« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »

2019年11月

2019年11月30日 (土)

人の見る目を養う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

odaiba-97[1]

人間には、人それぞれの個性があります。

十人十色・・・考え・好み・性質などが、人によってそれぞれに異なっています。

私を含めて様々な人が暮らしています。様々な考え方があり、多様な価値観でこの世界は成り立っています。

人は、自分とは違う考え方を持ち価値観を持っています。
円滑な人間関係を築きたいと思うならば、相手の価値観を受け入れることが大事です。様々な多様な価値観を尊重し相手をコントロールしようとしないことが大事です。

相手の行動を見て・・・つい言い出したくなることがあっても・・・言葉を飲み込むことです。小さなことに対してのこだわりを捨てることが大事です。「十人十色」・・・様々な考え方があり、行いがあったとしても、一々反応をしないことです。これが相手と良き関係を続けるポイントだと思います。

「人を見る目」を養うための④つの方法

① まず数多くの人間と話をすること。その際、できる限り相手の話を深堀りしてあらゆる角度から質問してみることです。

② 言語だけではなく、非言語の部分(動作、表情など)も観察することです。

③ わかりやすく特徴的なところ、過剰なところ、足りないと思うところの原因を探ることです。

④ それを記憶する、もしくは書き留めておき、その後、後追いをして経過を観察し、自分の見立てを検証することです。

これを繰り返せば、見るべき項目が次第に増え、パターンが増え、人物像の引き出しが増えるので精度はある程度上がると思います。



 

 

2019年11月29日 (金)

一人ひとりが地球を大切にする気持ちを

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

6703[1]

「天台宗・・・一隅を照らす」より

今、私たちの住む地球では、地球温暖化、オゾン層破壊、森林破壊、砂漠化、酸性雨、異常気象など、地球環境の破壊が大きな問題となっています。

豊かな四季に恵まれた国に住む私たちは、昔から自然と共に生きてきました。自然は衣食住から年中行事や芸術などを彩(いろど)り、日本人の感性を作り上げてきました。また、自然を信仰の対象として崇めてきました。

それらを育んできた地球が、いま少しずつ蝕(むしば)まれています。蝕んでいるのは、大量生産、大量消費の生活スタイルを続けてきた私たち自身に他なりません。

私たちの貪欲さが、地球の資源を必要以上に消費し、環境を汚染・破壊し、廃棄物を生み出してきたのです。

しかしながら、たとえば木が切り倒された後が砂漠化している有り様や、廃棄物が山のように積まれている現場を、実際に私たちが目にすることはあまりありません。

地球環境の破壊といっても、具体的にイメージすることは難しいかもしれませんが、地球環境破壊は確実に進んでいるのです。また、身近な例ですと、ゴミの不法投棄問題があります。家庭から出た粗大ゴミを山野に捨て去る行為は言語道断と言わざるをえません。

私たちひとり一人が、私たちを取り巻く自然、動植物、事物などに宿る“いのち”をいかに大切にするかという価値観と日々の生活の積み重ねが、地球を大切にする歩みです。

自らの貪欲のために、“いのち”を無駄にしていませんか? 食べさせていただいているもの、使わせていただいているものの“いのち”を生かし切っていますか?

一隅を照らす運動では、「実践3つの柱」の一つとして「共生-自然の恵みに感謝しよう」を提唱しています。人間だけではなく、すべての“いのち”を大切にする生活を心がける、それが地球環境を守っていくことに繋がります。

2019年11月28日 (木)

健康寿命

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

gurando-houru180730[1]

近年、「健康寿命」という言葉が聞かれるようになりました。

健康寿命とは、介護や人の助けを借りずに起床、衣類の着脱、食事、入浴など普段の生活の動作が一人ででき、健康的な日常が送れる期間のことをいいます。

「健康寿命」は2016年時点で女性は74.79歳、男性は72.14歳。(厚生労働省)
「健康寿命を延ばそう」という機運が高まっています。もちろん健康寿命を延ばすことは、各々の高齢期の充実にとっても、社会保障費の適正化にとっても大切です。

厚生労働省「健康手帳」より
1.生活習慣病を知って予防
生活習慣病とは、食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒などの生活習慣により引き起こされる病気のことで、がん、循環器疾患、糖尿病などがあります。生活習慣病は、健康長寿の最大の阻害要因となるため、生活習慣病のことを知り予防することが大切です。

2.適切な食生活を目指そう
主食、主菜、副菜をバランスよくとり、野菜多めのメニューにしましょう。果物を適度にとることも有用です。塩のとり過ぎは、高血圧による循環器疾患だけでなく胃がんのリスクを高めることがわかっています。食塩の摂取量の目安は男性が8g未満、女性は7g未満です。

3.適度な運動をしよう
適度な運動は、心臓病、脳卒中、がん、足腰の痛みなど多くの病気のリスクを下げることがわかっています。18歳~64歳は、歩行以上の身体活動を毎日60分、息が弾み汗をかく程度の運動を毎週60分行うことを目標に、65歳以上は、強度を問わず、毎日40分の身体活動が適切です。

4.十分な睡眠をとろう
健康維持には休養も大切です。健やかな睡眠があってこそ十分な休養をとることができます。規則正しい生活を行うと体内時計が整い、ホルモン分泌や生理的な活動を調整し快眠へ導きます。

幸せな老い

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

29176231[1]

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」ーー良寛

長寿社会・・・人は誰でも、老後の人生を「幸福に送っていきたい」と考えるでしょう。

「幸せな老い」を誰でも願いです。それには、老いても、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。

広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるとも言えます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。

人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。

「サクセスフル・エイジング」・・・良い人生を送り、天寿を全うする(健康長寿ネット)
こうした想いに応え、「サクセスフル・エイジング(幸福な老い)」とは何かを考えていくことが、老年社会学に求められることかもしれません。サクセスフル・エイジングとは、アメリカで生まれた言葉であり、「日本語で正確に言い表す和訳はない」とされています。

サクセスフル・エイジングの持つ意味とは「良い人生を送り、天寿を全うすること」とされており、日本に元々ある言葉では「生きがい」や「幸福な老い」がその意味に最も近いものではないかと考えられています。

 

 

2019年11月27日 (水)

長生きよりも生きた内容が・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  IMG_0086

人の一生は、どれだけ長生きしたではなくて、どれだけ自分の責任を果たせたか、どれだけ社会の一隅を照らせたかが問われます。長生きよりも生きた内容が大切なのです。

人間は生まれた時から、人間社会の中で修行をしているのです。苦労をして、困難を乗り越えて生きて行かねば自分を高める事は出来ません。

自分を高めれば自分の心、自分の魂を高めることが出来るのです。この事は自分の死後や次の来世に通じることなのです。この事は自分の死後や次の来世を決めることなのです。

奉仕の心を持ち、行動すると心豊かに生きられます。
奉仕の心を忘れずに自分自身が、社会に大いに役立つ人間になる事です。人を助け、人を喜ばせば、その人の喜びと、感謝の念が自分に跳ね返り、身に光明が射す・・・自分が幸せになれるのです。

人は老いるほど豊かになる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

phoca_thumb_l_12[1]

人は老いるほど豊かになるのです。

老人とは「孤独」「無力」「依存的」「外見に魅力がない」「頭の回りが鈍い」など。。。しかし、物事というのは何でも見方を変えるだけで、ポジティブなイメージに読み替えることが可能なのです。

ブッダは「生老病死」を苦悩としたが、孔子は大いに「老い」を肯定したのです。孔子は「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえています。

「われ十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」

孔子と並ぶ古代中国の哲人といえば老子だが、老子の「老」とは人生経験を豊かに積んだ人という意味です。また、老酒というように、長い年月をかけて練りに練ったという意味が「老」には含まれています。

世間には、いわゆる「老いの神話」というものがあります。
高齢者を肉体的にも精神的にも衰退し、ただ死を待つだけの存在とみなすことです。すなわち、老人とは「孤独」「無力」「依存的」「外見に魅力がない」「頭の回りが鈍い」などと見ます。

しかし、物事というのは何でも見方を変えるだけで、ポジティブなイメージに読み替えることが可能です。
◎高齢者は孤独なのではなく・・・「毅然としている」
◎無力なのではなく・・・「おだやか」
◎依存的なのではなく・・・「親しみやすい」
◎外見に魅力がないのではなく・・・「内面が深い」
◎頭の回りが鈍いのではなく・・・「思慮深い」

神道では、「老い」を神に近づく状態としてとらえ、その最短距離にいる人間を「翁(おきな)」と呼ぶ。これこそ真の「老いの神話」ではないでしょうか。人は老いるほど豊かになるのです。

2019年11月26日 (火)

人生の最終章をどう生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

平林寺境内11

人の歴史
ひとりの人は誕生したときに、すでに両親との人間関係を持ち、さらにその後、兄弟(姉妹)、親戚、知人、友人、恋人、配偶者などとの関係を通じて、様々な人間関係を営んでゆく。ひとりの人の人生は、人間関係の歴史そのものである。(ウィキペディア)

多様な経験をふまえて人生の最終章をどう生きる
楽しみながら「できる」ことを増やしていく・・・死ぬまでとどまらない・・・これが成長する。これが人が成長過程でとる態度です。しかし、楽しむだけで可能な成長には限界があります。どこかで、瞬間的に「楽しい」と思えないものにチャレンジしなければならないときがきます。

ここで人は、いわゆる「汗をかいて努力する」ことを経験し、スモールステップを着実に踏むことで、「努力すればできる」という感覚を身につけ、成長につなげます。

「どう死ぬかではなく、最期の最期までどう生きるか」
自分を育ててくれた親に感謝する人もいれば、自分のやりたいことを最後まで追求する人もいるでしょう。死はいつ訪れるのか分からないからこそ、一度立ち止まって考えてみる必要があると思います。

「死」を意識することで、見えてくるもの・・・
死を前に人生を振り返ったとき、一人で抱え込んでいたことを手放せるようになったり、「自分にとって本当に大切なものは何か」「自分がいかに多くの人に支えられてきたか」「つまらないと思っていた自分の人生に、どんな意味があったか」に気づいたりするからです。

そうした気づきを得ることで、苦しみが和らぎ、人は自分の人生や自分自身を肯定し、穏やかな最期を迎えられるようになのではないでしょうか。

2019年11月25日 (月)

小さな善行

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

平林寺境内1

小さな善い行い(善行)を積み重ねることで、立派な人間がつくられます。

人に親切にすると、なんとなく良い気持ち(快感)になり、意地悪をするとあとで気分がわるいことを経験したと思います。

例えば、バスにお年寄りや妊婦の方が乗ってくる、勇気が要るかもしれないが、思い切って席をゆずり、お礼を言われると気持ちがよい。年寄りの方や妊婦の方は、立っていることが非常につらいのです。

善行の基本原則は、他人がして欲しいと思うこと(これは実は自分が人からして欲しいことでもある)を人にすることです。

行動まで行かなくても、心で思うことも善行の一歩で、繰り返し訓練することにより、他人への親切や思いやりの心、善行に結びつく心ができるのです。

この気持ちは訓練をすることで自分のなかにつくられます。更にこの気持ちが本当に根付くと、外国人、他の民族へのいたわりの気持ち、理解する心にもつながります。人に親切にする、人を助ける、人の役に立つなど良いことの積み重ねで自然に出来てくるものです。

昔から「情けは人のためならず」と言われていますように、善きことを積み重ねていくことで、私たちの人生もより良いものとなっていくのです。

2019年11月24日 (日)

人間の質を高める

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  平林寺境内7

間の質は育った環境、家族、様々な出会い、自分自身の経験などから成り立つものだと思います。

品格・知識・努力・誠実・礼儀・夢・・・などが人間の質として重要です。

人は生まれた時は当然、、無垢な赤ん坊であり成長と共に学びます。人から影響されることもあれば、自分で経験したことで悩み苦しむことも経験します。様々な経験から最終的に自分を作り上げるのが人間の質だと思います。

「人間の可能性は、人との出会い、人との関係によってしか膨らまない。」 

私自身、生まれてから今まで、多くの人によって、生かされてきました。幸せも、喜びも、不幸も悲しみも、すべては、人との関わりから生まれた感情でした。

人間は、その字のごとく、人と人の間でお互い、影響を与え合いながら生きていますから、自分の前後左右にどのような質の影響を与える人がいるかによって自分の現状の質が決まります。

そして、日々責任を果たすことが「人間として質を高める」ことになるだと思います。

2019年11月23日 (土)

郷土愛について

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

御殿峠より市内を望む

郷土愛とは・・・住民が自らが育った地域に対して愛着ないし忠誠を抱く思想、心情である。(ウイキペディア)

私の郷土の想いは、「親思う心にまさる親心」の愛は海よりも深く山高く、無償です。だから こそ、人らしく、生きる力を日々与えて頂いき、お袋の惜しみない愛情に浴しているように、心から安心していられるような居場所なんです。

それが、私たちの生活や生き様に密着した土地、それが郷土です。そこで生まれ育った者も、また、他の土地から移り住んできた者もその土地で生活していくためには、その土地を、少しでも良くしていかなければならないのです。

だからこそ、郷土愛が大事なのです。自分達が住み、自分達を育んでくれる土地を愛し、感謝する心それが郷土愛です。

人に恵みをもたらすのは、大地です。人が、自分の理ばかりにこだわって自分を生かしてくれている、天や地に感謝する心を失うことが、悲劇の根本にあるのです。それは、人間の傲慢さの所産です。

人を生かし徳を養うような言葉を話すのがどんなに難しいかを、私達は日々体験しています。私達はしばしば「傷つけられた」とか、「ヒドイことを言われた」とか言いますが、よく考えてみれば自分が同じことを周りの人にしているのに、中々気がつきません。

自分を生かす郷土を荒廃させ、退廃させることは、いかなる道義をもっても許されません。

2019年11月22日 (金)

歳をとった今思うこと

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

18[1]

子供のころ、「両親に立派な大人になりなさい」と言われた。今でも忘れないでいる人は多くいることでしょう。

そんな思いが大きくなり、勉強して、良い大学に入り、良い企業に入り、結婚して、子供を持って、周りから尊敬されるような社会人になって、親孝行して、年老いて・・・

いま、大人になって、「現実を見て、もっと立派な人物にならなくては・・・」「人に迷惑をかけない、人から賞賛される、立派な人間にならなくちゃ」と思っている人もいるのではないでしょうか。

歳を取ったいま思うこと
もちろん、その生き方を自分が心の底から望むものであればいいのです。
しかし同時に、「自分はそうなれなかったからダメなやつ」「自分は親や人から認められるような立派な人間になれなかった」「もうどうだっていい」・・・と強く自分を責め立てている人がいるとすれば、知っておいて欲しいこともあります。

それは、「いわゆる、立派な、人から認められるような生き方を選べなくても良い」ということです。

「自分が心から望む生き方をしてもいい、批判されるかもしれないけど、自分が本当にやりたいことをやる生き方を選んでもいい、みんなとは違うかもしれないけど自分なりの幸せを選んでもいい、どんな生き方を選んでもいい」ということなのです。

「立派な人になることではなく、自分のやりたいことを大切にしてもいい」

立派な人になることをイメージできて、それがとてもワクワクして、楽しいことであればそこへ向かっていけばいいのです。それが自分のやりたいこと、自分の好きなことだからです。

自分の中の「やってみたい」「好きだ」「ワクワクする」「面白そう」という気持ちは、そこへ向かっていくだけでも自分を大切にすることに繋がっていきます。

そして「立派な人にならなくては」という行動ではなく、「なんか良いなぁ」と思って行動するということは、『特別な何かをしなくてもすでに素晴らしかった自分』に気付くきっかけにもなります。

人間性を高めること

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

17715687[1]

「人間性」とは・・・
思いやりの心・気遣いの心、愛情など人間の内面のことを指します。人間性がある人は、思いやりの心や気遣いの心がある人で、無い人は思いやりの気持ちがなかったり気遣いが出来ません。

反対に、お役所仕事的に処理しようとする、いわゆる「人間性に欠ける、人間性を疑う性質」などと言う人がいます。人間性が高いと人から好かれ、人間性に欠けると冷ややかな目で見られる傾向があります。

メンタルを強くする・・・
心のコントロールは難しく感じると思いますが、毎日の習慣で確実に変えて行くことは可能です。どんなに忙しい時代でもメンタルが強い人と言うのは存在し、確実に目標を達成し続けています。これは力の使いどころを理解しているからこそ、出来る事なんです。

自分の心を受け入れることができたとき、心配や苦悩は消え去り安堵に変わります。爽やかで穏やかな心が訪れたとき、生きている喜びが沸き上がってきます。

やられたらやり返すのではなく、まず相手の気持ちに寄り添って考えること。憎んだところで問題は解決しない、とわかっているからこそ、傷つけられたとしても相手を責めず、「これも経験」と思えるのです。

人を愛することは、人を憎むより、はるかに難しく、それを実行する態度は、頭で考えるより更に難しいものです。しかし、そこが人間らしい人間と、畜生のような人間の境目となるのではないでしょうか。

人間らしい人間でありたいものです。

2019年11月21日 (木)

老い先を考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

平林寺境内2

老いても、幸福を感じるための条件として挙げるのが、「自己決定(自分の在り方を決めること)」です。

「自己決定=自律(自分自身で立てた規範に従って行動すること)」が保たれていれば、「自立」できていなくても幸せを感じられます。だから、“晩年には、人は必ず自立できなくなる”・・・が自分の意志で何かをしていると思うことができます。

つまり「自律」が保たれていれば、幸福感はなくならない、幸福なら、生きる意欲も失われないということです。

少子高齢化社会の日本では・・・高齢者の年金や医療・介護費が国の財政を圧迫しています。財源を支える勤労世代には、その恩恵を受けられる保証がありません。

「なぜ高齢者ばかりがいい目をみるのか・・・」そんな思いが若い世代などの間で芽吹き、不満につながり、高齢者に対する嫌老感を生み出している・・・作家の五木寛之氏はそうした社会の雰囲気を「嫌老社会」と名付けています。


確かに日常的にも困惑する光景を見ることが増えてきたように思います。認知能力が低下しているのに、高齢ドライバーの事故のニュースはもはや珍しくはありません。

核家族化や少子化に伴い、地域でのつながりが希薄になっています。従来、家族内や地域で行われていた高齢者と子どもの交流は減少はもとより、隣近所も“声かけ”少なくなり、高齢者は、社会的な役割を担う機会が減少することにより、そのことが「孤立化、生きがいの喪失」に繋がっていると思います。

家族関係がよければ助け合うが、関係性が少しでも悪化すれば、最大の福祉機能である「家族」は機能しません。そればかりか、排除をする側として攻撃してしまいます。家族には、もう高齢者の豊かな老後を支える余力はない時代となってきていると思います。

転換期を迎え、生活や場所のこと・・・介護のこと・・・支え合いこととか、医療や福祉の不安をなくすためには、どうすればいいのか・・・これからも考え続けていく問題と思っています。

2019年11月20日 (水)

周りに流されない自分を持つ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

20130504002831_5183d79f48630[1]

「周りに流されず、自分の軸になるものを持つ・・・」

どんな逆境でも信じる道を歩んでいくことが、出来るかどうかは紙一重です。俯いていてばかりいると、気が付かないこともあります。

水急不流月(みずきゅうにしてつきをながさず)の心

水急不流月とは・・・「川面の流れがどんなに急でも、水面に映った月が流されることはない。」・・・そういう意味の禅語です。

難しく考えることではありません。自分の周囲でしつこく、うるさく注意をしている言葉に耳を傾け、心を開き、そこから何らかのきっかけを掴み、チャンスを活かすも殺すも自分次第なのです。

規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとは、やり過ごすことができます。

褒められても、けなされても、好かれても、嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。だからできるだけ、規則正しく生きようと努力して行くことです。

朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べるようにすることです。それでいろんなことはだいたい上手くいくと思います。

2019年11月19日 (火)

見返りを求めない行い

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

平林寺境内9

私たち現代人の心には、「自分さえ良ければ」の自己中心的な人が多いように思います。

見返りを求める心
何かをするたびに、それが善い行いでも悪い行いでも、あるいはその中間の行いでも、手を差し出して「さあ、お返しに何をくれる?」と言うのです。

私は、財産や地位など外的なものを欲する感情に打ち勝ち、理性による自己鍛錬で徳を高め、「人の道(道徳)を重んじべきである」と思います。 

それこそが幸福の道
誰かを助けて、自分は正しい行いをしたのだと思えたら、それは、すでに十分な報酬を得ているのです。「善いことをする」という概念は、本質的に無私であることを意味しており、それが人間の理想的かつ自然な姿であると思います。

見返りを求めない人の行動
見返りを求めない人は、それが行動として表れます。面倒見がいい、謙虚、寛容と思われるようなことをする人が多いのです。

見返りを求めない人は、ちょっとしたことでも誰かが自分にしてくれたことに対しては感謝の気持ちを抱きます。そしてそれを相手に対して素直に、言葉にして伝えることができるのです。そうして見返りを求めない人は、周囲と良好な関係を築けていることが多いのです。

2019年11月18日 (月)

日々感謝し生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

08kakunodate_koyo6[1]

人は恵まれすぎる環境にあると次第に感謝の心を忘れていくものです。

現代のように、何でも便利に自分の都合よく手に入る、環境があれば次第に感謝の心が薄まっていき、傲慢な自我が強くなっていくものです。思い通りになっていけばいくほど、それに比例して感謝しかなかったものが、感謝しなければならないというように変化してくるように思います。

当たり前だと思っている目の前の存在や所属している組織や仲間、そして、いただいている身体や、先祖さま、また、地域のこと、日本のこと、自然環境のことなどを、常に忘れないようにしている人は、いつも誰かへの感謝の心を持ち、社会に貢献しています。

不足の自分ばかりを気にしていては「感謝」する余裕はありません。

感謝とは・・・「こんなにも与えられている」ということに気づき、「いつも見守られている」ということを知ったときに、自ずと湧いてくるものです。その時には、社会やチームに生かされている自分が見えてきます。

「時々気づいたときにする感謝」もありますが、「感謝せずにはいられず、感謝しても感謝してもし尽せない、だからその報恩で毎日を生きる」という生き方をしたいものです。

2019年11月17日 (日)

美しい町づくりの想い

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

0401[1]

私たちの片倉町(一丁目町会)には、多摩川の支流の湯殿川が流れています。湯殿川に棲む、魚・鳥などの生き物は、昔とだいぶ違っていますが、現在の湯殿川には、鯉が泳ぎ・鴨・白鷺などがいます。

昔いたドジョウ・フナ・ウナギ・ナマズなどは見かけることが出来ません。開発が続き、昔あった田んぼ・畑はなくなりました。

風景は昔と大きく変わっていますが、西には雪の富士山・南西には丹沢山塊が昔と変わらぬ姿が見られ、近くには昔と変わらぬ片倉城址の森があり、八王子市でも歴史的にも価値のある、片倉城跡公園です。

町民のみならず、遠くから、自然豊かな公園に訪れられている公園となっています。子供からお年寄りの憩いの場所としてこれからも、大切に、環境を維持していきたいものです。それには、町民一人ひとりの、心がけが大切です。

「ゴミのポイ捨てはしない」・「ゴミがあったら勇気を出して拾う」・・・の意識を向上させることです。歴史ある片倉町を、先人達の築いた歴史と伝統を受け継ぎながら、輝かしい未来に向かって、一人ひとりが主役となる元気なまちをつくりましょう。

湯殿川・公園・まちの広場言うに及ばず、道路・河川管理通路などに、タバコの吸殻・空き缶・ペットボトル・コンビ二弁当の包装など、絶対に捨てないようにしましょう!そして、美しい町を未来に繋げましょう。

 

2019年11月16日 (土)

当たり前のこと幸せと思うこと

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

南の大橋の上から

「幸せとは」・・・米国で活動したアイルランド出身の宗教家、ジョセフ・マーフィーの名言に・・・「最高の幸福は、富でも名誉でもなく、自分のしたいことを見つけ取り組むことなのです。」があります。

私は、毎回御飯を食べる時に「ありがたい」、毎日自分の〝したい”ことをしています。「ありがたい」ことと思っています。歩いて、どこかに行く時も「ありがたい」・・・自分の好きなことが出来ありがたいことです。そして無いことに不満を持っていないことです。

私は年をとり、歩く歩幅・速さは、若いときに比べ、「大きく劣った!」と感じる毎日です。そして、あれがあればとか、こうしたいとかの欲はありますが、あまり不満を持たなないようにしています。

人間の体で考えてみると、赤ん坊で生まれてグングン成長していきますが、青年期を過ぎると、人間は失うばかりです。体力は落ちるし、髪の毛は抜ける。目は悪くなります。耳は遠くなります。歯は抜けていきます。年を取るのは仕方のないことです。しかし、なくなっていくものを嘆くよりも、今まだ残っているものをありがたく思うべきではないでしょうか。

人間関係でも同じです。人間関係の中でもっとも大切なものが夫婦です。しかし、好きで結婚したとはいえ、他人だった二人が同居するわけですから、ずっと見ていると相手のアラや嫌なところが見えてきて、そこばかりが気になってしまいます。

しかし、相手の良いところは当たり前のことですから、なかなかありがたいとは思わなくなります。何から何までひどい人もいるかもしれませんが、よいところもあり、だから一緒になったのではないでしょうか。相手の足りないところが腹立たしくなりますが、それはなるべく気にせず、反対に当たり前に良いところをありがたく思う方が楽になります。

当たり前のことをありがたく思う、これを意識的にやってみることです。幸せになる近道であることは間違いありません。

2019年11月15日 (金)

高齢化と地域社会

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

16BF410E

たちの町にある「まちの広場」にて考えました。

◎ 地域力・仲間力の弱さと高齢化などの孤立化
高齢化は日本全体での現象ですが、私たちの町でも、高齢化が進行し、生涯未婚率の上昇ともあいまって、高齢世帯が増加しています。

地域社会が崩壊の進行で、精神的には地域社会全体の地縁、物理的には地域で生活するインフラが失われいます。地域社会のなかでの人間関係を含め、地域力や仲間力が弱体化し、喪失するなかで、社会的孤立の問題が大きな問題となってきています。

このような状況下で、多様な高齢者の現状やニーズを踏まえつつ、今後の超高齢社会に適合した地域社会における人々の新たな”つながり”をどのようにつくり出していくのかが、今大きな問題と思います。

◎ 不便や不安を感じる高齢者の生活環境

高齢者にとって、日常の買い物、病院への通院、高齢者には交通機関等があげられます。また、高齢者が事件・事故やトラブルに巻き込まれたりすることの不安は高まっています。家族や地域社会が変化するなかで、高齢者の安心、安全を確保する社会の仕組を構築する必要性が高まっています。

さらに、高齢者数の増加に伴って、認知症は今後、より一層大きな問題になることから、認知症になっても住み慣れた地域で安心して暮らせる仕組づくりも課題です。

2019年11月14日 (木)

ゴミのポイ捨ては減らない

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

katakura_16kita2[1]

ゴミのポイ捨ては減らない。

昨今の日本のモラル低下は目を覆うばかりです。日本中に蔓延する「自分さえ、うちの家族さえ良ければ」思想?

養老孟司さんの言葉が心に残りました。

① 捨てている人に悪意があるとは思いません。「自分がやっていることが世間にどんな迷惑をかけるか?そこに考えが及ばない」ことがモラルの低下につながっているのです。

② 宗教の規範があまりない日本は、古来「家に恥をかかせない」という意識を持つことで共同体のルールを学んでいたのです。現状は無意識に捨ててるいる人がいます。

◎ あなたの捨てたゴミや吸殻は、誰かが片付けているんです。それでなけりゃ町はどんどん汚れてしまいます。あなたは自分の家の中にゴミをポイ捨てしてますか?

「片付けられない人」という、ゴミの中で暮らしてる人も一部にはいるようですが、自分の家ではしないでしょう??

なぜなら?汚いといやだから、、、そりゃ普通は・・・やっぱりきれいなほうがいいものです。でも、それが玄関を出た瞬間、スイッチが切り替わる??

ちょっとした心がけで、みんな気持ちよく生活できるのです。自分の住んでいる町で気持ちよく、生活していきましょうよ!

2019年11月13日 (水)

生きがい

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

08yokotesigai_yuukei2[1]

生きがいとは・・・
人は誰でも、何らかの「生きがい」を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものである、と捉えることができます。

「生きがい」という言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。

従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから、「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。

超高齢者と地域社会のつながりを大切に・・・安心社会づくり

核家族化で、老夫婦・老人のひとり暮らし多くなって来ています。隣近所のコミュニケーションも以前のように取れない人が増えてきています。

声かけをする(運動)・・・外に出られない人(多くなっている)に対して・・・
それは、“声かけ”をする・・・中でも「心で聴く」を最も重要です。もちろん言葉の発信時には、その言葉にのせる気持ちの表現に気を配らなくてはなりません。

普段から言葉が温かく、琴線(心の奥深くにある、物事に感動・ 共鳴しやすい感情)に触れる言葉の数々を発信するように・・・相手に「共感力」が伝わりやすく考慮することです。

相手の心情を考えて温かい言葉の選択し伝達することで、相手に好感を持ってもらえることができる言葉「ハート語」・・・発信者(話し手)は、聞き手に敬意を払い、気持ちを良くする言葉を選んで伝えるよう心がけるべきであると考えます。そして、生きることに自信を持ってもらうことです。

2019年11月12日 (火)

物事を大局的に見る

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

ka_072[1]

大局的とは、物事を全体を見渡す視点のことです。

頭の良い人は、物事を多角的に考えます。
何か問題に遭遇した時、一つの視点からではなく、色々な方向から考え、問題を解決する糸口を探すのです。また、固定観念を捨て、頭を柔軟にすることで、様々なアイディアを生み出すことができます。

固定観念を捨てる
固定観念というのは、時に邪魔になるものです。その物を使うと必ずこうなるという考えだと、実は違っていて痛い目に遭ったということも、私はあります。また、グローバル化した世の中では、日本で当たり前と思っていたことでも、海外では通じないということはたくさんあるものです。また、日進月歩と止まることのない進化している世の中です。

客観的に物事を捉える
客観的にものごとを視ることは、"問題点が正確に把握できる" ことが考えられます。つまり何かを成し遂げようとする際、客観的な視点を持っていることで自分が抱えている問題点を洗い出せるようになるというわけです。そして自分を客観視できるようになると、細かい変化に対応できる力が発揮されます。

人生色々な場面の連続です
でもよりよい、成果を出すようにし続けていくには、あらゆるパターンに対応できる必要があります。客観的な判断することで、より柔軟に現状の分析を行うことができるのです。

 

2019年11月11日 (月)

教育とは・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

東京工科大学3

教育とは、人間は、成長する過程で、自己に目覚め、善を確立し、そこから、夢と愛を育みます。

もともと、人は、主体的な存在です。だから、夢や愛の種子は、人の心の中にしかありません。その種子から芽を出させ、根を伸ばすのが、教育です。そういう意味で、教育は、農業に似ています。

人間社会で問われるのは、いつの時代も変わらない人間としての生き方です。教育の基本は、生きていくために必要な術を身につけることです。

人間は、社会的な動物です。これらの要件を教育は、満たしていなければなりません。世の中は自分一人では、生きられないということは、他の人達と結びあって生きて生きること。つまり、良い人間関係を築かなければ幸せにはなれないということです。

だから、人と人と関係、良い人間関係を作るために、何が必要なのか、どうすればいいのかを学ぶこと・・・人と人との付き合い方、礼節を学ぶことです。

人と人とが助け合って生きていくための、決まり事や掟を学ぶ事でもあります。つまり、教育として必要なことは、まず、生きるために必要なことです。そして人間として、生きていくために必要な事と言うことです。また、自分が所属する社会の一員として、生きていくために、必要なことと言うことです。

この中で、特に、考えなければならないのは、私たちが、どのような社会に生きているかということです。それは、教育が、社会的な制度によって支えられている社会では、教育は、その社会の理念によって大きく左右されるからです。




2019年11月10日 (日)

自分を信じること

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

10kanmonkyo1[1]

自分を信じることは、本当に大切だと思います。

自分を信じられないということは、自分が正しい判断、正しい行動をすることを信じられないということです。自分に自信がないから、物事がうまくいかないのです。そうすると、自分を信じないと、必ず弱気になります。

「無理かもしれない」と眉をひそめ、弱腰になります。弱気で行動しているかぎり、潜在的な力は発揮できません。

「大丈夫だよ!やれば出来るんだ!」

自分を信じないのは、自分の力を封印してしまうからです。自分を信じることで、出てきます。自分を信じるほど、強気になれます。そして、結果を恐れないことです。

強気になると、行動にも気合が入り、より結果が発揮できるようになります。行動が増えると、経験量も増えるため、どんどんうまくできるようになります。好循環です。

結果として、潜在的な力が発揮されるのです。「自分はやればできる」と、信じることです。根拠はなくていいのです。根拠は後から、つければ十分です。

まず自分を信じるのが、最初です。潜在的な力は、自分を信じるほど、発揮されます。自分を信じるから、人生が切り開けるのです。

2019年11月 9日 (土)

ゴミのポイ捨ては止めて!

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

P1020522[1]

道路や公園などにタバコの吸殻、空き缶などのごみが捨てられ町の美観を損ねています。

捨てられた周辺の住民にも大変迷惑となります。

ボランティア清掃で回収されたごみの大部分がポイ捨てされたごみです。ポイ捨て禁止の看板があったり、常識としても認知されているのになぜこんなにもポイ捨てが減らないのか?

きちんとごみを分別して捨てる、ごみ箱がなければ家に持ち帰る人は、環境あるいは社会に対する倫理観がある人です。この倫理観を共有していないと、ポイ捨てを平気でする人になってしまう。

◎ 親にしっかりと教育されていない

マナーやエチケットは、成長する段階で親からしっかりと学びましょう。大人でも平気でゴミを捨てる人がいますが、このポイ捨ての心理で考えられるのは親からきちんと教えてもらっていないことです。

◎ 自己中心的な考え

公共の場所をゴミで汚す人は、基本的に自己中心的な性格が原因になります。
ポイ捨てをしたら、最終的に誰かがゴミを拾い処分しなければなりません。ゴミを拾う手間だけでなく、ポイ捨ては周囲の人を不快にさせる行為です。

◎ 知識はあっても道徳心が無い
「知徳一体」とは、知識と道徳は一つに調和すべきものであり、学問と教育においても、知識と道徳が車の両輪のように機能して初めて社会に役立つものになるということです。

 

2019年11月 8日 (金)

立冬で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

29176231[1]
まだ秋色は濃いが、立冬を過ぎると東京あたりでも北風の吹く日が多くなり、北国からは雪の便りも聞こえてきて、日増しに寒くなってくる。  はや、「立冬」。暦の上では、今日から冬です。

昨日の、北海道は冷たい低気圧が流れ込んで、札幌に雪のが降っている光景をレビの映像で見ました。平年より10日遅く、昨年より13日早い観測という。

八王子市でも、2019年も秋が一段と深まって落ち葉が舞い散り、そろそろ、冬の到来かな?と思っていましたが、朝気温が一桁台で、日中の最高気温23℃と暖かさでした。

朝が寒い・・・

「朝寒や身体に堪える年となる」

でも日中は・・・

「立冬の 気配もなしの 暖かさ」

「朝夕の 温度差大きく 風邪を引き」

一昨日の東京八王子市は朝が8度で寒く、そして最高気温が23℃・・・温度差が大きく、気をつかなければと思っていたが、風邪をひいてしまった!

 

2019年11月 7日 (木)

複雑なことを単純に考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  南の大橋の上から

複雑なことほど単純に考え、単純なことほどじっくり考える。

稲盛和夫氏の名言に『バカな奴は単純なことを複雑に考える。普通の奴は複雑なことを複雑に考える。賢い奴は複雑なことを単純に考える。』があります。

「賢い奴は複雑なことを単純に考える」というような文面通りの意味ではなく、「賢い奴は複雑なことのポイントが直感的に分かる」ということだと思いいす。

例えば、ながながと説明し続けて結局のところ何が言いたいか分からないという人がいますが、こういう人はある物事に関して一体何が重要で何処が一番ポイントなのかを抑え得ないからこそ、何時まで経ってもそうした話しか出来ないのだろうと思います。

何れにしても、賢い人というのは「複雑なことを単純に考える」というよりも、物事のポイントが何かということが直感的に分かり、そして先ずは、そのポイントについて、如何なるものかと、考えて行く人を言うのであろうと思います。

心の支え

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

湯殿川と君橋付近

夏目漱石の「草枕」の冒頭
「智ちに働けば角かどが立つ。情に棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

人間生きていれば、どうしていいのか迷い、落ち込み、「心の支え」が欲しいと思う時は何度もあります。

人というものは、支え合って生きていくものです。それは、綺麗ごとなどではなく、事実です。

今までの人生を振り返ると、心の支えが欲しいと思ったことがあるという人は、たくさんいると思います。

心の支えは・・・豊かな人生を送るには、必須とも言えるものです。心の支えが欲しくなる時というのは、ほとんどの人に必ず訪れるものだと言えます。

自分が生きていくための、エネルギーなどになる大事な物や存在、人などのことを表します。家族、有名人、先生、憧れの人、それらの「心の支え」というのは、人によって違うものです。

「心の支え」があることは、人を強くします。どんな困難や試練、辛いことも「心の支え」があることで、挫けずに乗り越えていくことができるようになるのです。

それが、例え依存という関係だとしても、例え美しいものではなく醜いものだとしてもです。どんな関係であれ、心の支えがあることで、人は生きることに意味を見出して、明日を生きていくことができるのです。

 

2019年11月 6日 (水)

利他の心

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

P1050621[1]

利他心とは、他人の利益を重んじ、他人が利益を得られるようにと振舞おうとする心。(WebIio辞書)

利他の心を持つと、対象が広がり一段広い視界をもって見れます。そして考えられます。相手のことを思う、相手の立場に立って考えるということは、その人の心に余裕を生みます、思考の間が生まれます。

余裕があるから利他になれるのではありません。
例えば混んだ電車の中で踏ん反りかえって座っている人、他人を思いやれる人は、少しでも座れるようにと席を詰めてスペースを空けようとします。デンと座っている人は別に心に余裕がないわけではないでしょう。心の感性の問題です。

相手を思う心の余裕の差が現れるのです。
そうすると相手は喜ぶ・支持してくれる、仕事は相手も世間も受け入れてくれる・・・だからことはうまく行く・・・幸せを感じる・・・つまり自分が嬉しくなる・・・これこそが自利利他と思います。

ますます、その人は利他的になっていく、ここに運命も好転し、人生が上手く回り始めるというプラスのサイクルが出来上がって来るわけです。

利己は全くその逆を行くことになります。
自分の心の中だけで、欲がとぐろを巻いてぐるぐる回っているだけです。だから悩みがつきず、たとえ能力が高い人でも最終的には、何をやっても上手くは行かないくなっていきます。

2019年11月 5日 (火)

自分を見失う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

080601-16-3287[1]

今日は、「自分を見失う」を考えてみました。

人生は順風満帆とはいかないものです。時には、困難なことに出くわしたり、予期せぬ状況に巻き込まれたりすることもあります。すると、精神状態が不安定になって、自分を見失うことも・・・。

「自分を見失う」とは・・・理性より感情が先走ってしまい、適切な判断ができないことです。自分を見失うと、自分の行動が制御できなかったり、いつも感情が高ぶっていたりして、精神的にも不安定になりがちです。

自分を見失うの原因は、人間関係やお金のことが殆どで、何かに(金・恋愛・仕事など)めり込んでしまうと、自分の感情を制御できなくなり、誤った判断をしてしまい、その結果自分を見失うことになるのです。

家族、仕事の同僚との人間関係のトラブルでも自分を見失う原因となります。例えば、嫌われるのが怖くて、本当の自分を出せないでいたり、いい人だと思われたくて、無理をすると自分を見失います。

確かに、人間関係を円滑に進めるためには、多少自分を抑えることも必要ですが、あまりにも自分の意見を言わなかったり、本当の性格を隠していたりすると、自分が壊れて自分を見失うことになるのです。

自分を見失うと、心は不安定になります。よって、感情の起伏が激しくなる傾向強くなるのです。

自分を取り戻す方法・・・
・ 感情的にならないようにする。
・ 周囲の人の意見を聞く。
・ 無理なことはしない。
・・・です。普段から、落ち着いた気持ちと、冷静な判断をするようにすることを心がける、問題が起きたら、自分ひとりで悩まないで、信頼できる人に相談してみることも大事と思います。そして無理はしないことです。

2019年11月 4日 (月)

今を生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

29176231[1]

街路樹が色づき、山々の錦秋の美しさに見とれていると・・・秋の風景はさまざまな心の動きのようです。

秋の深まりを感じて・・・私は、今という時に生きています。

「本当に大切なことは何か!」に気が付き、周囲とのつながりについて理解が出来、客観的に自分と対峙することも出来る。しかし、その時は、その場に留まることは、もう出来ない。秋は、これからどんどん深まります。そして、間もなく、冬の季節です。

木々が色づき、そして風にせきたてられるように葉を落としていく・・・それはあたかも老いて、木々の葉が落ちて、死に絶えていくように見えるかもしれない。しかし春を、そして夏を、その先に向かえるために葉を落としているのです。落ちた葉はやがて有機肥料として、また新しい命を生み出します。

深まり行く秋の日に、人は自分の人生を重ねて、さまざまに思いをめぐらす。過去にこだわることなく、いつも未来志向で今を生きる。今を生きることが過去を生きることであり、未来を生きることです。

はらはらと風に舞い散っていく木々の葉に命の儚さを感じ、美しい紅葉が秋の日に照る、この一瞬の命の輝きに心ときめかせる。時の流れの中にあって静寂を感じ、今、生きていることを喜ぶことができれば幸せです。

心の広い人

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

ka_072[1]

人間社会においては、人とのコミュニケーションは欠かせません。

人と人が接すればそこには必ず何かしらの摩擦が生じます。人と接することの喜びがあるのと同時に、人と接することは、ある意味ストレスの大きいことでもあります。

心の広い人は、何でも許し受け入れるという事だとしたら、相当我慢強い人であるといえるかもしれません。でも実はそうではないのです。

「心の広い人」とは、何でも許して受け入れるのではなく、「違いを認められる人」なのです。そして他人を厳しく糾弾することが無く、何事にも大らかな態度で対応する様子を意味します。

「人はみんな違う」ことを知っている

人はそれぞれ育ってきた環境も、性格も、考え方も、能力も、見た目も何もかもが一人一人違います。誰一人同じ人間はいません。

これは血のつながった家族でも同じです。だから、意見が合わない、対立することは当たり前。気が合わない人の方がほとんどなのです。

常に心に余裕がある
心が広い人の特徴には、常に心に余裕があるということが挙げらえます。ほとんどの人が焦ったりイライラしたりする場面でも、落ち着いていることができます。

さらに、心が広い人は、周囲の人が心を乱していても平常心を失わずに冷静な判断ができるのです。そのため、心が広い人の存在は、ピンチや混乱の場面で周囲の人の精神的な支えになりやすいのです。

私は、こういう心の広い人になるよう精進したい。









2019年11月 3日 (日)

老いては子に従え

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

湯殿川と君橋付近

老いては子に従え」とは・・・

現在では男女関係なく、老人のあり方を言っています。
元々は、仏教や儒教の教えとして女性が守るべきものとされていたもので、三段階から成ります。幼少時は父兄に、、、結婚したら夫に、、、夫の死後は子に従う、、、ことを言うことわざです(ことわざ辞典)。
このことわざが発生した時代背景です。

三段階から解るように、その時々に応じて、経済的にも管理面でも一家を支える立場にある家長に従うのが良いと説いているのであって、単に年齢の事を述べているのではなく、老人はどんなときでも子の世代に従うべき、という意味ではないのです。

一方でこういうことわざもあります。
・「老いたる馬は道を忘れず」: 経験豊かな人は物事のやり方をよく心得ているということ。
・「親の意見と茄子の花は千に一つも徒(あだ)はない」茄子の花は、一つの無駄花もなく、すべて結実すること。

と言われているが、親が子にする意見も同じように子にとって無駄な意見はなく、しかも間違いもない。

これらの意味から・・・
・親の立場の人に対しては、子供が一家を支える立場になったならば、それに従いなさい。
・子の立場の人に対しては、親の意見に真摯に耳を傾けなさい。

とお互いをいさめる形になっており、お互いの立場を重んじて思いやることが大事だと言っているのです。お年寄りがいる、いわゆる三世代家族では、実質的に一家を切り盛りしておられるのでしたら、ことわざは・・・大変意味深いものと思います。

2019年11月 2日 (土)

自己中心的な人

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

10risiri_senpousi2[1]

最近、自己中心的な人が多いように思いますが?

自己中心の人は・・・「自分さえよければ・・・」どうしても自分が有利になるように考えます。反対に利他的な人は、周囲の意見や行動とのバランスを見て「自分が引いたほうがいいな」と感じたときは、我慢したり譲ったりします。

これがいわゆる“協調性”なのですが、「自己中心的」と言われてしまうタイプは、この度合いが低いということです。他人よりも自分の主張を通したい、無理にでも通そうとする ので「自分中心」、「自己中心的」と言われてしまうのです。

この性格はうまくいけばリーダーシップに結びつきますが、度が過ぎたり、あまりに周りの話を聞かなかったりするようだと、ただの独裁者、周囲を振り回す人になってしまいます。

「自己中心的」な行動にはさまざまな、要因がありますが、育ってきた環境に影響を受けている場合が多いのではないでしょうか?

人は幼いころに、「人生脚本」と呼ばれる自分の中でできあがった生き方の主軸、価値観が作られると言われますが、これは親の価値観や育った環境によって固まっていきます。

例えば、幼いころから親に「やりたくないことはやらなくていい」と言われていたり、兄弟や近所の友だちがおらず物事の決定権が常に自分にあったりすると、自然と「自分の気持ちで動いていい」と思う傾向が強くなります。

中には悪意がある人もいるかもしれませんが、どちらかというと「自分の判断にみんなが従ってくれる」という“強い甘え”があるといえるでしょう。

また、普段は協調性の高い人でも、精神的に追い詰められたり想定外のことが起こったりすると、冷静に考えられなくなり、自己防衛のために「自己中心的」な発想になることもあり、心に余裕がなくなることも、自己中心的な行動の要因 になるでしょう。

 

 

自分を知ること

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

181209[1]

誰にでも、日常の中で抱えているストレスはたくさんあると思いますが、物事がうまくいかなくなると、人はどうしても周りのせいにしたくなるものです。でも、もしかしたら問題の根本にあるのは、自分の性格や考え方かもしれません。

「自分を知ること。」

「自分のことを知りたい」と思うのは「幸せになりたい」と同じように、私たちがごく自然に持っている欲求のひとつと思います。

昨今は、高学歴で・・・いい会社に入って・・・結婚して・・・マイホームを持ち・・・子どもを授かり・・・金銭的に成功するといったステレオタイプな幸福像は崩れてきています。

幸せの形はさまざまあり、その中で「自分が幸せを感じるのはどういうときか?」を知らなければ、自分を幸せにしてあげることは難しいでしょう。

そして「何があっても、自分なら大丈夫」と思えるような感覚を持つためには、自分が何者であるかを知る必要があります。自分を知っているからこそ、問題が起きたときにも対処することができるのです。

また、私たちには得意なこともあれば苦手なこともあり、好きなことも嫌いなこともあります。そんな自分の性質を知り、受け入れて肯定し、自分が一番輝くように生かすことが大事です。

自分の何を知ればいいのか・・・

「自分のすべてです。」よい悪いとジャッジすることなく「今の自分はどうなっているのか?」を客観的に知ることです。自分が今何を感じているのか、何で悩んでいるのか、どんな思い込みがあるのかだけでなく、得意なこと苦手なこと、好きなこと嫌いなことのほか、どんな価値や魅力があるのかなどすべてを知るべきです。

そして自省すること・・・「自分の言動を自ら反省すること」です。






2019年11月 1日 (金)

当たり前のことに感謝

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

800px-七国古道[1]

「当たり前のことに、一番感謝すべきこと」

私たちは、人から親切にされたときや、物などを頂いたとき、とても嬉しく感謝します。しかし、日常生活の中で特別に何かをされたり、もらったりしなくても感謝することはたくさんあります。

物事に対して優劣・善悪の価値や、自分にとっての都合しか考えない損得勘定を最優先するものの見方は、思い通りにならなければ、必ずその結果として苦痛だけが残ります。

本当は毎時間でも「ありがとう」と言えるはずなのですが、お世話になることが当たり前になりすぎて感謝にすら気づけないのです。

誰かのお世話にならずして、この世で生きていくことはできません。自分の1日を振り返ると「ありがとう」と言える場面が必ず存在します。それも、誰もが思っている以上に、数え切れないほどたくさん存在しています。

あることが当たり前になり、それが自分自身の基準(尺度)となっているのです。その当たり前のことを一番感謝すべきありがたいことだと「気付く」ことが大切と思います。では、どうすれば「気付く」ことができるのでしょうか?

「気付き」

「気付き」とは、今まで 当たり前、正しいと思っていたことが「当たり前ではなく、間違いであった」 と、自分の非に気づかされることです。

感謝するべきポイントに気づいていないだけです。本当は毎時間でも「ありがとう」と言えるはずなのですが、お世話になることが当たり前になりすぎて感謝にすら気づけないのです。

夜寝るときでも、一日を振り返ることで、自分の気持ちに気づくことも・・・自分が欠点が判明したこと、学んだことなどプラスの考えで、悪いことが起きても、「この程度で済んで良かった」とこれ以上悪いことは起こらないと信じることです。

考えながら泣けてしまってもいいのです。深い呼吸だけを意識して、思ったままを繰り返すと、負の感情は知らずに溶けていきます。

« 2019年10月 | トップページ | 2019年12月 »