日本の学校では基本的に清掃員が存在せず、小さなときから生徒自身が掃除をする習慣があります。

清潔習慣や公共心の育成、勤労体験など、さまざまな教育的効果も期待され、班を作って ”担当を分担し、実践する” という清掃活動を通して、集団の一員としての自覚を深め、責任感を形成するのです。

したがって、清掃活動を幼い頃からみんなで手を取り合って行うことで、自分たちで使う場所は自分たちで責任を持って綺麗にするという概念が知らず知らずに植えつけられています。町を、共有スペースを、綺麗にし続けることが個々人に道徳心として身についているのです。

しかし、最近は町の道路・公園などの共有スペースに、ゴミのポイ捨てが多いので閉口しています。

今住んでいる、地域の私たちで「町を、きれいに、大切に、」しよう。

「誰かがやるだろう」ではなく、町の共有スペースは私たちで綺麗にする」ということです。 そして、「人が見ていないから」「このぐらい捨てていいや」と思わないように一人ひとりが普段か ら心がけることが大切です。

そして、きれいな「まち」になれば、今度は自然と捨てる人がいな くなる事だと思います。

2021年1月30日 (土)

価値観の多様化した社会に生きる

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今の世の中、正直生きづらいな~息苦しいな~違和感あるな~と、思ってしまうこの現代社会です。

多様化した社会に生きる
人はそれぞれ異なる考えや価値観を持っています。昔から地域に住んでいる人さえ違います。より大きな会、さらに世界に視野を広げれば、人種、宗教、国籍などの違いによって考え方の差は広がるばか多様化した社会に生きることです。

人はそれぞれ異なる考えや価値観を持っています。昔から地域に住んでいる人さえ違います。より大きな会、さらに世界に視野を広げれば、人種、宗教、国籍などの違いによって考え方の差は広がるばかりです。

共通する価値、異なる解釈 人にはそれぞれどうしても譲れない価値があります。一番重要な価値は「生命」、また、自らの意思に従って行動できる「自由」もきわめて大切な価値です。

人間には等しい価値があるという「平等」…良い生き方の規範となる「美徳」…最低限の暮らしを保障する「福祉」も必要な価値でしょう。忘れてはならないのが「平和」の価値です。これらの価値は誰もが大切だと思えるものですが、それぞれの価値をどう解釈するかは人によって違います。また、優先順位も違うでしょう。

多様化そのものに価値がある
自分とは違う他者を「面倒くさい奴」と思いがちです。しかし、自分とは違う他者は、自分が見逃していたものや、自分が感じてこなかった痛みに気づかせてくれます。私たちの認識や感性を広げてくれます。その意味で多様性にはそれ自体価値があります。

自分と違うものだから排除するんではなく共存しよう あらゆる多様性の活躍を目指そうとする考え方・試み=ダイバーシティマネジメントが広まってきています。

ダイバーシティマネジメントとは、組織を構成する人材がもつそれぞれの個性(違い)を受け入れ、一人ひとりがその能力を発揮できる体制と環境を整え、組織の生産性を上げることです。

2021年1月29日 (金)

早春賦と知床旅情

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早いもので1月もあと3日で終わり、2月に突入します。と、いうことは!もうすぐ節分・立春です。今年の節分は、124年ぶりの2月2日です。

小学唱歌の「早春賦」あります。中田章作曲の「早春賦」(1913年/大正2年発表)です。

♪春は名のみの風の寒さや
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず♪
今朝何気なしに口ずさんでしまいました。

その「早春賦」に似ている歌があります。名曲「知床旅情」です。森繁久彌が作詞・作曲を手がけた楽曲で、初出時の題は『知床旅情』。1960発表。

その歌は、人の心の奥底まで深くとけこんで、「魂を揺さぶり、いつまでも捉えて放さない」なにか涙が出てきそうです。詩も素晴らしいですが、森重久彌の人生観が盛り込まれているような、歌い方で、味わい深い歌です。

♪知床の岬に ハマナスの咲く頃
思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘に登れば
はるか国後に 白夜は明ける♪

早春賦・知床旅情・・・どちらもいい歌ですねー
童謡には、日本のやさしさ、日本のあたたかさ、日本の美しさ、つまり日本の心、日本人の美的感覚が息づい ています。

2021年1月28日 (木)

道元禅師の言葉

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「身をけずり、人に尽くさんすりこぎのその味知れる人ぞ尊し」これは曹洞宗の開祖、道元禅師の言葉です。
すりこ木は、・・・目立たないけれど、自分の身を削りながら人のために尽くす・・・すりこ木になぞられて「利他の心」を説いています。

釈迦が示した「慈悲」、キリストが伝える「愛」、孔子が言わんとした「仁」、これ等のすべてに共通する教えの根元的精神は、「自分以外の人間の幸福を優先させ、考えてあげられるかどうか」ということではないでしょうか。

私のような凡人には、なかなか常にこのような気持ちを持ち続け、いろいろな場面において実際に全てをそのように行動することは難しいものです。

しかし、良く考えてみると「地域・ご近所などで、相手のためにどのようにしてあげたら満足して喜んでくれるか」を、トコトン考え行動した人が結果的に成功しています。また、「物質優先」の考え方を続ける限り本当の幸せはありません。

たまたま見つけたwebで、「宗教は、生きている人間の日常生活にある。」心の支えとなることで宗教の意義があると感じました。

人間、生きると言うことは、「苦の娑婆」と言いいますが、そう…楽しいことばかりありません。一人で生きて行くことの出来ないこの世で、他人敬う心がどれだけ大事かなど、今日は本当に「生きるとは」を考えて見ました。

 

2021年1月27日 (水)

哲学がないと生き残れない


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哲学とは・・・すべての常識を疑う対象にしているのが哲学です。
例えば、人権や正義という言葉がありますが、現在、人権は守らなければいけないという、考えが社会に広く共有されています。
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では、人権という言葉が昔からあったかというと、そうではありません。
誰かが思いついて、なぜ守らなければいけないかという理屈を考えてきました。要するに、これは自然物ではなく、あくまで人間がつくってきた一定の「ものの考え方」で、言い換えると「概念」です。

私たちは、社会生活をする際に、いろいろな概念を共有することで、社会の仕組みをつくっています。社会活動に組み込まれている…概念をつくりを伝え、新しい意味を与え、現代に適したかたちに組み替えていく…・・・…・・・。これが哲学のひとつの役割だと思います。

そのことで、社会を支え、よりよいものに変革していくのです。
哲学には、私的な問題意識を前面に出した「わたし探し」のようなイメージもつきまとっています。でも哲学は、知的な共同作業によって社会基盤としてのインフラを支え、よりよいものに変革していくという、見逃しがちだけれど重要な役割も担っているのです。

知的公共事業としての哲学がないと人類は生き残れません。
人類の身体能力はたかが知れています。するどい牙も爪もないし、取り立てて足が速いわけでもない。では、どうやって生き残ってきたかというと、言葉を用いて複雑な概念を共有し、チームワークで狩りをしてきたからです。

「ものの考え方の共有」は、人類にとって決定的に重要なサバイバルの戦略・・・それを学問として、高度に組織的・専門的に押し進めているのが哲学・・・概念装置の洗練と共有という、広い意味での哲学的活動がなければ人類は生き残れない・・・と思います。

守ってほしいマナー

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私たちの住む町に一級河川の湯殿川があります。
地域の人が通勤・通学・日常の買い物、そして散歩する人が利用している通路・(河川管理通路)車はもちろん、バイクの乗り入れは禁止です。(管理は、東京都南多摩西部建設事務所です。)

守ってほしいマナー
タバコの吸がら、ゴミのポイ捨て・犬の糞で地域に住む人は、大変迷惑しています。私は、ボランティアで、ゴミ拾いをしていますが、犬の糞には困っています。糞の始末をしています。そして保健所より「注意看板」を頂き抑止を訴えています。

「私たちの町は私たち、みんなで守る」
多くの町の人に迷惑をかけないように散歩を行ってほしいものです。家庭から出るゴミは、決められたゴミ出しルールに従って出して頂きたいのです。

河川管理通路は、地域の人が通勤・通学・日常の買い物、そして散歩する人が利用している通路で、今や私たちの生活道路です。自然環境を守り、将来につなげることは、役所ではなく、地域に住む私ったちです。

今、地球環境の破壊が問題となています。私たちのまちは、私たちで守ることは私たちの責務です。地域に住む人が笑顔になる…思いやりのある行動をとってほしいと思います。

2021年1月26日 (火)

信じることの強さ

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「信じる」ということは、とても大切で、強いパワーや絆を生みます。
ただ、それゆえに信じることができず不安を抱えたり、周りの声に揺さぶられ信じられなくなったりすることがあるかもしれません。

信じるの反対は「疑う」「心配する」です。
疑っていると、つい相手のことに口を出し過ぎてしまったり、あれやこれや相手が求めていないアドバイスをしてしまったり、相手の考える時間と試行する機会を奪うことになります。
また、自分の知らないところで何が起きているか心配で仕方がなくなり、よからぬ想像が膨らんでいきます。

この状況では、多くの場合はプラスの気持ちになることはなく、マイナスの方向へと気持ちが向かっていきます。それを脱するためにも「信じる」ことが大切なのですが、信じるためにはある条件が必要になります。その条件とは、自分が満たされた状態になっていること。ここがとても大事なポイントです。

自分の心が空っぽだと、安心することもできません。安心できない状態では、誰かを「信じる」ことはできません。「信じる」前に、今自分の心は、どれくらい満たされているのかに目を向けてみることです。

2021年1月25日 (月)

高齢化社会を考える

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高齢化は深刻
地域社会は高齢化と社会的孤立化で、直面している私たち高齢者は不安は募るばかりです。

「社会的孤立」とは
明確に定義されていません。それはどこからが孤立状態かという線引きが難しいのが理由です。一般に「家族やコミュニティとほとんど接触がないという客観的な状態」を指すことが多いとされています。

端的に言うと、家族や友人、地域社会との関係が希薄で、他者との接触がほとんどない状態を指し、身体的に孤立している状態(一人暮らしをしている等)や主観的な孤立状態(寂しさ、孤独感)とは区別されることがポイントです。

人との交流は生活に楽しみや喜びをもたらします。内閣府の調査によれば、高齢者全体では8割の人が 生きがいを感じているが、友人がいない人では 4割、近隣との付き合いをしていない人では6 割にとどまっています。

また、高齢者における「別居している子との 接触頻度」について諸外国と比べると、我が国 の高齢者は別居している子との接触頻度が低い 者が多く、「子ども や孫と家族団らんの時」や「友人と食事や雑談 する時」・「若い世代と交流している時」等、家 族や友人等との交流で生きがいを感じる高齢者 は諸外国と比べて少ないです。

社会的孤立は、孤立死、犯罪、消費トラブル など顕在化する問題の素地となるだけではな く、生きがいや尊厳といった外部から見えない 高齢者の内面にも深刻な影響をもたらしてい ます

2021年1月24日 (日)

協調とマイペース

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日本人は、他人と自分をよく比較し、人と同じように行動することを美徳としてきました。日本の学校教育も、小学校で最初に教わるのは、「みんな仲良く」や「協力しよう」といった協調性に重きが置かれてきた傾向があります。
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ですから、多くの日本人は、マイペースに行動するよりも、協調性を発揮することのほうが得意な人が多いと考えられます。では、協調性のある人、もしくは協調性を発揮しすぎてしまう人がいます。
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マイペースに個性を発揮していくには
「あの人に嫌われたくない」「ここで反対意見を言ったら」ちょっとした事なんですが、調和していないと人間不安になります。
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考えてみると人間いつも人に遠慮してしまったり、調和をする為に自分の意見を押し殺して生きてるんだろうなと思うことが沢山あります。「あの人に嫌われたくない」「ここで反対意見を言った居ずらい」などで、調和していないと人間不安になります。だから右に習えで同じ事を繰り返して、安定で生きて行く。。。

こうならない為にも本音で生きると言う割り切る覚悟で、やりたい事をやって生きて行くのが正解なんだと思います。 幸せを実感するにはマイペースに生きるのが一番の幸せだと思います。そうは言っても、付き合いもあるし、そう簡単にはいかないというのが正直なところです。

2021年1月23日 (土)

環境問題を真剣に考えて

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私たちが暮らす地球は、経済的に豊かになっている反面、さまざまな種類の環境問題を抱えています。それらはいずれも緊急性を要する問題であり、目を背けることはできません。

環境問題は私たち自身の問題
この地球上には人間だけでなく、多くの動植物が生息しており、それぞれの環境の中で生きています。それは気候や土壌、そこに生きる生態系によって生物多様性が成り立ち、共存してきました。しかし人間の生息域の拡大や生産活動により、その環境が崩れ、環境そのものや多くの生物に影響を与えています。

ゴミのポイ捨てのこと
私たち自身も日頃の生活の中の行動もあります。なぜ、ポイ捨てをするのか?それは面倒くさいからです。今手元にごみがあ る…ごみを捨てたい…でもごみを捨てられる場所が近くにない…ごみを捨てられる場所ま でわざわざごみを捨てに行くのが面倒くさい…だからその場所に捨てる。ポイ捨てをする 人のほとんどが、こんな理由でごみを捨てているのだと思います。


ゴミのポイ捨てをなくすには道徳教育
私たちの住む地球の現状と将来は、子供たちの教育が大事です。家庭でのしつけと、学校・地域で道徳教育である・・・と思います。地球はこのままでは、人が生きていけないことになるのです。そして地球環境を守ることは、待ったなしです。

2021年1月22日 (金)

生きぬく心構え

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真理を求め続けること
真理とは、誰れにも、否定できず、変わることのない道理であり、うそや偽りのないことです。人は、古来から真理に憧れ、真理を求め…そのことに生きることの意味や価値を見だしてきました。

これからの長い人生で、私たちは様々な事柄に直面するかも知れません。たとえどんな境遇であっても、真理を求め続けることです。そのことが、理想を持って自分の人生を切り拓く、原動力になるのです。

人生に対する想い
誰にでも、自分はこうありたいと、思うことがあります。その想いを糧に、日々自己の向上や改善のために努力していく・・・だが、一方で私たちは、自己本位な考え方にこだわって、空回りしたり、他人と比較して、一人で悩んだりすることがあります。

自分自身の良さはどこにあるのだろうか?そして、それをどう伸ばしていくことが出来るのだろうか・・・考えることが大事と思います。

丸ごと自分を好きになる
「自分の良いところを発見しろ!」と、言われても、短所や欠点ばかり気になってしまう。自分の良いところも、変えたいところも、丸ごとひっくるめて好きになれたら、自分をもっと輝かせることができるはずです。

人生は成長し、変化していくものです。こうありたいと思う自分を見つめ、昨日よりも成長した、自分でありたいものです。それは、死ぬまで持ち続けたいものです。

2021年1月21日 (木)

今年の節分のことで思う

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今年(2021年)の節分は2月2日です。
1897年(明治30年)以来124年ぶりに2月2日になります。地球が太陽の周りを回る公転の周期が、1年きっかりではないことが原因で、微妙なずれが積み重なった結果です。

感染症と大地震は「忘れた頃にやってくる」
今も全国各地の神社仏閣には、人々が昔から「疫病退散」を祈願してきた、祭りや伝承が受け継がれています。これだけ疫病=感染症の問題は、日本人には身近に迫ったことだったのに、その恐ろしさを、今回の新型コロナで感染者が続出するまで忘れていたのです。

「感染症の流行と大地震はよく似ている。周期的に発生することは分かっていても、いつ、どこが狙われるか分からない。寺田寅彦の名言通り、『忘れた頃にやってくる』。地球に住む限り、地震や感染症から逃げられない」・・・です。

人類の100年に一度の試練
コロナウイルス感染症との闘いは瞬く間に全世界に拡散し、日に日に感染者が増え、亡くなる方も急増しています。国内でも感染者が増え続け、ついに特措法に基づく緊急事態宣言が全国に発出されました。

ちょうど100年前に「スペイン風邪」が世界中に蔓延して多くの死者が出たそうですが、感染症の危機は100年ごとに起きているようです。そのたびに人類が危機を乗り越えることを試されているような気がします。

2021年1月20日 (水)

自然の摂理に従う

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「自然の摂理」に従う
自然の摂理とは、自然界のいろいろな生き物たちが織り成す生態系の法則は「弱肉強食」ですが、強者でもお腹が空いた時だけ、食料としての弱者を捕るだけであり、それ以上の殺戮しません。

植物では、お互いに助け合いながら生命を維持しています。このため、いろいろな植物が混在している森があり、昆虫がいて、昆虫を食べる鳥がいて、小動物がいて、それを食べる大型動物がいるという植物連鎖が起きます。

この生態系の法則が自然の摂理です。この自然の摂理に従った生活をしていると、持続可能な生活が出来るのです。

今、私たちは自然の摂理を理解して、その範囲で如何に豊かでありながら、持続可能な生活が維持できるか、真剣に追求することが必要な時代なったのです。

それもなるべく早くその仕組みを確立することが必要なのです。そうしないと、今まで人類が経験したことがない、悲劇が起こると予想されています。

自然の摂理の法則は、生物多様性を益々多様化させる営みを支援する仕組みがあります。この自然の仕組みを利用して、人間は、里山、里海、里地を生み出しました。

この人間と自然が共生して、生物多様性を増して、環境の改善に役立っているのです。「自然の摂理」をもう一度考えなければと思います。

2021年1月19日 (火)

老いを考える

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老いは他人事ではなく、自分自身の問題です。
「人生100年時代」といってもけしてバラ色の人生ではない。国も家族もあてにはできない御時世だからこそ、老いについて各人がよく考えていかなければならない、時代がきたということです。


たとえば、「高齢者は孤独なのではなく、毅然としているのだ。」「無力なのではなく、おだやかなのだ。」「依存的なのではなく、親しみやすいのだ。」「外見に魅力がないのではなく、内面が深いのだ。」そして、「頭の回りが鈍いのではなく、思慮深いのだ。といったふうに・・・。

また、老人になると物忘れがひどくなり、呆けてくるという偏見に対しては、熱意と活動とが持続しているかぎり、老人にはその知力がとどまっているのだと。

さらに、肉体的能力の衰えについては衰えをまったく否定するわけではなく、むしろ老年にふさわしい肉体的健康をポジティブに受け入れることが大切。良くも悪くも高齢化社会となった現代において、「どのようにして老いていく自分と向き合うか」が一人一人に問われていくことになってます。

人は、一人で生まれ、一人で死んでいく。。。時代の流れと変化は速い。毎日の変化には気づかなくても、年単位で振り返れば、自分の姿の変化に驚きを隠せない。残される命の短さに気づくと、寂しいなどという感傷に浸っていられない。

先を憂えることなく、今日を一生懸命生きる。できそうでできないことだが、目指したい。結局、何歳まで生きるかではなく、「今をどう生きるかにつきる」・・・です。

2021年1月18日 (月)

冬の散歩で思う

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「冬の道  女に越され 力抜け」
私は、歩くことで健康が維持されていると信じ、毎日散歩しています。
最近、歩く速度に気をつけて歩いているつもりですが、ちょっとした坂道ですが。。。あえぎつつという感じで歩いていると、後ろから来た中年の女性に、いとも簡単についと抜かれてしまう。

「ずいぶん年をとってしまったものだなぁ」やっぱり…実感
人はある程度の時点で「年相応」という現実に上手に対応すべきで、今の自分にふさわしい目標を立てる焦らず、じっくりと歩んでいく楽しみを見つけることだ。。。

高齢者は、たとえ結果が思ったように出なくても、自己否定することなく、挑戦することそのものに幸福を感じると言われています。

今の自分に最適な目標を立て、じっくりと向き合うこと
現実を受け入れることで、人生への焦りや不安から解放・・・年齢による自身の衰えを実感するのは誰にとってもつらいものですが、いつまでも若さや理想にこだわっていると、年を重ねるほど自分に対して否定的な気持ちが生まれてしまいます。

年齢と上手に折り合いをつけながら、今の生活を楽しめている高齢者は、「人は生きていれば誰でも老いる」という現実を穏やかに受け止め、人生につきまとう焦りや不安からも解放されていると言えるでしょう。

2021年1月17日 (日)

自然環境と新型コロナウイルス

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孔子の言葉に「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」とあります。
ある時、一人の弟子が「人生で最も心がけるべきことはなんでしょうか」と孔子に尋ねたそうです。孔子は、「自分が嫌だと思うようなことを、人にしてはならない。まず、自分の行動を慎み、全体の決まりに従うことが大切である」と答えました。
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現代においても、他人の迷惑も顧みず「自分さえ良ければよい」というような行動を取る人を見かけます。他人との調和を図る為にも、まず「自分が嫌な事は他人にもしない」「相手の喜ぶことは何かを考える」ことは、社会生活においても、ビジネスにおいても、大いに考えなくてはならないことだと思います。
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気になる…環境に対して、無関心・自分さえ良ければの人
今私たちには「人間以外の生物がどうなろうと構わない。自分たちが楽できればそれでいい」というような考えが刷り込まれています。
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家畜の劣悪な環境での飼育や無駄殺し、野菜や食料の大量廃棄、コロナ禍においては過剰なアルコール殺菌等が行われていることからも見て取れるかと思います。
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しかしそれではダメです。
人間以外の生物が死滅してしまえば、結局は人間も生きていくことは、出来ません。しかし人間の環境汚染によって多くの生物が生態系を崩し、死滅しています。
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私が幼いころは、近くの湯殿川に棲んでいた、めだか・どじょう・うなぎ・なまず・こぶな・などが、いなくなってしまいました。おそらく、開発と家庭からでる汚水や、稲に使う農薬などが原だったのでしょう。今では、ごみのポイ捨てもひどい有様です。
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新型コロナウイルスの流行によって、そういった根本的なことに気付く、大きなきっかけを与えられているのに、誰もが見て見ぬふりをしてしまっているようにも思えます。
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現在コロナウイルス予防のため沢山のマスクが使用され、廃棄されています。私たちが住む町に、マスクが捨てられています。そして大量のマスクが海や海岸に漂着しています。
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使用されるマスクの大半はプラスチック製の不織布のものが多い・・・?最終的には今話題の海洋マイクロプラスチックとなり自然環境に、悪影響を与えます。

2021年1月16日 (土)

今を精いっぱい生きる

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「今日という日は当たり前じゃない」
今日を生きたかったけど、生きられなかった人もいます。自分は明日生きられないかもしれない・・・究極かもしれないが、そういうことだと思います。

だから、今日私はなにをやりきるのか・・・明日死んでも悔いがないようにしないといけない。私は地域社会の一人です。今は年金暮らしです。

年金額は、自分では過不足などは、思っていませんし、ありがたいことでだと感謝しています。だから、私は社会のために、なにか地域のために少しも、お役に立てればという思いで、地域の美化活動を行っています。


「今日という日を無駄にしない」
正月気分も抜ける頃かと思います。今、百年に一度という新型コロナウイルスで、一体いつ収まるのか、不安の日々は何時になったら・・・新たな一年は多難な年にと思う人は多いことでしょう。

何となくもの悲しく感じている方もいるのではないでしょうか。それはとても勿体ないことです。だって、過ぎ去った昨日は二度と来ないです。「いかなる昨日より、今日が尊い」という言葉があります。悔いのない一日にして生きたいものです。

2021年1月15日 (金)

住んで良かった町


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「住んで 良かった」と自信を持って語ることができる“まち”は
まちに住む一人ひとりが、自分の住んでいる地域を意識し、子どもから高 齢者まで多くの市民が「まちづくり」に参加していくことが必要です。

地域はそこに住んでいる人たちでつくられています。
現代社会は時代の変化とともに価値観や生活形態が多様化し、住民と地域の関わり が希薄となり、地域が本来持っている互いに協力し、助け合う機能が低下しています。また、少子高齢化や核家族化が進む中、地域では高齢者世帯や高齢単身世帯の増加 といった課題も大きくなっています。

その他にも、防犯、防災、福祉、環境、教育、文化など、住民の生活に直結する 地域課題や住民ニーズが多様化し、複雑になってきており、その対応のすべてを行政 サービスで充足することや、安心安全な住みよい地域社会を行政施策だけで実現する ことは難しくなってきています。

地域コミュニティの再生
地域組織の弱体化が進んでおり、まちづくりの担い手や後継者の 不足は地域コミュニティの維持すら困難な状況をつくりだしています。 そのため、それぞれの地域に住むみんなが、地域の目指す方向性を共有し自らの力 で住みよいまちづくりに取組み、地域の連帯感に支えられた地域コミュニティの再生 を進めるための組織づくりが必要となっています。

そこで、地域コミュニティの形成に向けて、市民みんなが将来像を共有し、共通の 目標に向かって、「住んでよかったまち」に地域の住民の一人ひとりが、認識し参加することだと思います。

2021年1月14日 (木)

無為自然に生きる

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老子の思想の根幹を成す考え方に「無為自然」がります。
自然のまま、ありのまま、あるがままに生きること。理に従うということです。「無為自然」は、人間にとって「どう生きるべきか」の指標となるものです。

春になれば花が咲き、秋になれば葉っぱが散る・・・草も木も、芽を出すときには芽を出し、実のなるときには実をむすび、枯れるべきときには枯れていく・・・

人間も自然のなかで生きている限り、この天地自然の理に従った生き方、行動をとらなければなりません。といっても、それは、別に難しいことではありません。言いかえると、雨が降れば傘をさすということです。

それは誰でもわかっている。ところが、実際の生活はもっと複雑ですから、ともすれば判断が難しくなってくるのです。そして、雨の中を傘もささずに歩くような考え方をしたり、不自然な行動をとったりします。そこから、いろいろな間違いが起こってくるのです。

そうした考え・行動は、それがどんな場合でも大切
そのように無理をせず、一歩一歩進んでいくその歩みは、一見遅いように思われるかもしれません。しかし、それはきわめて着実な歩みであり、とどまることも、後退することもありません。遅いようでも、いつか気がついてみたら、結局成功、発展の一番の近道であると思います。

2021年1月13日 (水)

人生100年時代の価値観

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私たちは日々の思考や行動において、選択を繰り返すことで生きています。そしてこの選択の判断基準となっているのが「価値観」です。


人生100年時代になり、人生の時間配分を考え直す必要が生まれています。これまで一般的な価値観では、人生は春夏秋冬が20年ずつで、大学を卒業する22歳までが春、40歳くらいまでが夏、60歳くらいまでが秋、その後はずっと冬でした。これでは80歳でゴールにたどり着き、人生の後半戦は枯れていくだけです。

100年の人生を生きるためには、人は少なくとも75才から85才まで働かなければ?しかし、そのような働きずくめの人生を歓迎しない人も多いのではないでしょうか。大事なことは、「常に自分を見直し、働き方そのものを変えていく」必要があると思うのです。

スキルの見直をして広い視野を持つ
そのためにも世界の異なる文化や人種に触れ、人間について、また人生について考えを深める・・・それは、たとえ中高年になっても必要です。

高齢者にとってなによりも大事なのは、世間から評価されるスキル(能力)を持ち、他の人の役に立つことです。そのためには常に何かを学び続ける姿勢が必要です。

新しいことを教えてくれる知人や友人はもちろん必要で、生涯教育の制度や最新技術による学習システムくを構築することです。

2021年1月12日 (火)

コロナ禍と高齢者の問題

絹の道

外出自粛で、シニアクラブなどの高齢者の活動が少なくなっています。
新型コロナウイルス感染症による自粛生活が長期化するなかで、シニアクラブなど、人や地域社会とのつながりが減り、生活不活発を背景とした高齢者の健康二次被害という新たな問題が生まれています。

高齢者では、たった2週間の寝たきりによって、7年間に失われるのと同じ量の筋肉が失われるといわれており、コロナ禍でも、いかに心と身体を健康に保つかが重要になっています。

外出自粛の長期化が助長する!?
フレイル(虚弱)とは、健常から要介護へ移行する中間の段階で、ちょっとしたことで要介護に移行しやすい状態のことをいいます。

フレイル予防「身体活動」「栄養」「社会参加」をあげられます。
「社会参加」では、こんな状況だからこそ、家族や友人との支え合いが大切です。近くにいる者同士、また、人との交流を維持し、孤立を防ぐ・・・高齢の両親をお持ちのご家族の方は、ぜひ交流を促していただければと思います。

また、毎日の食事は、三食、キチットとることです。また私は、毎日7000歩を目標に散歩していますが、人に出会ったら誰にでも、挨拶をするように心がけています。

2021年1月11日 (月)

本当の幸せとは


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本当の幸せとは、物質的豊かさではなく、精神的豊かさです。
人とのつながりを通して得られる心です。幸せは、心で感じるものです。心があってこそ、本当の幸せを感じます。
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人とのつながりを通して得られる心に触れたとき、人は深い満足感を抱きます。人から慕われたり、愛されたり、尊重されたりするとき「幸せだな」と感動し、深い満足感が得られるのです。

他人と接する中で心から「ありがとうございました」と言われ感謝される、反対に心から「ありがとうございました」と言い感謝する機会が多い人は、他者との関係を円滑に構築することができ、心豊かに幸せな一日一日を過ごすことができることでしょう。
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「他人のためにお金や時間を使うことで人間の幸福度がアップする」
ボランティアや寄付を普段から行っている人は「経済的に余裕がある」という理由だけでなく、本能的に自分の幸福度が上がることを感じているのかもしれません。

そもそも自分以外の誰かのために働くことは、使命感、モチベーション、自己肯定感が上がるなど気持ちの良いものです。一生懸命に他の人や社会に貢献することは、自分自身の成長にもつながります。

2021年1月10日 (日)

常に喜びを味わえる心を養う

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散歩しながら考えた・・・
私はいま、本当に何が真の喜びと言えるだろうか、生きる力となる喜びとは、こういうことかと納得いき、「常に喜べる心を養う」ことが大事だと思った。

人の幸せを心底から喜ぼうとする心、我が身の不幸災難にも生きる力がわき起こり、雨にも喜び、夏の暑さ、冬の寒さにも喜べる心をいつも持ちあわせられることが出来る。

21世紀は人類が初めて経験する、高度情報社会・デジタル通信の時代である。デジタル産業革命の始まりとも言われるくらいに、日進月歩に情報が質・量・高速度的に進化している。

自己を見失わないように「真実の喜びに生きるすべ」を体得しておかなければ、情報の渦に巻き込まれてしまう藻屑になりかねない。そして時代の進化・流れに乗ることだ。

人類は一切のものを人間中心にとらまえようとした、歴史のありようから、人間も天地自然と同じくするあり方に立ち返り、一人一人が生きとし生けるもの天地万物と、共に生きることを喜ぶ心を養うことこそが大事だ。

二度と生まれてくることがない片道切符の人生を歩むお互いである。片時も無駄にすることなく、生きる限りを尽くして生きる。そして山も川も、天も地も、なにもかもことごとくが喜び一色の世界であることを実感できる。

2021年1月 9日 (土)

人生は勝ち負けではない

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「人生は競争ではないし、幸せは奪い合うものでもない」

私たちはいつも他人と比べる中でしか、自分の豊かさや幸せを考えることができないのですが、それはいつも豊かさや幸せは、他人のところにしかないものになってしまいます。

そうしますと、私たちは豊かさや幸せを求めて生きているのですが、そこには何があるかというと、豊かさや幸せはいつも他人の上にあって、しかもいつも遥か彼方にあるという事実です。

そのため、いつでも不平や不満を抱えながら、満ち足りない気持ちで他人を見ては、そこに豊かさや幸せを見てうらやみ、いつもそれではやりきれないので、自分よりうまく行っていない人を見て、自分は豊かで幸せな方ではないかと・・・ごまかしたりしています。

私たちは財産や、個人所得が増えることで、社会の豊かさを考えてしまうのですが、「本当に豊かな社会というのは、極端に不幸な人間が少ない社会ではないでしょうか。 それには、「人々が助けあい・思いやりのある社会」ということだと思います。

2021年1月 8日 (金)

日々新たなり


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自然界のすべてのものは、今日の姿(状況)は、昨日と同じではありません。
きれいな花を見て、その素晴らしさに、感動させられます。
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しかし、花の命は短い、美しい花であればあるほど、人は短く感じられるのです。植物の花は、美しく咲くことに意味あるのです。究極的には、子孫の繁栄です。

私は、自然界は自然法則があって、いつまでも、美しい花を咲かせていてはいけないのです。新たな命を生み出すために、日々新たに替わることが自然の法則と考えています。

世は無常です。過ぎ去ったことを悔やむのでなく、日々新たな命をみつめて、その日をスタートさせる・・・大昔からの知恵は、脳内神経の面から見ても間違いなく有効に違いありません。

人生は決して、あらかじめ定められた・・・ちゃんと出来上がった一冊の本ではありません。 各人がそこへ一字一字書いていく白紙の本なのです。 生きていくそのことが、すなわち人生なのです。

「日に新たに、日々に新たなり」この短い言葉を胸に刻み、「昨日よりは良くなった」と思える様、日々を精一杯に生きて行ければと思います。

2021年1月 7日 (木)

人生は色々

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人生は本当に色々です。そして突然の出会いなどでガラッと方向が変わってしまうこともあります。でも何をするにしても、今自分がやろうとしている事、あるいは今やっている事が心地よく、これからも情熱を持っていけるか?と言う所が大事ではないでしょうか?

つまり、やっている事に苦痛がなく、思わず時間を忘れて夢中になってしまう、これまでの経験や子供の頃を思い出してみれば一つや二つ何方でも、思い当たるのではないでしょうか?それがいったい何なのか?そこがポイントです。

若ければ若いほど、目先の事に気をとらわれ、今過ごしている人生はたった一度きりという事を忘れてしまったりします。私たちは必ずいつか死にます。この世から物質的な存在が消えてなくなってしまうのです。どんなにお金を掛けて健康に気をつけてもいつか必ず死にます。

これは絶対に避けられない事実です。そしてそれがいつかは誰にも分かりません。遅かれ早かれいつか必ず来ます。今している事が何であろうと、どんな人であろうと運命は平等にやってきます。今こうして過ごしている間にも刻々と私達の残された時間は短くなっています。

そして年を重ねるごとにその時間の速さを実感しているのは私だけじゃないでしょう。又最後の日、死が突然やってくる事もあります。何をやっていたとしても死ねばそこで現世の活動は終了です。

今なんでこれ程経済的に豊かな日本なのに自殺者や引きこもり、いじめや虐待等人の感情や心に起因する問題が多いのでしょうか?

はた目からは経済的に豊かで幸せそうに見える人たちが、実は内面でものすごくジレンマに悩まされ、多くの悩みを抱えているのに心の底から信頼できる人がいないため、誰にも本音を打ち明けられず、一人で苦しんでいる人も多かったりします。


経済的には豊かとはいえないものの人々と心通わせ、笑いが絶えず、自分に正直に生きている人達をみると、本当の幸せとは一体何なのかを考えさせられます。

自分自身で体験した事を思い出せば、そういった人々との暖かく心が通った交流などの体験が人生を生きる上での原動力といえます。私は、これからもそういった時間をより多く手に入れたいと願っています。

2021年1月 6日 (水)

毒にも薬にもならない人

ディスク容量が不足しています

毒にも薬にもならない人」とは、害にならない代わりに、役にも立つこともない、居ても居なくても何の影響もない人です。

ある特定の人に好かれるためには、それ以外の人から嫌われる勇気がなければなりません。「毒にも薬にもならない」ような人は、誰の印象にも残りにくく、そういう人にはなってはならないということです。

もの凄くアクが強い人は、ある特定の人からはもの凄く歓迎されます。裏を返せば、そのアクの部分を嫌う人は必ずいるはずで、そういう人からは毛虫のように嫌われています。

「毒にも薬にもならない」の言葉の反対を考えると、身体の働きに関係する物は「毒にも薬にもなる」ということです。使い方や量、その人の体の状態によって、良い効果か悪い効果か、変わってきます。私たちは、ふだんから良い悪いの判断をしています。

例えば「運動は身体に良い」でも、やりすぎれば「運動は身体に毒」というように・・・薬でも運動でも、それが良いか悪いかを判断するときには、必ずモノサシ(基準)が必要です。そして、そこはきちんと考えて決めなければいけません。これは難しいけれど、とても大切なことです。

2021年1月 5日 (火)

理想な生き方を考える

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自分のためだけに生きるのは虚しい。そんな風に感じることもあれば、誰かのために生きることにも限界があるとも感じる。いい仕事をした1日とは、多分、誰かと心を通わせることができた1日のことだと思います。

金も名誉も命もいらない・・・そういう人間は最高だなと思います。愚かでもいい。あいつはアホだと後ろ指をさされても気にすることはない・・・金では動かない人間を動かすことができるもの、多分、それが『心』になるのだと思う。

人間が生きている意味って、どれだけ多くの人に愛を与えることができるか、これに尽きると思います。 自分の特性をよく見て発見し、その上で、自分には何ができるかを考え、毎日一歩ずつその理想に向けて努力していく。 この地道な作業を続けていくことで、「崇高な人間」へと近づいていけるのではないでしょうか。

「崇高」とは、自然などの偉大なものや素晴らしい精神などに対したときに抱くような、”気高さや尊さ”です。

2021年1月 4日 (月)

明日いいことがあると思うこと

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「明日いいことがある」と思うと、今、幸せになれます。
 真っ暗闇のとき、

 遠くに明かりを見つけただけで、人は幸せになれる。
 明かりのところまで行きつけなくても、
 明かりを見つけただけで人は幸せになれる。
 明日でもあさってでも、半年後でもいいから、
 幸せが起きると考えてごらん。今すぐ幸せになれるよ。
『斎藤一人 幸せの名言集』 より

新型コロナウイルスの流行が収まらない。収まらないどころかまた新たに、変異コロナウイルスが出現するという状況で、今、多くの人たちが病気への不安を抱え、ストレスを感じていることと思います。

一体、いつ終息するのだろうか、年が変わっても感染が減らない、私たちは今、世界的な危機の真っただ中を懸命に生きています。

まだ先は見えないけれど、この危機もいつか必ず過ぎ去ります。明日は無理でも・・・「いつかきっと良くなる」と思えば希望を持つことができます。希望を捨てずに、頑張りましょう。

2021年1月 3日 (日)

環境を守るのはあなた自身です

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地球温暖化は、気温を上昇させるだけでなく地球全体の気候を大きく変える「気候変動」を引き起こします。既に世界各地では、自然環境や人の暮らしに、そのさまざまな影響や被害が現れ始めており、その深刻さから近年は「気候危機」という言葉も使われるようになりました。

こうした問題は、温暖化への対策を十分に行なわない場合、さらに重大化し、取り返しのつかない被害をもたらす危険性が指摘されています。

今まで、人間は地球環境をすべて支配しているのだという概念がありました。 この人間の思い上がりが世の東西を問わず、覇権、強弱、上下の論理をうみ、 国や民族の争いのみならず、 身近な人間関係の争いごとをも引き起こしています。

人間も生きとし生けるものの一つ生き物に過ぎないぎない。自然環境の急速な破壊は、生きとし生けるものに対して、生き物の種を根絶したり、滅亡のの危機まで追いやっている。そのことに無意識・無関心でいます。

立ち止り、心落ち着かせ時代を振り返り反省することもなく人間はいつも、何ごとにつけても、「世の中は大きな変化をきたしている、この時代の流れに合わせて変革していかねばならない」と、経済合理を優先させてきました。

したがって、大地や山川草木の真実の輝きにも、生きとし生けるものの命の輝きにも、気を留めようとしなくなったのです。親子、人間関係においても、互いに命輝く“ふれあい”がなくなってしまったのです。

仏教哲学に、「山川草木悉皆成仏…さんせんそうもくしっかいじょうぶつ」(全ての自然が我々人間を生かしているというもので、これが日本人の自然観を形成している)があります。これは、地球人類すべての心に響き合い、通じ合う言葉として、心として、 21世紀の自然と人間の関わり方や人類共通の価値観としたいものです。

2021年の年頭にあたり、今、心静かに現前の光景をそのままにとらまえてみると、この世界の何もかもが、そして自分自身の命もみんな輝いていることに気づくことです。何気なく、捨てるゴミは、環境破壊に大きな問題となっているのです。よく考えると、自分自身を苦しめてしまうことになるのです。

2021年1月 2日 (土)

地域社会に温もりを!

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「新型コロナウイルス」は、全世界の急激な社会変化に翻弄されています。3密・ソーシャルディスタンスが感染拡大の抑制に大事な要素ですが、基本的な、コミュニケーションの在り方が問題となっていると思うのです。

日本人の心にも影響し、家庭・学校・職場にも影を落としている「道徳心や規範意識の育み」にかかわる諸問題も、この延長線上にある抜き差しならない喫緊の課題です。

日本らしい伝統文化として誇ってきた道徳心が風前の灯火となっている状況は、私たちの未来展望にも深い陰を落としつつあると思えます。

倫理・道徳欠落社会
街を歩いて、人々の挨拶・会話がない、同じ町内であってもどういう人か分からなかったり、無関心、やたらとプライバシー保護で制約などがあり、昔のような、隣組関係や井戸端会議なくなってしまって、人々が心が失せてしまっているようです。

「自分さえ良ければ・・・よその事はどうでもいい。。。」「なるべく、面倒な人間関係に気を使う近所つき合いはしない。」
最近近くで、一人暮らしのお爺さんが、郵便ポストに新聞がたまって、心配になった新聞配達員が、亡くなっていたことを発見した。孤独死だ。近所とのつき合いはなく寂しい死に方だ。

私は、こういう無縁化社会を何とか、なくしていきたい、人にあったらまず挨拶をして顔を覚えてもらうことが第一。そして少なくても、年一回の近所の皆さんと顔合わせが大事と思います。そして壊れかけた地域社会に温もりを取り戻したいと考えます。

2021年1月 1日 (金)

令和3年元旦に思う

syougatu[1]
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毎年元旦に思うことだが、今年こそ「厳しい年はないぞ!心しろ!!」と、自分に言い聞かせて、今年は、例年になく気合を入れて新年を迎えた。
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夫婦古希を迎えるより一層に、「生老病死」という人生における免れない、四つの苦悩を考えている。お金や人間関係、社会との関わりなど、未知の世界が待っている・・・将来のこと「生老病死」は自然なことだが。。。老いも、病気も、死も、なかなか受け入れがたいものだったから、真正面から向き合うことがなかったし、むしろそれを遠ざけようとしていた。しかし、いつまでも若く、健康ではあり得ない。
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近い?将来、生きて行く上でさまざまな難問にぶち当たる。克服しなければならないことや、我慢して受け入れなければならないこと、努力しないといけないことなど、予想しないさまざまなことがある。
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しかし、どう対応していけるかは未知である。ストレスで病気になってしまったり、命を縮めてしまうこともあるだろう。あれやこれや取り越し苦労をしても仕方がない。
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地球上の生き物は、自然の恵みで、子孫を残そうとする本能がある。けれども酷暑、酷寒、大雨や干ばつ、風など自然に影響され、時には天変地異で生存が危ぶまれることもある。
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どんなに環境がめまぐるしく変わろうとも、生き物たちはぎりぎりまで、それに順応して生きていこうとしている。ただひたすら自然に逆らわず生きぬこうとする。そして子孫を残す努力をする。たとえ厳しい自然環境であろうとも・・・
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そう考えると、社会環境が変っている中で、その変った環境で生きるしかない。だから余計なことは考えず、そのとき出来る最善な生き方をするしかない。西風が吹けば、枯れ葉は東にはき寄せられる落ち葉のように・・・
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自分という生命体に素直な生き方をすべきところ、人間は、自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしているから、自分自身で悩み苦しんでしまうのかもしれない。

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