« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »

2019年10月

2019年10月31日 (木)

大人のモラル意識と自覚

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

御殿峠より市内を望む

「今の若い者は」・「子どものモラルが低下している」などの指摘は、いつの時代でも聞かれる言葉と言われますが、私も、「今の大人のモラル」の低さを指摘したいです。

何故なら、モラルの一つに歩きタバコをして、吸殻を町の道路・公園・広場などに当然のごとくポイ捨てしています。八王子市でも条例で、「歩行禁煙」が決められていますが、無視状態です。それが、空き缶・ペットボトル・コンビニの菓子パンの袋などなどに及んでいます。

子供は大人の行動を見ています。今、子どもたちの行動に対して指摘される問題点の多くは、大人たちの問題があると思います。

子どもたちが、将来大人となる際の手本となるべき、今の大人が、手本となり得ていないという大人社会の問題が、子どもに投影されているのではないでしょうか。

いま、自分さえよければの、自己中心的な考えの人が多い
そして、他人のことを思いやらず、責任感の欠如した言動、真摯に努力することを軽視するといった言動は、今の大人が行っているものであり、そうした大人に起因する問題が、子どもの問題と受けとめられているからこそ、問題の解決に至らないのです。

私は「環境保全は待ったなしと」・・・と思っている一人です。「割窓理論」がある通り、私たちの住む町は、きれいにし、美しい山・川と一緒に子供たちが育つ・・・ことを大の大人が示すべきです。みんなで「安心・安全な私たちの町」にしたいと考えています。

2019年10月30日 (水)

自然は無常

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

08kakunodate_koyo1[1]

「朝寒や 年寄りには 身に堪え」

「秋雨に 枯葉の道が 深くなり」

「見慣れた川 台風で一転 恐れ川」

「台風で 穏やか景色が 地獄絵に」

世の中、何が起ころうと自然は無常です。
私たち、日本人は古代から何度も何度も自然災害に苦しんできました。そのような風土の中、古代人は「無常」ということばを用い始めました。「無常」とは「常無し(つねなし)」ということ。。。「常」とは「平常」、つまり普通の状態ということです。

だから「無常」とは「普通の状態はいつも続くとことはない」いうことを表します。まさに近年の日本の風土はこの「無常」を痛感させられます。台風15・18号・そして低気圧の大雨は、日本列島に大きな被害をもたらしました。

災害は「想定外」という言葉があります。
「想定さえすれば、避けることができる」ということなのか、それとも「避けえないことがある」ということなのか・・・私は後者だと思います。自然は、きわめて不安定で、時として脅威をもたらすものです。

それは避けることのできないものであり、祖先も幾度となく自然の脅威から立ち直ってきたのです。だから、太古から人々は自然と付き合う智慧があり、それが仏教でいう「無常観」へと繋がってきたのです。
 
「無常」とは、あらゆるものは時間とともに変化し、一瞬たりとも留まらないということであります。形あるものは必ず壊れる。人間は生きて死ぬ。人生は何が起こるか分からない。無常観とは、このように明るさと影がいつも寄り添っているという客観的な事実を観ることです。

年寄りになって思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

DSC071201[1]

私は80歳代の年寄り・・・「年寄いまは90歳、100歳になっても元気な方がたくさんいます。」

人生50年と言われていた終戦直後と比べると、平均寿命が80歳代になったいまでは、70代、80代でも腰が曲がっている人は少ないです。昔の60代の方は、見るからにお年寄りでした。昔に比べ、日本人は30歳ほど若返ったと考えてもいいと思えます。

実際、90歳、100歳でも寝たきりにならない人の割合が増えているという。一般的な超高齢者では全身の筋力、知的機能の低下は、ある程度は避けられません。

そして、専門家の医師は・・・「軽症から重症まで程度の差はありますが、90歳を過ぎた人の約3人に2人が認知症になります。筋力低下で歩行障害が生じ、日常生活に支障の出る人も多い」・・・という。「だが日頃、接している90歳以上の人たちは、元気な人ほど体をよく動かしていて、多趣味なのだ」という。

家に、閉じこもらず、外にでて人に会い話をすることです。それは、科学的にも老化予防の効果が認められています。

そもそも、運動は心肺機能を高め、脳の血流をよくするので、認知症の予防にもなる。また運動は骨密度の低下を防ぐので、転倒時の骨折に対しても予防効果があると言えます。

2019年10月29日 (火)

幸せとは・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

361[2]

幸福」・「幸せ」とは、人生の指針や満足度を示すものとしてよく言及されます。

両親の愛に育ち・・・一定の教育を受け・・・結婚して・・・子供を育てて・・・孫を見る・・・これが昔から思っていた、私の考えでした。

価値観が多様化した現代社会において、「これが幸福である」「幸福とは◎◎である」と言い切ることはできません。生涯独身を選ぶ人もいます。

私は、「幸せとは欲求を自己実現すること」である考えます。自己実現はあくまで「自分視点」なので、他人から見て不幸に見えるかは関係はありません。

現代社会に生き、普通?の人間の営みができ、昔の若いころからの価値観で生きてこられ、現在は、自分の好きなことが社会貢献につながっています。そして、他人を助けることに幸せを感じています。

私は、今好きなことができて、本当の「幸せ」で、これも周り(家族・となり近所の方)のお陰で、“ありがたい”ことです。自分に偽りなく、好きなことをしていて、かつ、それが社会貢献ができ“幸せ者”と思っています。

しかし私は82歳となり、この先、不安の要素は増してくると思いますが・・・そのときの心の準備をしなければと考えています。



2019年10月28日 (月)

より良く生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

00a233ff[1]

よりよく生きることは、誰しもが心の奥に意識している生き方です。昨日より今日、今日より明日、人間は常に未来志向であり、ポジティブな生き方を好みます。

人間は一人では生きられません。多くの人に関わり合って生きられるのです。その生きていく過程において、支え合いがなければ、人間としての成長はありません。

「他人と過去は変えられない。」*「自分と未来は変えられる。」というカナダの精神科医エリック・バーンの言葉があります。

現在の自分がおかれている状況は、すべて自分が創り出したものであり、他人や環境のせいではありません。もし現在の自分の状況がよくないとしても、それは決して他人や環境のせいではなく、すべて自分のせいです。

動機が大切

人間には誰しも、心の中に良心というものがあります。良心に背くようなことをするときは、良心の呵責を感じるようになっているのです。誰でも、“いけない事”をしようとすると心が“チクリ”と痛むという良心の呵責を、感じたことがあると思います。

良心の呵責を感じるような行為はよくない原因となり、よくない結果を招きます。

自分さえ良ければ、いいというような利己的な行為や、道徳に反する行為などは、悪い結果を招き、相応の償い、をしなければならなくなります。逆に、他人のため、社会のために行う利他的な行為は、善き結果を招きます。

他人のため、社会のためにという動機にもとづいた行為は、自然と周囲の支援が得られるようになっているから上手くいくのです。そして、上手くいったときには皆のおかげと感謝するのです。

2019年10月27日 (日)

福祉とは・・・

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  07rose_ame2[1]

今日は、福祉のことを考えてみました。

「福祉」とは、「幸福」と同じ「しあわせ」という意味のことばです。

勘違いしている人がいるかもしれませんが、「福祉」とは、ただ、弱い者のを助けることではありません。相手が「弱者」だから、お手伝いをしたり、サービスを提供しているのではなくて、その人にとっての「しあわせ」や「よりよい生きかた」をするなかで、必要であるからお手伝いをしたり、サービスを提供しているのです。

人の「しあわせ」や「生きかた・考えかた」は、みんな人それぞれで違います。ですから、相手にとって、何が必要なのかを理解していくことが「福祉」には大切です。

人はみな「幸せってなんだろう?」「よりよい生きかたってなんだろう?」の答えや考えを持つことが大事です。きっとそれが自分にとっての「福祉」になっていくのだと思います。

そして、他の人の「しあわせ」や「よりよい生きかた」を自分より、良い悪いで決めるのではなく、相手の声に耳を傾け、一緒に考えてあげることが、相手に対する「福祉」につながるのだと思います。

人の“幸せ”の欲望には限界がない。人間の欲望は限りがない。
満たそうとすればするほど、乾いていく心に泣きます。ないならないで欲しいですが、有れば有ったでもっと欲しくなるのが欲望なのです。もっといいものが欲しくなっていきます。

「欲望は満足を知らない」・・・限りない欲望を求めることは虚しさを深めることに・・・

欲があるから私たちは、向上心をもって生きていけるという正の面も確かにあります。しかしその裏側にある虚しさという負の面を知ってほしいと思います。そして絶対に満たされない欲望を知ると、負の面の大きさがよく分かるかと思います。

”これでよし”と考えるのは、とても危険です。
今はよいかもしれませんが、先に必ず虚しさがやってきます。その実態を忘れ、今さえ楽しければいいというのは、人間以外の動物と同じと言われても否定はできません。考えることができる人間として、欲望について正しく向き合っていかなければなりません。

「貪欲=悪いこと」とはまだ思えない人もいると思います。欲望の本性は、余裕がなくなった時に起ると思います。

 

2019年10月26日 (土)

老人川柳・・・冗句

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

3e0efb42073e3a102d859b5d9b3710fb[1]

むかし、中学の先生だった方の、川柳(老人)が作ったもので・・・老いて、なるほど・・・納得?

* 長命と 健康はべつと 老いて知る  (ヨボヨボ長寿は否)
 
* 百歳に 長寿法を聞く 医師の会   (実利に学ぶ)

* 糸きり歯 らしいが切れぬ 総入れ歯 (イライラして歯ぎしり)

* 常識の 変わりの早さに 置いてけぼり (若者語 カタカナ語)

* 辞世の句 出来た早速 使いたい   (あわて者)

* 心配を かける子親を ボケさせず  (反面孝子)

* 寝たきりも 達者すぎるも 嫌う人   (同居の嫁)

* ヨボヨボに なればなるほど 口達者 (周りの嘆き)

* 物忘れ ひどくストレス 溜まらない  (呆けの効用)

2019年10月25日 (金)

生きていることに感謝

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

御殿峠より市内を望む

毎日を生きることは、与えられた権利ではなく贈り物なのです。

今生きていることに感謝

私たちは、人間として、生まれたことにまず感謝し、先祖や両親から受け継がれてきた生命の中で生かされていることを自覚することが大切です。

そして未来に生きる子どもたちのために、私たちは先祖によって培われた正しい人間のあり方を伝えて行くことです。そして、大自然のあらゆる恩恵に感謝する・・・また、生命の大切さを知り、新しい命の誕生を心から祝い、感謝の心を継承することです。

奉仕・・・社会ために行動

普段から何事にも「ありがとうございます」という素直な感謝の気持ちと、「おかげさま」「お互いさま」という助け合いの心が大切ではないでしょうか。奉仕は、見返りを求めない無償の活動です。地域社会はもとより、常に弱者の立場に立って物事を考え、行動することが大切です。「慈しみと思いやりの心」を育み、できることから、奉仕活動を実行することです。

郷土を大切にする
町のゴミを少なくすることが大切です。私たちの身近な取り組みが、地球に優しい生活の第一歩です。共に生き、共に生かされるという精神で、かけがえのない郷土を次の時代へ、その継承は今を生きる私たちの使命です。

身近なことから始めることが活動の第一歩です。小さな行いの積み重ねが、周りによい影響を及ぼし、結局は最終的に回り回って自分たちに還ってくることになります。つまり、自分のためであり、引いては将来に向けて、私たちの子孫のための利他行であると言えると思います。

自分の人生を生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

thumb5[1]

誰かと比べたり、自分の望みを後回しにしたり・・・ではなく、「自分の人生を生きる」ことができれば、周りに振り回されることもなく、毎日が「幸せと」思うようになるでしょう。

「自分の人生を生きる」というのは、当たり前すぎてふだん意識することはないものです。
◎ 何かを決めるとき、自分がどうしたいのか分からない。
◎ 相手の顔色をうかがって、自分の望みを後回しにする。
◎ 人の目を気にして、いつもクヨクヨと思い悩んでいる。
◎ いつも誰かのために頑張っていて、自分のことは後回し。
◎ 心から幸せだと感じることができない。

「勇気と決断」です。
☆ 「自分の人生を生きる」とは、自分自身が心から喜び、納得し、幸せを感じられる状態のことです。どんな出来事にも感謝する心をもち、“今、ここ”に生きています。人の目を気にしたり、他者と比べたり、誰かの言いなりになることもありません。

☆ 「自分の人生を生きる」と、何気ない日常にも幸せを感じることができ、充足感で満たされます。自分が納得のいく選択ができるようになりますので、クヨクヨと思い悩んだり、誰かのせいにしたりすることもありません。軸がしっかりとしているため、周囲に左右されずブレませんし、そんな自分に自信がもてるようになります。

 

2019年10月24日 (木)

マイナスをプラス思考に

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

PB043560[1]

何度も足を運んで、ようやっと解決した。

ある金融機関での手続きのこと。

ある金融機関の、お客様サービス課の人が家に来て、「定期が満期に来ているので、手続きをしたほうが良い」と言われたが、ちょっと立て込んでいたので、「明日、直接お店に行き手続きします。」・・・と言って、その日は帰っていただきました。

翌日、支店に行き、窓口で処理ですが、一日はさんで二日で、なんと3回でやっと手続きが終わりました。

何で?なんで?・・・自分の未知なこともありますが、最初から「よく説明してくれよ!何回も足を足をはこばすなよ!」つごう3回は・・・「済みませんでした。」と窓口の女性に・・・支店長に文句をいいたいと・・・実際に思ったのですが・・・。

後で考えたら、毎日、健康のために歩いて、健康のためになった。何時もの散歩コースではなかったが、いいじゃないですか。。。歩けたんだから~~。そして、自分の認識不足・閉店間際(15時)ということもあり、自分にも非もあったのです。

私の信条は「ゆっくり行こう人生は・・・」です。

そして、ピロキの「明るく 陽気に 生きましょう」ウクレレ漫談家のお笑い芸人・・・を思い出しました。

2019年10月23日 (水)

自然災害で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

DSCN0400[1]

台風19号は、甚大な被害を持たらしました。

かつて誰も住んでいなかった場所では、台風や水害もただの自然現象に過ぎなかったのでしょうが、人が住むことで「災害」と認識されるようになったのです。

今、私たちは自然の摂理を理解して、その範囲で豊かでありながら、持続可能な生活が維持できるか、真剣に追求することが必要な時代なってきています。

自然の摂理とは、「自然が持っている逆らえない法則」・・・人間の力では変えることの出来ない、絶対的なシステムというべきものです。どんな出来事でも摂理の支配下に置かれており、摂理の影響下から逃れることはできません。

その摂理は物理的な出来事から、人間の思考や行動の範囲まで、あらゆる事象に対して影響を与えています。そして、摂理は法則のようなものなので、原因に対して自動的に結果というものが発生します。

すべての人間は摂理から逃れることはできません。だからといって摂理を必要以上に恐れる心配はなく、悪い行いをすれば悪い結果になり、良い行いをすれば良い結果になるので、すべてに対して公正なシステムといえます。

このように、この世の中には摂理という完璧なシステムが存在しているのですが、人間の目に見えないので、ほとんどの人がその存在に気づいていません。今、人間は、目に見えるものしか認めることができず、その存在を信じることができないのです。

私は、できるだけ早く摂理の存在を認識して、摂理に従った生き方をすることだと思います。

 

2019年10月22日 (火)

ゆっくり生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

八王子16号バイパス2

最近「ゆっくり生きる」ということが苦手な人が多いように感じます。

行く道を急いでいる人には、道を譲ってあげる。。。「譲る」心の持った人は、豊かな気持で過ごすことのできる人といえます。

なんでも簡単に手に入る時代になりました。私たちもすぐに結果を求められることが増えてきました。だからでしょうか、いつも何かに追われるように感じてしまう。ゆっくり生きる方が、人生をよりよく味わうことができます。

急がなくていい・・・
即効性、すぐに、手軽に。そんな言葉が重宝がられる社会です。たしかに便利になりました。そして、簡単に手に入れたものは手放すのもまた簡単に手放します。

生き方や幸せまで同じように考えてしまって、ゆっくり生きることができないでいる・・・。ハリボテで取り繕って幸せなふりをしていても、決して幸せにはなれません。

いくら「ふり」をして華やかに見せても、余計に虚しい思いをするだけです。小さくても、少しずつでも進んでいく・・・ゆっくりでも自分のペースで歩いていく・・・その一歩の積み重ねが自信につながります。

自ら踏み出した一歩だからこそ、自分自身を肯定できるのです。幸せに見せる努力をやめれば幸せは見えてきます。自分を苦しめる余計なものは捨ててしまえばいいのです。急がず焦らず、丁寧で穏やかな暮らしでいいのです。

2019年10月21日 (月)

陰徳を積む

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

08ringo_tyoukai1[1]

陰徳とは、人に知られないようにひそかにする善行です。

人前でだけ良い恰好をする人は、誰でも見ていないところで頑張れる人には勝つことはありません。人知れず努力ができるということは、努力が身についている証拠です。

逆に人前でだけ努力する人は、「誰もいないからサボっていいや」と怠けるようになるのです。そのため、人知れず努力できる人が、人前だけで頑張る人に負けるはずがないのです。

誰も見ていないときこそ自分を変えることが出来るのです。努力に限らず、人の見ていないときにこそ人の本質はあらわれるものです。

「人に見られていないなら、悪事を働いてもいい」と考える人は、今まで悪人ではなくても、将来必ず悪に染まります。そのような人は、いずれ我慢がきかなくなり、人が見ていようと悪事を働くようになるでしょう。

私の大好きなふるさと

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  御殿峠より市内を望む

「あんたさぁーなぜふるさとが、そんなに好きなんだい?」

理由なんかないよ、好きだから好きなだけだよ。。。

目を閉じれば、浮かんでくる。。。

目を閉じれば、聞こえてくる。。。

母の胸に抱かれて眠る子供のように・・・優しく包み込んでくれるから?

私の大好きなふるさとよ。。。

心に見えてくる、あの風景は、いつまでも変わらない。

忘れそうな夢も、そこでは、また輝き続ける。。。

夕や明けに染まる橋の上、雨上がりの匂いとあの山、ふもとに架かる虹が大好きなんだ。

「だから、ふるさとを大事にしたいんだ」

生きていることに意味がある

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

絹の道

お年寄りのつぶやきに「早くお迎えにこないかなぁー」があります。

そのとき・・・大事なのは、黙ってその場にいてあげること。これには勇気がいります。その場に居続け・・・可能なら、泣き黙ってしまったお年寄りの手をとり、肩を抱いてあげることです。

こんな言葉があります。『八十でお迎えが来たら、まだ早いと言いなさい。九十でお迎えが来たら、そう急がなくてもいいと言いなさい 』

「生きていることに意味がある」
「早くお迎えがこないかなぁー」の背景にあるものは、自分の存在が肯定できないことからくることでしょう。そして、家族、地域社会といった縁が機能不全になるにつれて、多かれ少なかれいると思います。

あなたには・・・「その時」に抱きとめてくれる人がいますか?「その時」に助けてくれる人がいますか?今の生き方が、「その時」に繋がるのです。

だから「今」が大事です。
その時をどう迎えたいのか?だって死は生の延長線上にあるし、人は生きてきたようにしか死ねないものです。

私自身がもう少し年を取って、もう少し経験を積み重ねますと、私自身の人生観が、少し変わるかもわかりませんが、現時点では、生かされていることに、ありがたく「感謝」することです。感謝は「幸せの心」繋がるのです。

周りの人たちに本当に感謝をして生きてきた人というのは、本当に良き死を死すということができる・・・そういう感謝に満ちた人生をずっと送りたい・・・「やはり感謝というのは大事」と思っています。

2019年10月20日 (日)

思いやり

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

IMG_0153

思いやりとは、相手の身になって考え、良かれと思い行動することです。

私は、自分の気持ちを知る以前に、自然に相手の気持ちを知ろうとします。ハッキリ言えば、相手の気持ちや立場を優先して、自分の気持ちや立場は二の次にしてます。

相手の性格・気持ちや立場を踏まえたうえで、自分がしてあげたい思いやりが、相手にとって必要か必要でないか、喜ぶか喜ばないか、少しだけ立ち止まって考えることも必要とも思います。

今まで「思いやり」「親切」を身近な人・知らない通りすがりの人に、して来ましたが、迷惑だとか言われたり不快に思われた経験がほとんどありません。

親切をして反応のない人もたまにいますが、みなさん「ありがとう」「助かった」と喜びます。

相手にとって今必要なことなのかを悟ることや、相手にとって必要以上な「思いやり」「親切」をしないように心がけてます。

今して欲しいこと・望んでいそうなことを相手の雰囲気を見ただけで、私は理解できるので、それ以上のことはしません。また、好意で思いやり・親切をしても「余計なお世話」と言う人は、自然とそういう事を言いそうな雰囲気が出てます。

相手の人が望んでいない思いやりや親切をしても、やはりそれは余計なお世話にもなりますし、相手の人に余計な気を使わせてしまいかねません。

思いやりって、相手を思いやるだけではなく、自分が行った親切心によって、相手に気を使わせないことも大事だと思います。



 

2019年10月19日 (土)

怒ったら負け

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

修善寺の桂川ホテルから1

人間、怒っている時は正常な思考回路が作動せずして、間違った判断を下してしまいます。

今の世の中、腹の立つことは一つや二つではない。しかし、絶対に怒ってはいけない。人間、何事も先に怒ってしまう方が“負け”なのです。

「どんな状況であっても、怒ったら負け」

今、私たちの身の回りで「怒る人」がふえているように思います。しかも、その「怒る人」が若者よりも中高年者に多いようなのも気になります。

激しく変わって行く世間が気にくわない、自分が大切にされていないという思いが、ちょっとした機会に吹き出るのでしょうが、これも自分を守人ろうとする自我の意識の表れにすぎません。

しかし、いちど怒りを爆発させると、自分を抑えられなくなって、怒りはますます強くなり、心は怒りで一杯になって身も心も消耗させてしまいます。怒りは、まさに私たちにとって猛毒なのです。

この「毒」は怒りの対象となった人にも及んで、心をかき乱して深いダメージを与えます。怒ることのメリットは何もない。相手が怒っても、自分は怒らない。「怒ったら負けだ」という心構えを持っていくことです

2019年10月18日 (金)

自然の法則と人間

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

DSCN0400[1]

今回の台風19号で「自然の脅威」を思い知らされた「自然の法則」

強風・大雨・で甚大な被害な被害を及ぼした台風15号・19号は・・・千葉県で、屋根瓦・電柱を吹き飛ばし、箱根に1000ミリを超える記録的な大雨を降らせたり、関東・東日本の河川を氾濫し多くの被害をもたらしました。

地球も宇宙の一つの星、宇宙にも変化

地球の誕生の46億年前、太陽系では、たくさんの微惑星が集まって、地球が成長を続けています。今までの長い期間に、星の衝突・爆発・氷河期・などを何度も繰り返しして、生物が誕生し、人間も進化を続けながら、今この地球上で生きているのです。

この先地球に待ち受けている変化は気候だけではありません。長い長い年月で見れば地形も変化します。ハワイが年間数センチくらい日本に近づいてきているという。

地球の陸地はプレートと呼ばれる岩盤みたいなのに乗っていて、それは地球の内部のマントルという部分がゆっくりと動くのに合わせて少しずつ移動しているのです。

自然の法則にしたがって生きている

水は高いところから低いところへ流れていく、自然の法則の代表的な事象です。さらに掘り下げ人間の生命の営みとの関連がキーになりそうです。

このことからも分かるように、自然界に起こることが人間の生き方にも大きな影響があります。人間も言うなれば自然界の一部にあたります。したがって、自然の法則が当てはまることは当然かも知れません。

「大自然の摂理にもとづいて生かされている人間がすべきこととは、人間は太陽と水、空気をはじめとする大自然の無償のめぐみをいただいて生きている。だから大自然の摂理(ルール)にもとづいた人間として望ましい生き方こそ大切である。」(梅原猛氏)

人間の欲望から、むかしの田んぼを埋め立て、山を削って道路を作ったり、家を建てています。これも大自然の摂理を考えない事象で、反省すべきことだと思います。

老いを知る

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

P1020522[1]

歳を取ること・・・

私も・・・「歳をとったなぁー」つくづく思うことがあります。歩くスピードに自信があったのですが、若い人についていけなくなり、最近は奥さんにも抜かれてしまう始末です。一所懸命〝ついて”いこうとするのですが駄目です。

年を取るとともに、「よく知っている人なのに名前が出てこない」・「ついさっきまでやろうとしていたことを忘れてしまった」ということが増えるようになるという。(・・・私も実感しています。)

なりたくない認知症

認知症で最も多いアルツハイマー型認知症は、85歳で4人に1人(25%)と言われています。

生活環境や生活習慣と大きく関係していることが判明してきているそうです。規則正しい生活や、食生活、適度な運動に加え、脳に刺激を与えたり、活性化をうながす行動が効果的と言われています。

まぁー決定的な方法がないからこそ、日々の習慣を心がけることが大事になってくると思います。
よぼよぼになって・・・
「長命と 健康は別と 老いて知る」・・・最悪の寝たきり老人にはなりたくないものです。

2019年10月17日 (木)

生きている幸せ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

御殿峠より市内を望む

私は、医者に罹りながら、薬を飲み、特に「今日は何々をする」ということも少なく、日々を過ごしています。

「朝起きて、今日は何をしょうか」考えるに・・・多くの人に、支えられて生きてこられたのです。有難いことと思っています。

いま、出来ること・・・少しでも、地域社会にご奉仕しをしなければと思い「町の美化活動」をしています。美化活動をしながらいつも思うのですが、「こんなこと(美化活動)が出来ることは本当に幸せ」だと、言うことです。

82歳まで生きて、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、食べるものにこと欠き、戦争で機銃照射されて死ぬ思いをしたことなど経験してきました。

この世の中のことを指し娑婆といいます。それは「苦しい事を耐え忍んで生きていくところ」という意味です。

苦しさを我慢して努力を重ねることが幸せを得る道であり、また、この世の中は四苦八苦といわれるように、苦しみが毎日連続して身のまわりに起きてくるところ、しかし、それらの苦しみの中にこそ幸せが存在するのが私たちの人生でもあります。

粗末で倹約した食事をとっているからこそ、ご馳走の有難さ、おいしさが判り、戦争の悲惨さを知っているから、幸せな平和を求める気持ちが、強く湧き出てくるのではないでしょうか。

「お茶にお菓子」という言葉がありますように、にがい抹茶を頂く時に、甘いお菓子を食べますと、抹茶のあのにが味が快いにがさに変化して一層美味しく頂けるのです。

ところが世の中には、苦しさに打ち負かされて自暴自棄になり、望みを捨て、投げやりな人生を送ってしまう人が多くなってきたように思われます。

苦しさに逃げることなく、今は苦しいのだと自覚して苦しさに対処し、我慢して努力すれば、また楽しい時には心から楽しみ、苦楽共に思い合わせて、生きていくことだと思います。

信じることの幸せ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

pixta_7968297_M[1]

「信じる」=「生きる」とも言えます。

では一体なにを信じればいいのか?何かを信じても、いつかは裏切られ、 しばらく幸せが続いても、果たしてこの世に、「必ず幸せになれる」という、絶対的なものがあるのだろうか?

「親も友達もなにも信じられない」・・・「そんな辛い人生なら死んだ方がましなのではないか」・・・そうなると「そもそも人生に意味などあるのだろうか」考えてしまう。

その答えを知るためには、事実を事実として受け入れる心の器が必要です。様々な事実を受け入れる器ができてきたとき→人は幸せ感を、感じながら生きて行くことができるようになるのです。

自分のこと・・・他人のこと・・・そして「さまざまなできごと」を事実として受け入れる。 これを心がけると幸せ感を感じ、人生がスムーズに進むようになっていきます。 

すべての事実を受け入る心の器が拡がるには時間を要しますが、事実を受け入れるのは幸せになる秘訣だと思います。 人生を諦めることなく、前に進めるのです。

本当の豊かな人生とは

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

DSC071201[1]

「本当の豊かさや幸せ」は、自分だけが・・・という生き方の中に見出されるものではなく、自分の周りの人が信じられ、心から語り合える仲間がいるとき、私たちはどんな悲しみにも耐えられるし、心から喜ぶことができるのです。

喜びは、共に喜んでくれる人がいなければかえって空しいだけです。どれほど他人からうらやましがられるような出来事があっても、それを一緒に喜んでくれる人がいなければ寂しいものです。一方、悲しみもまた、共に語り合える人がいれば、その悲しみに耐えていくことができます。

本当の豊かな人生とは

人生は勝ち負けではなく、決して他人との比較で考えるべきことではなく・・・孤独なところには成り立たないものだということです。そして、信じられる心を持つことであり、具体的には信じられる人と共に生きることだと言えます。

2019年10月16日 (水)

家族とは何か

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

08yokotesigai_yuukei2[1]

家族とは・・・

血のつながりがある人や婚姻によってつながりがあって、困ったときに助け合うことができる精神的な結びつきがある人のことを意味します。心の安らぎを得ることと、子供を育てることが家族の中心的な役割と考えられています。

家族というのは基本的に、自由に選べません。そして、親子関係は解消できません。したがって、家族はしがらみになると、思う人もいると思います。一方で、「家族は大切」「家族は絆」と思われる方も多いと思います。

家族は、人が人と生活する最小単位

家庭には、自分の居場所があるという気持ちをお持ちで、ホッとする方もいるでしょう。トイレだけが自分の居場所ではないのです。さらに言えば、自分たちはいいけれど、せめて子どもには、いい家庭で育ってもらいたいと願っている方も多いと思います。

子どもを基準に考えたとき、やはり家族は重要です。家族は「しがらみ」でもあるし「絆」でもあります。家族は人にとって最大の関心事です。

人間の遺伝子に、「家族の大切さ」というものが書き込まれているのかもしれません。また、家族とは人間が作った社会的な仕組みだという面もあるかもしれません。

それぞれの社会によって家族の形態は違うし、時代によっても違います。私は、将来も・・・その時代・その時代の社会の形態に合った家族であるとことに、遺伝子に組み込まれていると思います。

2019年10月15日 (火)

台風襲来で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

thumbnail_1_c9cd29a4b7b4eec4[1]

「台風19号」

政府は、台風19号による被害を激甚災害に指定する方針(14日)です。

災害は忘れたころにやってくる」・・・寺田寅彦の名言

1934年「天災と国防」・・・

「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。

そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。

その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないはずである。」

大規模化は被害を甚大にする

堤防を高くすればするほど、小さな災害は防げますが、一旦、破堤すると逆に甚大な被害を出すことになります。また、建物の規模が大きくなれば、万が一、建物が壊れたときの犠牲者は膨大になります。

人間はどんなに文明が発達しても畏敬の念
私たち人類が、大自然に対して感じていた自分たちをはるかに超えた、超越存在への畏敬と畏怖の念の原点を、思い出す必要があるのかもしれません。

 

2019年10月14日 (月)

生かされていること

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

1024px-Yudono_River03[1]

散歩しながら考えました。

何時もの散歩のコースも30年も経つと湯殿川と、その近くの家並み・住んでいる人・田んぼや畑が少なくなり、広がる町の景観が変わっています。私たちの生活のスタイルも違ってきています。世の中の変化は、止まることなく、めまぐるしく変わっています。

私たちは日常生活の中で、「自分は生かされている」と実感することはあまりありません。しかし、事実として、私たちの“いのち”は、自然のはたらきに支えられています。空気や水、大地、太陽の光などのさまざまな自然の恵みがあってはじめて、私たちは生きていくことができるのです。

どんなに時代が変わっても、自然とのバランスが保たれなくては私たち人間は生きていけません。

この地球上で私たちが生きていくことができるのは、自然が絶妙なバランスを保っているからです。例えば、太陽と地球がもっと近かったら暑すぎて生物は生きられないでしょう。逆に今より遠ければ、すべてが凍りついた世界となります。

地上に降り注ぐ太陽の光のおかげで、あらゆる生物が育ち、成長していくことができます。私たちは、そうして育った他の生き物のいのちをいただくことによって、自分のいのちを維持しているのです。

こうして考えてみると、私たちが今生きていることは、ある意味で奇跡的なことであり、まさに「有り難い(「めったに無い」の意)」ことなのです。

私たちも「あたりまえ」と考えがちな「ありがたい」ことに気づき、感謝の気持ちを忘れれないことです。「あたりまえ」である命の終わりが来た時に・・・今まで生きてこられ「ありがとうとう」と言えるように暮らしていきたいものです。

真実に生きるとは

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

odaiba-97[1]

『事実と真実』

「事実」は「客観的な事柄」、「真実」は「主観的な事柄」を意味し、内的世界(身体の中)にある感覚、感情を感じ尽くすところから浮かび上がる知恵です。

真実に触れると人間には「気づき」が起こります。誰かから教えられたり、指示されたりすることではなく、自分の内面から生じる感覚的な「発見」や「ひらめき」を「気付き」で、人生を進路を決めていきます。

「気づき」で、さまざまな思い込みや制限を手放すきっかけにもなります。今まで八方塞だった問題の解決や個人の成長にもつながります。それはまるで、今までモヤがかかっていたところに光が差し込んできたかのような、急に視界が開けたような感覚です。

ところで、そもそも「気付き」とは一体どのような状態のことを指すのでしょうか。どのようにしたら「気付き」を起こすことが出来るのでしょうか。

「気付き」とは、誰かから教えられたり、指示されたりすることなしに、自分の内面から生じる感覚的な「発見」や「ひらめき」、「解釈や理解の変化」のことで「真実な心」です。

「真実の心」を表現

「口と心と行い(手)と三つ揃って誠という」です。行いと手は同じだと考えられるので、どちらも同じ内容を表してます。「口先だけじゃダメだ。」ということです。

心で思ってないのに、口先だけ取り繕うのは誠とは言えない。口で話す内容、心で思うこと、行動で示すことが三つ揃って初めて「誠」となる、ということです。その理屈を理解し生きれば、「人生悔い無し」ではないでしょうか。

 

2019年10月13日 (日)

自然は絶対です

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

IMG_0161

現代は、気象学が発達して、台風の大きさ・進路予想、何日も前に分かり、日本列島のどのあたりに上陸するかまで分かる・・・昭和の40年代には、考えられないことでした。

昨夜は、台風19号、テレビで、台風の大きさ・進路予想・予想時間を随時を放送していました。

むかしは、富士山に傘雲が出来ると・・・雨になる。。。アマカエルが鳴きだすと・・・雨になる。。。辰巳の方向に雲が立つと・・・入梅になる。。。おふくろが朝起きて外に出て、一日の始まることを感謝して、空に手を合わせていた光景が目に浮かびます。

現代は、自然の捉え方が、リアルになったと思う反面、まだまだ大自然には、人間の存在はちっぽけなもので、台風の出来るメカニズ理解したとしても、進路を変えたり、勢力をコントロールすることはできません。

「自然は絶対」です。

自然界には法則があり、私たちはこれに縛られて暮らしています。台風がやってくるのも、地震が起こるのも、日照りが続くのも法則があってのことでことで起きるのです。

私たちは、全ての自然に守られて生きているのかも知れません。

時には、様々な天災で亡くなられる方々もおられます。それには意味があって、命の儚さと、自然への感謝の気持ちを気づかせるためでしょう。私たちは、たった一粒の雨の雫に生かされているのです。

そよぐ風に、静かに波打つ水面に、穏やかに流れる川に、大らかな山々に・・・人は、もっと細やかに穏やかに物事を見なければ悟れません。イライラしたり、小さいことを気にしたり、恨んだり憎んだりでは気づけません。

安全には絶対はない

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

DSCN2258[1]

「これまで経験したことがない大雨」

台風19号により、関東地方や静岡県ではこれまでに経験したことがないような大雨になっています。神奈川県箱根町では、12日に降った雨の量が、午後7時までの合計で870mmに達し、1日の雨量としては全国の観測史上最も多くなりました。

台風19号・・・八王子市の防災課・ラジオ・テレビなどでも、安全の注意喚起の報道が続いてます。

「絶対安全」ではなく、「安全第一」

「安全には絶対はない」「こういう事態」を反省するのは、当たり前だが、「絶対安全だと判断」してしまうような、間違った思考に自覚しなけいけません。「絶対安全」がないからこそ、人は十分に注意するとともに、万が一に備えるのです。「絶対安全」ではなく、「安全第一」

科学や技術が発達しても、むしろ発達するからこそ、天災化した事故は避けられず、「絶対安全」はあり得ないということです。

災害で構造物が壊れて被害が出たら、天災なのか人災のか・・・人間が作った「人工物」は、設計者や製造者、使い手、組織や規制が複雑に絡み合い、事故が起きたとき原因の特定も難しくなっています。

1ヶ月前の千葉県の大きな被害をもたらした、台風15号でゴルフの練習場のネットの柱の倒壊で、隣接の民家を損壊したことは、オーナーの弁護士は「鉄柱倒壊、天災だから仕方なかった!」「被災者の怒号!」・・・保証はどうなるのか、責任所在が問題となっています。


2019年10月12日 (土)

自己中心の人が多い

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

湯殿川と君橋付近

日本で若者中心に「自分さえ良ければ」の「自己中心の考え方」の人・行動する人が、多くなったように思えます。

私は戦前生まれで戦後の物不足で、食べることもままならぬ、世の中を生き抜いてきました。その原点は、「助け合い・思いやり」であったと思います。

「自己中心の考え方が多くなったのはなぜか」

戦後の民主化政策における、極端な人権尊重と競争社会です。そして、躾の三大原則を、親が教えていなからです。

つまり、「朝、必ず親に挨拶をする子にすること。」「親に呼ばれたら必ず、“ハイ”とハッキリ返事のできる子にすること。」「ハキモノを脱いだら、必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。」の道徳心がないからです。

天才物理学者・アインシュタインの言葉に「誰かのために生きてこそ、人生には価値がある」・・・があります。

「自分の幸せは、誰かを幸せにすることであり、誰かを幸せにすることは、自分の幸せである」・・・自分ひとりで人生のあらゆることをこなせる人なんて、この世にいないのです。常に誰かしらの力を借りて、知恵をもらって、愛情を与えてもらって・・・見えないところでたくさんの人の関わりがあって、それがいまの私を生かしてもらっているのです。

そう考えると、「自分さえよければ…」の発想は、今まで与えてもらった人たちを無視して、すべて自分の手柄にしようとする考え・行為です。私は「自分さえよければ」という思考の最後の果ては「孤独」だと思います。

2019年10月11日 (金)

ごみ拾いをして思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

105793551[1]

最近、ごみ拾いをしながら思うことがあります。

これは酷い・・・

同じ場所、ある橋の付近です。大きめのレジ袋ひとつです。レジ袋を二枚にし、しっかり固く結んであり、その中身は生ゴミ・ペットボトル・空き缶など混入しています。カラスに破かれ、歩道に散乱していたので収集しました。生ゴミ・空き缶・空きビンなどです。

近くの知り合いの家に、二回ほど事実を話してみましたが、当然、不法投棄の犯人?など分かるはずもありません。「今日はどうかなぁー」とその場所に行って(散歩コース)見ると「ゴミ袋」は捨てられていました。今日で6回です。

そもそもダイエット目的
の散歩メインだったのですが、余りにもゴミが多いので、相当以前(何十年前)から、“ついでに”ゴミも拾い始めました。ゴミを見つける度に軽く憤慨していましたが、今ではすっかりゴミ拾いメインになってしまっています。

ゴミ拾いって、文化的行為かつ、結構「哲学的」でもあるなぁーと思います。

ゴミを拾っていると、結構、奇異の目で見られてしまうんです。中には「みっちゃんは偉いねぇ~」と言ってくれる方もいらっしゃるのですが、それも「広義」の奇異の目といえなくもないです。

特に拾いはじめの頃は、人前でゴミを発見すると、そんな奇異の目に恥じて屈してしまうのか?それとも愛する大切な郷土を守りたいのか?という心の葛藤をいちいち繰り返していました(今では何の躊躇もないですが)。

禅寺の修行の第一歩はトイレ掃除と聞きます。中には素手で掃除させることもあるとか。正に「心の修行(鍛錬)」です。

全く意識してなかったのですが、ゴミ拾いも立派な「心の修行」になっているのかもしれません。

ゴミを拾いながら、色んなことを考えてしまっています。片倉城跡の歴史のある町を守り、後世につなげるには?・・・ゴミを捨てる人はどんな人なのか?・・・なぜゴミを捨てるのか?・・・なぜ私は拾っているのか?・・・偽善ではないのか?自分とは?人間とは?・・・また文化とは何ぞや?




地球環境が深刻な状況

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

三浦三崎港3

「取り返しがつかない事になる前に」
2050年の海は、魚よりも“プラスチックごみ”が多くなると言われています。ペットボトルなどの容器包装から、日常生活のあらゆる場所で利用されているプラスチック・・・便利な一方で、ポイ捨てなど不適切に処分されたプラスチックごみが、大量に川から海に流れ出て、海の環境を汚し、海の生き物にも悪影響を及ぼしています。

「地域社会の環境美化に関心を持とう」
「タバコの吸殻も環境破壊になるゴミ」です。普段、何気なくタバコの吸殻は、当たり前のように道路や公園などに捨てられています。(八王子市では、条例で全市内、歩行禁煙です。)また、小さいからとプラスチックの食べ物の包装・容器など、無意識にポイ捨てする人が後を絶ちません。

地球環境を改善して持続可能な社会をつくるため、身近な地域社会での環境問題への関心を一人ひとりの認識が重要です。それが、海のゴミを減らすことに繋がるのです。

そして地域の環境問題は、地域に住む人一人ひとりが、認識を深め、地域全体を、私たちのまちを良くしようと一体となり、取り組みに係わることが、求められていると思います。

美しいまちに、美しい心の人が育ちます。自然に優しさを・・・その認識が未来へ繋げることが、現代に生きる私たちの使命とだ思います。

2019年10月10日 (木)

人生は立ち止まりはない

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

shutterstock_432800005[1]

「歳とっても立ち止まらない」

今の自分に満足できるのは、歳をとることを肯定し、喜び、むだな抵抗をせず、むだに歳をとらないで来たからだ。歳をとるのが楽しかったとい言いたい。

考えすぎてはいけない。考えすぎると、そもそもなかったはずの問題を自分自身で作り上げてしまうことになる。状況を判断して、行動を起こすべきだ。

立ち止まらない・・・立ち止まると、そこで進歩・進展も止る。前に進むことだけは忘れずに歩み続けること。焦らない、怖がらない、立ち止まらない。ただひとつ・・・自分の道を進み、自分らしく生きること。それが、一番幸せになる方法と思う。

問題に直面することを拒んでいる限り、状況を変えることは出来ない。もちろん前進することには常にリスクが伴う。でも、考えすぎてはダメ!一塁ベースに足を置いたままでは、いつまでも二塁ベースに進めない。

◎ 上手やろうとするから、無理がでる。
◎ 楽しく出来たら、上出来だ。
◎ 頑張ってやろうとするから、辛くなる。
◎ 夢中だから、最高だよ。



  

2019年10月 9日 (水)

人には誰でも使命がある

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  3e0efb42073e3a102d859b5d9b3710fb[1]

使命とは、自分自身が決めてきた、今のこの世での役割のことです。

具体的には、「自分のどのような長所を活かして、どういう人に何をもたらすのか」です。この世に生きている人には、例外なく それぞれの使命があります。

使命は、千差万別

人間は千差万別の姿と心に生まれついています。従ってそれぞれの持つ使命も天分も、全部異なっているのではないかと思います。

ほとんどの人は、明確に自分の使命が何であるかは分からないまま、一生を終えます。私にも、使命が何であるのか分かりません。もし、使命がなんであるのか知りたければ、自身が自分の力で探し、これだと思ったことに対して最後まで信じることではないでしょうか?

仕事は、人にとって様々な意味を持ちます。

生きがい、、、生活のため、、、たまたまその仕事しかなかった、、、。しかし、仕事に対する価値は、自分自身の受け止め方で変わってきます。

つまらない、、、自分に合わない、、、つらい、、、思っていたものと違う・・・誰もがどこかでそう感じるものでしょう。しかし、そんな仕事に、生きがいを見つける人も数多くおられます。

生きがいなどと考えなくても、ただ楽しく仕事をこなしている人も沢山います。また、仕事には最低限の労力しか使わず、その分、趣味に生きがいを見出して楽しむ・・・そんな人がいるのもまた面白いところです。

仕事を通して学ぶべきことは数多くあります。

でも、仕事の中に必ずしも使命があるとは限りません。大事なのは、人生で熱中して、一生懸命に取組める何かを見つけることです。仕事に限らず日々の生活の中で、有意義で楽しめるものを、自分自身が探すことです。

2019年10月 8日 (火)

悪口と陰口

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

08yokotesigai_yuukei2[1]

「悪口は言っても陰口は言わない」

悪口は、自分が感じる人の欠点を、その人に指摘すること。

これは悪口と言われて、一般的によくないことであると解釈されています。しかし、人の欠点を指摘することは、指摘された人にとって非常に大切なことであると考えます。

なぜなら、もし指摘した欠点が当たっているのであれば、その人は自分の気が付かなかった欠点、たとえ気が付いていても、直すまでには至らなかった欠点を、あらためて知ることができるからです。

欠点を知ることができれば、それを直すことはできます。

普通は自分の欠点を知ることができないがために、また、欠点の大きさに気が付かないために、その欠点を直すことができない場合が多いように思います。だから指摘された人も、その指摘はありがたく受けとめることが大切です。

自分の欠点を指摘されることを嫌がったり反発していたのでは、だれもが人間関係をよくしたいと考えているので、相手の人が嫌がることをあえてする人は、あまりいないでしょう。だから、自分の欠点を指摘してくれる人を「ありがたい」と思うことです。

これに対して、人の欠点を、その人にではなくて他の人に話す人がいます。これは「悪口」ではなく、「陰口」です。

人の陰口を話題に出して、それを酒の肴に話を盛り上がらせる人もいます。このような人に限って、本人に対しては「よいこと」ばかりを言います。信用できない人で、気を付けたいものです。

2019年10月 7日 (月)

環境問題と温暖化

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  御殿峠より市内を望む

今年の台風15号は東京湾を北上し、9月9日午前3時に千葉市に上陸しました。千葉県、横浜市・横須賀市などに、大きな台風被害となりました。

千葉県だけでも送電線の鉄塔が倒れ、電柱が2000本が倒れ、屋根瓦飛ばさせる被害は、想像を超える暴風となり、広域で長時間の断水・停電が続きました。

生活が電気で成り立っている現代では、交通機関が不通になり、信号機が働かず交通整理ができず、電話が通じない、家庭では台所の電気製品が稼働しなくなりました。

人間の果てしなき欲望が、わがままかってにまかり通っている日常を、時として自然は猛威をふるって打ち砕いてしまいます。大切な財産が消失し、人命が奪われてしまう悲哀を受けとめざるをえないのです。

台風の襲来、地震津波など、天変地異に遭うと人は自然の猛威に恐れおののき、あらためて大自然に畏敬の念をいだきます。そして人間の思慮分別のおよぶところのものでない、それが大自然であることを再認識します。

最近、地球の温暖化による異常気象が問題視されて来ています。環境保全団体のWWFは、地球危機を訴えています。

地球温暖化が進むと、気温が上昇するだけでなく地球全体の気候が大きく変化します。既に世界各地では、そのさまざまな影響が現れ始めており、自然環境や人の暮らしにも重大な問題を引き起こしています。

こうした問題は、温暖化への対策を十分に行なわない場合、さらに深刻化し、地球規模の深刻な被害をもたらす危険性が指摘されています。

私たちは、人事ではなく、「地球に優しくする」・・・を真剣に考え行動すべき問題と思います。たとえば、「ゴミのポイ捨てをしない」と言うことを実行することも有効な活動と思います。

地域に高齢者の役割り

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

yudonogawa-kobiki00[1]

『シニアの3K』

シニアの3Kとは、「お金、健康、孤独」と言われています。

確かに、高齢者にとってこの3つの要素は深刻です。お金を稼ぐことが出来ない老人、老いから来る健康障害の老人、最愛の伴侶を失った老人たちは、シニアの3Kを代表する。3つの要素のうち一つでも改善できれば、高齢者の不安を軽減できるかもしれなません。 

近年、社会老年学では「aging in place(エイジング・イン・プレイス)」という言葉が注目されているそうです。住み慣れたところで、安心して自分らしく年を取るということです。

人生の最後の時期に高齢者施設や病院に入るのではなく、できるだけ自分の住み続けてきた地域で過ごすことがいい、という考え方です。

老いても、今できる社会奉仕は何かを考えて実践すること

私は、高齢者であっても、自分が社会に、お役に立つことがあれば積極的に参加し社会に還元することが大切でと考えています。活動することによって、地域の人たちとのコミュニケーションが図られ、明るい地域社会が築けると思います。

かつては、人びとをつないでいた血縁や地縁などの強い絆が急速に弱まり、三世代などが一緒に住んだ大家族から、高齢者の単身世帯、高齢夫婦のみ世帯の増加という世帯構成の変化・・・

さらに核家族化で、家族との交流頻度の低さなどから、地域社会での支え合いが必要だという認識にもつながります。それは一人ひとりの地域住民の小さな努力の積み重ねで実現すると考えられます。

そして超高齢社会を地域で支える

高度経済成長の流れによってより、都市でも地方でも、いわゆる「地域社会」が崩壊してしまったといわれています。そのため、地域社会の地縁や、地域で生活するインフラが、徐々に失われてきました。

地域住民同士の絆の希薄化、仲間力が弱体化し、孤立する方が多く見受けられるようになり、孤立死の問題などが出てきます。こういった問題を解決していくためには、地域社会全体で超高齢社会を支えていく必要が出てきていると思います。

季節の移り替わりに想う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

1024px-Yudono_River02[1]

季節の移り変わりは、心と身体も変えて・・・自然の力に畏敬と感謝をしたい。

人間はあまりにも傲慢に成り過ぎたのではないのではなかろうか・・・自然の力に畏敬の念と、自然の恵みに感謝する心を養うことが、大切であることを再認識する。

夕方、片倉城跡の森から、聞こえてきた、セミの声も、いつの間にか鳴き収まり、湯殿川沿いの、桜の葉が黄色・赤色となり、風に舞散り歩道を彩ってってきている今日このごろ。

最近は、涼しくなったと思えば、また残暑の暑さになり、簡単にいかないような、心の移り変わりに似て、この時が、心も揺らぎがちにで、哀愁はまた、森々と深まりゆくばかりである。

2019年10月 6日 (日)

理性と感情のバランス

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

53957[1]

人間は、感情の動物で、理性が人間社会を構成、人間社会が成り立つのです。

「理性と感情のバランス」

人間には、「理性」と「感情」という、2つの心の働き(力)があります。

理性は物事を理論的に考えたり判断する力で、感情は物事を喜怒哀楽として感覚的に感じ取る力です。

そして、この理性と感情は心の中に同時に存在していて、その人の置かれた環境や心の状態、また、対象となる物事と内容によって、理性が優先されたり感情が優先されたりします。

一般的には、理性的である方が感情的であるよりも、「より人間的である」、すなわち、「人間として上位に位置付けられる」と思われているようです。

しかし、目標達成ということから見ると、その場面場面によって理性と感情の「役割」が違うのです。

「理性的に考えて、感情的に行動する」、これが目標を達成する上での大切な考え方と思います。そして、人は、この2つの心の働きを同時に持っているので、そのバランスをコントロールすることが大切です。

一般的には、若いときには感情が強く、そして、年齢を重ねるにつれて感情を押さえることが上手になるようです。しかし、対象によって、「ある時は理性が優先し、ある時は感情を爆発させる」というような、理性と感情のコントロールを是非ともマスターしたいものです

2019年10月 5日 (土)

今朝の散歩で思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

036[1]

今朝の散歩は、何時ものように湯殿川の河川管理通路を歩き、小比企町の稲荷橋から南西を見て、丹沢山塊の連山と富士山、クッキリと見え、空はまた、まったくの混じりけのない澄み切った青空で、これほどまで景色は、めったに見ることはありません。

里に秋の気配が漂い、湯殿川沿いの桜の木々は紅や黄が目立つようになってきています。長いこと、この地の住んでいますが、しばらくぶりに見る風景・・・自然の素晴らしさ・・・感動してしまいました。「生きてきて良かった」と思えました。

こんな素敵な爽快な気分の空で・・・思わず両手をいっぱいに広げて深呼吸したくなるような気持になりました。

秋の空で一句・・・
「蒼の色 混じりけなしの 秋の空」 

 
「秋の空」は十月から十一月にかけてのものでしょう。晴れた空はどの季節でも人の心を楽しませ、四季の内で、何と言っても、そこに立っているだけで、寿命が延びるような気分の良さという点では、秋の空が一番でしょう。

大昔から日本人は秋の空の気分をこよなきものとして、「秋の空」はもちろん、「天高し」「秋高し」「秋澄む」などといろいろに言い換えては歌に句に詠み続けて来たのです。

いま地球温暖化で、今年も、異常気象の影響が現れて、台風15号の暴風・・・北九州地方の大雨で大きな被害が出ました。温暖化地球規模であり、世界中の問題です。アメリカのパリ協定脱退はとんでもないことだと思います。

今朝の、朝の散歩で感動しながら、地球環境の大事さを痛感しました。

老いを考える

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07murasugi_watasuge1[1]

「生きていれば誰でも老いる」

年齢による自身の衰えを実感するのは、つらいものですが、いつまでも若さや理想にこだわっていると、年を重ねるほど自分に対して否定的な気持ちが生まれてしまいます。

年齢と上手に折り合いをつけながら今の生活を楽しむことで、「人は生きていれば誰でも老いる」という現実を穏やかに受け止め、人生につきまとう焦りや不安を無くすことです。

他者との関わりに深い価値を見つけること

人生の終わりを意識すると、多くの人は生と死に関する観念が変わると言われています。今まで当たり前に過ごしていた、日常や季節の移ろいに心を動かされたり、家族・友人との絆に改めて感謝の念を抱いたりしながら、そこに幸福感を見出だすことです。

また、自己中心的な考え方から抜け出して、残りの人生を社会や他人のために役立てることに歓びを感じる高齢者がいるのも、こうした他者との関わりにこれまで以上の深い価値を見ているからかもしれません。

経験を積んだ分、若い頃のような漠然とした不安が減る

就職、結婚など決断しなければならない節目が続く年齢には、不確定な将来への期待や不安に心が大きく揺れ動きます。それに対し、一通りの人生経験を積んだ大人は、自分が選び取った結果である今をどう充実させるかという点に重きを置く・・・若い頃よりは自分の感情を扱うことにも長け、精神的に安定しやすいと言えるでしょう。

終わりがあると意識することで今を大切にできる

体力にも気力にも自信がある若い頃には、時間の使い方や自分の健康についてもあまり深く気に留めることはありません。でも少しずつ体力が衰えてきたり、同世代の健康問題が話題にのぼる年齢になると、やがて自分にも老いが近付いてくるのだと気付き始め、少し不安になります。

しかし何事にも限りがあると気付くからこそ、有限である時間の使い方や健康な身体の有り難さ、周囲の人々との繋がりの大切さについて改めて見直すことにも繋がります。自分が今持っているものの価値をわかっている人ほど、何気ない毎日を丁寧に暮らすことができるのかもしれません。


 


















2019年10月 4日 (金)

倫理・道徳について

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

東京工科大学2

「生きる目的・・・」とは、稲盛和夫さんは「心を高めること、魂を磨くことにある。」と言われます。

魂というものは、「生き方」次第で磨かれもすれば曇りもするものです。この人生をどう生きていくかによって、私たちの心は気高くもなれば卑しくもなるものです。

世間には高い能力をもちながら、心が伴わないために道を誤る人が少なくありません。現代社会では、自分さえ良ければという自己中心の考えから、不祥事を起こす人がいます。

いずれも頭の良い人たちの行為で、なぜと首をひねりたくもなりますが、古来「才子、才に倒れる」といわれるとおり、(才能にすぐれた人は自分の才能を過信しすぎて、かえって失敗するものだということ。) 才覚にあふれた人はついそれを過信して、あらぬ方向へと進みがちなものです。

どのような哲学に基づいて人生を歩んでいくかによって、その人の人格が決まってきます。「人間として正しいかどうか」ということ・・・親から子へと語り継がれてきたようなシンプルで素朴な教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになると思います。

「していいこと、してはいけないこと」の判断を子供のときから教えることです。私は、教育学者の森信三先生のしつけの大切さを改めて痛感します。

1、朝、必ず親に挨拶をする子にすること。

2、親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とハッキリ返事のできる子にすること。

3、ハキモノを脱いだら、必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。

2019年10月 3日 (木)

年を取っても幸せ

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

  10kanmonkyo1[1]

母は私が7歳のとき死んで、父親・私の兄弟7人の家族でした。子供のころの農家での暮らしで、子供たちは長男夫婦が家を継いて、次男始め6男の私は、53年前、独立して家を離れました。

今の私は核家族化で、老夫婦二人の生活です。

離れて暮らす子供二人は、結婚しそれぞれに孫が二人でそれぞれが、元気に暮らしています。むかしが良いか、今が良いかは考え方次第だと思います。

私は「幸せに生きることが出来私は今幸せだ!」って思えば幸せです。逆に『不幸だと思えば何時までも不幸』ということにもなります。

『地獄極楽は胸三寸にあり』という言葉もあるように、今幸せに人生を生きている!こんなに幸せな事はない!

日本に生まれて良かった!家族に支えながら、友達に支えられながら、色々な人に出会って、失敗をし、反省を繰り返して「自分の短所、長所を大分判った!」ような気がして幸せ・・・そして医者に診てもらい、薬を飲みながら夫婦で生活できていることが、最高の幸せ!

今の状況によって幸福かどうかが決まるのではなく、その状況をどのように捉えるのかで幸福度は大きく変わってくるということです。また将来への望みや希望を持てるとそれも大きなポイントになってきます。

いつまでも幸せに生きるという事を考えるなら、まず自分は幸せな環境にいるという考えを再認識する事が大切といえます。そして、常に周りの人に支えられて生きているという事も常日頃思える人間であり続けていく事が大切と言えるでしょう。

2019年10月 2日 (水)

今を生きる

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ 

00a233ff[1]

「今を生きる」
過ぎ去った、過去は変えられません。まだ来ぬ、未来は誰にも分かりません。だから、この一瞬を大切に生きていることです。「不安」という言葉があります。「何に不安?」ほぼ、見えない未来が不安なのです。

その見えない未来に対して、「あーでもない、こーでもない」と悩むと余計に不安になります。過去は、後悔の念が寄せてくる・・・「あの時こうすれば良かったとか。。。」でも、過去も未来も後悔も不安も考えたって仕方ありません。時間の無駄です。

今が面白くないと、「昔はよかったなぁーあの時は楽しかったぁー」と過去の思い出の中に逃げてしまうことがあります。また、今も昔も面白くなかったら、「まぁー、そのうち楽しいこともあるだろう」と、未来に淡い期待を抱いて、「今」を生きていないということがよくあります。

もちろん、過去を懐かしむことや明日への希望を持つということがいけないと言っているのではありません。ただ、過去を懐かしむのは「今」をよりよく生きるためであり、明日への希望を持つのも「今」を大切に生きていくということから生まれてくると思うのです。

「空過」と「勝過」
「空過」とは、かけがえのない一日一日を無駄に過ごしてしまう生き方です。「そのうち、そのうち・・・」という生き方はまさしく「空過の人生」です。
「空過」の反対を「勝過」と言います。「勝過」とは言うまでもなく、与えられた一日一日を精一杯生きるという生き方です。「勝過の人生」と「空過の人生」、その違いは一つしかありません。それは「今日のことを今日する」か「今日のことを明日に延ばすか」、ただそれだけのことです。

2019年10月 1日 (火)

ごみ拾いを続けて思う

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

105793551[1]

ゴミ拾いって、文化的行為かつ、結構「哲学的」でもあるなぁーと思います。

ゴミを拾っていると、中年の奥さんから「いつもありがとうございます」・・・「いやー暇だからやってるんですょ」つぶやくように返事・・・

ごみ拾いの始めたきっかけは、定年になり、散歩をすることが日課となって、ゴミが余りにも多く、このままでは自分が住んでいる町も住めなくなる?そして散歩がてら自分の健康のために早朝の運動を続けることは、一挙両得だと思ったのです。

特に拾いはじめのころは、人前でゴミを発見すると、そんな奇異の目に恥じて屈してしまうのか?それとも愛する大切な郷土(片倉城跡周辺)を守りたいのか?という心の葛藤をいちいち繰り返していました(今では何の躊躇もないですが)。

禅寺の修行の第一歩はトイレ掃除と聞きます。正に「心の修行(鍛錬)」です。全く意識してなかったのですが、ゴミ拾いも立派な「心の修行」になっているのかもしれません。

そんなことをはじめ、ゴミを拾いながら、色んなことを考えてしまっています。なぜ人はゴミを捨てるのか?、なぜ私は拾っているのか?、偽善ではないのか?、自分とは?、人間とは?、また文化とは何ぞや?

以前、小学校の校長先生に「ご苦労様です、本当にありがとうございます。子供たちに声をかけてください」・・・と言われ・・・「あ、そうか」・・・今では、ゴミを拾いながら、誰にでも挨拶をしています。

大人が普通に何気なくゴミを拾う姿を子供に見せることは、結構どんなことよりも高い教育的効果があるとも思います。

そして、「いつもありがとうございます。」普通に歩いていたときに、と声をかけてくれる人も・・・「アレだれだったかなぁー」と思ってしまいます。

誰からも頼まれた訳でもなく、ゴミを拾うという行為をする人の多くは、その場所(町)に愛着を持ち、きれいにしたい、と思っていることと思います。大げさに言うと「郷土愛(誇り)」や「おもてなしの心」がある人ともいえるでしょうか。

本当の幸せとは

にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ

07rose_ame2[1]

幸せを世間と比べているかぎり、真の幸せは得られません。

普通の人は、世間の平均と比べて恵まれているほうであるか、ないか、考えていると思います。他の人より恵まれていれば、幸せを感じます。また他の人より恵まれていなければ、不幸を感じます。

多くの人が考えやすい方法なのですが、それが幸せになれない原因です。

たしかに幸せを感じられる面もありますが、一時的です。世の中、上には上がいるからです。自分よりお金持ちはいますし、自分より若い人もいますし、自分より外見のいい人もいるでしょう。

人が感じる不幸は、比較から発生します。

比較の世界にいると、いつも周りの様子が気になり、落ち着かず、不安で、安心できません。上には上がいますから、比べているかぎり、必ず不満を感じることになります。

比較では、真の幸せを感じられないのです。

本来、幸せとは、比べるものではありません。自分が、どう思うかです。今この瞬間、自分の心が満足しているかどうかです。自分が主人公である人生は、自分がどう思うかが、一番大切です。自分が「楽しい」「面白い」「好きだ」と思えば、すべて正解です。

比較がないため、不幸を感じることもありません。自分が「いいなあ」と思えば、幸せです。世の中には、幸せがたくさん存在していることに気づくでしょう。生きるのが楽しくなります。自分の素直な気持ちを基準にしたとき、真の幸せが得られるのです。

« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »