泥臭い人間
私は泥臭い人間でありたい。
清らかそうな聖人であるよりも、むしろ泥臭い正直な人間でありたいと思っています。
上から人を導いたり教えたりする人よりも、いつでも人と同じ目の高さに立ち、サポートを必要とする人のそばにただ寄り添う人でありたいです。
私は、そういう人間のほうが好きだし、正直な人のほうが信用できるし、そういう人の方が一緒にいて安心できます。カッコいい人生を生きている人は、確かに聞こえはものすごくよく感じます。周りから見ると羨ましささえ覚えます。
泥臭く生きるということ
世間で使われる「泥くさい」という言葉は、辞書的な意味以外に、定形的、形式的なものを感じさせない、もっと「心情的なニュアンス」を含みます。
たとえば、人の悩みを聞く場面でも、「知性にものを言わせて理路整然と説明する」のではなく、「人の心情を汲み、ともに悲しみ、ともに喜ぶ」というような、形にならない重さを持つ人間性があるのを指します。
形にならない重さであるがゆえに「泥」なのです。
そんな、型にはまらない人情味があるのが長所でもありますが、「効率重視」を忘れてしまうところが短所です。また、書類主義で「書類に書かれたことをすべての根拠とする」のではなく、「たとえ口約束でもそれを大切にする」気質を持つことです。
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