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2020年9月

2020年9月30日 (水)

ゴミのポイ捨てと自己中心の人

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どうして、ポイ捨てするのか・・・不要となったものはさっさと手放したい、身近に置いたままにしたくないということに尽きます。また、これを地域のルールに、従って処理をするために手間やコストをかけるなど、面倒くさい・・・出来るだけ手間を省きたい・・・というのが普通の感覚です。

ポイ捨てする人は本能のままに行動しているだけですから、あんまり、先のことを、深く考えないのです。当然、環境破壊・地球温暖化など、自分には関係ない・・・いわゆる自己中心的な思考を持った人間です。

ただ、ポイ捨てする人と言えども、街中がゴミで溢れた状態は不愉快であろうし、自分の居住空間をゴミ屋敷とすることも絶対にあり得ないと思われます。たぶん、潔癖なポイ捨て族は、運転席から吸い殻一つでも外に投げ捨てるでしょう。ポイ捨てする人は本当はきれい好きで、ゴミ一つない清潔な環境が大好きであるに違いないと思います。

ポイ捨てを無くすには
子どものときの「親のしつけ・学校の教育・地域の人など教え」です。人間社会におけるマナー・道徳の習得です。自分さえよければの考えの社会では、自分さえ生き残れない。


「自分さえよければ」という生き方では、最終的には社会が壊れてしまいます。もう自己責任論・格差社会では、いよいよ立ち行かないです。人間社会で生きてゆくには、個人はどうあるべきか・・・ビジョンをひとり一人持つべきです。

2020年9月29日 (火)

自分らしく生きる

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「自分らしく生きるとは」
飾らない自分の素直な気持ちに誠実になり、やりたいことをやれることに幸せを感じ人生を楽しむ…周りに影響されずに、ありのままの自分の気持ちを尊重し、行動する人のことです。

わがままと、ありのままとの違い
「わがまま」とは、自分が幸せになればそれでいいと周りのことは考えずに、自分に都合のいいように行動する(自己中心)に対し、「ありのまま」とは、相手のことを考えながらも自分の価値観、考えも大事にし、人と共に幸せになるために、行動をする人のことを言います。

わがままに生きることで、自分一人のニーズが満たされたり一定の自己満足感は得られますが、勝手な振る舞いが人を遠ざけ、孤独感や寂しさを感じることもあるでしょう。

それに代わり、ありのままに生きるということは自分の気持ちや考えを大事にしながらも、周りの意見に流されるだけでなく、取り入れ一緒に幸せに向かおうとするため、自分を偽ってまで無理に合わせることがなくなり、本当の信頼やつながりが得られることになります。

2020年9月28日 (月)

感謝を求めない姿勢

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「ありがとう」を強要し感謝を求めるより、日々を淡々とこなす。。。姿勢(態度・心構え)

挨拶と同様にコミュニケーションに欠かせないものとして、「ありがとう」の一言でスムーズになるものです。確かにお互いに感謝の念を伝え合うことは、人間関係の礼儀です。しかし、これを重く考えすぎると、人間関係に複雑な問題を及ぼします。

「ありがとう」を強要する人
「ありがとうも言ってくれない…全然感謝をしてくれない」とイライラしている人が意外と多くいます。感謝を強要して、それが満たされずストレスを溜めるているのです。

「ありがとう」と一言
言ってくれれば気が済むのに、という弁です。確かに「ありがとう、おかげ様で」を言わない人がいます。しかし、ありがとうを強要し「ありがとう」と言ってくれないからと、イライラするのは、「ありがとうと言ってもらって当然・私は感謝されるべき…」という気持ちがあるからです。それは姿勢…心の態度として問題があるのではないでしょうか。

2020年9月27日 (日)

現代社会は何が必要か

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今何が、私たちに必要なのか。何を、依って立つべきなのか。

昔は、もっと単純明快に理解していました。助け合って生きてきたのです。重要なことは、単純明快さです。今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分達が依って立つ(拠り所となる)基盤をも見失いつつあるようです。

中央集権化されすぎたために、自分達にとって大切な意思決定が自分達からかけ離れたところで行われるようになってしまったのです。

政治や経済というのは、本来、自分達の身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。子供たちの教育も生活に必要な事も、根本は、自分たちの郷土をどの様な社会にするのかという構想です。

だからこそ、環境も大切にすることができるのです。大切なのは郷土愛です。その上にたって、その土地に生きていく人たち、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。それがなければいかに土地が荒廃しても開発を優先するでしょう・・・経済は栄えても、土地は荒廃していくのです。

ほんの少し前の時代では、私たちの生活は、もっとシンプル、単純で素朴だったのです。生活に必要な物を自分達の手で作り、助け合って暮らしてきました。現代社会は、そのころの生活に比べて複雑です。私たちの子供のころと比べても格段に違います。

2020年9月26日 (土)

人の痛みが分かる人


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「人として最も尊いことは、他人の痛みが分かるということである」
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人の痛みを感じる感性は、誰に教えることも、誰からも教わることもできません。強いて言えば、さまざまな苦労を経験して磨かれる感性と言えるでしょう。
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そして、いくら能力が高く頭脳明晰であっても、人の痛みがわからない人には、その能力を誰かのために役立てることはないでしょう。
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人の痛みが分かる本当の優しさがある人でなければ、自分の能力や技術を人のために生かそうとはしません。ですから、人として大切なことは優れた能力を持っていることではなく、人の痛みが分かる心を持っていることなのです。

どんなに凡庸に思える仕事であっても、必ず誰かを生かしている・・・誰かの役にたっている?そして大切なのはどんな“行ない”一日を過ごしたかということだと思います。
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私は、頭脳明晰でもなく、素晴らしい能力を持っているわけでもない凡庸な人間なのですが、今の自分の置かれた環境で、出来ることは何かを考えて行動し、周りの人たちと幸せ感を共有するか…だと思います。そして、いつでも”今”を精一杯、全知全力、全身全霊で生きることだと思いす。

2020年9月25日 (金)

私のまち対する想いは変わらない

この記事は2015年9月20日書いたものです。
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まちの美化 一人ひとりの 心がけ

私は、ゴミ拾いをしています。ゴミの量は毎日同じで、国道の交差点・まちの広場で小屋の休憩所・公園のベンチ付近・駅の近くの植え込みなど…だいたい、捨てられる場所は特定できます。

もちろん、ゴミ捨て禁止・ゴミは持ち帰りましょう…などのポスター取り付けています。しかし、なかなかゴミは減らないのが実情です。

八王子市は歩行禁煙です。住んで良かったまちにしましょう。

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守ろうよ みんなの好きな まちだから

一人ひとりの心がけが、ポイ捨てごみや、路上喫煙のない環境になります。地域の環境美化を図り、安心安全なまちづくりを推進するため、ご協力をお願いします。

 

2020年9月24日 (木)

高齢者の心身の変化

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高齢になると現れる心の変化・・・若い時には簡単に出来たことが思うように出来なくなることで感じる不安感や、抱く孤独感などがあると言われています。

老年期になると、仕事など自分の欲求を注いでいたものや、自分自身の価値を支えてきたもの、自分にとって大切なものなどを喪失する出来事が多くなることがあります。

高齢に伴い、周囲の仲間が徐々にいなくなるなど、さらに孤独感を増してしまったり、環境の変化や孤独感を強める出来事がストレスとなる。。。

私も実感している今日この頃です。昨日も、ちょっとしたことで、妻に自分の感情を“ぶっつけて”しまい、反省しています。

ゆったり丁寧な・・・生活を送る
ゆったりの生活を心がけ、毎日をせかせか動き回って、イライラしたり、ミスをしたり、そんな日々を送っている?・・・「所作を見直し・・・ゆったり丁寧」の生活を心がけていきたいと思います。

2020年9月23日 (水)

生かされていることに感謝

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「大自然に生かされていること」
「彼岸」…『暑さ寒さも彼岸まで』・・・のことわざがあるように、「暑くもなし寒くもなし」そして、私たち住む(日本)では、昼間の時間と夜の時間が同じ長さになる・・・宇宙の摂理のなかで生かされているのです。

春・夏・秋・冬の季節があり、地球上の生物が生きられるのです。
この地球上で私たちが生きていくことができるのは、自然が絶妙なバランスを保っているからです。つまり、太陽と地球がもっと近かったら暑すぎて生物は生きられないでしょう。逆に今より遠ければ、すべてが凍りついた世界となります。

私たちは日常生活の中で、「自分は生かされている」と実感するのは難しいことかもしれません。しかし、事実として、私たちのいのちは、自然のはたらきに支えられています。空気や水、大地、太陽の光などのさまざまな自然の恵みがあってはじめて、私たちは生きていくことができるのです。

地上に降り注ぐ太陽の光のおかげで、あらゆる生物が育ち、成長していくことができます。私たちは、そうして育った他の生き物のいのちをいただくことによって、自分のいのちを維持しているのです。

こうして考えてみると、私たちが今生きていることは、ある意味で奇跡的なことであり、まさに、有り難いことで、感謝すべきことなのです。

2020年9月22日 (火)

大人が変われば子供も変わる

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「子どもは、社会を写す鏡」といいますが、大人自身の生き方とその大人が、つくり出した社会のあり方が、子どもの心に歪みを与え、今日の青少年をめぐる深刻な問題が生まれていると考えられます。

必要なことは、親や大人が自分自身を見直し、自らの生きる姿が、子どもたちの目にどのように写り、その心の成長にどのような影響を 与えているかを考え、姿勢を正していくことであるとの認識の下、「大人が変われば、子どもも変わる」・・・大人の認識を高めることだと思います。


大人自身が変わらなければ・・・

地域のこどもは、「地域で守り育てる」は、子どもたちを温かく見守り支える・・・時代に求められるモラル・・・を身を以て示すことです。

地域社会生活の中で「大人のどこを、どのように変えるのか」反省し、その気づきの中から独自の実践することが大切と考えます。

2020年9月21日 (月)

本当の幸せ

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「人間の本当の幸福は、歳をとるにつれて幸福だと感じる人生をもてること」の言葉に出遇いました。
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私たちが“煩悩の命令”だけに従った人生を歩むなら、歳をとるにつれて幸福だと感じる人生をもてるはずがありません。歳をとるということは、老いや死が近づき、境遇がいろいろと淋しくなることが多いもの「歳をとるにつれて淋しくなる」という声をよく聞きます。
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私たちは、日常の生活の中で、私たちは自分が「生きている」という実感を持ちながら生きているでしょうか・・・。また高齢になって、毎日を生き生きと生きていると、自分でそのように実感できるような今日を生きているでしょか・・・。
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私たちが日々生活していく上で、「生きる」と本当に自分で言い切れるような積極性をもち、あるいは充実感をもち得たときに、今日という一日を振り返ったり、あるいはこれからの一年を振り返ったりします。また、ときに、『ああ、本当に生きた』と実感できるようになるのだと思います。
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そしてそこに、自然と手をあわすことから始まる一日が生まれていくのではないでしょうか。

2020年9月20日 (日)

逆わらず老いよう 

御殿峠より市内を望む
私は、高齢者の仲間入りして、最近、老いるということに、肯定的な考え方を、持つようになってきました。老いに、「逆らわらず老いよう・・・」と思うようなりました。
「老いていくこと」をネガティブに捉えるか、ポジティブに捉えるかで、生きる楽しさが大きく変わってくると思います。
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小さな貢献でいきいきとする
高齢になっても、自分にできることを進んでやって、地域の中で貢献する・・・。すなわち社会に対して何かを尽くそうと考えているときは知能も働き、体が活性化すると思えるのです。
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認知症予防も良いと思いますが、社会からもらうばかりではなく、小さなことでも何か貢献したいと考えているときは、自然と人はいきいきしているように思えます。
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貢献とは何も大きなことばかりではありません。町内の清掃、朝の挨拶や、ちょっとしたことでも「ありがとう」を伝える、小さな子どもが信号を渡ろうとしている時に、それとなく注意して見守るなど、ささやかですが、目立たなくても大切な貢献はたくさんあると思います。

2020年9月19日 (土)

秋彼岸が近づき思う

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秋分の日・彼岸が近づいてまいりました。恒例の墓参で思う・・・
「今、我身が在る」ということは、我身を生んでくれた父母があり、祖先があるということです。ところが、人間は自分というものを一番大切にし、誰よりも自分を愛するものですが、とかく、この我身が何処から来たかということを忘れがちです。

幸せと感謝の気持ち
先祖.両親が存在しなくて、自分はありえません。こう考える時、その命の流れの根源に対して感謝と尊敬の念を抱くのは当然です。


こうした中にあって、過去、即ち親や先祖に対して心を向けるということは、当たり前のことであり、大事なことです。この心構え自体が、人間としての生き方、姿勢にも大きく関わりあってくるものです。

ところが、現代人は已れ中心主義の考えをもち、他人より自分、親の存在より已れ、と考えがちです。このような風潮にあって、今、先祖供養という我身のルーツに想いを至す時、現代人が失いつつある心の、根源を再発見するように思えてなりません。

そして、祈りの心というものに気づく時、輝くような人間性が現われてくるのではないでしょうか。どのような無信心な、宗教というものを信じない人でも、必ず祈りというものをもっているものです。

この祈りというものは人間特有のもので、動物にはない。祈りというものは、最も人間の純粋な姿といえよう。祈る世界には、悪人も善人もないわけです。

こうした中で自分自身が、まず親によってこの世に生まれ育てられてきたということと、また、その親の親に報思の念をもつということは、当然の祈り行為であり、人間として忘れてならないことです。

人の道

絹の道
人の生きざまや、生涯を「道」であらわすことが多い。歌や詩にもうたわれますが、とりわけ日本人は人の生き方を道であらわすことが好きなようです。
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スポーツ、文化芸能も世の人々に、感動と生きる喜びをあたえますから評価を受けます。一人の力は微力であっても、世の中に必要とされ、役立つことに意味があります。
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柔道、剣道、弓道など武道では心身技ともに習熟し、いっそうの人格の向上をめざすべしとします。相撲も相撲道として心・技・体を整えることをもとめ、茶道・華道・芸能においても同じでしょう。それぞれの道を究めるとは修練することであります。
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また人生を旅にたとえて、自分の生きざまという道を日々歩みます。そして、行く先を思ったり、足元を見定めたり、過ぎ去りし足跡をふりかえったりします。
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自分だからできることを通して、生き甲斐を感じ、感動し、やる気と根気を奮い立たせて、満足と挫折、希望と失望、喜びと悲痛をくり返しながらも工夫と挑戦を重ねていかねばなりません。
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向上心を持って努力すること、そして感性を高めて工夫することは道の基本であり、忍耐と勇気がそれを支えます。

2020年9月18日 (金)

のんびり行こう・ゆったり歩こう

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現代社会は、たしかに便利になりました。でも、簡単に手に入れたものは手放すのもまた簡単・・・いたるところに表面的、即席が溢れています。生き方や幸せまで、同じように考えてしまって、ゆっくり生きることができない人がいるようです。

幸せに見せる努力をやめれば幸せは見えてきます。急がず焦らず、丁寧で穏やかな暮らしでいいのです。小さくても、少しずつでも、ゆっくりでも自分のペースで歩いていくことです。

どこかへ辿り着くことが人生の目的ではありません。人より前に行くことが幸せにつながる道ではありません。歩きながら見える景色を味わいましょう。ときには立ち止まったり、休みながらでいいんです。その道中を楽しむことこそが人生です。

「のんびり行こう・・・ゆったり歩こう」
慌てなくても人生は競争ではありません。幸せは早い者勝ちではないのですから。。。いつもせかせかと余裕のない状態では、すぐそばにある幸せに気がつけません。ゆっくり生きる人生で、心豊かに過ごしたいものです。

2020年9月17日 (木)

シニア世代の生きがい・趣味を持つこと

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人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。辞書よれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

80歳代のシニア世代の生きがい
80歳代のシニア世代にとって生きがいとは、心に潤いを与えてくれるものというだけではなく、長く健康で過ごすためにも非常に大切なものです。

ボケ防止やうつ病予防になる?
何よりも、好きなことに打ち込んだり、さまざまな人と関わっていくことは、人生そのものをポジティブに捉えさせてくれるはずです。高齢者がかかる病気の一つに「老人性うつ」がありますが、大好きな趣味に打ち込むことで、うつ予防も期待できます。

老後に趣味をもつこと
特に仕事が生きがいだった方の場合、仕事を引退してから気分が沈んでしまったというのはよく聞く話ですが、時間を持て余して、ぼんやりと生活を送るなんてもったいないです。

なぜなら、老後にはたくさんの楽しみがあるからです。その一つが趣味でしょう。体力はあっても時間がなかった若い頃に比べて、時間にゆとりを持てる老後ならば、「やりたい」と思っていたことにチャレンジできるはずです。

ほかにも、「新しい友人ができる」「ストレス解消になる」「自分磨きができる」など、老後に趣味を始めるメリットはたくさんあります。

2020年9月16日 (水)

私たちの町を大切にしよう

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私たちの生活の主な舞台は、いま住んでいる町です。郷土です…郷土には、先代から引きついている豊かな自然があります。今は、産業や暮らし…文化…は大きく変わりましたが、私たちは、自然と共存しなければ生きられません。

私たちは、自然を観察し、自然の法則を学び、これを尊重しつつ活用してきました。 そのことで今日の繁栄と豊かな暮らしがもたらされたことを私たちは知っ ています。

しかし同時に、今私たちは繁栄と引き換えに失ったものの、大き さにも気付き始めています。今度はそのサイクルを逆に辿りながら、自然 の再生を図らなくてはなりません。自然に親しみ、自然に学び、未来を創 造するキッカケとして、自然を再認識しなければなりません。

私たちの住む郷土は、先代から郷土の発展やよりよい生活を願って、昔から連綿として受け 継がれてきた人々の営みの所産でもあります。

そうした先人の働きや苦労、努力の上に、現在の私 たちの生活が成り立っていることを考えたとき、私たち自身も郷土を愛し、その発展に寄与し ていくことが求めらているのです。 いま、私たちの町…郷土を、自然を大切に考えない人が残念ながらいます。

私は、教育学者「森信三先生」の躾の三原則を・・・理解すべきです。
ごく当たり前な事柄なので普遍性の高いものです。「1. 朝のあいさつをする・・ 2.「ハイ」とはっきり返事をする・・ 3.席を立ったら必ずイスを入れ、 ハキモノを脱いだら必ずそろえる・・」そして、『人に…自然に…思いやる人間の大切さ』を、分かってほしいと思います。

2020年9月15日 (火)

おかげさまで生きられる

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私たちの今ある 「いのち」は 突然生まれたものではなく はるか昔からの、
連続した 長いいのちの流れのうえに恵まれたものです。どこか途中で一つでも途切れていたら、今の「いのち」は存在しないわけで、今あるのは まさに多くの「いのちのおかげ」と言えるでしょう。

縦の時間的な つながりだけではありません。現在の生活の横のつながりにおいても、衣食住どれをとっても誰かのおかげであり、また、動植物のいのちを いただいているおかげで、私たち人間のいのちを、支えることができているのです。

「おかげさま」という気持ちは、人間の思い上がりを戒める意味でも大事であると思います。ただ、自分の都合のよいときには 「おかげさま」でと素直に言えても、自分の都合の悪いときにも、同じように「おかげさまで」と 言える人は 少ないのではないでしょうか。

大病を患って、つらい思いをした人が、「病気になったおかげで  生きている喜びを 味わえるようになった」「病気のおかげで人生観が変わり、新しい生き方が生まれた」 などとおっしゃったりします。

あえて病気になる必要はありませんが、そういう望ましくない事態に直面しても、自分が支えられ、生かされていることに気づけば、「おかげさま」 という気持ちになれるのではないかと思います。

2020年9月14日 (月)

世の無常を知る

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最近の夏は、地球温暖化の影響なのか毎年暑くなっているようです。どうも今年は例外だったようで、7月が空梅雨で暑い日が何日かありましたが、8月になってまた梅雨が戻って来たような感じで雨模様の日が続き”猛暑”という言葉をあまり使わずに夏が終わってしまいました。

そして、コロナ禍・・・と、本当に大変に辛い夏でしたが、それでも確実に時は過ぎ、彼岸は近づき、世の無常を知る今日このごろです。


道元禅師はつぎの詩に「世中は何にたとへん水鳥のはしふる露にやとる月影(無常)」があります。
「世の中を何にたとえたら良いのか、水鳥がさっと振るくちばしに付いている一粒の露に映り込んでいる月の姿のようなものか」ということです。

世の中がいかに儚いものかを鋭く透明感をもって感じさせてくれます。今日あるように明日があると、なんとなく私たちは思っていますが、それは単なる思い込み…未来は未定です。「諸行無常」全てのものは皆この世界にとどめることなく移りゆく存在です。それは世の常であり、私たちの姿形もまたその通りです。

私は想う「病葉を 池に落として 夏の往く」「コロナ禍で なにか足りぬ 夏終わる」「雨ばかり 日照ばかりの 夏は往く」

2020年9月13日 (日)

時間は無限ではない

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時間も人生も有限です。特に若いころは時間がたっぷりあり、可能性にもあふれているので、時間をあまり意識しませんが、時間も人生も無限にあるわけではありません。

時間も人生も無限と思っていると、惰性的な生き方になり、時間も人生も無限と思っていると、気の緩みが生まれます。

なかなか気合が入らないと、やる気やパワーも出ません。やるべきことを後回しにしてしまい、緊張感のない、やりたいことがあっても、なかなか挑戦しなくなり、先延ばしとなり勝ちになります。そして結果として、惰性的な生き方になってしまいます。

自分が生きていられるのも有限です。
有限を意識すれば、おのずと緊張感が生まれ、気持ちが引き締まるはずです。私は、焦って行動するのではなく、落ち着いて行動することを意識し、そして、何があっても冷静さを失わないことを心に決めて、生きることが大切と思います。

たしかに日常生活の中で「時間や人生が有限」と意識することは少ないかもしれません。そして身体も健康だと、いつまでも元気でいられるような気がします。私は歳をとって、身心の衰えを感じています。これからは、焦らずゆったり、時間を大切にしていきたいと思っています。

2020年9月12日 (土)

思いやりの心は感謝の気持ちから


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ほんの小さなことでも「感謝」する気持ちが、私たちを謙虚にし、思いやりの心を育みます。「感謝」の気持ちがあれば、その人や物に対して、自然に思いやることができ、豊かな心になれるのです。

何か品物を頂いたり、やって頂いたりした時だけでなく、常に、その人の存在そのものに感謝し、いてくれ「有り難い」「嬉しい」「幸せ」と感じ、常にその物があることに感謝しそのお陰で元気が出るとか、助かり頑張れる・・・と感じることができるのです。

そういう気持ちを心の中に持つことは、なかなか慌ただしい日常の中では忘れがちです。そして、「出会いがあれば、その出会いに感謝し、気づきがあればその気づきに感謝する」それは出来事の大小に関わらず、日常のささいなことから、人生のビッグイベントまで全てに通じるところです。

人と接することが多い人は改めて、周りにいる人たちが、いらっしゃて下さる方々に感謝し、そしていつも一緒にいる家族にも感謝し、たまに戻ってくる子どもたちの存在にも感謝します。

人はひとりでは生きてはいけません。「助け合い」「励まし合い」「学び合い」そういう中から、お互いを「思いやる」ことができれば、優しい社会、温かい社会になっていくのではないかと思います。

2020年9月11日 (金)

心に余裕をもつこと

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年金暮らしの私ですが、今の世の中の慌ただしさで、どうも落ち着かない毎日です。

「心に余裕を」とよく言われますが、忙しいとなかなか旨くいきません。でも自分より忙しいのに、落ち着いている人だっています。

心に余裕のある人は、とても魅力的に見えるものです。同じような忙しい環境にいても、あくせくしてしてしまう人と、落ち着いていられる人がいます。その差は、ちょっとした心がけの違いだけだと思います。

やりたいこと・やるべきことを、明確にする。
今必要なことが明確であれば、あとはやるかやらないかだけで・・・周りが悩んでいるあいだに、どんどん物事をすすめられるので、時間の使い方が、上手になるのではないでしょうか。

そして他人と比較しないことだと思います。誰かを目標にするのは良いことですが、自分より優れている点に注目して妬んだり羨んだりするのはやめることです。

比べるべきなのは、昨日までの自分・・・
昨日よりほんの少しだけでも成長できたと思うのであれば、もうそれで十分と思います。自信がないと、つい他人と比較してしまいますが、余裕のある人が比較するのは自分自身・・・過去の自分と比べて、どのくらい成長したかを知り、自分を分析することで、さらなる成長へと、つながるかな?と思っています。

2020年9月10日 (木)

幸・不幸は心持ち次第

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同じ状況におかれても、幸せと感じる人もいれば、不幸と感じる人もいます。性格の問題もあるでしょう。けれど、それだけで、片付けてしまうものでないと・・・思います。

私たちはみな、人生で目指すことも違うし、価値観や信条、経験なども全く違います。そのなかで、ひとつ共通することがあるとすれば、幸せになりたいと願う気持ちではないでしょうか。


私たちが考えたり、言ったり、行動したりすることのすべては、幸せになるためといっても過言ではありません。新しい仕事に就くのは、もっと幸せになれると思うから・・・。どこかに旅行するのは、私たちの追い求める、幸せがきっとそこにあると思うからです。

でもなぜか、どんなことをしても、幸せに手が届かないと思えることがあります。素晴らしい高揚感は一時のもので、長くは続かないからです。たったいままで手の中にあったのに、次の瞬間にはなくなってしまう。やっと手に入れたと思った次の瞬間には、幸せは手の届かないどこかに失われてしまいます。

幸・不幸は心持ち次第
お空を仰いで胸一杯に深呼吸する心地よさ…道ばたに咲く可憐な花を見つけたときの喜び…炊きたてのご飯をほおばる至福のとき…「おはよう」「おやすみなさい」と言える相手がいることの幸せ・・・。

何がなくても、何気ない日常にあふれるささやかな喜び…世界はこんなにも小さな幸せに溢れているのです。不幸の原因ばかりを探しているかぎり、不幸は続きます。幸せになりたいなら、日常にころがっている幸せの数を数えてみることです。

2020年9月 9日 (水)

生かされて生かして生きる

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虫媒花の植物は、昆虫によって花粉が運ばれ実を結びます。
花には蝶を招く心はなさそうです、蝶にも花を尋ねようとする心が働いているようにもみえませんが、花が咲くと蝶は飛んできます。

蝶が飛んでくるところに花が咲いて、花につく蝶は無心にして損得勘定がないから、味わいのみ取りて色香を損なうことはありません。

誰もがこの世に必要だから生まれてきたのです。そしてお互いを必要とするから生きていけるのです。しかし最近は、人と人との絆が弱くなったようです。現代人はプライド、プライバシーの権利、プライベートな問題などと、ことさらに自己主張するけれど、自分が生きるためには他が必要です。

他というのは一つや二つでなく、さまざまというべきか、すべてというべきか、人のみならず、万物の存在に支えられて自己が成りたっているのす。

他を生かさずして自己は生きていけません。自分のためにという生き方が、そのままに他のためにということでなければ自己は生きられません。これは自然の大道であり大原則です。本来は自他の区別などありえない、自他一如で利己はそのまま利他であり、利他がそのまま利己です。

2020年9月 8日 (火)

行動を起こすか諦めるか

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一度の人生で、何か心に決めていた事を、行動を起こし・・・たとえ、挫折し最後に諦めたのならまだいいですが、何もしないで諦めたのだとしたら、将来後悔するかもしれません。

とくに、今の生活に不満なら、いつまでもその後悔の想いを引きずってしまうでしょう。いつまでたっても過ぎ去った過去に囚われて、今を生きる事が出来ない・・・
「あの時ああすれば良かった、こうすればこんなはずじゃなかった」どうして、あの人はそうなってしまったのでしょう?

そうならないためには、冷静に一度自分自身を見つめ直す必要があると思います。自分はどうしてそれを手に入れたいのか?今の自分は他人の期待にただ応えようとしているだけじゃないのか?一体自分は在るがままの本当の自分の気持ちに素直なのだろうか?

素直な心になる

人生はたった一度きり、自分に嘘をついて生きたって、それは生きたとはいえない。何があろうともいずれは、人はみな死ぬわけです。じゃぁ‐どう生きるべきかなのか!? 私は、「素直な心」になることと思います。

2020年9月 7日 (月)

心は何時もニュートラルでありたい

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どんな時でも誰に対しても、飾ったり偽ることなく平等にふるまえる“自然体”な人は、自然と周りに人が集まってきて、誰からも愛される素敵な魅力を持っています。

「自然体で魅力的な人」というのは、「自分の気持ちをニュートラルに持っていける人のこと」ではないでしょうか。

時間に追われて焦ったり、イライラしてしまう場面は日常生活で少なくありません。そんな時に話しかけられても、自分の心がニュートラルな状態をキープ出来る人は、いつでも誰とでも同じ自分で接することの出来る人だと思います。

そしていつも気取らず、飾らず、自然体・・・ニュートラルでいることの心地よさは、自分だけでなく、相手の心にも気持ちのよい風をもたらせてくれるはずです。

今の自分に自身を持てない人…感情のコントロールが上手くできずに悩んでいる人…どうしたらいいかを考える前に、まずは、“自然体な人“に共通する特徴を知ることからはじめてみることです。

2020年9月 6日 (日)

ウオーキングで幸せ感が・・・

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私はウォーキング(散歩)が大好きです。歩けることができ「幸せ」と思います。私が、歩いて「幸せ」と思うことは、◎多くの人に出合うこと。…◎季節の移り変わりを体感できること。…です。そのことは、ボケ防止・・・につながると思っています。つまり「フレイル」に効果があると信じています。毎日の目標7000歩です。

『健康長寿ネットより』
◎ウォーキング
健康推進のためや、生活習慣病の予防のための運動として、歩き方や運動強度、頻度や時間を考慮して「歩く」活動を行うことです。ウォーキングは、障害が生じる危険度も少なく、老若男女問わずに行える運動です。これから運動を開始するという方でも、抵抗感なく継続して取り組みやすい運動のひとつです。

◎ウォーキングの効果
歩くことで荷重がかかり、骨に刺激が加わるので、骨の強さが増しやすく、骨粗しょう症予防にもよいといわれています。
また、ウォーキングには快感ホルモンの分泌を促し、精神的な緊張や抑うつ、敵意、疲労、混乱などのマイナスの感情は低下し、プラスの感情である活力が上昇するという感情への効果も報告されています。脳の血行もよくなり、脳の活性化が促されることで認知症のリスクを低減させるという報告もあります。

環境に普段の行動を見直して!

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地球温暖化をはじめとした環境問題に対し、日々の生活や経済活動を委縮させることなく、持続可能は発展をさせるためには、個人や事業者などが、法律等の規制に従うだけでなく、自主的かつ積極的に環境保全に配慮した取り組みを行うことが期待されます。

最近町を歩いて思うに、生活が精神的に余裕がない?また、自分さえ良ければ?…の考えの人が多いのかも知れませんが、歩きながら、食べる・飲む・タバコを吸う・犬の糞・家庭から出るゴミまで、私たちの町の一級河川湯殿川の管理通路に、当たり前のように捨てていく、輩がいます。

一つのゴミが類を呼ぶ
コーヒーを飲み名がタバコを吸い…サラリーマンが忙しく駅に向かう、処置は道路の植え込みなどに、当然の如く捨てていくのです。誰かが捨てていったので、捨てて当然とでも思っているのでしょうか?

メディアでは、地球温暖化・自然環境・異常気象など、深刻さが増してきていることを報道していますが、どこ吹く風とも言わんばかりに、平気の平さ…まさに、「自分さえよければ・・・」の人間が多く感じられる今日この頃です。

私は、私たちが住む町だけでも、ゴミがない、先輩たちが残してくれた、自然豊かな町を,後世に、引き継がなければと、毎日ゴミ拾いを続けています。環境を守り、思いやりのある町にと・・・頑張っています。

2020年9月 5日 (土)

広場はみんなのもの後に使う人のことを考えて!

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私たちのまちに「片倉時田まちの広場」があります。
2009年6月に関係者の侭力で、念願かなって出来たものです。その管理は片倉町一丁目町会で行うのです。

主に公園アドプトにより、八王子市から支援を頂き、町会でも「緑の会」をつくり、会員20名ぐらいで始めて、毎月第三日曜日に草取りや清掃活動をしていたのですが、今では参加する人は、10名以下になってしましました。

近くにスパーがあり、人通りが多く、スパーの営業も夜9時迄と遅いので、広場を利用する人が多いようです。

利用するのは結構ですが、タバコの吸殻・ビールの空き缶・ペットボトル・弁当やお菓子など包装紙が、捨てられ、片付けが大変です。是非ゴミは、お持ち帰りをお願いしたいと思います。後で広場を使う人の気持ちを考えてほしいのです。

私は「広場は町の顔」であると同時に、町民の大事な、コミニテイ場所であると思い、出来るだけ広場に出向いて、ゴミの収集・処分を心がけています。

大事なことは、『ゴミがあったら始末する』・・・「誰かがやるからいいだろう。私が汚したのではないから・・・」ということではなく、気がついたら積極的に、片付けることです。

2020年9月 4日 (金)

人生の喜びは人との出会い

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私は、この年(83歳)まで・・・たくさんの、人達との関わりあいの中で、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、苦労をしたり、挫折をしたりしながらも、一所懸命生きてきたと自負しています。また、そうした一所懸命生きること自体が人生の喜びであったような気がします。


一時は苦しくて辛くても、我慢をして乗り切った時には、「良かったー」という喜びと満足感が味わえます。人生の荒波や壁にぶつかっても、へこたれずに頑張って生きていきたと思います。

自分が困っている時に、思いも掛けない人が助けてくれる…励ましてくれる…自分が傷つき苦しんでいる時の励ましは、涙が出るほど嬉しいものです。そうした人と人との出会いの中で、人生って素晴らしいな~と感じることがありました。

人生の喜びは、人との出会いの喜びではないでしょうか。それぞれの人が、それぞれの人生を一所懸命生きています。そんな人達との出会いの中で、感動したり、人生の素晴らしさを感じたりしてきました。決して気の合う人達ばかりではなく、気の合わない人、嫌な人もたくさんいます。


「偶然のめぐり合わせ」
この偶然な…人と人の「めぐりあわせ」そこに人間としての喜び、人生の喜びがあると思います。いろいろな人との出会いの中に、大変魅力的に感じる人との出会いもあります。スタイルや顔形ではなく、人間性による魅力です。自分にはない良いものを持っている人に魅力を感じることもありますが、私は、人生を前向きに、元気にイキイキと生きている人に感動的な魅力を感じます。


病気や逆境に陥ると、心まで落ち込んでしまいます。しかし、元気な人との出会いによって自分も元気になれるのです。素晴らしい人との出会いによって、自分も素晴らしい人になろうとする元気がわき出てきます。出会いを大切さに、今更ながら痛感します。

2020年9月 3日 (木)

郷土愛について

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「郷土愛を育む」とは・・・自分が生まれ育った土地・“ふるさと”を大切にする心を育てることです。
自分の生まれ育った郷土は、その後の人生を送る上で、心のよりどころや精神的支えとなるなど、大き な役割を果たすものです。

郷土を愛し、大切にする心を育むことは、自らの人生や心を豊かにしていく 上で大切です。また、その郷土を愛する心は、国への親しみへと視野を広げ、国や郷土をよりよくして いこうとする態度に繋がります。

そして、主体的に生きることが求められる今の社会では、自分の環境、そし て人生を、自分たちの力で豊かにすることが求められます。子供たちにとっては、今いる環境が当たり前であり、郷土の特徴 やよさを意識することはあまりないと思います。

自分たちの郷土に目を向けさせること
自分たちの住む郷土には人々に愛される場所・・・先人から守り、受け継がれてきた文化・・・に気付き、そのよさや大切さを理解し、郷土をもう一度見直し・・・次世代に引き継ぐ・・・子供たちに「郷土を大切にしていこうとする」心情を育てることは、大人たちの責務であると思います。

2020年9月 2日 (水)

幸せな人生とは

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「“幸せな人生”とは何か・・・」考えてみました。
今までが幸せな日々であっただろうか…今は、幸せだろうか…そしてこれから先はどうだろうか…。

「この世に生まれてきたこと」・「今、生きている」・「これからも生きていく」の幸せだが、過去、現在、未来がともに幸せであるならば、それは最高ですが、人生には栄枯盛衰があり、紆余曲折があり、一瞬先は闇でわからないから、時系列で判定しないほうがよさそうです。

諸々の“縁”を大切にすること
私たちは両親のもとにこの世に生まれてくることができました。新しい命が誕生するという諸々の縁が満ちたから生まれてくることができたのです。したがって、諸々の縁により生じたものは、諸々の縁が解けると滅してしまいます。

この世では、すべてのものが関係し合って存在しています。ことごとくつながっているのです。だから、どんなものでもこの世に存在するものは、いずれも欠くべからざる存在であり、必要なものばかりで、不必要なものは存在していません。

だれもがこの世にとって必要な存在として、この世に生まれてきたのです。この世に必要な存在として、両親のもとに生まれてきました。まずは、「この世に生まれてきたという幸せ」を受けとめたいものです。

たくさんの笑顔に会える町


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『たくさんの笑顔に会える町』
商業ベースに頼りすぎず、いろんな立場の人が、それぞれにくつろぎと、触れ合いをもてる場を探っていけば、「この街に住んでよかった」 あるいは、「これから住みつづけたい」という意識がもてるのではないでしょうか。
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これだけ価値観が多様化した世の中で、みんなが同じ方向性で一つのまちを作りあげるのは無理があります。しかし、元気な人が暮らしていると同時に大切なことは、住んでいる人が「このまちが大好き!」かということが上げられると思います。
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「この町が大好き!」が、住んで良かった町に・・・
自分の住んでいるまちが好きな人が多ければ多いほど、そのまちが活気と楽しさに溢れてくるのではないでしょうか? 地元の方が多い中に、次第に外部からの住民が増えています。うまくお互いに協調しあい、外部からの住民から特にいろいろな意見を吸収できる体制があるべきと思います。
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そして、ひとり一人が、住んでいる地域の歴史を知り、自然環境を大切にする・そして、住民のひとり一人のモラルと責任もって、いつも「美しい町」意識し、行動をすることです。

2020年9月 1日 (火)

気付いて欲しい自然の大切さを



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日本人は、縄文時代から山や海の恵みをいただき、里山を育ててきました。農を営み、自然からの恵みを安定した形で得るために集落(コミュニティ)を形成し、自然に寄り添いながら生きてきた歴史があります。

人が暮らしていく中で、共に暮らす動植物もまた新たな進化の過程を踏みながら生きてきました。たとえば田畑がなくなると、田の中で生きてきた動植物もまた生きていけなくなる。地球上の動植物の多様性は、人が共生することによって地域個有のものとして保たれてきたのです。

 人が生きることで共生して生きる多様な動植物もあり、その絶妙なバランスの中で、先人たちは生きてきた、長い人の歴史があります。人は共生する他の動植物と共に生きながら、自然の恩恵に感謝し、火山や地震、竜巻、雨や風など、自然に畏怖の念を感じながら、「足るを知る」暮らしを続けてきたのです。

こんなにも自然に恵まれているのにもかかわらず、おそらく日本人は恵まれすぎているが故なのか、自然に生かされているという感覚を忘れてしまっている?特に現代人は、日々の忙しさにかまけて、自然に無関心になっている気がします。

気付いて欲しい自然の大切さを・・・
無意識のうちに、多様な「自然」の中で生まれた"日本らしい"「文化」や「風土」、そして「哲学」に触れながら過ごしてきているはずなのに・・・それにも関わらず、長い年月をかけて積み上げられてきた、そのような日本らしい"暮らし・営み・考え方"を無視して、無理に"グローバル化"に合わせようとしている気がします。

花鳥風月を楽しむ

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劉廷芝
(りゅうていし)の詩に「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」…があります。

「来る年ごとに、花は同じように咲き匂うけれども、来る年ごとに、これを眺める人は移ろいかわってゆく」この詩には、自然の中に生きる私たち人間の姿と、時の流れが巧みに表現されています。

激動の人間社会・・・歳を取ったせいか、時の流れの早く感じさせられます。そして自然の流れは、時に、私たちにとって冷たく無情に映ります。

でも、それは、私たちに時間を惜しむ感情が高ぶっている時なのかも知れません。自然の流れや時間は、何ものにも左右されることなく、いつも通りに、当たり前に過ぎ去って行くものです。そうして過ぎ去る時間に、移りゆく風景に思いをはせてしまうから、人は弱く悲しい存在と言えるのかも知れません。


どんなに合理的に、楽に、物事が解決できるようになっても、私たちがモノでなく人である限り、喜怒哀楽という豊かな感情がある限り、この詩【言葉】に込められた想いは、いつの時代でも流れ続け、語り継がれるはずです。

だから、過ぎ行く時を惜しみ、花鳥風月(かちょうふうげつ)を愛でる人たちに「ただ、優しくあれ……」と祈りたくなるのです。

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