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2020年8月

2020年8月31日 (月)

守破離の心得


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守」「破」「離」とは、日本古来の芸道や武道の世界でよく使われる言葉です。師を敬い、型をしっかりと身に付けることは、理解を深め、応用法を見つけて新しい物を造りだす力になります。私は、人の成長にも同じと思っています。
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「守」は全てにおける基礎
「守」は人から何かを教わることを言います。守破離における「守」は一番むずかしいことであり、守を受ける本人にしっかりとしたやる気がなければ意味がありません。習い事に関しても勉強に関しても、本人が興味のあることからさせてあげないと守破離をスタートすることは難しいでしょう。
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「破」は自立を促す大切な時期
「型破り」という言葉がありますが、あれば守破離における「守」をしっかりマスターした後、独自のスタイルを作っていくときに使う言葉です。
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「離」は自分で作り出す独自の世界
「離」は字のとおりこれまで教わってきた師匠や先生と離れたり卒業したりすることを言います。今後は教わってきたことをベースに独自の世界を創造していきます。
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守破離における「離」が成功を目的とするならば、「守」と「破」のときにいかに真面目に物事に取り組むかによって成功するかどうかが違ってきます。

2020年8月30日 (日)

チャレンジ精神の大切さ


ディスク容量が不足しています
人生において、努力してもなかなか思い通りの成果に結びつかない、ということも多いものです。 しかし、この時代に、どういう行動をとるかによって、成功するか失敗するかが決まることになります。
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成功者といわれている人は、どういう状況になっても前向きに受け止め、決して諦めることはありません。うまくいかないとすぐ諦めてしまう人がいますが、これでは自ら成功への道を閉ざしてしまうことになるのです。
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チャレンジ精神の大切さ
人間の一生は成功と失敗の連続です。成功し続けることも、失敗し続けることも、ありません。また、高い目標を設定すればするほど失敗のリスクは高まってきます。
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ミスや失敗は決して喜ぶべきものではありませんが、何事をするにも、失敗したらどうしようという思いが先に立つと、なかなか手を出せなくなります。往々にして達成可能なレベルまで、目標を引き下げることになりがちです。このことを繰り返していては決して充実した人生を送ることはできないでしょう。
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目標に近づこうとする過程において、失敗することがあるかも知れませんが、失敗があるから次の成功があることを忘れてはなりません。「失敗の後の一歩から道が拓ける」のです。成功者は例外なく「成功した理由は失敗してきたから…」と言っています。高い目標を持って失敗を恐れずチャレンジすることです。

2020年8月29日 (土)

長生きは幸せか


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長生きが幸せか?簡単には答えは出ません。
病気になっても幸せな人もいれば、健康でも不幸な人もいます。老いていく過程も人それぞれです。寝たきりで食べ物の味も分からず、目は見えなくなり、耳も遠くなり、良いことは何もないからです。
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長生きをしたいと言っている人は、今の元気な状態のまま長生きしたいと言います。しかし、老いるというのは失う事でもあります。
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認知症になってしまえば、今しか分からないので、長生きできるかと悩むこともありません。もちろん、なりかけは辛いですが、夕方になれば日が沈むように生まれる前の状態に戻るだけのこと・・・です。
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「足るを知る」
満足している高齢者というのは、老荘思想に「足るを知る」という言葉があるように現実を受け入れている人です。欲望を持ち、何かをしたいともがく人ほど苦しみます。
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幸せの定義は自分の心がつくるものです。社会や行政、医療に求めるのは無理です。どんなことにも良い面と悪い面があります。長生きも同じで、片方にばかり着目せず、その良い面と悪い面をしっかりと考えることが大切だと思います。

2020年8月28日 (金)

長寿を考える

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世界一長寿国日本
医学の勝利とも云われる長寿は、すばらしいことと思います。人生80年と云われたのが昔のようになり、人生100年時代と言われるようになりました。

「一病息災 “爺さん元気に病院通い”」
今や、「長くなった人生をいかに上手に老いるか」大事なテーマとなってきたと思います。人は誰しも無病息災を願わない人はありません。しかし、無病という人は、ほとんどいません。一病、二病息災で元気に暮らして居られます。これは、病気と共生して居られることになります。

高齢者は、誰しもが何らかの、お薬を飲んでおられること思います。お薬でなくても、限りなくお薬に近いサプリメントや健康食品を食べて、おられることと思います。

人生は「健康第一」、長くなった人生を有意義に暮らしてこそ、本当の健康の意義があるのです。
健康であると云うことは、身体を思うように動かせることを意味します。今や75才以上を新老人と云う時代です。社会経済の発展のカギは、活動的な高齢者にあると言っても過言ではありません。

高齢者の方々が健康を保つ為には、運動と共に病気の予防、早期発見、早期治療が必要です。又、真の健康は、精神面でも健康でなければなりません。ボケないためには、社会との関係を保つことです。地域活動やボランティア活動をするのがよいとされて居ります。すぐれた技をお持ちの方は、職場で指導して頂くことが、最良の健康を保つことにつながります。

社会の経験を積み、生活の知恵もある元気な高齢者の方々が、積極的に活動に参加する。そして、積極的に「3つのかく」・・・ことで、「汗をかく」・「ものをかく」・「恥をかく」です。運動をすれば汗をかく、絵をかく、字をかく、音楽を聞けば右脳に入って気分爽快となり、人と会えば恥もかくことです。人生アンチエイジングではなくて、ウィズエイジングでよいのではないでしょうか。

2020年8月27日 (木)

不言実行について

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「不言実行」とは「文句や理屈を言わずに、黙ってなすべきことを実行すること」を言います。

良いことは声高らかに主張せず、黙って行うのが良いとされる日本の風潮をよく表す言葉です。見えないところで静かに他者のために力を尽くす「縁の下の力持ち」が称賛されるのと同じ考え方が根底にあります。

周りにやりたいこと、やろうと思っていることを堂々と宣言し、言ったからには実践する…『有言実行』がベストな行動パターンと思います。

人間は宣言することに対して躊躇しがちになります。なぜなら宣言したのにも関わらず、結果出来なかったり、あるいはしようとしなかった自分に対して正当性、つまり言い訳を主張したがる生き物であり、そのためできないことは、逆に言わないほうがいいと思う癖があるからです。

出来なかった時は真摯に反省し『ごめんなさい』と心から謝ればいいだけなのです。「不言実行」は、古くから日本人の美徳ともされたそれらの精神です。

成功している人、輝いている人は必ず、どこかで努力してきています。自分の目標を決めて、それを確実に実行することが、信頼を得ることに繋がると信じています。

2020年8月26日 (水)

日々穏やかに

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歳を重ねて、「心身ともに辛くなる」を、実感している毎日です。
大事な心構え・・・
長生きも大切ですが、人生は日々の積み重ねですから、「日々が穏やか」であることが幸せなの秘訣だと、思います。そのために必要なことは「感謝」の気持ちを忘れないことです。

例えば私たちは毎日、何かを食べています。命をいただいているわけですから・・・せめて「いただきます」くらいのことは言わないといけないと思います。

同じようにたくさんの人に支えられて生きています。そのことをかみしめたら「ありがとうございます」の言葉は自然とでてくるのではないでしょうか。

そして感謝し、自分は恵まれていることに気付くはずです。見守ってくれている人がいて、お手伝いしてくれる人がいて、声をかけてくれる人がいて・・・だから、毎日がとても幸せになってきます。

それを忘れて、不満ばかり感じるようになったら、本当に不幸な人生になってしまいます。自分で幸せなことを体感し、感謝の気持ちを忘れなければ、毎日は数倍幸せになります

2020年8月25日 (火)

多様性を認め合う

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人は独りで生きていけません。他の人と関わり合って生きられるのです。
自分と最も身近な他の人は、妻あるいは夫であり、親または子です。そして人は社会生活をいとなむ上で、それ以外に多くの人々とも関わり合いをもちます。

人との関わり合いは、さまざまな悩みを生みます。人生の伴侶として巡り合い、共に歩むことを誓ったけれど、破綻してしまった夫婦、親と子の間に亀裂が生じてしまった家族など、これは身近な間柄の悩みです。

夫婦・親子は命の絆で結ばれた間柄なのに、思いやる心が冷たくなると、すきま風が吹く。自分に一番近い夫婦や親子といえども、考え方、生き方が異なって当然です。

お互いが共生きのために理解と努力をするか、背を向け反目する行動をとるかによって、その展開が大きく異なってしまいます。

多様性を認め合うこと
個性ある人間が共に生きていく上で、価値観をすべて共有することは、不可能に近いですから、部分的に共有するとか、「多様性を相互が認め合う」という努力を必要とし、お互いが理解する努力をしないかぎり、人間関係は破綻してしまいます。

2020年8月24日 (月)

報恩・感謝のこと


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謝報恩とは、感謝の気持ちを形にして恩に報いることで、
感謝報恩の心を持つということは、人間にとってきわめて大事なことです。
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「子を持って知る 親の恩」
現代社会では、現代社会は、口先だけの感謝だったり、本心からの「恩」を知ったり感じたりすることが、少なくなってきたように思います。
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どんなことにも速さや効率が求められ、安価や簡略化が優先されるようになってきています。そんな中で、私たちは「恩」を感じているでしょうか。確かに、子供を持って、子育てをして、自分も親からしてもらってた!と親の恩に気づかされます。
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しかし、私たちが気づけない一番の理由は「あたりまえ」と思っているからではないでしょうか。。。してもらうこと、居ること、親も子供も妻も夫も、住む所も仕事も、お金や財産も、本当は居たり…ある…のが当たり前ではないはずです。
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もう一度《今》にとどまって、自分を見つめてみると・・・いろいろみえてくるものがあると思います。先ずは「恩」を知るということからです。そもそもこの「恩」とは、別の言葉でいうと「恵み」「慈しみ」「お蔭」となります。恩愛、慈愛、慈悲、恩恵とも表現できます。

2020年8月23日 (日)

住んで良かった町にしよう

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「住んで良かった町」
いま私たちの住むまち(八王子市片倉町)は、自然豊かな地域で、先祖伝来のもので、この「伝来の地域の自然を守り、次世代に繋げる・・・」ことは私たちの使命と思っています。

私たち人間は、どんなに進化発展をしても、生物であることに変わりなく、自然の恵みを受けながら、一方では自然と闘いながら、生きてゆくしかありません。だからこそ、私たちは環境のことを真剣に考えなければならないと思います。

そして自然保護は地域にくらす一人ひとりが、「自然環境を大切
にする」という気持ちと、行動を起こさないと実現できません。ですから、『ゴミを町の道路・河川に捨てない、捨ててあったら、拾い所定の場所に置く・・・』それが安心・安全で、「住んで良かった町にする」基本と思います。

2020年8月22日 (土)

人の出会いと人生について


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「人の出会いと人生悲喜こもごもで複雑」
私は、今まで生きてきた人生を振り返って、色々な人達と出会い、たくさんの人達との関わりあいの中で、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、笑ったり、楽しんだり、苦労をしたり、挫折をしたりしながらも一所懸命生きてきました。そうした一所懸命生きること自体が人生の喜びであったような気がします。
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一時は苦しくて辛くても、我慢をして乗り切った時には、「やったー」という喜びと満足感が味わえます。人生の荒波や壁にぶつかっても、へこたれずに頑張って生きていく。自分が困っている時に、思いも掛けない人が助けてくれる、励ましてくれる。自分が傷つき苦しんでいる時の励ましは涙が出るほど嬉しいものです。
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色々な人とのめぐりあわせ、出会いによって自分の人生が築かれていきます。子どもは親を選んで生まれてくることはできません。親も又、子どもを選んで産むことはできません。不思議なめぐりあわせによって生を受け、親と出会い、兄弟姉妹と出会って家族となります。
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この地球上に何十億の人間がいても、自分の親や兄弟姉妹そして自分の子どもは他にいないのです。この素晴らしい不思議がめぐりあわせによって家族として出会えたのです。
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人生の中で最初に出会う人が家族です。家族を大切にできなければ人生の素晴らしさは分かりません。誰とでも素晴らしいめぐりあわせが味わえる、素晴らしい楽しい人生を送ることです。

2020年8月21日 (金)

生物の共生を考える

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人間は、地球生態系の一員として地球の歴史を他の生物と共有しつつ、その生存を続けています。
地球に生存している生き物すべてが、空気中の酸素を身体に取り込んで、炭酸ガスを戻します。

その炭酸ガスを植物は太陽の光と水とで光合成をして、栄養分をつくります。その過程で生み出されるものが酸素で、それを人は頂いていますから、人と植物とは深いつながり関係にあります。

植物は根から養分を取り込みますが、土中には微生物やミミズなどがいるから、植物の栄養分が生まれます。花を咲かせれば蝶や蜂が受粉を助けるので実がなります。ことごとくがつながっているのが、地球の生態系です。


この世のすべてのものが互いに関係し合って存在しているということですから、存在しているすべてのものが、互いに他の存在を存在させています。

生きものならば互いに生かし合っているということです。生きているということは、他を生かし、他に生かされているということで・・・自然を大切にしたいものです。

2020年8月20日 (木)

自分が納得できる幸せ


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自己満足に過ぎない…自己満足で終わる…など、「自己満足」という言葉は良い意味で使われることが少ないものです。でも、自分で自分を満足させることというのはとても素晴らしいことだと思います。
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仮に自分が満足できないのに他人からどんなに評価されても納得できません。自分のしたことを、誰よりもまず自分がしっかりと認めること、そんな「自己満足」を毎日の生活でもっと大切にしたいものです。
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幸せとは自分に納得できるもの
何を成し遂げるかそれを考えるのも大切ですが、その人生を終えるときに、納得できていれば「幸せな人生だった」と思えるのではないでしょうか。
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私たちは、時間の概念があるために、人生は積み上げ式だと思い込んでいて、積み上げることに意味があると思うから、長生きの価値が高くなるし、成功や努力の先にあるステータスの価値も高くなる・・・。それを手に入れることが幸せだと思ってしまう。
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でも、価値基準も幸福度も、結局はそれぞれの納得度によって決まると思います。毎日納得しながら生きている人は、いつどんなことがあって生涯を終えることになっても、納得した人生でしたと・・・
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それは必ずしも積み上げる必要がないことで、日々納得していれば、日々幸せで、日々納得していれば、生涯が幸せです。人の一生と一日とは、同一のものです。

2020年8月19日 (水)

日々たんたんと生きる


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「日々を淡々とこなすこと」
最近の社会情勢は色々な要因が絡みあって、渾然としていますから、淡々と生きることが難しくなっています。しかし、こういう世の中だからこそ、「淡々と生きること」が、平穏な生活へ道筋ととらえて、日々を過ごすことが大切です。
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生きていたら、山あり谷ありです、色々あります、ものすごくしんどいときにでも、家の中での家事や暮らしのことを、日々淡々と、淡々とこなしているうちに、自分の中で、そのもやもやが消化されていく気がします。
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日々を平穏に送るための「ありがとう」感謝の言葉を
家族や近所の人間関係においても、挨拶と同様にコミュニケーションに欠かせないものです。「ありがとう」の一言でスムーズになるものです。確かにお互いに感謝の念を、伝え合うことは、人間関係の礼儀でしょう。
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しかし、これを重く「考え過ぎると」人間関係に複雑な問題を及ぼしてしまいます。「ゆったり丁寧に」を心がけれるだけで、それがいつしか、生き方にまで善い影響をおよぼすようになるのではないでしょうか。

2020年8月18日 (火)

希薄化した人間愛


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時代の変化とともにかつての家族制度は崩壊し、社会全体も大きく変革してきています。
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ひと昔前なら、三世代が一つ屋根の下で暮らすことが当たり前と考えられていたことが、最近では核家族化…「親は親、子どもは子ども」といった考え方が主流となり、子どもたちもある一定の年齢を過ぎれば自立し独立しています。
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祖父母が去った後は家に残るのは夫婦二人。お互いいつまでも健康であれば結構なことですが、そうはいかず、いずれ必ずどちらかは先に亡くなられる。その後、また子どもと同居という方もおられますが、なかなかそうもいかない。その結果、一人暮らしのご家庭が目に見えて増えてきたように思われます。
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「希薄化した人間愛」
インターネットの普及によって情報や知識は豊富になっても人の心まで豊かになったかというと必ずしもそうだとはいえません。逆にこれがコミュニティーの縮小や崩壊にも繋がってるのです。
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この究極の核家族化が変化し、近隣同士の関係は希薄化し、かつて「東京砂漠」と言われた時代も今は昔。次第に人間同士が無関心な時代になってきました。
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そんな状況下、「孤独死」が大きく社会問題化しています。
孤独死とは、一般的に一人暮らしの人が一人だけの時に、自分の住居内で生活中に死に至ることといわれるそうですが、中でも多いのは、突発的な事態が起こり、そのまま誰にも連絡できずに亡くなってしまうというケース。遺品整理専門の業者も毎年増えているといいます。本当に寂しい限りです。

心の拠り所を持つ


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「何があっても頑張れる」・・・「心の拠り所」が大切です。
自分を取り巻く環境や状況が変わっても頑張れる、これがあれば生きていける、そんな「心の拠り所」となるものを持っことは大切です。

「心の拠り所」を持っている人というのは、芯が強く輝いているように見えるものです。「毎日を楽しく自分らしく輝かせたい」そう思った時、自分の目標を明確にすることや、それに向かってどんどん進んでいく原動力が必要です。

心の拠り所というと、一つというイメージを持つかもしれませんが、心の支えであり、生きがいであり、励みでもあるならば、あればあるほどいいと思います。複数の心の拠り所があると、どんな時でも自分を見失わずにいられるでしょう。

「心の拠り所」は、いくつも持っていたい・・・“生きがい”であり、“励み”です。
そして気持ちが揺らいだ時、無条件で支えてくれるという大切な役割を持っています。自分にとって、これがあれば大丈夫というものがあれば、もっと輝いて、そして前向きに進んでいける、そんな気がします。

2020年8月17日 (月)

人間愛の精神と思いやりの心

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「人間愛の精神」とは、人間を尊重し、生命に対する畏敬の念に基づいて、お互いを理解し合うなど、人間として生き ていくうえでの根本的なものです。

「思いやりの心」は、基本的に人間に対して、向けられる心です。さらに自分自身と比 べて、温かく相手を推量、想像し、思慮を働かせる心の動きです。

また、根底には「人間愛の精神」に基づく人間に 対する深い理解と共感がなければならず、単に同情やあわれみのように、考えられるものではありません。

若い人でも、他人とかかわりをもつことの、大切さを理解できるようになりますが、自己中心的な判断で他を省みない 言動をすることも多い現代社会です。今、自己中心的な、いわゆる「自分さえ良ければ・・・」の考えの人が多いように思われます。

「人間愛の精神」と「思いやりの心」の大切さを理解し、自他ともに、かけがえのない存在であ ることを若い人たちに、自覚することは大切なことで、とくに、中学生の道徳教育の大切さを痛感します。

 

2020年8月16日 (日)

モラルの低下に危惧

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私が清掃(ゴミ拾い)していると・・・通勤・通学路に、タバコの吸殻・コンビニの弁当の容器・空き缶・ペットボトルなど、たまに家庭での猫のトイレなど、捨ててゆく輩がいます。

八王子市は、条例で、全市内「歩行禁煙」です。全く無視した行為は、末恐ろしいことで、そのまま放置すれば、ゴミ捨て場になってしまいそうです。私たちの町が、ゴミだらけ・・・そして、その末は自然環境悪化・は犯罪につながります。

むかしは、私たちの“まち”は自然が豊かで、自然を大切に、人々が気配りしていたと思います。何かと忙しい、現代社会では自然環境破壊が進み、私たちの生活様式が、大きく変わってしまいました。

私たちが「この町で暮らす」・・・を考えた場合、やはり「自然豊かな、美しいまち、町に住む」人に・・・自然に「思いやり町」が大切です。

道徳・モラル教育は、子供にはもちろんですが、大人意識改革が大事です。いま私たちが住む「まち」は、今住んでいる責任で、将来・・・いやいや未来永劫・・・引き継ぐ責任があります。タバコの吸いがら一本ぐらい・・・人が見ていないから・・・は、無責任すぎます。

もう一度、自分のそういった行為を、考えて欲しいものです。子供たちは大人の行為を「よく見ていますょ」

素直な人


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いい人でなくていい。素直な人でいよう。「自分」が心地よい生き方をしよう。素直とは「ありのまで、飾り気のないさま。」です。
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いい人でいようと努力するのはとても大事なことです。とはいえ突き詰めすぎて窮屈になってしまっては「本当の自分」が心の内に閉じこもってしまいます。思ったこと、感じたことを素直に口にするようにしていくことで、道が開けることもあるかもしれません。
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まっすぐな性格を持つ素直な人・・・嘘がなく性格に裏表がないので親しみやすく、周りにはいつも人がいっぱい。また先入観がなく、思ったことを口に出来るので魅力があり、人気と信頼が増してくるのでは・・・と思います。
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自分がそうだ!と思うことをやる
「自分」が心地よい生き方を選ぶ・・・自分が悪いということをわかっているはずなのに、謝ることに対して抵抗を感じてしまっているのかも…自分が悪いのであれば…すぐに謝るように心がけることです。そうすれば、素直な人に近づいていくと思います。

2020年8月15日 (土)

しなやかに生きる


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現代社会は、他の人の行動や様々な情報を共有したり、周りに影響されやすくなったり、人の目が気になったり、自分を見失いがち、になってしまう人も・・・。
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ある意味で、生きにくさを感じるこの、時代に翻弄されず、芯をしっかりもって、“しなやかに”イキイキと輝いて「幸せに生きる」ことについて考えてみました。
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しなやかに生きる
水は方円に従うというように、どんな器にも収まります。竹や柳、風鈴も、東西南北の風を選ばず、「しなやかに」その風を受け流します。形を選ばない、風を選ばない。柔軟に「あがらわない…さかわらない」生き方です。
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自我、執着、偏見にとらわれた心は、硬直しています。そのため、自分を主張するばかりで、他人を受け入れられなかったり、物事を一面的にしか見られなかったりするのです。そこをはなれると、心は柔らかく、しなやかで、自由になります。「飾らず、構えず、偏らず」こだわらないで、より大切なほうへ目を向けるのが「柔軟心」です。

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人間関係も円滑に、視野も広くなります。モノや情報が溢れかえり、忙しく時間に追われ、つい自分を見失いがちになってしまう現代社会・・・そんな中でも“ブレ”ずに、いつでも自分らしく心から「幸せ」を感じて生きていく・・・生き方をしたいものです。

2020年8月14日 (金)

先祖の供養とお墓参り


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毎日暑い日が続きます。今年の夏は、新型コロナ・ウイルスで、いつもと違う夏そして、お盆となりました。
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ご先祖の供養、ご先祖を敬う気持ちはとても大切です。私の先祖の墓は、近くにあり、歩いて行けますので、「いま、生きていることに感謝の気持ち」月二回、墓掃除をしています。不思議な事に、お墓参りを済ませると心が安らぎ、なんともすがすがしい気持ちになります。
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「きれいにお墓を掃除する」この行為が生きている人にとって、心を豊かにしてくれる事柄なのかもしれません。お墓参りは特別な行事ではなく、私たち生きている人たちが、亡くなったご先祖様を供養するための一つの手段と考えて、普段の生活にお墓参りを組み入れています。ご先祖を敬う気持ちというのは、何か人間が謙虚に生きることに、通じているように感じます。
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今自分がこうして生きているのは、ご先祖様がいてくれたお蔭でもあります。「月二回の墓参り(掃除)それが今自分にできることだと思っています。しかし、私は分家ですので、そこには利用できません。別のお寺に墓地を購入して、行く末に備えています。
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墓の維持管理と後継の問題
今、日本中で問題になっているのが、放置されたお墓です。お墓が放置されてしまうのには様々な理由があります。例えば、自分たちが高齢のためお墓詣りに行けない・独身・子供を持たなかったため、自分たちの代でお墓守りいなくなってしまう。
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大切なお墓を管理するにあたって、管理費が支払われなくなる事です。今まで管理費を納めていた人が亡くなり、管理費が納められなくなった場合、管理している側もどこに請求すればいいのか把握できない場合があります。
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その場合、未払いの状態が一定の期間を超えると、無縁墓として手続きを取られ、お墓を強制撤去されてしまうのです。今お墓参りに行っている墓地の管理料を誰が払っているのかご存知ですか?家族や親族の間でもきちんと確認しておく必要があります。

2020年8月13日 (木)

善いこと悪いことが交互にやってくる

 

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「歳を取ると月日の流れが早い」と言われますが、最近私は、特に感じます。そして、最近思うことは「善いことと、悪いことが交互にやってくる」ことです。

善いときは、何事もうまくいくのですが、悪くなったときに、どれだけ頑張れるかがその人の、真価が問われるといわれますが、歳を取って、その感覚も以前違ってきています。

いい時は、たいていのことがスムーズに進むし、自分自身の気持ちも乗っているので、物事が単純にうまくいくっていうのもあるし、頑張れます。

逆に、悪い時はなかなか厳しい。だからこそ、その時どれだけがんばれるかで、その先が拓けるかどうかも決まる。それを「その人の真価」だと言われると納得できるし、いつもそう思っていれば、頑張る力も湧いてくる気がします。

もし、今、自分のまわりで悪い事が起こっているなら、そう遠くない未来に、「自分にはきっといい事が起こるんだ!!」と思っていれば頑張る元気も湧いてくると思います。

「なんでそんな事が言えるのかって?」だって、「自分のこれまでの人生を振り返って考えてみたら、ちゃんとそうなっているので・・・。」だから、そうなるって信じているし、そう信じています。

2020年8月12日 (水)

お盆に先祖の供養すること

弁天様のお地蔵さん

発達した文化生活の今、核家族化が当たり前になって、人はともすれば「自分は一人でこの世に、生きている」・・・このような錯覚に陥りがちです。けっこう、そういう人は多いように思います。

ところが実は、そうした人ほど、様々な悩みを抱え続けたままなのです。そして、不平不満やストレスがたまり、「精神的の疲れは、心身をむしばむ」という悪循環の中に自らを置いている、人が多いのではないでしょうか。

自分の存在を考える
自分がいま存在していことは、それぞれに父と母があり、そしてその父母にも…また父母があり…
そのまた父母があり・・・すべての人は、はかり知れない過去から現在に至るまで、繋がっているのです。

これは肉親の縁であり、その一人ひとりの宿命です。決して、一人で存在しているのでありません。連綿と続く、血のつながりの中に在るのです。

この事実に思いをはせ、「今の自分を生み出してくれた御先祖に、まず感謝の念と、恩に報いるという気持つこと」が大事なことと思います。

お盆に墓参り
恩に報いたいと思えば、この気持を表わす行為の一つが、「お盆」の先祖供養です。先祖供養は、この功徳は、祈る人、つまり現在生きている人に、大きく及んでくるのです。

私は、先祖に感謝の念で供養(善行)を行えば、それは巡り巡って、善い結果として現われてくると信じています。日々の感謝の気持と、その恩に報いる供養、という行為が、その人を豊かにし「周囲の人望を集める」ことに…なるでしょう。

後悔をしない生き方

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「自分でやりたいことやる」・・・ことは、確かに最初は勇気がいるし大変です。しかし、自分の気持ちに正直になって「自分が正しいと思ったらそれは絶対に貫く」・・・それが「後悔しない生き方」です。

自分の気持ちを押し殺して生きることは、生きてないのと同じで、「時間がない」「お金がない」「能力がない」など自分が持ってないものばかりに、目を向けて・・・自分の人生を生きるのに、“ある”とか“ない”など関係ないのです。

「自分で作ること」・・・自分で気づいていないだけで、目の前にあります。だから大事にするのは、一日でも早く自分の気持ちに正直になって、実現させるかどうかということです。

後悔しない生き方
他者の承認を得ることをやめ、自分の思いに耳を傾け、一番大切なことを優先することです。そして、それを実行することです。

2020年8月11日 (火)

歳をとらないと分からないこと

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歳を取ってきますと、物事に反応が鈍くなります。
頑張りは利くが後がひどい…疲れてもその時はわからず…後で来る・・・素早い動きは出来ない・・・若い時には想像も出来ないことです。また、「思い出せない…すぐに忘れる」記憶力の減退はハッキリに認識できます。これが、老化、ボケという事でしょうか。

これに対処しようと努力をしても、どうしようもないものです。人間の本性の限界ですから、逆らってもろくな事はありません。早い状況変化には、対応出来ないので、戦術的実務からは引退すべきです。

でなければ、世に「老害」を与えることになります。歳を取るに従い、肝に銘じておくべき事だと、自戒します。一方、努力を続けると、ゆっくりしたものは良くわかることもあります。即ち、歳を取っても、低周波に対する感度は落ちないようです。

経験の集積から、状況の中に於ける現在位置は良くわかるようになっている面もあります。恐らく、良い歳の取り方とは、我を張らないで、意見をつぶやくことかなと思っています。

しかし、ボケた人は、言っていることが正しいか否かも分からないので、老人の話を聞いたとき、現役には、自分の頭で判断できる聡明さが必要です。役に立つ事があればうまく取り込むのは、直接利害に関わる若い世代の人で、年寄りは関係なく消えて行くのが摂理です。

2020年8月10日 (月)

当たり前の大切さと感謝


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毎日似たような日々を送っていると、その環境が当たり前に感じて、有難みを忘れてしまいます。
そして、その日常を失った時初めて、当たり前の有難さに気がつきます。それは、すべての自分の当たり前の日常に対してです。当たり前は、一つも当たり前ではないのに、ついつい有難さを忘れ、時には幸せなはずの日常を、嘆いたりします。
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「人は恵まれていることに気づかない」
例えば、健康な人が病気になると「健康って大事だな」と感じます。日ごろ健康であることは、自分のなかで当たり前なので気づきません。具合が悪くなって、はじめて健康であることに感謝します。
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人は恵まれていることに気づかないのです。また、よい“健康状態”を保つために、それなりに努力はします。ただ、どうあれば健康なのか、その到達点は人それぞれです。到達してもしなくても、誰かにとがめられるものでもありません。このあいまいな感じが、当たり前化に結びついているのかもしれません。
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「自分の当たり前を疑う」
自分の当たり前を疑うというのは、自然にわかっていることでも、相手にとってはそうでないものがあるということです。例えば普段、話している会話を見直してみることです。いつも一緒に、貴重な時間を過ごしている家族や友人を時に罵ったりすることも・・・。そして、それらが失われた時、自分がどれだけ、与えられ幸せだったかを知るのです。
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欲を持ったり、目標を持つ事は、成長するのに大切ですですが、その為に現状を嘆いたり、誰かを妬んだり…ひがんだり…ネガティブな感情を持たない心でいるように,、努めることです。
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今の当たり前を、当たり前と思わず、有難みを持って感謝の気持ちで、過ごせたなら、その人は幸せで満たされ、運すら味方につけるでしょう。その人の成長は、死ぬまでとどまることがないということです。

郷土愛を考える


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今、地域で一番問題なのは、「郷土愛」が失いかけていることです。郷土愛とは、住民
が自らが育った地域に対して、愛着ないし忠誠を抱く思想、心情です。「志がない・・・」(気持ちの足りない)こともありますが、志を失った原因の一つは、共同体、コミュニティの一員としての自覚の喪失です。
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「私たちの町の主役は、町に住む一人ひとりです」
「安心・安全なまちづくり」は、国や市の仕事ではありません。この町に住んでいる私たちが、主役にならないと本当の安心して、安全なまちにすることができません。
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この時代にあって、安心して健やかに暮ら せるまちで、いきいきと自分らしい生活を送るために は、福祉サービスを必要としている人が、それぞれの状況に応じたサービスを利用で きる環境を整えることや、さまざまな人が暮らす地域社会において、互いに助け合い、 支え合いながら、温かい人間関係を築いていくことが望まれています。
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そして、集団に所属する一員としての役割や権利を相互に尊重しあう立場で、「私利」が「他利」に優先されるとを容認してしまっては成り立たないです。また、「自分さえ良ければ…」の考えでは無責任と言わざるをえません。
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誰もが生き生き と暮らせるまちにしていくために、「住民自らが考え、動く」「さ まざまな人や組織が知恵や力を活かしあう」という考え方が大事と考えます。
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今日では「まちへの無関心」や「人々のつながりの欠如」が しばしば問題となっています。「共存・協働のまちづくり」で何 が変わるのか、地域住民のひとり一人の責任を考えていただき、行動で示して欲しいものです。

2020年8月 9日 (日)

負けて勝こと


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徳川家康遺訓として「勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る」という言葉があります。
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意味は「勝つことばかり考えて、人の気持ちを無視し自分の思いのままに行動していたら、反対に追い詰められることも多く撤退する勇気も時に必要である」・・・と勝つことは重要であるが、時に素直に負けを認め一歩後退し全体を見つめると再びチャンスはめぐってくるというグローバルな思考です。
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家康は織田信長や豊臣秀吉といった先駆者たちが志半ばで挫折した状態で人生を終えているのに対し天下統一を果たし、子孫は約260年にわたり日本を統治し権力を維持し続けました。
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近江商人の有名な言葉に「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」がありますが、「戦わずして勝つ」という戦略思想の「孫武の教え」は、この考えに通じています。自分や相手を疲弊させずに勝つ方法をとれば、自分も相手も他の関わる者にも利益をもたらすことができます。

2020年8月 8日 (土)

人としての使命を考える


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人は誰でも、使命を持って生まれてきていると思います。
ですから、人生においてその人の立場、役割の果たす意味を知って、行動することが重要です。
「立場は人を作る」「人を変える」「人に教える」ことによってその人の思考、態度、行動に大きな影響を及ぼし、その人に果たすべき役割を与えます。
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役割はその人に割り当てられた任務です。人は立場に相応しい役割を果たさなければ評価されません。立場を得るために一生懸命に、苦労・努力することは、人間力のある人を作りあげます。
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人は得られた立場を謙虚に受けとめて、よい目的に用いることで、周囲に喜び幸せをもたらします。一方で人は周囲の意見を聞かず独善的に権力を乱用する、また公私混同したり、世の中の流れを的確に読めず、無謀な言動をするなど立場の悪用は、周囲に迷惑、悲惨な状況をもたらします。
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人は立場での仕事、行動によって周囲から評価されることを認識します。特に政治家、実業家で一時期に活躍した人達が、時代の流れについていけなければ、それまでの人生で、高い評価を得てきたにも関わらず、それまでの評価を覆すような振る舞いをすれば、今までの名誉失うことになってしまいます。
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歴史は繰り返すと言われます。それは生じた事実の現象が、表面的に似ているということで、本質的にはそれぞれの時代の背景に、影響され異なっていることを理解しないと、誤った判断につながります。
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老舗の店のなかで生き延びている店は、古いしきたりに固執せずに、時代に即応した活動方針を立てて経営する。それが伝統ある老舗として、高い評価を得られるのです。

新型コロナ・ウイルスの問題


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「新型コロナ・ウイルス」のニュースは、
テレビ・ラジオ・新聞などで毎日・都道府県の感染者数の発表されています。このところの感染者数が、二波で、感染者数が増加傾向にあるようです。
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感染の拡大を防ぐため、私たちは、マスクを付けるのが日常化し、「新しい生活様式」を守りながら、生活を送るようになっています。ただ、非常事態宣言の終了に伴い、他府県との交流が増えてくるに従い、徐々に感染者が増えていく状況になっています。
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多くの人々は、不安を抱えているなか、都道府県の首長の対策・対応が経済・医療と絡んで、難しくしています。これは、世界中に広がっていて、その国々によって受け止め方、対策などが違いがありますが、コロナウイルスの防止には、「三蜜を防ぐ」ことが叫ばれています。
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地球上に生息している、すべての生き物には、歴史的に見ても試練があるのです。100年前の「スペイン風邪」1918年1月から1920年12月までに世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当します。
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まさに、この世は「諸行無常」
私たちはいつも変化の中で生きているということです。ただ、私たちは、よい変化は喜んで受け入れるのですが、悪い変化は受け入れがたい、というところが本音ではないかと思います。しかし、現実には、私たちの思いとは関係なく、悪い変化になる時があります。
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こんな時「逆境もよし、順境もよし、要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである」パナソニックの創業者だった松下幸之助さんの有名な言葉が心に沁みます。逆境もよしなのです。順境だろうが、逆境だろうが、そのときどきを逃げずに頂き、素直に生きていくことが、人生をまっとうする道ということです。
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また、禅に「日日是れ好日」という言葉があります。これは毎日がよい日ばかりだという意味ではありません。人生には晴れの日もあれば、雨の日もあります。しかし、いずれの日にも、私たちはその日でなければできない、かけがえのない経験を積んでいくことができる。だから、すべてが私たちにとって、「好日(好い日)」なのです。

2020年8月 7日 (金)

家族とは・・・


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家族とは
人が、この世に生まれそして亡くなるまでの間には、数多くの知人・友人と言った親しい関係が築かれる人間関係も生まれるでしょうが、究極的に最後の最後まで信じ合い 助け合い 支え合える のが、「家族」と言う存在だと思います。
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人間は、過去から受け継がれてきた生命の流れの中で生きています。
自分が在るのは、祖父母や父母が在り、そのかけがえのない子どもとして深い愛情をもって育てられたからであることに気付かせることが大切です。自分の成長を願い無私の愛情をもって育ててくれた、父母や祖父母に対して敬愛の念を深めることが必要です。
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今「家族」のあり方は大きく変化してきています。
以前は夫の両親と同居する息子夫婦、という形が主流だったのに、今は子供が自立し、結婚したらまったく別のところに家庭を「築く」という方法が主流になっています。いわゆる「核家族化」です。
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これがいい、悪いというわけではなく、こうした流れの変化は、私たちの生活にも少なからず影響を与えています。昔とはまた違った考え方が主流となり、そして私たちに色々なことを教えてくれます。しかし、誰しも家族は大切ですし、家族が大切だと思う気持ちは、家族がどんな多様な変化を遂げても、変わらない事実なのではないかと思います。
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多くの人にとって、家族とはそういう意味合いも強いのかもしれません。家族のあり方は色々ですが、きっとその「家族」は、それぞれの方法で大切です。いつも当たり前のように存在しているけれど、いざ「なくなる」となったら大きな悲しみに包まれるでしょう。それが、「家族」なのです。

2020年8月 6日 (木)

現代社会を考える

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今は、誰も他人のことを思いやらなくなってしまった・・・そして、思いやるゆとりさえなくしてしまった。また、他人と関わり合うのさえ“いや”になってしまったり、親は子の世話をしなくなり、子は、老いた親の面倒を見なくなった世の中です。

それで足りなくなったところを教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになった。国に、国民は、要求だけをして国に尽くす事を忘れてしまった。


誰の助けもいらぬという社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまう。そうなってしまったら、社会など不必要なのです。


人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものになってしまいます。

何が、私たちに必要なのか。何を、依って立つべきなのか。昔の人たちは、もっと単純明快に理解し、助け合って生きてきたのです。

大事なことは、単純明快さです。今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分たちが依って立つ基盤をも見失いつつあるようです。


政治や経済とは、本来私たちの身近な生活の延長線上で捉えるべき事柄なのです。子供たちの教育も生活に必要な事も、根本は、私たちの住む地域をどの様な社会にするのかという構想です。だからこそ、環境も大切にすることができるのです。大切なのは地域社会を大切にすることです。

その上にたって、その土地に生きていく人たち、地元で決めていくべき事なのです。つまり、日常生活の一環なのです。それがなければ、いかに土地が荒廃してしまいます。

ほんの少し前の時代では、私たちの生活は、もっとシンプル、単純で素朴でした。生活に必要な物を自分達の手で作り、助け合って暮らしてきました。現代社会は、そのころの生活に比べて複雑です。私たちの子供の頃と比べても格段に違います。


考えてみれば、単純な社会でも生活はできたのです。テレビがなくても、携帯電話がなくても、飛行機や自動車がなくても、石油や電気がなくても、それなりの生活はできたのです。ところが、現代社会では、それらが不足すると生活が成り立たなくなっています。それを進歩というのでしょうか。

2020年8月 5日 (水)

心の境界線を明確にする


南の大橋の上から
自尊感情が低下すると・・・
自分と他人の境界線があいまいになりがちです。自分ではどうにも出来ないことなのに、自分のせいのように感じたり、完全に相手の自由、相手が決めることなのに「なんでこうしないの!?」と口をはさまずにいられなかったり。。。こうしたことが、無用なストレスを生み、また人間関係をこじらせる要因ともなります。

 そしてこの心の境界線は、一旦引けたつもりでも、ストレスがかかると曖昧になりやすいです。

心の境界線がないと、相手との適切な距離感がとれず、余計なストレスを感じることになります。極端に回避したり、あるいは過度に依存したり、およそ健全な関係とはいいがたいものになるのです。本心でないことをやり続けるストレスや、相手の行動や感情をケアする心身の負担などがあります。

 心の境界線が引けない原因
心の境界線がうまく引けないのは、幼少期に育った環境の影響を受けていたり、過去に負った心の傷が原因だったりします。養育者の過保護や過干渉、暴言や脅し、価値観の押し付けなどで、自分で決断することや、自分の意思を尊重することができなくなるのです。また、心の傷を負うと、防御反応も過剰になり、回避行動が顕著になることも考えられます。

「心の境界線」明確にする
健全な人間関係を築くことができるようになります。何もかも自分でしようとしていたのが、相手を信頼して任せられるようになる…対等でない関係性が、お互いを尊重して思いやりがもてるようになる…相手の言いなりになっていたのが、自分で決断して余計な口出しを受け流せるようになるのです。

2020年8月 4日 (火)

家族の在り方を考える


八王子市内を望む2
家族とは・・・
配偶者や血縁関係や姻戚関係にある人で、精神的な結びつきがある人のことを指します。同じ家に住んで同居している人や生計が同じ人に限らず、別居している人や生計が別の人も含まれることがあります。
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育児介護休業法などで家族の範囲が法律上定められていますが、民法上の親族の定義ほど一般的には認識されておらず、必ずしも法律に定められた範囲に限らず、考える人によって家族の範囲は異なっています。
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現代は、核家族化・少子化による人間関係の希薄化、家庭や地域の教育力の低下、規範意識の低下や問題行動の多発等、子どもたちをめぐる様々な課題があります。
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子どもたちに豊かな人間性や社会性を育むためには、自然や社会に接し、生きること、働くことの尊さ等を実感させる機会を持たせることが重要です。そのために学校・家庭・地域がそれぞれの役割において体験活動を充実させていくことが必要です。
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従来の考えは、「子どもを生み育てる」「老親等の介護や扶養をする」といった家族機能を維持しようとする傾向がありますが、子どもを育てるのも、年老いた親の介護も家族がするのが、望ましいという大義名分なのかもしれません。

2020年8月 3日 (月)

今日が人生最後の日だったら


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人は生まれてきただけで、存在しているだけで価値があります。自分の行きたいところに行けること、ご飯が食べられること、「明日がある」と思えること。それらはいずれも、当たり前のように見えて、実は奇跡のように幸せなことです。

そして、人には「生きる支え」となっているものが必ずあります。それは家族かもしれないし、恋人や友だちかもしれない。もしかしたら、嫌々やっている仕事が、実は支えになっているかもしれません。

私たちはふだんこうしたことを、あまり意識せずにすごしています。人生の最後が近づいたとき、初めて自分自身や、人生、日常、周りの人たちのかけがえのなさに気付く人もいるでしょう。でももし、元気でに生きている間に「今日が人生最後の日だったら」と考え、自分にとって大切なことができれば、人生のとらえ方、生き方が少しずつ変わっていくでしょう。

もちろん、常に「今日が人生最後の日だったら」と考えながら生きることはできませんが、時折、そうした意識を持つことで、今までは平凡でつまらないと感じていた人生が輝いて見えたり、「絶対に譲れない」とこだわっていたことが、実はたいして重要ではないと気づいたりするのではないでしょうか。

2020年8月 2日 (日)

幸福とは何か

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「幸福とは何か・幸せとは何か」
「幸福」とは・・・「不満などを抱いておらず、心が満ち足りている状態のこと」自分でその状況を感じ取ることができる場合です。

「幸せ」とは・・・運が良いこと
自分でその状況を判断できるだけではなく、周りから見てもそのような状態に見えるという意味合いが含まれており、主観ではなく、客観点において判断されやすい言葉です。

「幸福」が何かを知らなければ、どうすれば幸福になれるかも分かりません。だが問題なのは、幸福については定義することができません。

「幸福」は空気のようなもの
空気がある時には誰もその存在には気づきません。なくなった時に初めて、空気があればこそ生きることができていたことに気づき・・・幸福も、失われた時、初めてその幸福を経験するものです。

だから、幸福が失われるのはどんな時なのか、その時どう感じるかを見ることが、幸福が何であるかを知ろうとするための、きっかけになるのです。

幸福は他人が判断するのではなく、自分で判断する感覚と言えます。一方で、幸せというのは自分で感じても良いし、他人に対して抱く、または他人から抱かれるということでも問題ない感覚のことなので、そこが違いになります。

2020年8月 1日 (土)

これが地域に住む社会人なのか


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ゴミ拾いをして、「えっ何んだこれ!」歩道の植え込みに捨てられている空き缶・ペットボトル・家庭ゴミまで・・・量の多さ・・・酷すぎます、やり切れません。

「地域社会に住む」一人の人間として社会のルールや約束を守って生きるのは当然で、これができないければ、地域社会の一員として受け入れられない可能性があります。

 単に約束事を守るだけなら誰でもできますが、情況に応じて、自分の行動を律することが社会人としては求められます。他人が見ていない場所では、違反行為をする…では、規律性があるとは言えません。

 社会人としての基礎力・・・規律性を「社会のルールや人との約束を守る力」と定義し、行動例を「状況に応じて、社会のルールにのっとって、自らの発言や行動を適切に律する」としています。

 子どもの頃から言われ続けているような内容です。いまさら言うことでもないでしょうが、社会のルールを認識し、そこから外れた行動は取らない、他人との約束は守る、さらには他人に迷惑を掛けないなどを心がけたいものです。

 これらは社会で生きていく上では最低限必要なことで、これができなければ他人からの信用をなくし、社会から受け入れられなくなるでしょう。

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