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2019年10月 1日 (火)

ごみ拾いを続けて思う

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ゴミ拾いって、文化的行為かつ、結構「哲学的」でもあるなぁーと思います。

ゴミを拾っていると、中年の奥さんから「いつもありがとうございます」・・・「いやー暇だからやってるんですょ」つぶやくように返事・・・

ごみ拾いの始めたきっかけは、定年になり、散歩をすることが日課となって、ゴミが余りにも多く、このままでは自分が住んでいる町も住めなくなる?そして散歩がてら自分の健康のために早朝の運動を続けることは、一挙両得だと思ったのです。

特に拾いはじめのころは、人前でゴミを発見すると、そんな奇異の目に恥じて屈してしまうのか?それとも愛する大切な郷土(片倉城跡周辺)を守りたいのか?という心の葛藤をいちいち繰り返していました(今では何の躊躇もないですが)。

禅寺の修行の第一歩はトイレ掃除と聞きます。正に「心の修行(鍛錬)」です。全く意識してなかったのですが、ゴミ拾いも立派な「心の修行」になっているのかもしれません。

そんなことをはじめ、ゴミを拾いながら、色んなことを考えてしまっています。なぜ人はゴミを捨てるのか?、なぜ私は拾っているのか?、偽善ではないのか?、自分とは?、人間とは?、また文化とは何ぞや?

以前、小学校の校長先生に「ご苦労様です、本当にありがとうございます。子供たちに声をかけてください」・・・と言われ・・・「あ、そうか」・・・今では、ゴミを拾いながら、誰にでも挨拶をしています。

大人が普通に何気なくゴミを拾う姿を子供に見せることは、結構どんなことよりも高い教育的効果があるとも思います。

そして、「いつもありがとうございます。」普通に歩いていたときに、と声をかけてくれる人も・・・「アレだれだったかなぁー」と思ってしまいます。

誰からも頼まれた訳でもなく、ゴミを拾うという行為をする人の多くは、その場所(町)に愛着を持ち、きれいにしたい、と思っていることと思います。大げさに言うと「郷土愛(誇り)」や「おもてなしの心」がある人ともいえるでしょうか。

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