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2020年1月

2020年1月31日 (金)

人生の岐路

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弁天様のは入り口

人生の岐路・・・ 歳をとって思う・・・人生の岐路は「毎日」連続ということです。

今の世の中、長生きするのが必ずしも幸せとは、言えないような気がします。人生のゴールはあっても、誰しも自分のゴールは見えません。
人生の途中も、山こえ谷こえ、自分が本当にやりたい事をやって(結果がどうあれ)最後は「自分が生きたいように生きれた!」と思えば、自分らしい生き方だと思います。

歳をとった今、心がけること
◎ 動かせる身体の機能と知的働きを活かす。
◎ やっておきたいこと(生きる目標)を絞る。
◎ 他者のために役立つことをする。
◎ 病気がもたらしてくれた「いい面」(気づき、反省など)に目を向ける。
◎ いろいろな人々との「出会い」の幸運をかみしめる。
◎ 懐かしい思い出は「心のゆりかご」。深く味わう。

2020年1月30日 (木)

共に生きる

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最近の異常とも思える災害続き、日本だけはありません。地球全体で起きていますが、私は地球が悲鳴を上げているようにも思えます。
皆がうまく調和して生きているこの自然界の中で、自分だけよければいい、自分だけ生きていければいいという考え方では、必ず周囲との摩擦が起きます。
動機が不純で自分だけが良ければいいという私心だけの人がいたのでは、この自然界では生きていけません。

「足るを知る」
足るを知るということをなんでも欲望を抑えるとか、なんでも我慢するという意味ではないと私は思います。
今ある現状に決して不満や愚痴を募らせるのではなく感謝すること、受け入れることが大切であり、その上で自分の生活向上を目指して頑張ることはなんら恥ることはありません。物心両面の幸せ追及とはまさにそのことです。
問題はいつしか感謝の心も消えて、富を独り占めしよう、自分の家族だけがよければいいんだと思い出すこと、これが強欲であり、利己なわけです。

あらゆる自然界を見ても、みんなと一緒になって生きなければという、思いやりだけで、ボケっと生きている生物は一つもありません。みんな自分自身が生きるのに必死です。共生とは必死で生きていくことを言うのです。

必死で生きるその中にこそ調和があるのです。逆に言えば真面目に必死で生きている人が共生の必要性を言えることができると思います。
生きるということは厳しいものです。さまざまな重圧がかかります。障害があり、厳しい環境に追い込まれます。その中でそれをポジテイブ明るく受け止めて、その厳しさが今日の私をつくってくれたと感謝する。そういう生き方が共生なのです。

生かされていると言うこと

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八王子市内を望む2

私たちのいのちは、自然のはたらきに支えられています。空気や水、大地、太陽の光などのさまざまな自然の恵みがあってはじめて、私たちは生きていくことができるのです。

この地球上で私たちが生きていくことができるのは、自然が絶妙なバランスを保っているからです。例えば、太陽と地球がもっと近かったら暑すぎて生物は生きられないでしょう。逆に今より遠ければ、すべてが凍りついた世界となります。

地上に降り注ぐ太陽の光のおかげで、あらゆる生物が育ち、成長していくことができます。私たちは、そうして育った他の生き物のいのちをいただくことによって、自分のいのちを維持しているのです。

こうして考えてみると、私たちが今生きていることは、ある意味で奇跡的なことであり、まさに「有り難い(「めったに無い」の意)」ことなのです。

故郷を愛するということは、今住んでいる場所や日常と深くかかわって生きることで はないでしょうか・・・戸建て・マンション・アパートの隣人と笑顔を交 わすことや、通勤途中の草花に目を止めること、なにごとも心に彫みながら、一日一 刻を生きる・・・それが愛する行為だと思います。今ある自然環境を、そういう人達 の残してくれた、故郷(地域・社会)生活が故郷を育て、文化や歴史となって社会を守ってくれるのではない でしょうか。

生かされていることに感謝すること
自然の中で人間は小さな存在ですが、同時にすべてのものとつながった大きな自然の一部であるとも考えられます。私たちは自然から生きる力を与えられています。そのことに感謝して、自分に与えられた力をできる限り生かしていくことが、自然とつながった生き方ということになります。

「生かされている」ことの「有り難さ」を真に受けとめることができれば、天から与えられた使命を持って生かされた以上、万物を調和し、より良い社会を作っていき、次の「有り難さ」を生むための連鎖のつなぎになろうと努力するのではないでしょうか。

2020年1月29日 (水)

無心の心

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無心の心とは・・・本心と同じ意味のもので、何かに偏ったり固まったりすることなく、あれこれと考えたり判断に迷ったりすることのない状態、体のすべて隅々まで心が行き渡っている状態のことを無心と言います。

私は、ゴミを拾っていて、「アツ、今私は、今まで何をしているのだろう・・・そうかゴミを拾っていたんだ」・・・気付かされることがあります。

日ごろから、ゴミ拾いは修行の一つであると思っていましたが、ゴミ拾いを出来ることが、有り難いことです。理由・は、身体が丈夫であり、私的環境がよいからだと思っています。

「意味を考えず、ただ、その事柄にあたる」

「毎日ゴミ拾いをして、何の意味があるんだ」・・・「こんな天気の悪い日に町内を歩き回るなんて、!」・・・などと愚痴を言ってはいけない・・・心に思ってもいけないと、言うことです。

このように、「意味がない」とか、「イヤだ」「面倒だ」「やってられない」といった気持ちが、一切心に浮かんでこないような状態が、「無心になる」ということです。

「目の前の事柄を行うことの意味を一切考えずに、ただ、その事柄にあたる」ということが本当に大切なのだと思います。事柄にあたる前に、先にその意味や効率を考えすぎると、この無心にはなれないでしょう。

まずは、ただ、行ってみることで無心になれ、その過程の中で浮かんでくるアイディアこそが、最も高い効率や質を生み出すのではないでしょうか・・・

何かに熱中すると、いつの間にか我を忘れて打ち込んでいることは誰でも経験することですが私は、そこに「生きがい」すら覚えます。

いずれにせよ、「無心でゴミ拾い」できることは幸せなことです。

2020年1月28日 (火)

時代遅れ

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世の移り変りは早いものです。

日本人の「もののあはれ(しみじみとした深い感情)」の感覚は、多く仏教的な無常観と関係があります。

本当はゆったりと、ぼーっとしていたいのに、世の中は宇宙ロケットのような早さで飛んでいき・・・そのままでいて欲しいものに限って、無情にも変化してしまう事を悲しむ事が、詩の題になったのでしょう。

恋することだけが生き甲斐のような暮らしをしていた平安朝の貴族、特に女性は、この変化の絶えざる事を特に憂えたようです。

今も昔も、恋は若く美しい女性にこそ似つかわしいものです。それなのに、その若さと美しさは永遠のものではなく、むしろ世の中で最も変わりやすいものの一つなのです。

「はなのいろはうつりにけりないたつらにわかみよにふるなかめせしまに」…小野小町

「世の中は三日見ぬ間の桜かな」

「歳々年々人同じからず」

「歳々年々人同じからず」・・・(辞書に)毎年毎年、人はこの世を去って行くために、顔ぶれが異なる。人の世の無常であることをいう。→年年歳歳花相似たり・・・

時代遅れ?

年をとってしまったからでしょうか、最近特に感じるのです。。。昨日の朝と、雨戸を開けた今朝は、世の中は、大きく変わっている。。。疲れて・・・とてもついてゆけません。

2020年1月27日 (月)

散歩雑感

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毎日歩いていると、時節の変化に気がつかないものだ。心のゆとり、身体の調子や人との係わりで不調等、人の感情はいつも同じではない。しかし、下手な句でも考えて、少しでも時節を書き留めたい。

「この風景   やま川ありの    冬の色」
「西日から   光滲みこむ     冬木立」
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そして、散歩しながら考えた 
◎「住みよい地域社会づくり」のこと
地域社会住む一人一人が社会への責任感を持ち、少しでも社会を良くする運動すること。
些細なことかもしれないが、為そうと思えば、行動ができたのに、優柔不断に流れ、何の行動も起こさなかったとしたならば、夢が覚めた時、「為さなかったという罪」、不作為の罪に苛まれることになる、勇気を出して行動することだ。
◎「自分のことを大切にしながら他人のことを優先する」・・・こと
自分のことを気にかけない人間は、他人のことも気にかけない。無私というのは、思いやりのある人たちにとって諸刃の剣だ。自分より他人の要求を優先すると、満足感はあるかもしれないが、いざというときにノーと言えなくなってしまう。
思いやりの優先バランスをうまくとらないと、人を喜ばせるだけの人生になってしまい、生産性がなくなってしまう。ときにはノーということも必要だがこれが難しい。まずは重大な場面ではなく、ささやかな場面でノーと言ってみる練習をする。一番いいのは、他人を思いやるときと、自分のことを考えるときのタイミングを見極めることだ。

2020年1月26日 (日)

防災学習セミナーに参加して

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昨日(25日)、防災学習セミナーに参加して改めて思うこと・・・(2017/1/29にブログを書いたもの)

地域住民の皆さんが、安心して安全に暮らすことができる地域社会は、警察・消防・市などの行政機関だけで実現できるものではありません。

現在は、地域社会は、昔からの戸建てに比べて、マンションであったり、ワンルームマンション・アパートに占める住民が以前と比べ多くなってきています。そして、価値観も違ってきています。

日ごろ地域の、コミュニケーションについて、考え方も当然多様化してきています。いざと言うときの、自然災害・防犯などの備えは・・・向こう三軒両隣りの普段からの、心配りが大事あるということは言うまでもありません。

そして、地域住民の皆さん、事業者や土地建物などの管理者が、一体になって・・・「自分の安全は自分で守る」「自分たちの地域は自分たちで守る」・・・という意識をもって、日常生活でできる安全対策を進めるとともに、環境整備や安全活動に取り組むことが大切です。

コミュニケーションを図る場としては、町内会主催の盆踊り・町の清掃ディ・川の清掃ディなどに積極的に参加することです。そして月並みですが挨拶の励行です。

また私は、割れ窓理論の通り、第一に地域の美化であると思っています。
私たちの町は幸い豊な自然が残っています。歴代の諸先輩が引きついでこられた豊な自然を享受しています。これからも美しく豊な自然を次世代に引き継ぐ責任があります。

子どもは大人の行動をよく見ています。大人の一人ひとりが環境美化の意識を持って、子どもの模範となる行動を取っていただきたいと思います。

私たちの町も少子高齢化が進んでいます。そして独り暮らし、空き家が増えてきています。それらの状況もよく認識し、安心・安全のまちづくりは、地域の住民一体と取り組まねばならないと考えます。

リスクコミュニケーション

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安心・安全な暮らしは誰しもの願いです。
安全、安心とは、広辞苑では、安全とは「安らかで危険のないこと。平穏無事。物事が損傷したり、危害を受けたりするおそれのないこと。」安心とは「心配・不安がなくて、心が安らぐこと。」と説明しています。

「安全とはその時点、時点において科学技術に裏づけされた客観的なもの、また、安心とは自らの理解と納得に基づく主観的なもの」といえます。

リスクコミュニケーションの大切さ
リスクコミュニケーションとは、あるリスクについて関係者間で情報を共有したり、対話や意見交換を通じて意思の疎通をすることです。それによって、リスクに関する相互理解を深めたり、信頼関係を構築していきます。

私たちは日常的にも、リスク情報の受信者でもあり、発信者でもあります。例えばテレビを視聴していて「緊急気象情報」や「緊急地震速報」が放送中に流れ、何の予告もなく受信者になることもあります。

リスクコミュニケーションは、一方的な発信だけを指すものではありません。情報というのは発信者がいれば、当然ながら受信者がいます。
一般的に情報の主たる発信者は、行政やメディア・専門家などが担っている傾向があります。そしてその行政やメディア・専門家などが、利害関係者(一般の人々)に発信するという場合が多く見受けられます。

しかし、情報の受信者側も意見を表明したり、関心を寄せるということがあります。このような場合も、広義の意味ではコミュニケーションとっているといえます。リスクコミュニケーションとは、一方的な情報の発信や受信だけではなく双方向的な意思疎通なのです。

2020年1月25日 (土)

生きがいが感じられる人生

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人は何のために生まれてきて、何のために生きているのだろうか、執着による迷いの人生から、生き甲斐が感じられる人生へと転換したいものです。

この上もなき幸せとは、この努力を続けることです。人生、一生修行であり、修行こそがさとりすなわち目覚めです。目覚めようとする心を発すか否かが、人生の幸不幸の分岐点となります。

生き甲斐が感じられる人生
生きがいというのは、楽しみのことです。価値観は人それぞれ違いますから、何を楽しいと感じるかも人それぞれ違います。「人の役に立つこと」「地域の環境を守ること」を生きがいとしている人もあります。

何を楽しみとするかは人それぞれですが、自覚するかどうかは別として、必ず生きがいを持っています。その楽しみを目標として、生きる力がわいてくるようなものが生きがいです。

人の一生は夢の如き儚い
毎日が初めての今日、初めての私だから、いつでも今が出発点です。今日の私は昨日の私でない、明日の私といってもすぐに今の私になり、過去の私になる。だから過去や未来にこだわらず、今の私を生きるべきです。自分の生き方を変えて、自己の人格を向上させることが混迷の時代を生きぬく力となるのではないでしょうか。

2020年1月24日 (金)

安心する居場所

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居場所とは「役割」のある場所
人が孤独感に苛まれた時に何を求めるかと言えば、それは単純に「人の温もり」だろうと思います。誰かのそばにいる、誰かと心が繋がっている。それは、遠くにいても近くにいても同じことです。

心を通わせるということは、自分の居場所を見つけることでもあります。自分の居場所、それは「自分の役割のある場所」と言えるかも知れません。それと同じように、社会の中で疎外感を感じるのは、自分が身を置いているはずの場所に自分の居場所がないように感じた時なのではないでしょうか。

だとすれば、逆に社会の中に「役割」を見いだすことが出来れば、自分の居場所が見つかり、途方に暮れる程の孤独感からも少しは解放されるような気がします。

自ら人と関わることで役割を見いだす
では仕事以外で社会の中に役割を見いだすには、どうすれば良いのでしょう。自分の心が温かさに包まれるのはどんな時かと言えば、やはり人との繋がりを感じた時です。

そして人は人の役に立てた時が、何よりも強く満足感を得られるように思います。だとすれば役割を見いだすには、自分から進んで人に関わっていくことが一番の近道となるとは言えないでしょうか。

 

2020年1月23日 (木)

生きている限り悩みは尽きない

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「人生は生きている限り、悩みは尽きないものだ」

天災・病気などは、予期せぬときに突然襲って来るもの・・・「防災の心得」「健康診断」など普段から、チェックして置くことが大切ですが、普通の生活が出来ているから気が緩むものです。

普通に生活できているときこそ、チエックが必要と、異常事態が起きて実感するものです。

一つのことを解決しても、別のことで悩む
生きていく過程にはいろいろな問題が、待ち構えていています。
生きていると、次々に生まれる煩悩と対峙していかなければならないと言うことだが、それは、悩み事に対する「受け入れ度」であると思います。

つまり、自分の抱えている「悩み」に対して、それを「どうにかしたい」「解決したい」「そこから早く逃れたい」と 焦れば 焦るほど、悩みはそのものが、自分の中でどんどん大きく重い存在になってしまうのです。

それは、「なくしたくない、消したい」と 悩みの存在を邪魔者扱いすることから、生じてしまうのです。

それよりも、「誰だって大なり小なり 悩みはある」「人間、悩みあって当たり前だ」と、悩みを受け入れる度を上げることによって、悩みが自分の中で小さく軽い存在になっていくのだと思います。

2020年1月16日 (木)

安心して暮らせる“まち”を考える

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湯殿川と君橋付近

住み慣れた地域で暮らし続けたい」誰もが感じている共通の想いでしょう。

今、私たちが暮らしている八王子市は、地域の特性や特色がどんどん薄らぎ、地域も高齢者が、安心して暮らすことができる“まち”が不安に感じないようにしなければと思います。

ある年齢までは、個人主義で隣近所との関わりもなく暮らすことは可能です。それは、会社や学校、子ども等を通じて、どこかで誰かとつながっていて、かつ、自分自身の都合に合わせて必要な人間関係を選び構築しているからです。

マンションはオートロックでカメラ付きインターフォンが当たり前。個人のプライバシーを尊重し、煩わしい付き合いをしなくても、快適に過ごすことができます。

しかし、これから高齢者となる世代、中でも男性は、仕事中心の生活で地域との関係づくりに不慣れです。その人たちがいざ退職し、子どもたちも独立していく・・・。年を重ねるにつれ、身体的に衰え思うように動けなくなり、近くに友人もおらず外に出る機会がどんどん減っていく・・・。今まで仕事での役割を生き甲斐にしてきた人が、人との関わりがなくなるという疎外感は、孤立していく要素として十分です。

高齢化が進み、高齢者のひとり暮らし、夫婦のみ世帯が増加する中、「暮らしやすさとは何か」を考えることが重要です。人間は一人では生きていけません。孤立していくことほど辛いことはありません。

自分に役割がある、必要としてくれる人がいる、気にかけてくれる人がそばにいる。それは家族とは限らない。友人であり、隣人であり、専門職であり、この地域にいる人、そばにいる人でいいのです。暮らしやすさとは、住んでよかったと思える地域とは、自分を知っている人たち、気にかけてくれる人たちがいる場なのです。

2020年1月15日 (水)

奉仕活動と健康

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頭でいくら解っていても、自分の身体を使わない限り、奉仕の心は、芽生えて来ません。

それこそ、肉体は健全でなければならないのです。

高齢期を楽しく、生きがいをもって、安心して暮らしていくためには、健康で自立し、身近な仲間と支え合いながら、住みよい地域づくりを進めていくことが必要です。 

健康こそ、唯一のボランティア活動が出来るということをしっかり理解の上、自分が奉仕活動をすることです・・・自分が、豊かな心を養うことが出来ると・・・理解しなければいけないと思います。ありがたいことなのです。

そのためにこそ、肉体はいとも大切であり、貴重であり、この人生は、この肉体を使って、社会奉仕をすることが、「生きがい」であると思うことです。

そして、奉仕活動は、他人に見せ付けるものではありません。いつも平常心で行うことです。

2020年1月14日 (火)

自然から学ぶ

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急速に変化する時代です。そんな慌ただしく、また「もの」があふれている時代です。「今」だからこそ、自然に学び、生きることが大事です。

地球上の生物は互いに共存して生きています。私たち人間もまた同じです。私たちはこの地球で生きていく上で、「環境を守ることや自然を大切にする心」を持たなければなりません。子供たちに思いやる心、命、もの、そして自然を大切にする心を育むこと、そしてそのための体験の場を作る事が必要です。

野生の生き物に出会える自然の草地や池、それらが自然に生存する環境がビオトープ(生物の生息場所)です。子供たちにそれらを、観察できる環境が限られた面積であっても、自然に触れられる環境を大切にしていきたいものです。

食べ物を大切にする心を育むと同時に、このことが虫や鳥などの野生の生き物が自然と寄りつき、暮らしやすくなる環境であることも学べる体験です。

また、ものを大切にする心も身につけたいことです。ものはこわれたらすぐに新しいものを買うのではなく直して使う、必要のないものは買わないなど、ものを大事に長く使う態度は、子供たちに物を大切に使う心を育みます。

ものを大切にする心は生き物を大切にする心、人を大切にする心に繋がります。
ものを大切にすることは、資源の無駄遣いとごみの発生を減らし、自然の生態系への負担を減らすことができる身近な工夫の一つです。電気やガス、水などのエネルギーを無駄遣いの無い様に使うことも、子供たちに伝えたい大切なことと思います。

2020年1月13日 (月)

百の言葉より一つの行動

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いろいろと言葉巧みに良い事をいっていたとしても、それをちゃんと実践していないと、人は信頼しません。

政治家、企業の社長、教育者、指導者・・・などもそうなのですが、特に人に何か助言や指導する立場の人たちの言葉を信用していいかどうかは、その人の言葉と行動が常に一致しているか・・・です。

誰よりも人を罵り、言っていることとやっていることが違う。
それはなぜかと言うと、その言葉を言っている本人が、自分の本当の気持ちや方針から出た言葉や行動ではなく、人からの受け売りだったり、本から掠め取った知識、人からの義務や強要などによって出た言葉と行動だからです。

信念と誠実さ
そもそも言っている事を実際に行動に移し、わざわざ人に言ったり、言われなくてもあたりまえのように実践しています。(無言実行)そして、それが信念になっている人は人から批判されようが馬鹿にされようが、何があってもそれをやり続けています。さらに、どんな結果になったとしてもすべて自己責任で行ってきた事ととらえるため、人に責任転嫁しません。(自分の行動に責任を持ちます。)そして誠実さが示されます。

人から言われたり義務として行うものではなく、自分の心から本気でそうだ、そうすべきだと感じたものが信念になります。自分の信念に従って生きている人は、いつも誰に対しても同じ態度を取ります。相手によってころころ意見を変えたり、態度を変えたりしません。常に言葉と行動が一環しています。

2020年1月12日 (日)

人生には波がある

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最近、特に感じることで「人生には波がある」ということです。私は、「人生の波」とは、試練だと認識しています。

人生は試練の連続です。
良い時もあれば悪い時もありそして全然うまくいかない時だってたくさんあります。生きていれば上手くいかないときや、思い通りにいかない時期はあります。失敗のない人はいないし、完璧な人間なんていない訳ですから、頑張っていても、全てが上手くいくということはなかなかないでしょう。

うまくいかない時が必ず来ると言うことは、苦しみのない人生は必ず辛い時があるということです。そんな苦しい時期や、苦しいことが起きたとしても、それを乗り越えていくことで、人は大きく成長するのです。試練が来るからこそ人は大きく成長出来るのです。

試練が来るということは、それだけ自分が何かしらの変化をしなければいけない、時期がやってきたということです。もし自分が今試練の時だと思ったら、自分を変える努力をすることが大切です。そして、早く試練を乗り越えたいと思うのなら、出来るだけ自分の心に素直になることです。自分で作り出してしまった試練なのです。

それなら自分自身の心を変えることが出来れば、その試練を乗り越えることが出来るのです。答えは必ず自分の中にあり、そして当たり前のように存在しています。それの心に気付き、その気持ちを変えることで、試練を乗り越えていけるということです。

2020年1月11日 (土)

飾らない人間

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世の中大概の人は、他人と接する時に何らかのカッコをつけるところがあります。
見栄・・・
自分を良く見せたいと意識的に思っているのは、まだ救いがあるのですが、無意識の部分でも何らかの形で自分を良く見せたいという欲求が人間にはあります。

人はみな、それが世間では当たり前だと思っている、本当の自分、自分の心を素直に出した自分と、自分が作り上げている自分とが違う・・・どっちが本当の自分だ?という事になるのです。

世間での自分のイメージを崩さない為には、作り上げたイメージの自分を演じ続けなければなりません。そのうちそれが本当の自分だという風に、思い込んでしまうのです。

これはやはりしんどいことです。相手にも本当の自分が伝わらないです。もっとも本当の自分を出すと、色々支障が出ると思い込んでいるので、自分を作り続けているのです。

でも、こういうことは見る人が見ればすぐに分かるし、そうでなくてもいつかバレるのです。

いざと言う時に
大体人間いざと言う時にその人の本性が出るのです。日頃カッコ良い事を言っていても、いざとなると、周りの人を裏切ってまで、自分を守ろうとする人間は世の中に多くいます。作り上げられた自分は、いざとなるとあっさり捨てられて、他人はともかく、自分を守ろうという醜い本性が丸出しになるのです。

 

2020年1月10日 (金)

思いやりの心を育てる

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相手の立場に立って考えることが良い人間関係を作る」

なぜ自分のことしか考えない人間が多いのか・・・
現在の人間社会に生きる人は、自分のことで精一杯なので他人のことを考える余裕はなく、他人のことにかまっている暇はないと考えて生きています。「人の幸せを願う心」、「自己中心、自己絶対視を改める心」、「正しい判断力」、「良き社会人として通用する自立心」の教育が未熟?なのです。

いま、テレビや新聞のニュースでは、偽装事件や詐欺事件、薬物中毒や殺人事件などが日常茶飯事に起きています。これらの原因は、すべて人間の自己中心的な思いから引き起こされたものであることは、容易に判断することができます。

現在の社会問題を解決するためには、今の教育のやり方を、根本から変えなければならない時期に来ていると思うのです。

相手の立場に立って物事を考えることが大事
私たちは子供の頃から、競争に勝った者が優秀であると教えられ、競争に勝つことで人からほめられてきました。

しかし、冷静になって考えてみればわかりますが、競争に勝つということは、他人を倒して自分が優位に立つということであり、極端に言えば「自分さえ良ければいい」という考え方なのです。

そのことが自分勝手な人間を育て、自分が勝てれば他人はどうなっても良いという、自己中心的な人間を育てる結果になるのです。

人の痛みがわかる「優しい心の育成」
挨拶の励行と、「感謝の心」「慈愛の心」「敬いの心」「許しの心」「詫びの心」の五つの心を育てる・・・ことが大事なことと思います。

 

2020年1月 9日 (木)

日常が修行

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我執(がしゅう)とは・・・自分中心の考えにとらわれて、それから離れられないことです。人は我執の凝り固まりですから、苦行により我執から逃れようとしても、我執からはなれられない。

なぜならば、苦行に執着すればするほど、限りなく欲望は消えることがないからです。金銭欲や名誉欲から離れられたとしても、食欲や、睡眠欲は人間の生理的欲求ですから逃れられません。

悩み苦しみなく生きられれば、それはとても楽で快適です。ところが人間とは弱いものです、我執という甘い欲望についつい心動かされてしまい、煩悩の迷路にはまり込み、苦しみや悩みの泥沼に落ち込んでしまうのです。

我執から少しでも離れたい

生きている限り、尽きない欲望の我執を離れることができません。自らを大きくしないようにと心がける・・・今、を如何に生きるべきかを考えて生きなければと思います。それが、日常生活がそのままで修行です。

食べること、寝ること、庭掃除、町や公園などのゴミ拾いも修行です。この日常生活すべてがの時間が、かけがえのない時間であり、その時間を使って生きているこことは、一瞬一瞬がたいせつなのです。

雑用と思って、いい加減に行えば、本当に雑用になってしまいます。何時もかけがいのない時間だと思って真剣に、真面目に行えば、自分を磨き上げる大切な修行になるのです。

日常生活の平凡な行いを雑用と捉えず、自分磨きの大切な修行と捉えたいものです。

2020年1月 8日 (水)

歩きタバコはやめて!

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環境は大きな問題です。私は街の美化活動を行なっていますが、一向に減りません。(このブログは2016・10・29書いたものです。)

タバコの吸い殻どうしてポイ捨てするの?

街を歩いていて気が付くのですが、立派なサラリーマン風の人間が平気で、タバコの吸い殻を捨てて行くのを見かけます。

八王子市は「市内全域路上での「歩きたばこ禁止です」・・・が、注意ポスターある前に捨てていきます。

私は、子供の頃の躾が十分されいなかったからだと思います。勉強は親が口うるさく言っていたが…教育者の森 信三先生「挨拶・ハイという返事・後片付け」を確り身につけさせないで大人になってしまったのでしょう。

ですから公園などで遊んでいる子に、「ゴミは持ち帰りですよ」と注意するのですが、翌日には家から持ってきた缶ジュース・ペットボトル・お菓子の空き袋が散乱しているのです。子供に注意するより、親に注意しなければと思うほどです。

知識は身に付き、立派な大人になりサラリーマンになったが、社会で生きていく基本のモラルやマナーが欠如している?人が多いのではないでしょうか…環境問題など全く考えていない、無責任さには呆れ果てしまいす。

子どもは、こういう大人の行動を見ています。絶対に止めて欲しいです。そして、ボランティアでゴミ拾いをしている人もいるのです。これは、「自己中」、「モラルの欠如」、「マナーを知らない」、「躾をされてい」という評価をせざるを得ないことです。

競争社会に勝ち上がった勝者気分で、思いやり・優しさに欠ける人が多くなってきている自己中心主義の人が多くなったと感じられます。

最近特に思うのは、前述の、子どもの頃の親の躾が不十分だったと思うことです。市や町での清掃活動に参加して分って欲しいもだと思います。

2020年1月 7日 (火)

受けた恩を忘れずに

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人は自分が他人にしてあげたことは良く覚えているものす。

人は何かしらの恩を受けて生きています。生きていけば必ず何かの恩恵を受けて生きています。誰にも助けてもらったことがないことなど、この世には存在しません。つまり生きていくというのは誰かから、また何かしらの恩を受けて生きているということです。

「受けた恩は石に刻(きざ)め、かけた恩は水に流せ」という言葉あります。

かって返せないほどの偉大な恩を受けた人に、恩を返せない場合は、自分と同じような人を見つけてはその恩を返すという具合に恩は送られ続けていくものです。もしも、与えた恩を自分に見返り求めて返してほしい、などと思うのなら、恩を仇で返されたなどと感じるのが人間です。

「あんなにしてあげたのに・・・」「してあげたのにお礼も言わないで・・・」とか腹を立てたりします。ところが、他人からしてもらったことはすぐに忘れてしまうものです。今までにいろいろな人に助けてもらったのに、自分の力で何でもできたような気になっている。。。

でもよく考えると、あの人にも助けてもらった・・・あの人の一言で頑張れた・・・などあると思います。 やはり、感謝の気持ちはいつまでも持ち続けたいものです。

人間関係は対等であることや平等であること公平であることなど常に自分が意識して帳尻を合わせたがるものです。恩送りのままにいられるように徳を積み、徳を磨いて精進していきたいと思います。

2020年1月 6日 (月)

地域のコミュニティ

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地域の生活者を地域で守る

昨日、私たちの町のイベント「どんど焼き」の下準備で思う。
たとえ一人暮らしをしていても、じつは自分だけで生活をささえているわけではありません。また、私はまだ若い、自分のことは自分で出来ると、思っている人が多くいると思っている?でも、自然災害は、もちちろん、突然の事故・災難は、年齢に関係なくいつ襲ってくるか分からないのです。

人は一人では生きていけないという事実はともすれば忘れられがちです。近年、地域コミュニティの関係も希薄化し、都市型犯罪も増加してします。高齢者の孤独死も、地域の見守りがあれば防げたものも少なくありません。

そういった流れの中で、地域コミュニティに立ち返り「地域の生活者の安全を地域で守る」という考えが大切です。そのためにも、地域コミュニティづくりはかかせないのです。

行政へ地域の希望を伝える

地域の福祉や教育、環境整備などの行政サービスはこれまでは受ける一方だった市民がほとんどです。せっかくの行政サービスをより良いものにするためには、地域の声を行政に届ける必要があります。

地域住民と行政が協力してエリアの問題を解決していこうという「パートナーシップ型まちづくり」が大切です。より良い生活の場を築くためにはまず地域コミュニティづくりによって、市民ひとりひとりが声をあげやすい状態にしておくことです。

2020年1月 5日 (日)

新年の「平和の願い」

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最新ニュースで、いま、世界はアメリカとイランの間で問題が起きています。大きな戦争にならなければと・・・願うばかりです。

世界中の善良な人々の思いは、全世界の人々に、世に平和がもたされることです。この願いがかなえられるという望みを、私たちは決して捨ててはなりません。

私たちは全世界の平和を心から望み、祈り求めています。
しかし、義(人のおこないが道徳・倫理)にかなった人々に約束されているそのような平和を実現する役割は、私たち一人一人に、そして個々の家族にあります。

公益社団法人『日本ユネスコ協会連盟』・・・「わたしの平和宣言」にはこのように書かれています。

私は人類の未来、特に子どもたちの未来に対して責任があると思うからこそ、日々の生活の中で、家族と共にいるとき、職場で働いている時、次のことを誓います。

1.「すべての命を大切にします」

2.「どんな暴力も許しません」

3.「思いやりの心を持ち、助け合います」

4.「相手の立場に立って考えます」

5.「かけがえのない地球環境を守ります」

6.「みんなで力をあわせます」

「わたしの平和宣言」に書かれた6項目を一人ひとりが心がけることから平和を築いていきませんか。

私は、私たちの個人では、「どうにもならないこと」と思っていましたが、この6項目は日ごろの日常生活においても大事なことと思います。

2020年1月 4日 (土)

絆の心を持つこと

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人生で大切にしたい「絆の心」
人が人としてお互いに敬う心を持つこと、信頼し信頼される自分の心の器をしっかりと作ることで、初めて心の糸が結ばれ、絆は紡がれていくものです。

人は決して、一人では生きてはいけません。
電話の声を聞いて、そのお話の暖かさにホットして、お顔を見なくとも、心ある声を聞いただけでも、その方の心根に触れることで幸せを戴けるのは、人として生かされているからです。

ちょっとした思いやり
お年寄りの方と並んで歩いた時、さっと荷物を持ってあげたり、そっと車道側に回ったりして、体で思いやりの心を表すことです。

共生の精神
ひとりの「いのち」が、他の一切の「いのち」と深いところでつながっていることに気づいたとき、人は自他の「いのち」の尊厳を自覚できます。

周りの人たちに生きる、希望を持ち続ける大切さを・・・ちょっとした思いやりを示すことで、相手はどれだけ生きる勇気を得るかわかりません。それは心からの笑顔でもいいのです。

ただ、ひたすら懸命に、いただいた命と、自分の人生だから、周りの人々の笑顔を糧に生きたいと願い、いつも感謝の心と、前向きな暖かな心を持って、自分の今を大切に大切に生きることで、絆を紡ぐことができるのではないかと思います。

2020年1月 3日 (金)

人生峠で思う

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人生という一本道を歩いていけば、頂上を過ぎ、やがて下り始める。。。

峠は・・・下り方はさまざま、さらに上ろうと努力する人もいれば、状況を受け入れて歩み方を変える人もいます。今や人生100年時代で、下り坂は長いものです。

人生どう下ればいいか?
人生における「下り坂」の時期も、過ごし方次第で楽しいものにできる。。。人生の坂を下るにあたっては、これまで大事に握りしめていたものをだんだんに手放し、あきらめ、忘れ、そして捨てていくことも必要と思います。それはたしかに寂しいことです。

しかし、執着を捨てることは、真の自由と表裏一体になっていて、「下り坂もよし」と思えたとき、これまでの「あれも欲しい、これも欲しい」の欲求に突き動かされた生活とは違う、研ぎ澄まされた生き方が、出来るようになるだろう」と思います。

私たちの先輩には、苦しさを背負っていても、笑顔を喪失してしまわない人達がいます。それは、本当に凄いこと思います。「凄い」と言って語弊があるなら「尊い」というべきでしょうか・・・。

人が生きて、生き続けるということは、とても尊い。

若者が可能性や万能感によって飛翔するのも、中年がディフェンシブに人生を堆積させるのも、どちらも捨てがたく尊いものです。つまり、社会的成功のなかで生きていく人生も、社会的不遇のなかで生きていく人生も、どちらも尊い・・・個々人が紡ぎ出す人生は、どれひとつとして同じではなく、それぞれの人が、それぞれの宿命を抱えながら生きていて、どれも重いことだと思います。

 

2020年1月 2日 (木)

人のために行動をすること

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「人のために行動することは素晴らしい」という現実に気づくことです。

素晴らしい目的が加われば、体がうずうずしてきて、今すぐ何かしたくなります。その人が喜んでいる笑顔を想像すると、ますますモチベーションが上がってきます。人のために行動するときは、心の持ち方も大切です。「人からやらされている」ではなく「自分が好きでやっている」と思うことです。

自分が好きでやっていることなら、たとえ相手からリアクションがなくても、穏やかな気持ちでいられます。あくまで純粋な気持ちになることで、幸せな気持ちになれます。感謝され、感動され、どんどん行動することです。

人のためにする行動には、一つの無駄もありません。行動することで、誰かを助けたり喜ばせたりすることができるのです。

ロシアの文豪トルストイの言葉に・・・「人生に、ただ一つ、疑う余地のない幸福がある。それは、他人のために生きることだ」・・・があります。

私たちは、一人で生きているのではありません。周りの人たちや社会の多くの人たちのおかげで生かされているといえるでしょう。ですから、他人に対して思いやりをもって生きていくことは、むしろ当然のことといえます。

他人から多くの恩恵を受けていながら、他人に無関心であったり、迷惑をかける人がいます。それでいて、満足や幸せだけは自分のものにしたいという考え方は、あまりに自分中心なのではないでしょうか・・・「他人のために生きる幸福」について、しっかりと考えていく姿勢を持ちたいものです。


 




 

2020年1月 1日 (水)

今を生きる

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2020年明けましておめでとうございます。

今思うことは「今を生きる」ことです。
50年前ころ、親父から、将来のことを悩んでいたら・・・「過去にとらわれず、未来を憂いず、 今を生きることだ」・・・と言われたことを今でも、しっかり覚えています。

今、私も高齢者の仲間入りして、思うのですが、歳をとるとはこう言うことか・・・心身に弱わさを感じるようになって・・・これから先、どう生きればいいのか過去の悩みと違う、新たな悩み事が多くなりました。

「今を生きる」しっかり生きることだということ

過去のことを考えも、今では出来ない、未来のことを考えても不安ばかりで、悩み勝ちになります。それは、「今」をしっかり生きいないのです。時間をコントロールできるのは「今」しかないのです。

過去は「確定済みの出来事」であり、未来は「予測不可能」なものです。つまり、過去と未来は自分でコントロールすることができないことです。自分でコントロールできないことに拘っていたり、努力するのは労力の無駄というものです。

しかし、未来に関しては、今の行動次第で自己コントロール出来ます。予測不可能が、可能に・・・それは、過去の経験と、今の行動、習慣により、予測可能になり得るからです。未来から逆算し、今の行動を継続、積み上げることで、期待する未来を手にすることができます。

ですから、過去の経験と将来を見据えて「今を確り生きる」ことです。

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