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2020年10月

2020年10月31日 (土)

歴史を学ぶ意義

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「温故地心」古きを訪ねて新しきを知る。
過去の事柄や先人たちの知恵に学んで、今を知りよすが(身や心のよりどころ)とすることです。

歴史を学ぶことは、過去の出来事などから、なぜそれが起きたか、その理由や関係性を考え、その教訓を現代に活かすためにあるのではないでしょうか。過去の人々の叡智や失敗から学ぶことに、意義があります。

歴史は決して暗記科目ではありません。歴史の前後には常に因果関係があり、いくつもの出来事の積み重ねによって形づくられています。

近現代史は現代に生きる私たちにとって必須の教養だと思います。歴史を振り返ってみると、過去に起きた出来事が形を変えて、別の国や地域で繰り返されることがあっります。

歴史を学ぶことによって今起きていることがこの後どのように進むかを推測できます。そういう力を身につけることが大事なのではないでしょうか。

2020年10月30日 (金)

自分らしく生きる

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モノや情報が溢れかえり、忙しく時間に追われ、つい自分を見失いがちになってしまう現代社会です。そんな中でもブレずに、いつでも自分らしく心から「幸せ」を感じて生きていくには・・・

ある意味で、”生きにくさ”を感じるこの時代・・・翻弄されず、芯をしっかりもって、しなやかにイキイキと輝いて「幸せに生きる」にはを・・・考えてみました。

心に余裕を持つ
私たちはともすれば「みんなと同じでなければ」と考え、自分らしさを出さないようにと、気をつかいます。しかし、その結果、意志の疎通を欠き、心のふれあいのない冷たい人間関係が生じる傾向があります。それには「心に余裕を」持つことです。

一日を大切に生きる
「幸せを感じやすい」という人は、一日一日を大切に過ごしています。多忙を極めてくると、日にちがあっという間にすぎて、時間の感覚も短く、流されるように過ごしてしまいがちなります。忙しい中でも意識することを忘れなければ、一日がいつもより有意義になると思います。

他人と比べない
私たち一人ひとりが、自分というものをしっかり理解し、ほかの人の「違い」を受け入れられるようになることが、誰れもが、伸び伸びと調和して生きられる豊かな社会を築き、社会の中でも調和していくことにつながると思います。

2020年10月29日 (木)

晩秋の想い

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深まりゆく秋の景色を見ながら、夕暮れ時なぜかしら寂しく思います。若い頃、沈む夕日を見て秋は何とも言えぬ、寂しさを感じたのとは別の思いです。

今は私の人生と照らし合わせて見ているせいでしょうか。最近、気は若いつもりでいますが、確実に歳を感じます。目の衰えであったり、物忘れが多くなったり、ちょっとした所でつまづいてしまったり、散歩しても、歩く速度も遅くなっていることを実感する毎日です。

つい数年前、ボランティアで、地域の清掃活動をしている時、私はまだまだ若いと思い、老いなんてずっと先のことと思っておりました。当たり前のことなのに気持ちがついていかなくて困ったものです。

秋から冬へと季節は変わっていきます。風邪の予防注射は済ませましたが、新型コロナの終息が見えない昨今で、人と話をすることにも控えなければと・・・何とも言えぬもの悲しさを感じる今日この頃です。

寒い冬に備え衣類や暖房と生活する上での準備はできますが、人生の冬へと向かう準備はと思うと、立ち止まってしまいます。どんな心構えが必要なのか、何をすべきなのか不安で一杯になります。

2020年10月28日 (水)

サスティナブルな社会を考える

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サスティナブルとは・・・「持続可能な社会」それは、地球の環境を壊さず、資源も使いすぎず、未来の世代も美しい地球で平和に豊かに、ずっと生活をし続けていける社会のことです。

菅首相が、26日の施政演説で、「2050年までに温室効果ガス実質ゼロ」を宣言いたしました。
私も、このままだと人間の暮らしに「将来は危機的状況になる」大きな影響が出ると思っています。

サスティナブルな社会を目指すには、地球環境の維持のために、消費する資源を減らすことが第一に必要です。例えば、気候の変化による災害などは、地球温暖化が原因と言われています。地球温暖化の原因になるCO2の排出量削減なども、サスティナブルな社会を実現するために必要不可欠な取り組みと言えるでしょう。

サスティナブルな社会の実現は、容易なことではありません。しかしより良い社会、そして地球環境の維持のためには、一人ひとりの意識改革が大切なのです。「地域の清掃・美化活動のより一層の推進!」も大切であると思ています。

2020年10月27日 (火)

シニア世代の生きがい

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「シニア世代にとって生きがい」とは、心に潤いを与えてくれるものというだけではなく、長く健康で過ごすためにも非常に大切なものです。

今までやりたかったけれどできなかったことに、思い切って挑戦してみるのも良いと思います。年を重ねても何かを諦める必要はありません。人生100年時代ですから、生きがいをみつけて、生き生きと充実した日々を送ることです。

「生きがいや役割を持つことで元気に長生き・・・」
住み慣れた地域でいつまでも安心して暮らせる。そして、なるべく長く元気で、自分らしく過ごすために、社会参加し、生きがいを持ち活動することもその一つです。

生きがいがある人ほど自立した生活を送っているようです。健康度自己評価が、高いほど自立した生活を送っているという、研究結果が、報告されているようです。

仲間同士の交流や世代間での交流など、人と会って刺激を受け、楽しく過ごすことで、心から楽しく、生活に張りができ、人と会うことで刺激を受け、また仲間同士の交流や世代間での交流など・・・身の健康増進につながると思います。

2020年10月26日 (月)

幸せとは何か

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「幸せとは何か?」
厳密な定義は難しいのですが、幸せは心の状態であり、簡単にいえば「安心・満足」と思います。
松下幸之助の目指した幸せのかたち~幸福の3つの条件~「自分が幸せだと感じること」「世間の人びともその幸せに賛意を表してくれること」「社会にプラスし、周囲の人びとに幸せをもたらすこと」です。

「幸、不幸は心の持ち次第」
同じ状況におかれても、幸せと感じる人もいれば、不幸と感じる人もいます。性格の問題もあるでしょう。けれど、それだけで片付けてしまうのも???

何がなくても、何気ない日常にあふれるささやかな喜び・・・道ばたに咲く可憐な花を見つけて。。。炊きたてのご飯をほおばる至福のとき。。。「おはよう」「おやすみなさい」と言える相手がいること。。。

不幸の原因ばかりを探しているかぎり、不幸は続きます。幸せになりたいなら、日常にころがっている幸せの数を数えてみることです。

ドフトエフスキーの名言に「人は自分が幸福であることを、知らないから不幸なのである」…があります。

2020年10月25日 (日)

ゴミ拾いを続けて思う

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ゴミを拾いながら・・・
普段ではありえない場所に大量にたばこの吸殻が捨てられていたり、自動販売機横のごみ箱から空き缶が溢れていたりして、「自分が住んでいる町ににこんなにごみがあるのか!」と驚くこともあります。

そんな中でゴミ拾いをしている時に通行中の方から「いつもありがとうね」と声をかけていただくと、やっぱり嬉しいです。「私の活動は誰かの役に立てているんだ!」と、気持ちよく一日を過ごすことができます。

もっと多くの人にゴミ拾いをしてほしい
もちろんやってくれる方が多ければいいと思います。ただ、「ゴミ拾いをしましょう!」という呼びかけは正直、あまり好きではないです。ごみのポイ捨ては確かに無くさないといけないことですし、誰かが掃除しないといけないです。

「やらないといけない」からするのではなく、「やりたい」という思いがないと関わることが辛くなります。自分からやりたいと思う気持ちがあるかどうかが一番大切で、私の活動も誰に強制されるわけでもなく、自分がやりたいからこそ続けられているのだと思います。

2020年10月24日 (土)

地域社会のことで思う

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「人間は、一人では生きられない」
人は、様々な 集団や社会の一員として生活を営んでいます。 人が、集団の一員としてよりよく生きていく ためには、自分の属する集団の意義を十分に 理解することが大切です。

各人がその成員 としての役割と責任を自覚して、個々が責任 を果たし集団の目標を達成する中で集団の 向上が図られ、自己の実現するのです。

また、集団は成員相互の協力があって維持される ものです。互いに人間関係を大切にす るとともに、励まし合うという協力関係をつ くりあげていくことが大切です。

「一人一人が公徳心を持つ」
公徳心とは、社会の一員としての自覚に基づき、公共のマナーや利益を守ろうとする心です。それは、公共物を大切にすること、人に迷惑をかけないようにすること、公共の利益のために進んで奉仕するこ とは、公徳心の表れと言えます。

社会生活にお いては、公徳を大切にする心と、一人一人が共に 手を携え協力しだれもが安心して生活できる社 会をつくっていこうとする、社会連帯の自覚は欠 かすことができません。

この社会のすべての人々 が、自分も他人も共々に、よりよく生きようと していることを自覚することから、互いに助け合 い励まし合うという社会連帯の自覚も出てきます。

そして、地域社会の一員としての自覚をもっ て郷土を愛し、社会に尽くした先人や高齢 者に尊敬と感謝の念を深め、郷土の発展に 努め、後世に引き継ぐことが、大事な任務と思います。 

2020年10月23日 (金)

健康寿命の配慮・介護を受ける心構え

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健康寿命とは、「心身ともに自立し、健康的に生活できる期間」のことです。
直近の健康寿命としては、2016年時点のものが公表されており、男性が72.14年、女性が74.79年だった。

健康寿命を延ばすには「生活習慣の見直し」・「運動」・「食事」の3つを意識して改善していくことです。

しかし、いずれは介護必要になってきます。
介護に「ストレス」…ストレスの原因は、ほとんどが人間関係から生じたもので、同居すれば、家族からストレスが生じます。家族がいる人は幸せだと思いますが、同居して家族介護が始まってしまったら、互いがストレスになることでしょう。親密だからといって、いい関係が築けるわけではありません。

やはり家族に迷惑をかけたくないと思えたら、自ら、介護施設にお世話になるのが、お金は掛かるが、一番良い人生の送り方だと思います。介護に第三者が介入することは、長男であっても結婚と同時に親と別居し、世帯を分離するのが当たり前の時代、家族が適切な距離をとる上でとても大切です。

自宅介護は不可能な現代社会
私は、特別養護老人ホームや老人保健施設などの介護保険施設に入所したい、その理由は、「子供たちに迷惑をかけたくない」からです。

2020年10月22日 (木)

高齢となって心の支え

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年齢が高くなるにつれ、これまで乗り越えてきた手立ても通用しなくなり、何もできない午後を過ごすことが非常にツラく、身体の神経が痛み、時間の概念が恐ろしくなってきます。

私のような境遇の人は世の中にはたくさんいます。嘘か真かはあってもインターネットにはそういったサイトも多数あり、声を上げていない人はもっと居るだろうと推測されます。

私も、超高齢者の一人となり、自分から車の運転免許も返納して、行動距離も狭くなり・・・でも仕方ないから考えない・・・そういう「心持ちまで持って」いけるかということです。もちろん、悩みます。

心の支えは
私は、超高齢となっても地域のために、少しでもお役に立ちたいという気持ちを持つこと・・・「地域内の清掃活動」を行っています。地域の皆さんと笑顔で挨拶する。「まぁーそれが出来るから幸せと」と思っています。

ですから高齢となっても、自分に自信を持つことの実践で、家庭園芸・カラオケ・散歩などの趣味?を行動を起こすことで、生きる自信が付くことだと思います。

2020年10月21日 (水)

ゴミのポイ捨てを考える


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私は常日頃、街中のいたるところにゴミがポイ捨てされていることに悩まされています。
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ポイ捨てとは、空きカン・空きビン・紙くず・たばこの吸い殻などのごみを、吸殻入れやごみ箱などの定められた場所以外に捨てる行為のことです。
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道路や公園などに、空きカン・空きビン・紙くずなどのごみがポイ捨てされているのを見かけます。 景観を損なうだけでなく、周辺に住む人々の生活環境を害し、環境保全の妨げになります。散歩の途中に、ペットボトルやレジ袋等道端に落ちていたら、素手でも、ついついゴミを拾ってしまいます。
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地球温暖化と道徳(モラル)教育の大切さ 学校、地域、家庭、職場、野外活動の場等多様な場において、互いに連携を図りながら、総合的に推進する教育です。自然の仕組み、人間の活動が環境に及ぼす影響、人間と環境の関わり方、その歴史・文化等について幅広い理解が深めることです。
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知識の伝達だけではなく、自然とのふれあい体験等を通じて、自然に対する感性や環境を大切に思う心を育てることが大切です。特に、子どもに対しては、人間と環境の関わりについての、関心と理解を深めるための自然体験や生活体験の積み重ねが重要であると考えます。

2020年10月20日 (火)

本当の幸せとは

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「本当の幸せとはいつも心が安定した平和な状態にいる」ことです。
当たり前のことですが、どんなにお金があっても、仕事に恵まれていても、才能があっても、それを共に分かち合える人、一緒に喜んでくれる人、応援してくれる人が一人もいなかったら、そんなむなしいことはありません。


逆に言えば、たとえ生活が少々苦しくても(豊かにこしたことはありませんが…)、大失敗をやらかしたとしても、秀でた才能がなかったとしても、自分の喜びや悲しみを共に分かち合ってくれる人が、一人でもいるならば、それはすごく幸せなことだと思います。

人はみんな色んな誰かから助けられ支えられて生きてきたはずです。そして、色んな誰かを助けたり支えたりして生きてきたはずです。でも、ただ単に、一緒にいるだけでは、かけがえのない存在とはならないと思います。

長い時間を共に過ごしたとしても、時間だけでは助けられたり助けたりの関係を築けはしないのです。当たり障りのない会話をし、楽しくみんなで群れているだけで、あったとしたなら関係は深まりません。そして、自分さえ良ければの「自己中心の考え」では、生きていては、本当の幸せはあり得ないと思います。

2020年10月19日 (月)

地域の在り方を考える


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日本はかつて、地域の相互扶助や家族同士の助け合いなど、生活の様々な場面において、ある程度の「支え合いの機能」が存在していました。
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人口減少、コミュニティ存続への危機感
これを乗り越えるためには、民間・公共問わず、さまざまなところで、領域を超えてつながり、地域社会全体を支えていくことが、これまでにも増して重要となっています。
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超高齢化が進行、少子化により人口も減少しつつあります。老々世帯、独居世帯のみならず、地域から孤立し、必要な社会的資源につながっていない人は少なくありません。
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つながりを再構築することで、人生における様々な困難に直面した場合でも、誰もが役割を持ち、お互いが配慮し存在を認め合い、そして時に支え合うことで、孤立せずにその人らしい生活を送ることができるような社会としていくことが求められています。
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また、人口減少の波は、多くの地域で社会経済の担い手の減少を招き、それを背景に、空き家やシャッター商店街、耕作放棄地など、様々な課題が顕在化しています。
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「地域共生社会」とは、このような社会構造や暮らしの変化に応じて、制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会を目指すというものです。

2020年10月18日 (日)

老いの不安を減らす


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私も世間でいう年寄の一人です。心身の老化は、日々増していくこと感じています。

「老いの不安」を感じる毎日です。
一般的には、老後の不安は、1位「病気・ケガ」、2位「経済的な負担」、3位「介護」と言われていますが、年をとると、自分のことが自分でできなくなったり、生活をするのに誰かのサポートが必要になったりと、自立するのが難しくなっていきます。

自立を保つ
生きていくうえで、できるだけ自立を保ちたいというのは、誰もが思うことです。もちろん、年齢とともに身体は衰えていきますし、いずれは誰かの手を借りなければならなくなって、介助や介護も必要になるでしょう。しかし、出来る限り「自立を考え実行」していくことです。それは「少しでも世間のお役に立ちたい」と言うことです。

夢中になれることを持つ
夢中になれることがあるか、人生に目的や夢を持っているか、人のために何かしたいと思うか、人に指図されることなく自分の考えで行動できるか…です。これらを精神的自立といいます。自分の意思で物事を判断し、他人に流されることなく、自らの責任で行動できる能力のことです。

最終的には態勢に従う
いずれは、自然の摂理で、心身の老化はやもう得ません、受け入れ、現在ある施設などに、家族などと素直に相談し、お世話になることです。

2020年10月17日 (土)

きれいな環境できれい心が育つ

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人間は、きれいな環境に憧れます。

公園・広場など多くの人が集まります…きれいだからです。きれいな環境で育った子ども達は心が、きれいで、心優しく、思いやりのある人に育つと思います。

私は、子ども達が、社会的良識を持った人間に育ってもらいたいです。子供は、家庭・学校・地域で育てることが大切です。

きれいで安心できる環境づくりが大事です。しかし私たちの地域は、ゴミ・たばこの吸い殻のポイ捨てが多いいと感じています。このままだ・・・と思うとやり切れない思いがします。

ゴミをポイ捨てする心理
多くの人は綺麗な場所にはポイ捨てしません。しかし、綺麗な場所にも平気でポイ捨てをする人が一定数いるのもまた事実です。このタイプの人はそもそもポイ捨てを悪いことだと思っていないか、全く罪悪感を感じないかのどちらかです。

理由として、綺麗な場所でのポイ捨ては目立つので、注意されて恥をかくのが嫌と思う心理が働きますが、もともと、ゴミが散乱してる場所でのポイ捨ては目立たないし、もし注意されても他の人もゴミをポイ捨てしてると、言い訳がしやすいからだと思います。

如何なる場所でもポイ捨てしない人は、「他人に迷惑を掛けたくない」と思う道徳心を持ってるからで、このような人達が、多くなって欲しいと思います。

2020年10月16日 (金)

歳には勝てない

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83歳を過ぎて、最近つくづく思う「むかし父親が、”年には勝てない”と言っていたことを…」

歳には勝てないとは「年を取ると、健康や体力が思うようにならない」ことで、若い頃は想像も出来なかったことです。

私の実感から
歳を取ってきますと・・・頑張りは利くが後がひどい、疲れても、その時はわからず、後で来る。。。素早い動きは出来ない、なんて事になります。若い時には想像も出来ないことです。

そして、思い出せない。。。すぐに忘れるなんて、記憶力の減退を認識できます。これが、老化、ボケと言う事でしょうか? これに対処しようと努力をしても、どうしようもない、人間の本性の限界ですから、逆らってもろくな事はありません。

早い状況変化には、対応出来ないので、戦術的実務からは引退すべきです。でなければ、世に老害を与えることになります。歳を取るに従い、肝に銘じておくべき事だと自戒します。

一方、努力を続けると、ゆっくりしたものは良くわかることもあります。即ち、歳を取っても、今までの経験の集積から、状況の中に於ける現在位置は良くわかるようになっている面もあります。恐らく、良い歳の取り方とは、「我を張らないで、意見を”ぶつぶつとつぶやくこと”」かなと思っています。

2020年10月15日 (木)

後世によりよい自然環境を

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「後世によりよい自然環境を・・・」
人間も含めて、地球上にいる多くの動物すべて、生命を子孫に引き継ぐための機能が自然から与えられています。生物が子孫を残すためには成長しなくてはなりません。

子孫が残せるまで成長すると子供を作ります。子供は一人では生きていけません、親には子供が可愛くなる心が与えられ、子供は親に育てられます。子供が子孫を残せるまでに成長する頃には、親の体力は衰えはじめ、やがて死んでゆきます。

この過程において弱いものは早く死に、強くて健康なものが生き残って子孫を残します。これが人間を含めた多くの動物たちが自然から与えられた循環システムです。

このように、全ての動物は種を継承するリレーランナーとして生きています。
そして、リレーランナーの役割は、次のランナーが走りやすい条件を作ることであることは、誰でも知っています。

したがって、私たちが持っている本来の役割は、自分の望みをより多くかなえることではなく、種を継承するリレーランナーとして子孫に住みやすく暮らしやすい自然環境を残すことなのです。

しかし、今の私たちは、人だけは他の動物とは異なる特別な存在であると信じ、自分たちの望みを満たすことを最優先させ、子孫には破壊された環境や、残り少ない資源だけを残そうとしているのです。

2020年10月14日 (水)

世のため人のために尽くす

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「情けは人のためならず」と言われるように、世のため人のために尽くすことで、回り回って自らも助けられ、幸福になれるのです。『京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者  稲盛和夫』


世のため人のために尽くすことが・・・「幸せへの道」

世のため・人のために尽くすんなんて、綺麗ごとだの、理想主義だのという人がいます。私も、若い頃はそう思っていました。

人生経験が少ない、若い人の言葉で、世のため人のために尽くしたことのない、人間がいうのはもっともなことで、自分の人生は、自分のためにあるのに、人のために使うなどおかしいとそう思うわけです。

人のために尽くして失うものは何?・・・時間やお金、労力・・・それを失うくらいなら、自分のために生きる・・・という事です。つまり「自分が生きるための基準がそこにしかない・・・」ということです。

自分のために、世のため、人のために尽くせばいいと思うことです。自分が生きるための基準を、時間やお金、労力以外に見つけるべき、と思うのです。


たくさんの時間を手に入れた。
たくさんのお金を手に入れた。
たくさん楽をできる手段を手に入れた。

考えてみると、満たされるのは、快楽だけじゃないか?それだけを、求めても幸せになれないのが、この世の仕組みです。

最初は偽善でもいい。まずは体験してみる事です。
誰しも快楽を求めるのが・人の性で、快楽に溺れている以上、絶対にそんな行動をしないのが人間です。ですから、無理やり行動してみることです。ただ、自分に酔ってはいけません。『自分は良い事をしているんだ』と己惚れないことです。

2020年10月13日 (火)

家の周りの共有スペースの清掃のこと

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近、まちのゴミ拾いをして思うことは、家の周りの、道路などの共有スペースにゴミが落ちていても、私の家のゴミではない?…片付けない人がいます。
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自分の家の周りの掃除
自分の家の公有スペースの掃除は、昔は自分で行うのは当たり前でした。幼い頃から、親・学校と地域のみんなで手を取り合って行うこと、と自然と身についていました。自分たちで使う場所は自分たちで責任を持って綺麗にするという概念が、知らず知らずに植えつけられていました。
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"使う場所は来た時よりも綺麗に" という概念の元、日本ではゴミ箱があちこちに設置されていなくとも、街を、共有スペースを、綺麗にし続けることが、個々人に道徳心として身についたのです。
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「誰かがやるだろう…ではなく、街を、共有スペースを…自分たちで綺麗にする」という考え方
大の大人に向かって強要するのは、難しい問題です。「使う場所は来た時よりも綺麗に」 という概念のもと、日本ではゴミ箱があちこちに設置されていなくとも、街を、共有スペースを、綺麗にし続けることが個々人に道徳心として身についてきます。
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学校教育の過程において
「清潔習慣や公共心の育成」勤労体験など、さまざまな教育的効果も期待され、班を作って 「担当を分担し、実践する」 という清掃活動を通して、集団の一員としての自覚を深め、責任感を形成することです。

2020年10月12日 (月)

地域の環境美化について

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環境美化分野の活動 一般的に環境美化というと、ごみを拾うこと、家の周りを掃除すること、清掃、さらには不法投棄の防止な どが思い浮かぶことと思います。

環境美化活動は、美しいまちを将来の世代へ引 き継ぐための取り組みであり、広い意味では、地球の温暖化防止や自然環境の保護 等にもつながる身近で幅広い取り組みといえます。

また、美しい環境を保つことは、一人だけでは難しいものです。一人で清掃や除 草などを行ったとしても、周りの人がまたごみを捨てたというのでは意味がありま せん。

何よりも大切なのは一人ひとりが関心を持つことです。そして、地域の環境に対 して関心を持って行動することが重要です。

環境美化活動は、美しいまちを将来の世代へ引き継ぐための取り 組みです。個人のモラルの問題が大きく関わるため、きれいにするための活動だけ でなく、個人の意識や環境への関心を高めることも重要です。

『個人のモラル・環境教育・啓発活動 』
環境美化への啓発 少数ではありますが、自分さえよければいい、市に税金を払っているからいい など、地域の環境美化へ無関心な人もいます。また、家の前の道路にゴミが散乱していても片付けない人もいます。

タバコの吸殻・ごみのポイ捨て・ごみ出しのルールが守れない人などへ、注意をしていく地道な取り組み が大切です。直接注意することが難しい場合は、回覧等で注意を促すなどして、少しず つ意識を変えていく工夫が必要と思います。

2020年10月11日 (日)

ゴミ拾いをして思う

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最近、ごみ拾いをしながら思うことがあります。(2019年10月11日の記事)

これは酷い・・・

同じ場所、ある橋の付近です。大きめのレジ袋ひとつです。レジ袋を二枚にし、しっかり固く結んであり、その中身は生ゴミ・ペットボトル・空き缶など混入しています。カラスに破かれ、歩道に散乱していたので収集しました。生ゴミ・空き缶・空きビンなどです。

近くの知り合いの家に、二回ほど事実を話してみましたが、当然、不法投棄の犯人?など分かるはずもありません。「今日はどうかなぁー」とその場所に行って(散歩コース)見ると「ゴミ袋」は捨てられていました。今日で6回です。

そもそもダイエット目的の散歩メインだったのですが、余りにもゴミが多いので、相当以前(何十年前)から、“ついでに”ゴミも拾い始めました。ゴミを見つける度に軽く憤慨していましたが、今ではすっかりゴミ拾いメインになってしまっています。

ゴミ拾いって、文化的行為かつ、結構「哲学的」でもあるなぁーと思います。

ゴミを拾っていると、結構、奇異の目で見られてしまうんです。中には「みっちゃんは偉いねぇ~」と言ってくれる方もいらっしゃるのですが、それも「広義」の奇異の目といえなくもないです。

特に拾いはじめの頃は、人前でゴミを発見すると、そんな奇異の目に恥じて屈してしまうのか?それとも愛する大切な郷土を守りたいのか?という心の葛藤をいちいち繰り返していました(今では何の躊躇もないですが)。

禅寺の修行の第一歩はトイレ掃除と聞きます。中には素手で掃除させることもあるとか。正に「心の修行(鍛錬)」です。

全く意識してなかったのですが、ゴミ拾いも立派な「心の修行」になっているのかもしれません。

ゴミを拾いながら、色んなことを考えてしまっています。片倉城跡の歴史のある町を守り、後世につなげるには?・・・ゴミを捨てる人はどんな人なのか?・・・なぜゴミを捨てるのか?・・・なぜ私は拾っているのか?・・・偽善ではないのか?自分とは?人間とは?・・・また文化とは何ぞや?



2020年10月10日 (土)

心の火を燃やし続ける

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「誰もの心に、何かに向かって燃やす火があります。それを見つけ、燃やし続けることが、私たちの人生の目的なのです。
高齢となっても、幸福な人生をおくるには、生きがいを持つことがきわめて大切です。

燃やす燃料「生きがい」が確保のことです。
それがなくては、日々の暮らしに張り合いが感じられず、人生の貴重な一日一日を、ぼんやり過ごすことになりかねません。

もとよりそれでは、これといった喜びや満足感を味わうことはできないでしょうし、ましてそうした毎日が続けば、人によっては「自分は何のために生きているのか。」と憂うつな思いに襲われたり、「生きることは無意味だ。」などと厭世的に考えるようにもなってしまいます。これではせっかくの人生が台無しです。


「何となく、その日を送っている」・・・事に当たって成功しても失敗しても特に感慨はなく、社会が豊かになろうが貧しくなろうが関心がないでは・・・悲しい・辛い・・・。

何歳になろうとも、謙虚な心、素直な心を失わず、みずからの天分、燃料を(生きがい)求め、さらにしっかりと燃やし続け、この火を赤々ともやしつづけたいものです。

2020年10月 9日 (金)

人の道を歩く

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今、私は思う…人生は、毎日大変なことが沢山あり、それを乗りこえて必死に生きて来たら、気づいたらこんな年齢になっていた…完璧ではないが、一生懸命生きて来た。

近藤勇(人の道)・・・
「忘れてはならぬものは…恩義」「捨ててならぬものは…義理」「人にあたえるものは…人情」「繰返してならぬものは…過失」「通してならぬものは…我意」「笑ってならぬものは人の…失敗」「聞いてならぬものは人の…秘密」「お金で買えぬものは…信用」。

人が幸せに生きるとは・・・
現代社会の状況を冷静に見て…みんな「人の道」を歩き、「あなたは幸せですか」と聞かれたときに、「はい 幸せです」と即答できる人がいったいどれだけいるでしょうか?

なぜ「幸せ」を実感できないのか、その大きな原因が、人生とは人間の考えた優秀や常識の則った、「まっすぐの道」であるべきだと考えるからではないでしょうか。

2020年10月 8日 (木)

ハッとする言葉

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武田信玄の言葉・・・
「真剣だと知恵が出る」
「中途半端だと愚痴が出る」
「いい加減だと言い訳ばかり」・・・があります。

『正範語録』・・・作者不詳です。
「実力の差は努力の差」
「実績の差は責任感の差」
「人格の差は苦労の差」
「判断力の差は情報の差」

「一生懸命だと智恵が出る」
「中途半端だと愚痴が出る」
「いい加減だと言い訳が出るばかり」

「本気でするから大抵のことはできる」
「本気でするから何でも面白い」
「本気でしているから誰かが助けてくれる」

本当にそうだなって思います。「人格の差は苦労の差」私は、ここが特に響きます。

2020年10月 7日 (水)

自己中心的な人

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集団生活においては、他人の立場や心情に配慮しながら行動するのが普通です。

しかし最近、自己中な人が・・・自己中心に陥り、他者の視点や他人の心・意図など、自分と違う価値観があることを理解してない人が、多くいるように・・・思われます。自分さえ良ければ…の考えの人です。

協調性の大切さ
人の立場にたって考えてあげる思いやりは、みんなで行動を共にする協調性を育みます。日本人の生活では「集団行動」が多く、子どもの頃から「協調性」を身に付ける大切さを学びます。

異なる立場や価値観の人が互いに助け合ったり、譲り合ったりしながら生きる社会において、自分中心にしか物事が考えられない人は、自身が生きにくいだけでなく、自分の視野を狭めてしまいます。

心を変える「ウィリアム・ジェームズ」の名言に・・・
「心が変われば態度が変わる」「態度が変われば行動が変わる」「行動が変われば習慣が変わる」「習慣が変われば人格が変わる」「人格が変われば運命が変わる」「運命が変われば人生が変わる」・・・があります。

2020年10月 6日 (火)

長生きして幸せに生きるには・・・

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80歳を過ぎて、一日一日の過ごし方が、辛くなることを実感しています。食事、排せつ、睡眠すべてに、「健康を保つ努力」が必要になります。

何とか、今日という日を越えて明日を迎えて…またその日を越えて…。長生きはいいね、とはとても単純には言い切れません。

◎日々の暮らしに充実感を
「地域ボランティア」・「趣味三昧」で日々の暮らしを充実させることが、幸福な老後をつかみ取る方法であるのは疑いないと思います。

ただ問題は、すべての人がそれらを実践すれば、幸せな老後が待つわけではないことです。ではどうするか…解決策の一つは、周囲にどう思われるかでなく、「自分が幸福になれると思える、ボランティアや趣味」を選ぶことです。

○自分だけ幸せはあり得ないこと

周りに迷惑をかけるのでは幸せとは言えません。縁あって同じ時代に生きているすべてが幸せでないと幸せではないという事です。
○足る知ること
満足している高齢者というのは、老荘思想に「足るを知る」という言葉があるように現実を受け入れることです。欲望を持ち、何かをしたいともがく人ほど苦しむのです。

2020年10月 5日 (月)

自助・共助・公助の在り方

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社会環境の変化により、従来の私的問題が社会問題になることが少なくありません。これからの人口減少時代には、セーフティネットとしての「公助」の社会制度づくりと同時に、「自助」と「公助」の中間領域の「共助」の仕組みづくりが、必要ではないでしょうか。

しかし、少子高齢化が進み、人々のつながりが薄れている日本社会では、家族や地域コミュニティなどのインフォーマルな機能が働きにくくなっています。本来は、社会の問題解決システムとして、「自助」、「共助」、「公助」の仕組みがいくつも重ね合って、私たちは安心して暮らすことができるのです。

「共助」の仕組みは、「自助」と「公助」の隙間を埋める人々の連帯によってつくられます。他者に対する「無関心」が拡がり、社会的孤立が深刻な問題になっている現在、社会にはある程度の「お節介」、即ち文字通りの「節度ある介入」が必要と思います。

「見て見ぬふりをする」と「見ぬふりをして見る」の間には大きな温度差があり、市民は傍観するのではなく、きちんと口を出すことが重要です。「共助」社会とは、「あなた」と「わたし」が支え合う社会であり、「無関心」とは対極にある友愛社会を意味するのではないでしょうか・・・

2020年10月 4日 (日)

苦しみがあるから楽しみがある

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確かに人生には、苦しみは楽しみの何倍もあるかもしれません。
重要な目標を目指す仕事で得られる満足感は、そのために払われる犠牲と密接な関係があると思います。
苦労が大きければ大きいほど、目標の価値と、仕事の満足感も大きくなるのです。

あまりにたやすい、苦痛や努力の必要ない仕事をやり終えても、「向上した」という心地よい満足を与えてくれません。要するに、私たちが幸せになるためには、どうしても苦しまなければならないということです。

いま、若い人たちが何をしていいのか分からない、何のために生きているのか、どう生きたらいいのか分からないという。

家族の中にあって何不自由なく暮らしていたら何も努力せずとも暮らせてしまうでしょう。しかし、どんなに小さな動物でも、成長すればみな親元を離れていくものです。

一人になって生きていくこと、努力無くして生きるすべはありません。でも、一人では生きていけません、周りの人たちと上手く助け合うことも必要になるでしょう。我慢することも必要・・・。自分の好き勝手は言っていられません。

何でもしなくては生きていけない・・・
そうして努力して、つらい思いをして、へこたれずにやれてはじめて得られたものの喜びを味わうことができるのです。小さなうちから一人でやって、獲得したものの喜びを知っていればそれは叶えられます。周りの人たちから学ぶことも、ともに喜びを分かち合う中で学ぶことも・・・あるでしょう。

そうして、始めてどう生きたらいいのかも分かるし、何をすべきかが見えてくるのではないでしょうか・・・。「幸せは努力なくしては得られない」「幸せだけを求めていては何も得られない」それが当然のことなのです。

2020年10月 3日 (土)

10月になって・・・

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ついこの間まで、最高気温が30度を超える夏日が続いていましたが、10月に入り、朝夕の冷え込みを、感じるようになってきました。一年の中で最も過ごしやすいといわれている「秋」です。

ぐっと気温の下がる秋、なぜか心にひんやりとしたすきま風が吹いて、理由もなく虚しい気持ちになったり、寂しくなったりすることってあります。

10月は秋凉爽快
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木々の葉が黄ばみを増し、金木犀の香るころになると、朝夕は肌寒さを感じるようになる。秋風は爽快であるけれど、もの悲しさや寂しさをさそうようです。

秋風が吹いて寂しさを感じることを、秋風索漠(
しゅうふうさくばく)といいますが、勢いがおとろえて、おちぶれていくさまのことで、老い込むというのは、そういうことではないでしょうか。

なぜ老いは寂しいのか
それはやがて死がおとずれる前ぶれだと思うからでしょう。そして死は恐ろしいと感じます、なぜ恐ろしいのでしょうか・・・それは未知のことだからです。また死を恐れるのは、この世に未練があるからでしょう。もっと楽しく・もっと面白く生きたい、そういう思いがあるからです。

2020年10月 2日 (金)

一日一日を大切に生きる

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「今日一日を意義に…」
今日一日の生活を何となく過ごす・・・ことではなく、今日の「一日を有意義な一日に」の考えはだ大事なことです。どんなに辛いことでも、一日のことだと思えば耐えられるし、楽しみだって一日のことだと思えばそれに溺れることもありません。

どんなことでも、今日一日が自分の生涯だという気持ちで過ごせば、無意味な時間を過ごすことなく、充実した一日を過ごすことができます。一日一日と思って一生懸命に生きれば、百年でも充実して過ごすことができます。

一生は長いものだと思うけれども、これから先のことやら明日のことやら、一年、二年、また十年先のことを、わかる人はいません。

人生の中で一番大切なことは、今日ただいまの自分の心です。それをおろそかにしていては、翌日などというものはありません。今日をきちっと一生懸命に務めるように心がけなければ、明日という日も堕落した日になってしまいます。

今日一日をしっかりと務め、明日もまたそのような一日がくるよう大切にし、「今ここにある」この一刻の、この今を、どう生きるか、どう暮らすかを考えてい生きることが大事なことだ思います。

2020年10月 1日 (木)

人生の旅路

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私は83歳・・・随分遠くまで来たと思っています。何気ない一日一日の積み重ねが「人生」で、、、まだ生かして頂いているということです。これからも、苦しい・辛いこともあるでしょうが。。。しかし、些細な日常の中で、幸せを感じるときもあるでしょう、その集まりが人生における大切なことだと思っています。
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今でも、心に響く歌(童謡)に「旅愁」があります。(原曲:ジョン・P・オードウェイ 訳詞者:犬童球渓)
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更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
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今夜は中秋の名月です。
これからも「感謝」念をもって、「良い人生」を生き続けなければと思います。
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「良い人生とは安全な道を歩くことであり、その為にしたいこともせず耐えることを人は選びます。でも、私は欲しいものを必ず手に入れ、闘い、譲らず、人のまだ歩かない道を探し、白地図に新しい世界を描くことこそ生きるということだと思います。」(瀬戸内 寂聴さんの言葉)

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