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2020年5月

2020年5月31日 (日)

本当の幸せ

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「幸せ」とは、心に安らぎと「有難いなぁー」という感謝のよろこびを感じている状態です。

宮沢賢治はこう言っています。『本当の幸せとは・・・』
「人間は他人のことを思いやって行動し、よい結果を得た時に、心からの喜びを感じるものである。その喜びこそ、人間愛に基づく本当の『幸せ』なのである」


幸せに感じることは 一人ひとり違いますが、どんな幸せも生きているからこそ感じられるのです。 そして、他人に優しくすることで感謝されて、本当に幸せを感じるものです。

他人から多くの恩恵を受けていながら、他人に無関心であったり、迷惑をかける人がいます。それでいて、満足や幸せだけは自分のものにしたいという考え方は、あまりに自分中心なのではないでしょうか。「他人のために生きる幸福」について、しっかりと考えていく姿勢を持ちたいものです。

「人生に、ただ一つ、疑う余地のない幸福がある。それは、他人のために生きることだ」
これは、ロシアの文豪トルストイの言葉です。

私たちは、一人で生きてるのではありません。周りの人たちや社会の多くの人たちのおかげで生かされていると言えるでしょう。ですから、他人に対して思いやりをもって生きていくことは、むしろ当然のことといえるでしょう。



2020年5月30日 (土)

誰もが住んで良かったまち

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私は、このまちに生まれ、育ち、今を生きています。

大きく変わった生活環境
「ベッドタウン」というだけでは、もうやっていけない・・・住んでよかった”まち”は・・・町民一人ひとりが、『私たちの町は私たちでつくる』意識をもち、すすめていくことです。

☆ 『町民のだれもが住んでよかった、住みつづけたいと思えるまち』づくりは、『共助・共生・創意・安定』の理念住民が共有することです。

◎ 共助のこころが支えるまちづくり
高齢化社会を迎え、自助・共助・公助の役割分担に基づき、まちに暮らす人々がお互いに連携し、ネットワークを形成しながら支え合える共助のまちづくり目指す。

◎ 人と自然が共生するまちづくり
豊かな自然をまちの貴重な財産とし、次世代に引き継いでいくために、町民一人ひとりが環境を大切にし、自然と共生するまちづくりを目指す。

◎ 個性と創意をはぐくむまちづくり
まちの文化や伝統を活かしながら、町民だれもがまちづくりに参画し、未来に向けての新たな個性と創意を育てる風土づくりを目指す。

2020年5月29日 (金)

思いやり・助け合い

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今は、誰も他人のことを思いやらなくななり、そして思いやるゆとりさえ、なくしてしまいました。そして、他人と関わり合うのさえ、面倒になってしまって、親は子の世話をしなくなり、子は親の面倒を見なくなってしまったのです。

それで足りなくなったところを、教育制度や介護制度、福祉制度に求めるようになり、会社は、会社の都合だけで社員を雇い、社員にとって会社は、生活費を稼ぐだけの場でしか過ぎなくなってしまいました。

人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。人と人との関わりそのものを否定し、喪失したら、社会なんて無意味なものになります。

誰の助けもいらぬと言う社会は、社会としての本質的機能、相互互助の精神を失ってしまいます。そうなってしまったら社会など不必要なのです。人と人との関わり合いの中で、社会は形成され、また必要とされます。

何が、自分達に必要なのか・・・何を、依って立つべきなのか・・・
昔の人たちは、もっと単純明快に理解していました。助け合って生きてきたのです。重要なのは、今の時代は、複雑怪奇になりすぎて、自分たちが、依存することのできる基盤をも見失いつつあります。

「恩反しの心」
今の私たちにとって大事なのは、自分を産み育んでくれた地域社会に対する恩返してこそ、自分を生かし、また、生き甲斐があるのです。

2020年5月28日 (木)

地球の環境問題

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地球の環境問題が深刻
今、新型コロナウイルスで世界中で問題となっていますが、地球の環境問題はそれ以上・・・このままいくと、それこそ、取り返しのつかない問題になると思います。これは、実態が個人に把握できにくいからで、徐々に進行しているからです。

海洋ゴミ
海洋ごみとは、海岸に打ち上げられた「漂着ごみ」、海面や海中を漂う「漂流ごみ」、そして海底に積もった「海底ごみ」の総称を指します。その内訳として最も多いのが、食品の容器・包装袋など、プラスチック製のもなど、一度使えばすぐに捨ててしまう、いわゆる「使い捨てプラスチック」のごみが抜きん出て多いのです。

環境省の調べによると、世界では毎年少なくとも800万トンものプラスチックごみが海に流出しているという。いずれごみの量が魚を上回るかもしれません。ペットボトルやレジ袋などのごみが、海洋ごみの8割を占めているという。

海に漂うゴミは、川から流れ着いた物が多い
海のごみはどこから生まれるのか、そして誰れが捨てているのか。もちろん海でレジャーを楽しんだ人が飲食したごみをそのまま捨てて帰る“置き捨て”もあります。ですが、それが海洋ごみの全てではありません。実は海洋ごみの多くが、陸から運ばれてきたものなのです。

私たちが普段生活している町や住宅地などで、たばこの吸い殻やコンビニ弁当の容器などが捨てられているのを見ます。こうしたごみが風で飛ばされたり雨に流されたりして水路や川に入り、最後には海に流れ出しているのです。

たかが・・・タバコの吸い殻一本ぐらい・・・小さなゴミだから・・・が、取り返しのつかないことになるのです。一人ひとりの、地球環境に対するの認識が大事なことなのです。

2020年5月27日 (水)

守・破・離の考え方

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「守破離(しゅはり)」とは、武道、茶道、芸術、スポーツなどにおける修業の理想的なプロセスを3段階で示したものです。

「守」は、師や流派の教え、型などを忠実に守り、確実に身につける段階です。ここから修業がはじまり、 次にそれを「破」る時期、否定しなければならないときがやってきます。

良いものを取り入れ、自分に合った型をつくることにより、既存の型を「破る」ものです。

そして最後は師や流派から「離」れて自分なりの独自の表現をする時期がやってきます。新しいものを生み出し確立させていくのです。

この「守破離」という考え方は、茶道、武道、芸術、スポーツだけでなく、おおよそ世の中の全ての技術の習得において、当てはめることができます。 

成功する人は必ずこの「守破離」のプロセスを回しています。 これをせずに成功する人などいないと言っても過言ではありません。

2020年5月26日 (火)

今を生きる

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今(現在)の幸せを気づくこと
今、「この幸せに気づき」今を大切に生きなければ、いくら未来のことを考えても、いつまでたっても実現できないということになりかねません。 そして、過去や未来ばかりに意識が向いてしまうと、今を大切に積み重ねることがおろそかになってしまうからです。

私たちが生きているのは「今」
今この瞬間です。そして今の延長線上に未来があるもので、今を生きなければ未来もやってこないのです。今の延長線上に未来が存在するというのなら、今を楽しめない人間は、未来も楽しめないことになるです。今の自分に幸せを感じられなければ、未来も幸せを感じられないでしょう。

「今」を疎かにする人間は未来も疎かに
向上心を持って未来を見据えるのは悪いことではありません。しかしそれによって今、自分が辛い思いをするのは間違いです。今を疎かにして辛い思いをしてしまうのなら何の為に未来を見るのでしょうか。。。未来の幸せのために未来を見据えるのは良いのですが、それによって今を疎かにして辛い毎日を送るのなら意味がないということです。

2020年5月25日 (月)

死生観について

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死生観とは・・・
「死」と「生」についての考え方のこと。死は誰にでもいつか必ず訪れるという前提で、どのように生きるかを考えることです。健康な暮らしを送っていると、死と向き合う機会が少なく、「どのような最期を迎えたいか」・・・やはり大事なことだと思います。

介護では、いざというときに困らないように、介護される本人がどのような最期を希望しているのか、介護する家族も知っておく必要があります。また、死と向き合うとやり残したことが思い浮かび、人生の新たな目標を見出せる場合もあるでしょう。自分らしい最期を迎えたいなら、元気なうちに死生観を持っておくことが大切と思います。

死生観を持つと、自分や家族の「死」と向き合える
また、死に対する漠然とした不安や恐怖心が軽減され、残りの時間を充実させることができるでしょう。死について考えて準備をしておくと、残される家族を困らせないというのも、死生観を持つことは有意義なことです。

これまでの人生を振り返る
自分が生きてきたこれまでの人生を振り返り、記憶と向き合ってみて、これまでに起こった一つ一つの体験を振り返って、思わぬ発見をしたりするかもしれません。

「やり残したこと」を考える
やり残した中でも、「すぐに実現できるもの」から実行していく・・・人生は限られていますので、死ぬ前にやりたいことの優先順位を決めておく・・・「すぐに実現できるもの」から実行していけば、後悔を少しでもなくして最期を迎えられるのではないでしょうか。。。

 

2020年5月24日 (日)

生きるということ

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「一生懸命生きる」
生きているだけで尊い、という人もいますが、やはり一生懸命生きて、何を為したかが大切だと思います。

生きるということは、自分以外の全てのものとの関わりの中で営まれるものです。そういう意味で、私たちは生きるというよりも、生かされている存在なのです。生かされている自分を知ったとき、自分には一体周囲のものに対して何ができるだろうかと、考えないではいられなくなるでしょう。

「花が咲いていること」
花に色がついていることに、どうしていちいちそれらにびっくりして、心洗われる気分になるのでしょうか。それは移り変わりがあるからです。無常とは悪い意味ではなく、常がない、つまり同じ状態は続かないということです。花は咲いて散って枯れるし、人は生まれて老いて死ぬ。そして雨が2カ月降り続けることはないのです。

「今の日本は未曾有のどん底」
いまの日本は、おそらく未曾有のどん底に落ちているのです。でも世は無常なのだから、ずっとこのままということはありません。どん底の下はない。だからこれからは上がっていくだけ。どんなに辛くても桜は咲き、春はやってくるのです。

 

2020年5月23日 (土)

誠実な人

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「誠実な人」とはどんな人?
世の中には色々な人がいます。自分の欲のために平気で嘘をついたり、相手を傷つけたりする「不実」な人もいます。「誠実」はその反対語で、私利私欲がなく、人や物事に対して真心があり、そして嘘などついたりしない真面目さがあるという意味があります。

信頼が厚く、常に向上心を持ち、相手のことを気遣ってコミュニケーションをとっている人・・・それは、「誠実さ」のある人物です。「誠実な人間」になるのに特別なスキルや学歴などは一切必要ありません。日々のちょっとした心がけで誰でも誠実な人になれるのです。

誠実な人は冗談を言うことはあっても、相手を不快にさせるような下品な言葉は口にしません。公園や、公園などのトイレを利用する時は、必ず次の人のことを考えて綺麗に使います。そういった気持ちは自然と行動にも現れ、見た目の上品さに繋がっているものです。

誠実な人の真面目さやその気遣いの姿勢から、じわじわと人の信頼を得やすいという長所があります。そして友人・仲間からの信頼も厚いので、孤立感とは無縁の安定した人間関係を築ける人です。

誠実であることは、相手を思いやれるという心の余裕や、どんな人にも公平に対応出来る心の優しさと、強さをあわせ持つことが必要になってきます。誠実な人は自分中心に物事を考えません。いつも相手のことを心にとめています。

 

2020年5月22日 (金)

品格と人間性

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私は、今起きている日本に取り巻く、社会情勢を的確に判断して、政治家・官僚が、日本国民のための業務で、品格と人間性が特に問われる状況にあると思っています。

品格とは・・・「その人やその物に感じられる気高さや上品さ」・・・辞書にあります。
品格と人間性は絶対的に関係があるわけではありませんが、上品な人は人間的にも優れていることが多いです。逆に品のない人は人間的にも少し問題があることが多いと言えるでしょう。

品格というのは自分のためだけでなく、他者に対しての思いやりや気配りができるかどうかも関係してきますから、上品な人は他人に対しても気配りができる人間性があるということになります。

「人間性」とは・・・人間として生まれつき備えている性質を意味します。気遣いの心、愛情など人間の内面のことを指します。

人間性の高い人は、例え自己犠牲になったとしても他人の為に行動することができるだけでなく、決して見返りを求めません。素直に他人の喜びを自分の喜びとして捉えることができるのです。

2020年5月21日 (木)

人の心を読む

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「人の心」
心は、誰しもがふだん何かをしたり話したり考えたりするときに、働いている脳のはたらきです。心は目に見えないのに、何故あるとわかるのかというと、それは人が何かをしたり言ったりすることでわかるのです。人は、したり言ったりすることは、目で見えたり耳で聞くことができます。

人がしたり言ったり、することからわかるのは、その人の性格や能力や人柄もあります。性格や能力や人柄も、それ自体は目に見えないもので、その人がしたり言ったりすることからわかるものですが、そのような人の性質は、わりに一定しているものです。

「心は一定していなくて、変わりやすい」
私たちは、他人と一緒に何かをしたり話をしたり、その人が何かをするのを見たとき、その人の性格や能力や人柄などの、その人の一定の性質、とそのとき、その場のその人の変わりやすい心の両方を感じとるのです。

この人は、こんな人なんだなあと思うと同時に、この人は今こんな心でいるのだなあと思うのです。人はふだんは、おとなしい優しい人なのだけど、今は怒っているのだなあとか、いつもは元気な人なのだけど、今は元気がないなあと思ったりするのです。

そのような、人の心の状態を感じとることを、「人の心を読む」と言います。人の心を読むのは、何も特別な業がなくてはできないことではなくて、ふだん誰もが普通にやっていることです。

2020年5月20日 (水)

辛いことを乗り越え心は強くなる

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相田みつをの言葉に「悲しみや苦しみを耐え忍んで、いのちの根は、深くなっていく」 があります。

「辛いことを経験して、心は、深く、透き通って強くなっていく・・・」
そして、辛いことを体験したからこそ、同じように辛い思いをしている人の心の痛みが分かり、共感力が高まり、思いやりのある優しい心に深化していきます。

人と心の深いところでつながることができるのは、辛さや悲しみに共感できたときです。「あの人は、自分の辛さや悲しみを分かってくれた!」そう思えたとき、心の底から嬉しいものです。

私は人との温かいつながりが、幸せの源泉だと思うのですが、そうだとするならば、辛い体験をした人ほど、悲しみにくれる経験をした人ほど幸せになれるではないでしょうか。

なぜなら、辛さや悲しみを体験している人ほど、同じ辛さや悲しみを味わっている人に共感できるからです。そして心の深いところで、人と温かくつながることができるのです。

「辛いことを経験したからこそ、人と深いところで、温かくつながることができる、幸せになれる」
その辛さを受けとめ、乗り越えたとき、今よりもっと優しくて素晴らしい人になれるのだと思います。

ここで、運や人を責めることばかりに、心のエネルギーを使ってしまってはいけません。大切なことは、辛さを乗り越えるとき、受けとめるときに、人の助けを借りてもいいことを忘れないことです。

2020年5月19日 (火)

心の支え

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画像 稲取(東海ホテル)部屋の露天風呂
これからの長寿社会に向かって、私たちは、できるだけ自分の精神状態をフラットにできるかが、キーポイントのような気がします。私も長生きするために、日々健康に気をつけなければならない年になりました。何より健康が一番です。
これらの心得を肝に銘じて、この先短い人生を少しでも長く、健康で充実したものにしたいと思います。そして、いよいよという時には、自分の心に次のように言い放ってやろう。
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「気は長く、心は丸く、腹立てず、人は大きく、己は小さく」

いずれにしろ、常に「心の支えが大事」です。人間ってそんなに強いものではありません。ましてや自分のこととなると一番弱いものです。
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感謝の心を持って生きる
今、新型コロナウイルスの日々で、ストレスを多く抱えがちな現在では、”ありがとう”よりも”怒り”を感じたり、”不安”を感じたりすることのほうが多いのではないでしょうか。また、あたりまえのように、情報が溢れた状況下では、知らず知らずのうちに「感謝する心」に鈍感になってしまっているのではないでしょうか。
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心の拠り所を持つ
自分を取り巻く環境や状況が変わっても頑張れる、これがあれば生きていける、そんな「心の拠り所」となるものを持つことです。「心の拠り所」を持っている人というのは、芯が強く輝いているように見えるものです。

2020年5月18日 (月)

5月の俳句

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昨日・・・散歩しながら作ってみました。

城跡の 高台より 若葉かぜ

新緑の 色を深める 城跡森

木洩れ日に 爽やか風と 初夏の森 

ご無沙汰の 池の蛙で 夏近し

空を舞い 夏を告げに 燕来る

2020年5月17日 (日)

人間教育の大切さ

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「自由」の意味を取り違えた「放任」された教育・・・子どもの自主性に任せた教育と錯覚している社会・・・教育の基本的、本来的な目的であったはずの、礼儀や道徳を教える「人間教育」が忘れ去られてしまっている現代社会のようです。

社会が教育の質を偏差値や学歴ではかるようになり受験戦争を加熱させた結果、心の痛みを理解できない子どもたちによるいじめや非行が増え、社会問題化していると思えます。一人の人間として社会のルールや約束を守って生きるのは当然で、これができないと、職場や地域社会の一員として受け入れられない可能性があります。

単に約束事を守るだけなら誰でもできますが、情況に応じて自分の行動を、律することが社会人としては求められるのは当然です。他人が見ていない場所で、仕事をサボったり、タバコの吸い殻を、公園や、道路に捨てようでは規律性があるとは言えません。

社会人基礎力では、規律性を「社会のルールや人との約束を守る力」と定義し、行動例を「状況に応じて、社会のルールにのっとって、自らの発言や行動を適切に律する」としています。

子どもの頃から言われ続けているような内容ですから、いまさら言うことでもないでしょうが、社会のルールを認識し、そこから外れた行動は取らない、他人との約束は守る、さらには他人に迷惑を掛けないなどを心がけたいものです。これらは社会で生きていく上では最低限必要なことで、これができなければ他人からの信用をなくし、社会から受け入れられなくなるでしょう。

2020年5月16日 (土)

本当の自分を知る

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高齢者の居場所は・・・どこで、どうすればいいのか?・・・いまさら…と思うかも知れませんが、結構悩んでいる人は多いのではないでしょうか。私は改めて考えてみました。

「本当の自分を知る」
「本当の自分にしっかりと耳を傾けて、その声を理解したうえでどうするかを決める」
今自分が思っている性格と本当の自分は、もしかしたら違うかもしれない。本当の自分を見せつつ人付き合いもスムーズにいけば“ぐん”と生きやすくなるのではないか。

今まで気づけなかった魅力や特性を知ったら、もっとキラキラした毎日を過ごせそう。客観的な評価が必要なことも含めて、自分に関する全てのことを知るということが、自分を知るということになります。

自分を知ることは、自分の幸せに繋がります。自分の価値観や考え方、性格を知っておくことで、より正しい行動や選択ができるようになり、人生をより豊かにすることができるはずです。

2020年5月15日 (金)

高齢者の生きがい

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人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」です。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

高齢者の生きがい
高齢者が地域社会との関わりをもつことは、健康維持することにつながります。
例えば、地域や、近所付き合いは、閉じこもりを回避できます。また、近所付き合いによる情報交換やグループ活動への参加は、生活への充実感を抱くことにつながるだけではなく、新しい友人を得るきっかけにもなります。さらに「地域社会に貢献できた」という満足感にもつながるでしょう。

なによりも地域における「近所付き合い」を充実させるには「健康である」ことが大切です。「近所付き合い」をすることは、自分自身だけではなく、一緒に活動する仲間の健康増進にもつながることとなるのです。

趣味を持つこと
高齢者が趣味をもつことは、人生の楽しみができたり、生活の質を向上させたりするだけでなくて、介護予防にもつながります。そして、身体機能を維持して認知症を予防するには、できるだけ外出を伴って他者とのつながりもある趣味を見つけることです。人生100年時代のいま、長い人生を思いきり楽しむことです。

2020年5月14日 (木)

私たちはどう生きるか

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現代は、「生きるのがますます、難しくなる時代がくる」と言われます。
グロローバル化・テクノロジーの革新・地球温暖化・平均寿命の延伸・行く先の見えない世界情勢・変化の速度を増す社会や組織・・・そして「新型コロナウイルス」・・・そんな世の中の不安を利用するかのような言説が増えています。

何が必要なのか・・・何が正解なのか・・・私たちはこれからの社会をどう生きたらいいのか?この問いに答えの見つかることはありません。いつの時代でも、私たちが、自分自身で考えて精一杯に問いを生きることだけが、変化に対する答えを与えてきました。

人間は、自分で自分を決定する力を持っている。。。だから誤りを犯すこともある。。。だから、誤りから立ち直ることもできるのです。

私たちは不透明な時代を生き抜かなければならない。今、新型コロナウイルスの感染で、世界中の人が脅威に戦っています。そんな時にも、戦争状態の国があり、争いは絶えません。

ウイルスは、人間の不始末で起きたものです。「ウイルスは一般的には病気の元になり、一方でウイルスがあるからこそ元気でいられる」のです。

争いを決めたのも始めたのも人間であり、また人間だからこそ誤りから立ち直ることもできます。では、世の中のために今私たちにできることとは何だろうか。「私たちはどう生きるか」その答えは、個人の内側にあるのです。

2020年5月13日 (水)

後悔しない生き方

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やり直しのできない人生・・・自分の思いに素直になる
わがままな考えや自己中心的な行動では、周りに迷惑がかかります。組織の中で仕事をしているなら、調和とチームワークを意識しながら振る舞う必要があります。素直を我慢する場面があるのも事実ですが、だからとはいえ、完全に素直を無視すればいいわけでもありません。

自分の気持ちに素直にならないと、人生の後悔を増やすことになるからです。自分の気持ちを無視すると、どんな人生になるでしょうか。やりたいことでも、我慢してやらない・・・やりたくないことでも、我慢してやる・・・自分の気持ちは後回しにして、常に相手の気持ちを最優先で考える・・・素直な気持ちに無視していると、自分らしくない行動になります。

心の声に耳を傾ける
判断基準はあくまで自分・・・とにかく物事の判断基準を常に自分においておけばいいんです。そうやって「好き」からおこしたアクションに対して、もし挫折や失敗があったら、その時にどう向き合うか考える。そしてまた、そこで自分の判断基準に素直に従って、次の行動を起こしてみる。直感を信じる、インスピレーションを信じる、ということも心掛けてみることです。

 

2020年5月12日 (火)

「今」を一生懸命生きる

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「新型コロナウイルス」で、日常生活が”滅入る”毎日です。
「今」を一生懸命にしていることは、必ず未来の自分につながります。私たちは、常に今しか生きていません。今は未来の土台になっていますから、未来のために今できることと言えば「一生懸命に今を生きる」、それしかありません。

過去に起こったことや、まだ見ぬ未来への不安ばかりを考えて、1日を過ごしていたら幸せにはなれない。幸せな人たちは、今を生きる。今、ここに存在しているのだ。それは、過去に起こったことや未来を一切忘れてしまうということではない。でも、今という時間を大切にすることが、心穏やかでいられることにつながっていると彼らはわかっているのだ。

うまくいかないことは、きっと常にある。実際、うまくいかないことがあるということは、生きているということでもある。でも、今という時を生きることは、どんな問題よりも大切だ。公園を散歩したり、瞑想をしたりして、本当に見て聞いて嗅いでみることで、もっと長期的な幸せを感じられる心や感性を養うことができるはず。

笑うことは、魂を満たす。幸せな人たちは、自分の行動に責任は持つけれど、いつも生真面目なわけではない。人生の辛い時でさえも、きっといいことがまたやってくると知っている。

でも笑うことは、感情以上の意味を持っている。身体や心の健康に大きな影響を及ぼすのだ。笑うと、ドーパミンやセロトニンなどの幸せホルモンが分泌され、ストレスが軽減される。これにより、消化や再生機能などが活性化されることがわかっている。

2020年5月11日 (月)

新型コロナと気象変動の危機

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「新型コロナと気候変動、2つの危機と同時に闘う」アフターコロナの経済復興を考える」FEATUREの記事より・・・
新型コロナウイルスの感染拡大で都市は封鎖され、工場の稼働が止まり、航空便や自動車など、交通量は激減した。こうした社会活動の停滞は世界経済に大打撃を与えているが、一方で世界の大気汚染には改善がもたらされている。

・ 新型コロナによる経済停滞で世界の大気汚染は改善
・ 一方で家庭ごみは急増 テイクアウト容器の脱プラスチックへ
・ コロナで得た経験と知見を活かして持続可能な経済復興を目指すべき

IEA=国際エネルギー機関によると、2020年の世界のCO2排出量は8%減少する見通しだ。この減少量は過去最大であり、リーマンショック時の6倍にあたるという。だが協議の中では、多くの国から「排出量の減少は一時的な現象であり、気候変動はコロナ禍においても進行中である」と指摘された。

収束後の経済復興はパリ協定に沿うべき
「パリ協定」が掲げる努力目標「産業革命前からの気温上昇を1.5℃以内に抑える」を達成するためには、世界で毎年8%近くの温室効果ガスの排出量削減を続ける必要がある。

いま世界中が経済活動をストップしており、再開すれば温室効果ガスの急増が予想される。そのため、協議の中で参加国は「新型コロナ収束後の経済復興計画は、パリ協定とSDGsに沿わなければならない」との認識で一致した。

はからずもコロナによって、我々人類は「世界が力を合わせれば、たった数か月で温室効果ガス削減が可能である」ことに気付かされた。と同時に我々は、ビフォーコロナの経済活動をやっていたら、地球環境は1ミリも改善することがないことも分かったのだ。
では地球環境のために、Withコロナ、アフターコロナの時代を生きる我々は何をしたらいいのだろうか?

コンプライアンスの意味
コンプライアンスの日本語訳として「法令遵守」が用いられることが多いです。「法令遵守」というと、「法令を守ればよい」と捉えられがちですが、コンプライアンスは単に「法令を守ればよい」ということではありません。
法令を遵守するのは当たり前のことで、最低限のことにすぎません。コンプライアンスには、「法令を遵守する」ことに加え、「法律として明文化されてはいないが、社会的ルールとして認識されているルールに従って企業活動を行う」の意味があります。

私は、個人の認識も大事「自分さえ、良ければの認識は改めるべき」訴えたい。

2020年5月10日 (日)

人生は挑戦の連続だ

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人生は挑戦の連続で、止めてしまえば負け・・・諦めたら終わり・・・最後までやりとげる努力をすることが大事です。

年をとると、歩く速度が遅くなり、身体が思うように動きません・・・坂道になると、若いときには、問題なかったが、年をとると大変になってきます。それでも、ゆっくりでもいいから歩き続けることです。

「逃げ道はない・・・逃げれば窮地におちいるだけである・・・挑戦するのみだ。」立ち向かえば窮地を打開できる・・・困難を乗り越えるには気迫が必要です。

徳川家康人生訓
『人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。』

時間の流れが異常に早くなってきている現代だからこそ、心に響いてくる言葉です。私も得体の知れない焦りを感じたりすることがありますが、もっと心に余裕を持ち、長期的な視野を持ちたいものです。

2020年5月 9日 (土)

おかげ様とお互い様

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今年の「新型コロナウイルス」では、目に見えない敵に、世界中の人々が恐れています。こういうパンデミック現象は、人間の歴史に何度もあったと思います。例えば1918年に"スペイン・インフルエンザ"があります。

人間は、次々に出てくる四苦八苦に苦しみ、際限のない欲望や悩み・・・それでも、今ここまで、さまざまな障害を上手く、“かわしながら”人間として生きながらえて来られたのです。

もちろん、自分の力だけで生きて来た人はいないわけで、親族を始め周りの人々の手助けや、お世話を頂いて今があるのは当たり前のことです。

目にすることは出来ませんが、「縁」という形で前世で関わりのあった人々から・・・「めぐり周って報いがくる」・・・前の自分を思ってくれる、気持ちにも後押しされて、今日まで来れたのかも知れません?その意味では、前世でご縁があった人々の「おかげ」を頂いて、今ここにいるのです。

「おかげ」は頂くばかりでは申し訳ない
「お互い様」の気持ちで、授かった縁とはいえ、自分がお世話できる立場になれば、当然そのお返しはさせて頂けねば理屈に合いません。

今を、生きる人の勤めとして、縁が持てた人々を偲ぶ事により、亡くなった人の魂を引継ぎ、何処かに巡リ巡って、次の新しい命の無事を応援する・・・この「お互い様」と「おかげ様」の気持ちは末永く持ち続けたいものです。

2020年5月 8日 (金)

五月になって

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風薫る五月・・・

陽射しに映える柔らかな若葉、路に落ちた影の濃さに、春から夏へと移ろう特別な季節を感じ、城跡の森の奥、小鳥の鳴き声も、イチオクターブ高い声・・・新緑になった木々を、喜んでいる・・・

道端のの草の花に、生命力の強さに、我も励まされ、今朝も歩く、コロナの問題で、マスクをしながら、独りで歩き、他人に会っても、離れて挨拶・・・

でも、宇宙は法則どおり、地球に住む生物は、自然の中に生かされていることを、改めて知る思い・・・です。

2020年5月 7日 (木)

もっとゆっくり生きよう

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「慌ただしい」毎日を送っていると、心は「荒れ」てくるし、「忙しい」日々に忙殺されると、心は「亡く」なってくる。でも実際にやることが山積みの毎日の生活の中で、どうやって「心のゆとり」を達成するのかと、ジレンマを覚えている方も多いのではないでしょうか。

やることを減らすことは難しい、時間も限られている、つまり「心のゆとり」を生むための環境を整えることが出来ないということで、悩むところだと思います。

余計なことを考えなければ自然と流動的思考が起こり、自然とよいアイデアが浮かんでくることを信じることです。「心のゆとり」を生み出すには、自分の中にある潜在的な力(直感、創造性、知恵など)を信じることが何より大切と思います。

人生・・・川の流れを意識して生きること・・・
人生も川のように、くねくね曲がりくねったり、急な斜面では、激しい流れ、緩やかな斜面では、ゆっくりした流れています。この情景は人生でも同じです。人生の流れに逆らっても、思うようにはいきません。流れに身を任せて、進んでいくことです。

人は、自然にかないません。自然の流れには逆らわず、身を任せるのが一番。流れに身を任せることで、自然の力が、人生の後押しになります。自然を味方につけたとき、最も強い力を身につけたのと同じ状態になるのです。

今までの私は、走れたときもあった・・・休むしかないときもあった・・・今は、ゆっくり歩いている。。。ただそれだけ。。。流されるように、ゆっくり生きよう。

 

2020年5月 6日 (水)

「恩」について考える

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漢字の「恩」という字の構成は、原因を心にとどめる・・・すなわち、恩とは、何がなされ、今日の状態の原因は何であるかを、心に深く考えることです。

つまり、今の自分は、いろいろな恩恵を受けて生かされているのであって、そのことに気づき、感じ、知り、深く考えなさいというのです。恩を知れば、今度は、自分が、喜んで恩を施す人になれるのだというのです。

私たちは日々、大小様々なご恩をいただいています。親の恩・・・師の恩・・・自然の恩や国土の恩・・・などなど。。。日常の中で気が付く恩はどれくらいあるでしょうか。例えば、自分にしてもらったことが目に見える形になっていたりすると気が付きやすいです。

お中元やお歳暮、お土産など、お品をいただくと、あの人からこれをいただいた、これをしてもらったという様に、出来る範囲でお礼も恩返しも出来ます。

しかし目に見えない恩の方が、手で触れることの出来ない恩の方が大きいのです・・・ということは、そうしたものが私たちの人生を底から支えているのです。

2020年5月 5日 (火)

ゴミはお持ち帰りです

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時田公園から望む・片倉時田まちの広場

私たちの町には、「かたくら時田まちの広場」があります。広場は、「私たち町の有志で造り上げたものです。造成をし、桜を植え、トイレをつくり、水道を引き、グランドゴルフ・ゲートボール場として、お年寄りの集う場所でもあります。また、盆踊りの会場です。

近くに、スーパーがあり、竜泉寺の湯があります。そして近くを流れる湯殿川があり、片倉城跡公園につづいています。広場は、誰でも利用が出来、散歩の途中の一休み・近郊から来るグループの休憩場所・近くにある、日帰り温泉・スーパーのお客さんの「ひとやすみ」場所?となっているようで、誰でも利用できる場所でもあります。ただし注意看板があり、自転車の乗り入れ、固いボールのキャッチボール禁止などがあります。

管理は「私たちの町のみなさん」で管理しています。最近、新型コロナウイルスで、外出は控えるようになってきていますが、ベンチの周りには、スパーで買ってきたお弁当の食べ残し・ビール空き缶・ペットボトル・タバコの吸い殻など、片付けても・・・片付けても・・・後を絶ちません。

後に使う人の身になって考えて・・・欲しいものです。八王子市にお願いし、注意看板(小学生の書いた)を取り付けていただいていますが、ほとんど無視の状況です。広場は、みんなが使える場所です。後で使う人が気持ちよく、使えるように、ゴミはお持ち帰りしてください。

2020年5月 4日 (月)

病・老・死が他人事ではない

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昔のハイキングコース

私たちは、老病死の現実の直中に生活しています。しかし、「老をきらい 病をおそれ 死をかくす」姿が現実の日常の生活ではないでしょうか。
アンチエイジングがはやる現代、大金を費やしてまでも若く美しい人が、“もてはやされている”ようでもあります。マスメディアもはやしたてるように若さと健康を美化し、大衆もその情報に流されています。テレビCMは、健康食品と美容薬品の宣伝が目立ちます。

若く健康で快適な生活を求めてきた私達は、生の事実である「老病死」を生活から切り離してしまいました。その結果、みんなが明るく生きやすい、社会になったかというと、そうではありません。
大人も子供も老人も、暗く孤独な人が増え、人生に不安を抱えている人が少なくありません。「終活」という言葉が象徴するように、死後のことも自分で手配しなければならず、誰かに任せて死んでいくことが出来ないのです。それは同時に、安心して生きることが出来ない姿を現しているように思います。
老病死が他人事ではない
私たちは、老病死の現実の直中に生活しています。しかし「老をきらい 病をおそれ 死をかくす」姿が現実の日常の生活ではないでしょうか。
三つの真理
作家の五木寛之氏は、この言葉のなかには三つの否定できない真理が含まれていると言っています。
一つは「人間は自分で自分の生まれ方を決められない」ということ。
二つは「人間の一生は日々死へ向かって進んでいく旅である」ということ。
三つは「人生には期限がある」ということ。
一つ目の真理「人間は自分で自分の生まれ方を決められない」というのは、非常な論理です。人間はどの時代、どの国、どの家、誰を親に持つかを自分で決めることはできません。体つきや皮膚の色、才能、個性、遺伝子すらも自分では決定できません。
人間は人生の第一歩からして自分の意志を超えた、何らかの力で本人の努力とは無関係に決められてしまうのです。つまり人間が生まれてくることは自己実現の結果ではありません。まさに不条理としか言いようがないのです。
二つ目の「人間の一生は日々死へ向かって進んでいく旅である」ということも大変つらい真理です。人間は生まれた途端、死へ向かって歩き始めるわけで、人間のゴールが死だということも、これもまた非常な論理だと言ってもよいでしょう。

2020年5月 3日 (日)

先祖を大切に考える

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私たちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在の私たち他なりません。

その流れを意識したとき、何かの行動に取りかかる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、私たちは、「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」とか、「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」などと考えます。

こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。私たちは先祖とつながっています。ぜひ、それをもう一度意識して生きることが大事と考えます。

「生」を与えてくれた両親に対して、感謝の念を抱く人は多いでしょう。親に感謝することは、自分という存在を肯定することであり、それは自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになります。

親を大切にするということは、すべての幸福のサイクルを作動させる初動動作なのだということを、孔子や孟子は知っていたように思えます。さらに、親とは何かというと、自分に最も近いご先祖さまなのです。

「いのち」のつながりを何よりも重んじた儒教では、祖先崇拝を最重要視しました。それは「孝」という大いなる生命の思想から生まれたのです。「こんなことをすれば、子孫が困る」・「子孫が恥ずかしくないような先祖になりたい」と思いながら生きれば、仕事も人生も好転することは言うまでもありません。

報恩感謝の心を持つこと

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最近思うことは、「恩を知る」とか「恩に報いる」ことを忘れた時代のように思え、このままでは世の中どうなってしまうのか心配です。

恩と一口に言っても「親に対する恩」・「他人に対する恩」・「社会(国)に対する恩」などがありますが、親を親とは思わない…先生を先生と思わない…『私は私と・・・「自分さえ良ければ」…それでいい』という、恩を忘れた自己中心の生き方をする人が増えたために世の中、暗いニュースばかりが報道されるのでしょう。

そこで、このままではいけないと家庭、学校、社会教育の中に道徳教育を深めようと多くの人が頭を抱えておりますが、今の日本人には、この思いやりの心の欠けている人が増えているように思います。

報恩感謝の心を持つこと
それは、
人間にとってはきわめて大事なことで、いうまでもないことですが、人間は自分一人の力で生きているのではなく、いわゆる天地自然の恵み、人間生活に欠かすことのできない、さまざまな物資が自然から与えられて生かされています。

また多くの人びとの物心両面にわたる労作というものがあって、はじめて自分の生活なり仕事というものが存在できるのです。いいかえれば、自然の恵み、他の人びとの働きによって、自分が生きていられるのです。

そういうことを知って、そこに深い感謝と喜びを味わい、そしてさらに、そうした自然の恵み、どんなことにも恩返しの気持ちを持ち行動することで、悔いを残さない生き方ができるのです。

自分さえよければいいというようなわがままを小さな時からしていれば、成人してどのような大人になるのか想像すれば誰にでも分かることだと思います。自己中心的な考えを持っていると、自分にとって損か得かで判断し、わずらわしいことを避け、他人への関心が薄れるのではと考えざるをえません。

人に思いやりの心で接することは、自ずと自心を浄めることになります。この積み重ねが求めなくても徳を積むことになり、いつかは善果を受けるようになるのです。
ひとり一人が思いやりの心で人に接するという行動が拡がっていくならば、少しは温もりのある世の中になっていくものだと思います。そんな世の中から、お互いに恩恵を受けることになるのです。

2020年5月 2日 (土)

価値観は人それぞれ

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価値観とは知性・社会・お金・家族・身体など、価値判断を伴った視点です。自分の考えを理解して貰いたくて一生懸命に話したのに、相手が考え方を変えなくて、不満を感じたことはありませんか?

逆に、自分の考えを受け入れてくれてホッとしたこともあると思います。誰とでも完璧な人間関係を築けているとは言えない。

ウマが合う人・合わない人がいる理由・・・人は誰でも、ウマが合う人と、合わない人がいます。なぜか人間関係がうまくいかない人とか、逆になぜか最初から仲良くなれる人がいます。それは、個々の人間が持っている価値観によります。

仲のいい夫婦は、同じような価値観をもっています。
逆に離婚を考えている夫婦は価値観が違っている人だと思います。つまり価値観の違いが、考え方の違いや意見の食い違いを生むのです。

知性・社会・お金・家族・身体・・・誰が何に、一番高い価値観をもっているかは、人それぞれ違います。それなのに、私達は、誰もが自分の価値観で物事を推しはかります。そして、誰もが自分と同じ価値観で物事を見ていると思い込み、自分の価値観に合う人を好きになって、価値観に反する人を攻撃してしまいます。夫婦であったとしてもです。

一人ひとり、考え方も価値観も違うだけで、相手の価値観を尊重して、コミュニケーションを取れるようになると、人間関係が改善していきす。逆に、相手の価値観をないがしろにすればするほど、何度も問題が起きます。人は、自分の価値観に合致したものしか受け入れないので、それを認めてあげない限りは、問題が起きるのは自然なことです。

2020年5月 1日 (金)

私はこの町が好き

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私たちの町(八王子市片倉町)は、京王線片倉駅・JR片倉駅が北と、南にあり南北の国道16号と、東西に北野街道が走り交通に至便であり、何といっても、自然豊かな町です。

     片倉城址公園・集いの森公園 集いの森から西方を望む)

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湯殿川は八王子南郊を小刻みに蛇行しながら東流し、片倉城址の城山北麓をかすめて、長沼付近で北西方向から流れてきた浅川に注ぎ込んでいます。

水辺に沿 って瀟洒な遊歩道や小道が続く、ローカル色豊かな気持ちのいい道筋・・・特に澄 んだ晴天の日に、雪を被った富士山を遠望しながら散歩でき・・・田園風景がある小比企町付近は、土の薫りのするのどかな風景は何物にも替え難いものがあります。
            遊歩道 ハナミズキの花が咲いている湯殿川 
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 自然豊かな私たちの町・・・何時までも大事に残したいものです。

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