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2020年3月

2020年3月31日 (火)

生きた証を残す

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「生きた証を残す」
生きた証を残すというのは、名誉や財産を残すことではありません。社会に役立ち、人の生活を豊かにする、それが“生きた証を残す”ということなのです。

人間として生まれ、自分がこの世に生きた証を残していきたい・・・後世の人に何かを伝えていきたい・・・と願うのが、人間として自然な姿だと思います。

家庭を大切に守っていく、社会や国のために、あるいは、人類や世界のために貢献していく。。。自分のためにではなく、人のため、社会のために自分の力を尽くすことが、自分がこの世に生きた証を残すことになるのです。

人を喜ばすことによって、自分の存在が認識されるのです。生きた証を残すことができるのです。自分のためにだけすることは、人が喜ばないので、自分の存在が認識されず、自分が死んでしまえば何も残らないのです。

誰かを喜ばすために、私達は生きているのかもしれません。自分のためにだけではなく、人のために何か役立てたいと思ったならば、長い人生があるとは思わずに、いつ死んでもいいように、日々少しずつでも誰かを喜ばすために生きていくことです。そうした積み重ねが素晴らしい、人生となっていくものと私は思います。

2020年3月30日 (月)

高齢者の生きがい

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『生きがい』とは、人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

高齢者の生きがい
何が生きがいであるのか、どのような時に生きがいを感じるのかは、人それぞれであるのかもしれません。しかしながら、健康状態や身近な人との関係が、高齢者の生きがいに深くかかわってきます。健康を維持し、親しい友人や仲間との良好な関係を築き、親密な交流をもつことが、高齢者の生きがいを高める、大きな要因となると思います。

信念をもち続けること
信念とは、自分の中にある強い想いのことを指します。
「絶対に○○をするんだ!」という強い想いを持つことで、目標を達成することができるというわけです。なぜなら、信念は行動力に直結しているので、自然と目標に向かって体が動くようになるからです。ですから、別のことに意識が向いたり、途中で諦めてしまったりすることがありません。

2020年3月29日 (日)

春の雪

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「思い出を 呼び戻す 春の雪」

(私の兄は、東京では桜が満開になった10日前、独り静に逝った。)

「音もなく 桜の花に 雪つもる」

今朝の八王子市は雪・・・盛大に咲き誇ったかと思えば、潔く散りゆく桜は、物事のはかなさの象徴です。
桜の夢は、冷たい雪にまみれ、何かが、これから終わりを、迎えようとしているようです。

感謝することの大切さ

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あくせくした忙しい日々、特に最近の社会情勢(新型コロナウイルス)の中で、ストレスを多く抱えがちな現代人は、”ありがとう”よりも“怒り”を感じたり、“不安”を感じたりすることのほうが多いのではないかと思います。

自分の幸せに気づくこと
感謝とは、幸せに気付かせてくれるものです。幸せだという気持ちから、感謝の言葉が出てくるのです。ちょっとした、ささやかなものでも感謝することは、その瞬間に感じた幸せをより大事に出来るものです。
“ありがとう”と言う言葉は、漢字にすると「有難う」となります。有り得ることが難しいと書くのです。有り得るということが、奇跡だということです。有難いと思うこと、そう感じる心が感謝を感じる心なのです。なので、感謝の気持ちは、自分に幸せを気付かせてくれるのです。

感謝する気持ちを持つこと
・・・いつもイライラしている・・・何をやってもうまく行かない・・・そんなときは、もしかしたら感謝の気持ちが欠けているのかもしれません。すべてを当たり前とは思わず、感謝の気持ちに切り替え、自分が生かされていることに、気づくことです。
そして今日があること、自分が生きていられことは、家族・地域の人たち・・・といった周囲の多くの人々の支援があるからこそです。決して自分だけで、ここまでこられたわけではありません。このことを忘れず、常に周囲への感謝の気持ちをもち、お互いに信じあえる仲間があって、生きていけるのです。

2020年3月28日 (土)

自然を守り共に生きる社会

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湯殿川と君橋付近

私が子供のころ、山や川に棲んでいた、動植物の種類が減少しています。
ウナギ・ドジョウ・フナ、そしてホタルやカエル・メダカなどが棲んでいました。普通に見ることができたのです。その当時は当たり前のものだと、あまり気にとめることも、なかったものです。

わずか半世紀で多くの動植物が見ることが出来なくなってしまったのです。かつては大自然に包まれて、生けとし生けるものたちと一緒に、天の恵みに感謝しながら生きてきました。しかし、人の飽くことのない欲望を生み出し、地球からは資源を収奪し、開発と称して、自然を破壊してきました。

今なお多数の種が絶滅の危機に瀕していると言われています。生物多様性が失われる主な原因は、人間の活動です。これらのことに対して私たち現代人は、後世の世代に対し、何らの罪悪感も感じないのでしょうか?

人の価値観も一定ではなく、無くなりかけるとその貴重性に気が付きますが、そのときにはすでに遅く、次の世代には残らなくなっているかもしれません。自然のもつ豊かさは私たちだけが享受するのではなく、次の世代に引き継いでいかなければなりません。

自然を守り、共に生きる社会
人間と地球に生きるすべての生物がともにくらすことができ、自然からの恵みを受けつづけることができる社会を自然共生社会といいます。
空気、大地、川、海、そしてそこに生きる動植物など、すべての自然環境は地球という星のなかでつながっていて、どこかの環境に問題が起これば、必ず他の環境に影響がおよびます。ですから自然共生社会は、地球にくらす一人一人が、身近な自然環境を大切にしないと実現できません。自然を大切にする。その約束を守ることができれば、地球は豊かな恵みをあたえつづけてくれるのです。

2020年3月27日 (金)

人事を尽くして天命を待つ

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寿命というものは、医者にも、本人にもタッチできないものではないでしょうか。一人ひとりの寿命は、運命的に決まっていて、病気に限らず、事故や災害での突然の死も、本人が生まれ持っているものです。

寿命は医療で延ばせるものではなく、『天命』だと思います。
天命とは、天から与えられた命令のことである。 天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のこと。また、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことである。(ウイキペディア)

「人事をを尽くして天命を待つ」
意味は、できる限りの努力をしたらば、あとは天の意思に任せよう、という心境を表す言葉です。つまり「人事を尽くして天命を待つ」は「全力を尽くした上で天任せ」ということになり、転じて「全力を尽くしたので天が下したとした結果はどうであれ、後悔はないだろう」という心境も表す言葉なのです。

「我が人生悔いなし」
単に他人から教えられた立派な言動をとっても、立派に見えるだけの人になってしまう、自分の体験から出発して、自分で考えた立派な言動をとるべきです。まさに自分で考え、悩み、そして自分自身で決断を下す。厳しい社会の現実に負けない力をつけることです。悔いの残らない充実した一生を終えたいものです。

高齢者のウオーキング

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高齢者におけるウォーキングの効果

生活習慣病の予防のためには、成人は中等度の強度の有酸素運動を少なくとも計30分、できれば毎日行うことが推奨されています。

高齢者に適した有酸素運動の一つとして、ウォーキングが挙げられます。ウォーキングは比較的簡易に安全に行え、用具も必要としないため、誰でも気軽に始めることができます。外出の良い効果・・・外出によって、身体的・心理的・社会的により良い効果をもたらします。

◎ 認知症やうつ病の予防
外出頻度の高さが認知症と深く関係があると言われています。 外に出ると四季の景色、風や香り、音や歩く感触など、五感すべてが刺激されます。 体を鍛えると強くなるのと同じように、脳もいろいろな刺激を受けることで活性化すると言われています。

◎ 孤独感の緩和
例えば散歩をすることだけでも、近所の方へ挨拶をして顔見知りになるなどコミュニケーションが増えます。 そして、体を動かすことで精神的にも元気になる効果があり、心身ともにいきいきと毎日を送れます。

◎ 体力の向上
外出に伴い、体を動かすことは運動不足の解消になり、寝たきりを予防します。 体の活動量が多い人は、心疾患や高血圧、糖尿病や骨粗しょう症など高齢者に多い病気が少なくなる傾向にあり、長寿にもつながると言われています。

2020年3月26日 (木)

桜は咲いて兄は逝く

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令和二年三月十九日 兄は静かに逝った。東京では桜が咲き始めたこの時期に・・・八十八歳でした。

三月二十五日・・・兄の葬儀は親族のみで慎ましやかに行われました。生前と同じ笑顔を浮かべる兄の遺影を見て、奇妙に胸が痛むのと同時に、艱難辛苦を乗り越えた、穏やかな笑顔に思えました。

療養中の兄でしたが・・・親鸞聖人の「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という歌を連想させられます。「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない儚い桜のようです。夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」

『今生きている命を「如何に生きるか」』
ということではないでしょうか。自分自身が積み重ねてきた過去の経験(苦しみや楽しみ)を現在に生かし、そして未来につなげていくことができるのは、自分一人の力ではありません。いろいろな人に支えられているからこそ実現できるのです。

そのことに気付き、そして感謝の気持ちを持って日々充実した生活を過ごさせていただくことが私たちの使命なのではないでしょうか。

2020年3月25日 (水)

人の絆と人間愛と

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日本の高齢化率は、世界でもトップの28.1%(2018年)
超高齢社会とは、65歳以上の人口の割合が全人口の21%を占めている社会を指すということです。この割合は、次の式で求めることができます。老年人口(高齢者人口)÷総人口×100 

人の絆と人間愛
高齢者となっても「住み慣れた地域で暮らし続けたい」という気持ちは、皆が感じている共通の想いでしょう。
今、私たちが暮らしている東京八王子市では、地域の特性や特色がどんどん薄らぎ、どの地域も高齢者が、安心して暮らすことができると言える、地域になっていません。

ある年齢までは、個人主義で隣近所との関わりもなく暮らすことは可能です。それは、会社や学校、子ども等を通じて、どこかで誰かとつながっていて、かつ、自分自身の都合に合わせて必要な人間関係を選び構築しているからです。
マンションはオートロックでカメラ付きインターフォンが当たり前。個人のプライバシーを尊重し、煩わしい付き合いをしなくても、快適に過ごすことができます。

しかし、これから高齢者となる世代、中でも男性は、仕事中心の生活で地域との関係づくりに不慣れです。その人たちがいざ退職し、子どもたちも独立していく。年を重ねるにつれ、身体的に衰え思うように動けなくなり、近くに友人もおらず外に出る機会がどんどん減っていくのです。

今まで仕事での役割を生き甲斐にしてきた人が、人との関わりがなくなるという疎外感は、孤立していく要素として十分です。

高齢化が進み、高齢者のひとり暮らし、夫婦のみ世帯が増加する中、「暮らしやすさとは何か」を考えることが重要です。人間は一人では生きていけません。孤立していくことほど辛いことはありません。

自分に役割がある・・・必要としてくれる人がいる・・・気にかけてくれる人がそばにいる・・・
それは家族とは限らない。友人であり。。。隣人であり。。。専門職であり。。。この地域にいる人。。。そばにいる人でいいのです。暮らしやすさとは、、、住んでよかったと思える地域とは、、、、自分を知っている人たち、気にかけてくれる人たちがいる場なのだと思います。

2020年3月24日 (火)

郷土愛について

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郷土への愛があるから、私たちは、幸せになれるのです。郷土が与えてくれる恵みがあるから、人は生かされるのです。

こだわりを捨て・・・執着心を捨て・・・過去からの因縁、因習、わだかまりに囚われずに、現実を直視し、何が、今、正しくて、なにが、今、必要なのか、それを見極めることが大切で、それが郷土愛です。

その土地に住む者には、長い歴史と伝統があります。文化があります。生活があるのです。生まれ、育ち、生活をし、そして、子供を産み育て死んでいく・・・郷土には、人生の軌跡・・・自分が生きてきた証があるのです。

昔は、どこにでも、世話役がいました。店子と言えば子も同然と大家が何くれとなく、世話を焼いてくれたものです。人情がなくなったのです。それは、土地に対する愛着がなくなったからです。

地域社会で人々が、助け合う・・・それが互助の精神・・・民主主義の原点です。
自分の一生を終えても悔いのないところを見いだせた者は、しっかりと大地に根を張ることができる。。。自分を生かし、家族を育て守っている大地、土地に感謝することです・・・自分の郷土を愛することです。

今、自分が生きていられる大地、土地に、感謝する気持ちがないから、傲慢になり、愛する気持ちがないから、土地を汚すのです。

2020年3月23日 (月)

生きる基本を考える

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年をとると、「人生とは・・・」「生きるとは・・・」今までの人生観を考えてしまうことがあります。
これから、現実に向き合いどう生きていくべきかの基本的な考え、心の持ち方、つまり物事の見方考え方を変えるだけでも、苦が苦とならないことや解決することはたくさんあると思います。
私は、社会生活において、基本的には、自分より先に相手を守ろう助けようとする、心持ちがあれば多くの問題が解決すると思います。

「人を呪わば穴二つ」という故事があります。
「人を呪うにはそれなりの覚悟が必要だという事。転じて、安易に他人を恨むことを戒める。」ということから人を憎んだり恨んだり責めたりすると相手も傷つくが自分にも害が及ぶと言うことです。
つまり、「人の幸せを願えば幸せ二つ」となります。人の幸せを願えば相手も幸せになるが自分も幸せになると言うことです。

自分の幸せより人の幸せ、自分の立場より人の立場、自分を守るより先に相手を守れということです。言い換えれば「お互い助け合って生きなさい」と言うことになります。
つまり、「人の幸せを願えば幸せ二つ」となります。人の幸せを願えば相手も幸せになるが自分も幸せになると言うことです。自分の幸せより人の幸せ、自分の立場より人の立場、自分を守るより先に相手を守れということです。言い換えれば「お互い助け合って生きなさい」と言うことになります。

これが人間として生きる基本
でも、今の世の中を見るとそうはなってはいません。みな先に自分を守ろうとします。だからといって今の世の中を何とかしようと思っても何ともなりません。でも、ひとつだけ何とかなるものがあります。

それは自分の心です。
自分の心だけは自分のものです。これなら何とかなります。自分の心を良くするように生きていけば良いのです。世の中全体を変えようとするのではなく、まずは自分の心から変えていけば良いのです。そして自分の心が変わったら人々の心を変えていけば良いのです。

2020年3月22日 (日)

ゴミのポイ捨てする心理

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ポイ捨てする人の心理はなぜ働くのか・・・マナーを守るのは社会生活に大切なことです。公共機関からもそのような呼びかけがされていても、現実にはポイ捨てする心理は世の中から完全には消えないようです。

ポイ捨てする人の心理について
ポイ捨ての心理について、あんなところにゴミが・・・と憤りを感じる前に、自分にもふとそんな衝動が湧いてしまったことがないか考えてみてください。ポイ捨ての心理は、誰にでも隠されていることかもしれないのです。

◎親にしっかりと教育されていない
マナーやエチケットは、成長する段階で親からしっかりと学びましょう。大人でも平気でゴミを捨てる人がいますが、このポイ捨ての心理で考えられるのは親からきちんと教えてもらっていない。

◎バレなければよいタイプ
バレなければ何をしても大丈夫という人はポイ捨てする心理があり、全く罪悪感がありません。駅周辺に落ちているタバコの吸い殻。たったひとつ増えたところで、誰に見つかるわけでもないはずです。そんなことは、きっと誰の頭にもよぎるでしょう。

◎面倒くさい
敷地の広い公園など、ゴミ箱を探すのに一苦労するところがあります。ポイ捨てはダメだとわかっていてもゴミ箱を探す手間がかかり、ついやってしまう場合もあるでしょう。公共の場は自分一人が使うものではありませんから、人のためにゴミを落とさない気持ちが大切です。

◎自己中心的な考え
公共の場所をゴミで汚す人は、基本的に自己中心的な性格が原因になります。自分の行いでその先どのような展開があるか考えず、一時的な発想や思いつきで自分に有利なことをするタイプです。ポイ捨てをしたら、最終的に誰かがゴミを拾い処分しなければなりません。ポイ捨てする人には誰かに迷惑をかけている意識がなく、自分さえよければよいという考えなのでしょう。

◎マナーやモラルがない
社会生活を送るには、自分一人では暮らせません。あらゆる人との関わりがあり、マナーやモラルは人間関係にも影響を与える大切なことです。

2020年3月21日 (土)

桜が咲いて想う

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「散る桜 残る桜も 散る桜」・・・

このの言葉は、江戸時代の曹洞宗の僧侶で、歌人でもあった良寛の辞世の句と言われている歌です。意味は、「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でも、いつかは必ず散る。そのことを心得ておくこと。」というように受け取れます。

限られた「いのち」
考えてみますと、今の世の中は色々悩み事が多くあります。仕事、家庭、対人関係、子育て、自分の将来、健康やお金のことなど、幸せな事より悩み事の方が多く重たくのし掛かっている毎日ではないでしょうか。

物事にはすべて結果がある
無常にも時間は止めることができません。ならばどう時間を過ごすのかを考えることです。 即ち、限られた「いのち」の中で、その結果に到るまでを如何に充実したものにし、悔いの残らないようにすることが大事です。

起こることはすべて必然、必要
大きく見ると、この世の中はよくなる方向に進化してしています。一見、不運に思えることもすべては必然、必要であり、振り返ればベストのタイミングで起こっていると思います。幸運も不運もすべてを受け入れられるようになると、ツキを呼び込むことができるのではないでしょうか。

2020年3月20日 (金)

己に克つ

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自らに打ち克つ精神「克己心」は、何をするにも一番大事だと思います。

人生において、他人に勝ったとしても、そのことにさしたる意味はないです。そして、本当の勝者とは、相手の敗北によって、得られないのす。

自分に勝つことは、他人に勝つよりも価値があります。どれだけ時間がかかっても、やりきると決めた自分に勝つことは、他人に勝つよりも価値があると思います。

また、やり続けて行かなければ、最終的に自分がもう一段上に行くのは難しくなるでしょう。自分の様々な欲を抑えるのも克己です。自分が不可能だとしていたところを、努力により出来るようなるのも克己です。

そうして、自制心を働かせ色々な欲望を撥ね除けたり、努力を重ね障壁を乗り越えたりした結果として、より大きな自信が得られるのです。その自信は次により大きな目標を達成して行く原動力になるものです。

自信とは自らに対する信頼であり、その本物を得ようとする中で、一つの強さが出来て行くのだろうと思います。

2020年3月19日 (木)

生きていられることに感謝

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私たちの命は、はるかな昔から、多くの先祖たちによって親から子へ、子から孫へと受け継がれてきたものです。そこには命のつながりだけでなく、「わが子を大切に守り育てよう」「子供や孫の代の暮らしが少しでもよくなっていくように」という、先祖たちの思いのつながりもあったことです。

また、周囲に目を向ければ、家族以外にも学校や職場、地域社会でふれあう人など、さまざまな人とのつながりの中で支え合って生きていることは、言うまでもありません。

私たちは、自分の力だけで生きているのではありません。そう自覚すれば、「自分の人生なのだから、どのように生きても自分の自由だ」ということはできないでしょう。私たちは、たくさんの先祖から受け継いできた自分の命と心を大切に守り育て、これを子孫へとつないでいく使命を帯びた、「命のリレーランナー」なのです。

先祖もみんな、国家・社会の中で生かされ、この土地から得るさまざまな物質によって体を養い、生活を営んできました。私たちの命は、国家・社会・土地にも支えられているのです。

親祖先はもちろん、そのほかにも自分が受けてきた多くの恩に感謝し、その恩に報いる心を持ったとき、草木が大地にしっかりと根を下ろしてこそ大きく育っていくように、途中にどのような困難があったとしても、ついには未来が開かれていくのではないでしょうか。

 

2020年3月18日 (水)

自分の為に頑張る

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『自分の為にも頑張る』
人の為と書いて「偽り」と読みますが、これは「他人の為、他人の為と言う人は、結局自分の為に動いている」という意味です。「他人の為」と言わず、はじめから「自分の為である」と言って動けばいいのです。 「自分の為、そして他人の為にもなる」・・・これが健全な姿勢なのです。

「頑張るんなら、他人のためではなく、自分のために頑張ことだ」
「他人のためにがんばる」というのは辛いことではあるけれども、実は「とても幸せなんじゃないか」と思います。
「他人から反応が返ってくる」・・・いつもいい反応ばかりではないけれど、いい反応が出てくればそれがやる気につながります。

それが自分のためだと、返ってくるのは心の中の自分の声だけです。「お前よくやった」と心の中の自分は言ってくれるかもしれない・・・だけど少し虚しさを感じることもあります。

もちろん自分のためにがんばることもいいことだと思います。しかし、「他人のために頑張り、他人から感謝や笑顔をもらう、それこそが人のやる気を起こさせ、生きていく活力になるのではないでしょうか。

2020年3月17日 (火)

ゆっくり生きる

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最近思うことは、「ゆっくり生きる」ということです。
世の中、生きていれば決して楽しいことばかりではありません。嫌なことも起こります。代わり映えのない毎日に、うんざりすること多いです。

しかし、その中にも楽しみを見いだせるのも私たちです。どこかへ辿り着くことが人生の目的ではありません。人より前に行くことが幸せにつながる道ではありません。

歩きながら見える景色を味あう。
ときには立ち止まったり、休みながらでいいんです。その道中を楽しむことこそが人生です。「のんびり行こう」「ゆったり歩こう」慌てなくても人生は競争ではないのだから・・・そして、幸せは早い者勝ちではないのです。
いつも“せかせか”と余裕のない状態では、すぐそばにある幸せに気がつけません。見せかけの幸せを追い求めるのはもう終わりにしよう。ゆっくり生きる人生で心豊かに過すことです。

自分のペースで呼吸をして、ゆっくりと静かに生きることです。
年を取ると、時間の流れはとても速く感じられるようになります。意識せずに生きていると、自然と自分の呼吸も早くなっていきます。それに適応できればいいのですが、必ずしも誰かの呼吸の速さは、全員にとって心地よいものではないのです。
生き急がなくてもーーーもし息苦しくなったら、呼吸のスピードを落としてみたら・・・ちゃんと生きていけます。

2020年3月16日 (月)

幸せとは・・・

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しあわせは いつも自分のこころがきめる」 (相田みつを)

日々の生活の中で、「幸せ」を感じる時間はどのくらいあるでしょうか? 1日、1回ほど?それとも10回ほどでしょうか?人によって、また、おかれた環境によっても異なるでしょうが、幸せを感じる時間が多ければ多いほど、楽しい毎日を過ごせそうです。

さて、このことばには、2つの意味があるのではないかと思います。1つ目は、普段、自分の周りに当たり前にある幸せに気づいているか、ということ。2つ目は幸せ、不幸せという価値観は自分の思い込みで生まれるということです。

「幸せ」とは・・・「充実感を得ている状態」
人は何か充実感を得ている時に楽しいと感じたり、満足を感じると思います。

よく言われることですが、やはり「今」に生きないと幸せもないと思います。投資家は将来を見て投資をしますが、人生においては「今」を基準に行動した方がよいと思います。

世の中を見ると「今」への意識がボヤけてしまっていると感じます。(私も含めて)気づくと、「今」起こっていない不安や恐怖を考え、逆に「今」必要のない快楽に流れます。本当に「今」やるべきこと・・・辛くても。充実感を感じることを優先出来たら、多分、今より「幸せ」を感じられると思います。

2020年3月15日 (日)

春を告げる雪

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「湿雪や 降っては消える 春の花」

桜の開花の宣言も、間近というのに、雨から雪は驚きです。
八王子市では、2020年3月14日(土) 雨雪
雨から雪が混じるようになりました。
一般的には、南岸低気圧による東日本の太平洋側の大雪が降るのは、2月下旬から3月です。

このため、南岸低気圧による雪は、「春を告げる雪」と言われていました。雪が降っても、零度付近の比較的温かい雪で、すぐに溶け、程なく春を感じさせる気温の上昇があるからです。

「春先の雪」には、子供の頃の思い出があります。親父に竹馬を作ってもらい、庭を歩いたものでした、終戦前のことで、遊び道具なく、竹馬は、冬の遊び道具の一つでした。春先の雪は、積もっても直ぐ溶けてしまい・・・また降ってほしいな?と思ったのものです。

2020年3月14日 (土)

年よりの生きがい

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人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

年をとっても社会とのつながりを大事にする
社会との繋がりは大事です。お互いに励ましあい、助け合いってこそ、自分自身も「幸せ感」持てるのです。そして社会奉仕をすることで、生きがいを持つことで、元気がでるのです。

ですから、積極的に外に出て、人と話し合い、困ったことがあれば、相談に乗ったり、協力しあっていくことの心がけが大切と思います。つまり、自分の中の「生きがい」を構成する要素の一つだと思います。そして町が主催するイベントに積極的に参加することです。

 

2020年3月13日 (金)

新型コロナウイルスのこと

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新型コロナウイルスの感染拡大を受け、WHO(世界保健機関)は、パンデミック(
世界流行)だと表明・・・様々な施設の閉鎖、一斉休校、選抜高校野球は中止・・・こんな状況は初めてではないかと思う世の中の状況です。  

でも、ウイルスに心までは奪われないように、前向きに暮らしていきたいものです。そして、冷静沈着に対応したいものです。手洗い・換気・睡眠・バランスの良い食事を心がけ、冷静沈着な生活を送ることを心がけることだと思います。

「冷静沈着」とは、普段から感情的にならずに理性的な態度でいる人や、何かあっても慌てたり取り乱したりせず物事に動じない人のことを表します。

2020年3月12日 (木)

地域にやさしいまちづくり

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『「やさしさ」や「おもいやり」の心が大切』・・・年をとって思うようになりました。
人と地域と環境に対してやさしいまちをつくり、未来の世代に引き継いでいくために、私たちみんなが、理窟ではなく、行動を起こすべき時期に来ていると思います。

「ふれあいを大切に」
人と地域と環境のために人と人とのふれあいを大切にして、お互いに支え合う「人にやさしいまち」そして「環境にやさしいまち」の実現に努め、まちをきれいにし、他人への迷惑行為や犯罪をなくし、すべての人が安心して暮せる「地域にやさしいまち」の実現に努めることが大切です。

子どもから高齢者まで、年齢や性別、障がいの有無に関わらず、誰もが住み慣れた地域において、地域の支え合いにより安心して豊かな生活を送るために、住民、地域の団体・社会福祉の事業者、行政が連携し、「みんなで支え合い助け合う安心安全なまちづくり」を推進すべきではないでしょうか。

近年、町を取り巻く社会環境は、少子・高齢化や核家族化が進行し、地域のつながりの希薄化などの課題があります。誰もが安心して地域で生活を送るには、住民一人ひとりが福祉に関心をもつとともに、地域活動、ボランティア活動などに関心を持つことです。


2020年3月11日 (水)

春の雨で一句

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有名な語に・・・「春雨じゃ濡れて参ろう」、「月形半平太」で、有名なせりふが、ありますが、私は、春の雨は、何か明るいイメージを持ちます。
一雨ごとに暖かくなり、自然の草木は勢いを増してくるからです。そして、春の雨は、しっとりとして、風情があります。私たちの町の、八王子市片倉城跡公園と湯殿川の眺めて一句です。
「音もなく 道路を濡らす 春の雨」
「春雨に 城址の森は 静かなり」
「木々の芽の しずく明るし 春時雨」
「春の雨 啼き声高し 鴨つがい」 

2020年3月10日 (火)

春に思う

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「人はみな 何かを求めて 春を待つ」

夢・希望・期待・飛躍の実現の季節です。

春は卒業、進学、就職、転職、引っ越しなど、旅立ち、そして巣立っていくのです。

新天地に向かう人もいれば、何かを新しく始めるという人も多いのではないでしょうか。

そんな人生の節目ともいえる時期・・・家族や故郷から離れた自分自身を改めて見つめ直したり、逆に離れがたい絆を確かめ合ったりできる機会でもあります。

2020年3月 9日 (月)

老いるということ

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生きることの難しさ、虚しさが如実に現れるのが、年老いてからです。それは、生きることの意味を改めて考えさせられます。

年をとるということは、ある意味で残酷なことです。未来への希望や可能性が狭まっていき、新しいことをするためには、気力も体力も残されていません。同じ事を同じようにしようとすれば、若い人には、太刀打ち出来ません。30代の若者と同じ条件で70代、80代の人間が競わせようとするのは残虐な行為というものです。

年をとった人間に年をとって衰えたことを理由にして、新しいことや新しい環境に移ることを求めるのは、おかど違いと思います。新しいことに適用ができないから、年寄りは大変なのです。

しかし、年寄りには、生きてきた蓄積(ノウハウ=知識・経験の情報)があります。それは、人間としてかけがいのない財産です。人徳として昇華されたものです。

その、ノウハウを上手に活用することが、年寄りの特権です。そのためには、その人その人が生きてきた、軌跡の延長線上に生活の基盤を求めるべきです。どんな世の中になっても、人間の本質は時代を経ても変わりません。だから、過去に学ぶことが大事なことなのです。

2020年3月 8日 (日)

地域もワンチームで・・・

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◎ 日本のかっての名女優に「杉村春子」さんの言葉に、「一人が良くてもダメ、一人が悪くてもダメ、チーム全員で作りあげることが、大事なんだ」

◎ 日本ラクビー主将の「リーチ・マイケル」はニュージーランド出身で、日本の国籍を取得した人です。日本の文化や精神が多国籍のワンチ-ムをまとめる大きな柱となったとし、「日本にプライドを持って戦ってほしかった。勝ちたいという信念が結果を生んだ」・・・ラグビーW杯初の8強、日本代表(2019年10月21日)  

私たちの地域を守るには、「一人ひとりが守るという認識」が大事なことだと思います。私たちの住む町は私たの住む一人ひとりが、協力しあい、環境に・・・安全に・・・子供教育に・・・お年寄りに優しさ・・・など、行動を起こすことで、安心して暮らし、住んで良かった町になるのだと思います。

私たちの地域でも、最近は、昔から住んでいる人、最近移住された人、そして、戸建ての人、マンション・アパート住まいの人などと、変化しています。地域に住むということは、「一人では生きていけない、支え合って生きていける」ことの認識が求められていると思います。

2020年3月 7日 (土)

季節は巡っています

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世の中、新型コロナウイルス騒ぎですが、心の余裕を持ち、対応したいものです。
雨上がりに、一人で散歩しながら、季節は人間の騒ぎに、関係なく巡っていることに、ちょっと安らぎを感じました。

「踏まれても タンポポ咲いて 上を向く」 

「雨降って 冬の殻取る 春の雨」

「春雨に 化粧直して 白き富士」 

「東風吹いて 梅花に露の 光揺れ」

「春の雨 生なるものが 蘇る」

「畦道に 春の匂いの 芹をみる」

2020年3月 6日 (金)

奉仕の心

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人を助け、人を喜ばせば、実は自分が幸せになれるにです。奉仕の心とは、貴いことなのです。人は一人では生きていけません。助け合って生きていけるのです。

自分さえ良ければ「自己中心」主義

今どきの若い者は」「子どものモラルが低下している」などの指摘は、いつの時代でも聞かれる言葉と言われます。

大人が眉をひそめるような子どもたちの言動も、当の大人が若いころに行動してきた場合もあるし、価値観の相違から摩擦を生じる原因となる言動が、やがて時代の流れとともに社会に受け入れられることも少なくありません。

さらに、新しい価値を希求する若者の文化が社会発展の原動力となる場合もあります。したがって、今の子どもや若者の行動が、昔の子どもたちと異なる行動だからといって直ちに否定されるべきでは一概にいえません。

今、子どもたちの行動に対して指摘される問題点の多くは、大人たちの問題でもあるのではないか。子どもたちが、将来大人となる際の手本となるべき今の大人が、手本となり得ていないという大人社会の問題が、子どもに投影されているのではないでしょうか。

2020年3月 4日 (水)

道徳は守って欲しい

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街を歩いていて思う。
道徳という言葉自体には堅いイメージがあるかもしれませんが、本来、人間が日常生活や社会生活を、送っていく上で気を付けていかないといけない、基本的なものだとも言えます。

周りを見渡してみると、国内・国外を問わず、社会情勢は本当に複雑になっています。でも、一番の元をたどっていけば、「人にされたくないことは自分も絶対にしない」、「最低限のルールは守る」、「人に迷惑はかけない」ということが十分に共有・実行されていないがために起こっていることも多いような気がします。

そういうことは、大抵は子供のときに親から学んでいくのだと思いますが、頭では分かっていてもそれらを守れなかったり、実行していけなかったりするのが人間というものなのかもしれません。

大人になると、社会のいろいろな“しがらみ”の中で生きていかないといけないので、単純なことなのに難しいということもありますが、そのためにも子供たちに教えるべきことは、きちんと教えていかないといけないと思います。

2020年3月 3日 (火)

ゴミのポイ捨てのこと

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道徳」・・・

して善い事(善)として悪いこと(悪)を区別する方法が『道徳』です。

社会を円滑に営むには社会で決められた規則や規範を守らなければなりません。規則や規範は守らなければいけないことは誰もが理解している、一方で、規則や規範を守ることが、どのように意味をもち、なぜ守る必要があるかという点について、考える機会が多くありません。

公共物や公共の場でどのような行動を取るべきかを考えさせ、社会の規範について理解し、それらをまもる必要性について考えさせらる必要があると、私は思っています。

公共の場でポイ捨ての心理について、考えてみました。
◎ バレなければよい
バレなければ何をしても大丈夫という人はポイ捨てする心理があり、全く罪悪感ありません。
駅周辺に落ちているタバコの吸い殻。たったひとつ増えたところで、誰に見つかるわけでもないはずです。そんなことは、きっと誰の頭にもよぎるでしょう。
たとえば山奥の誰もいないところ。ペットボトルを車の窓から放り投げても、見つかることはないはずです。「バレなければよい」という精神は、よほど自分が強い意志を持っておかないと負けてしまいます。

◎ 自己中心的な考え

公共の場所をゴミで汚す人は、基本的に自己中心的な性格が原因になると思います。自分の行いでその先どのような展開があるか考えず、一時的な発想や思いつきで自分に有利なことをするタイプです。ポイ捨てをしたら、最終的に誰かがゴミを拾い処分しなければなりません。ポイ捨てする人には誰かに迷惑をかけている意識がなく、自分さえよければよいという考えなのでしょう。

ゴミを拾う手間だけでなく、ポイ捨ては周囲の人を不快にさせる行為です。他の人の立場になり、よく考えて行動しなければなりません。


2020年3月 2日 (月)

悲しい幸せ

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「若いころと違って年をとると体はきかなくなってくるし頭は弱ってくるし・・・」
むかし、義父からよく聞いた言葉「年はとりたくないもんだ!」が、その年に、自分がなって、そう言う言葉をつぶやいた気持ちはよく分かるようになった?
誰もが「まだ生きたい」とは思っているのですが、しかし「年はとりたくない」というこの矛盾、これをどう解決したらよいか・・・
肉体の衰えは自然だから仕方ありません。しかし、体験したものの宝です。体験した事実から編み出したものを後に伝えていくそれには、丁寧に時を重ねていくことだと思います。

悲しい幸せ
「両極を知ることで、中庸の大切さを知る」
人は生きている間に失望や悲しみに遭遇します。それでも他人に優しく強くありたい。人から見たら凡人でも庶民的な生活だとしても、本人が幸福を感じ善良であれば、それこそ真の幸福な人生だと思います。
TVは暗いニュースだらけです。
努力しても報われる人は少なかったりする・・・。冷たい人もいる・・・。理不尽な事もある・・・。不運に見舞われることもある・・・。
戦争や災害があっても人類は常に前向きに生きてきた。それは人間が生きることと自分自身、他者を愛してきたからだと思います。 

2020年3月 1日 (日)

八十路坂を越えて

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頭髪が白くなったからとて長老なのではありません。ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」です。
誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷(そこ)なわず、慎みあり、自ら整え、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれるのです。

煩悩
理性を失くした人間は欲の塊になります。仏教では「煩悩即菩提」を説いていますが、欲望も理性でしっかりコントロールすれば、プラスに働きます。正確には菩薩のような素晴らしい人格が現れるのです。その根源には世のため人のためという目的があるからです。

世のため人のための欲は大いに結構ですし、それはまさに利他になります。
思い至った事に、躊躇なく行動する。。。明日はないかもしれないから。。。
自分の力で、生きてきたのではない。。。誰かが助けてくれたから、今日も生きている。。。短い命だもの、私欲を捨て一筋に、清く・正しく・美しく・・・人生を全うしたいものです。

私たちの郷土を大切にしよう

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御殿峠より市内を望む

私たちの生活や生き様に密着した土地、それが郷土です。
そこで生まれ育った者も、また、他の土地から移り住んできた者も、その土地で生活していくためには、その土地を愛情を持って、大事にしていこうという気持ちを持つことが大切です。

私たちが住み、自分達を育んでくれる土地を愛し、感謝する心それが郷土愛です。人に恵みをもたらすのは大地です。

郷土を大切に守るということは、その土地に住んでいる一人ひとりが協力しなければ守れません。
郷土への愛があるから、私たちは、幸せになれるのです。郷土が与えてくれる恵みがあるから、人は生かされるのです。私たちの住むまちには、遠い昔からの歴史があります。

その、身近な自然や歴史、文化に親しむことにより、自分の住む地域をよく知り、大切にする心は、豊かな人間性を育むともに、社会の一員としての自覚を養うことにもつながると思います。

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